創造主が57音文字にこだわる理由は、全ての宇宙音を発声できる重い言語で無ければ、将来「呪文」を扱えないからです。どちらかと言えば、26音文字の方がプレアデスにしてもベテルギウスにしても民族的には優秀なのですが、全ての宇宙音を発声できなければ呪文を打つことが出来ません。呪文を打てなければ龍神も操作できないし宇宙戦士には成れない事から、創造主の跡継ぎが誕生する聖地民族はどうしても57音言語を話す民族でなければならなかった訳です。伊勢に入植した龍神島民族は、先ず創造主セザナの返り御霊が有る場所に神殿を建てます。日本国で最初に建てられた神殿は、プレアデス星人が建立した与那国島神殿(23万年前)が最初ですが、それは龍神島の正面玄関の門社に過ぎなく、国内には如何なる建築物も建てる事は長い間許されておりませんでした。従って、現在の伊勢の大社地には、日本国初の神殿が建てられた事になります。そもそも神社には両義が在って、創造主を祭る社(やしろ)と、神々を祭る宮(みや)に別れているのが普通です。出雲大社や諏訪大社の様に創造主を専門に祭る場所と、伊勢神宮や明治神宮の様な神々を祭る場所を、一色単に混同してしまう事は、本来許されない行為なのです。伊勢神宮が世界中から参拝される理由は、そこに如来界第12位の最高神である「ミトラ神」の宇宙唯一の返り御霊が存在するからであり(外宮の多賀宮)、分魂聖地である「エルサレム」とは、重厚さや荘厳さが違います。しかし、その伊勢神宮すらも創造主の社と「秤」に掛ける事は出来ません。龍神島民族が第一に敬うべき対象は、人間出身の神々では無く創造主「セザナ」である事は言うまでも無いでしょう。

    伊勢に入植した民族が繁栄し安定を得た事から、龍神島の各所に民族を分派させて行く事になりました。最初に出向した地は「大和の国」であり現在の奈良県でした。この時の総人口は約8万人でしたが、奈良に赴いた者は2万人に上ります。今から約4360年前、現在の東大寺近辺に移植した者達は新天地で都を築いて行くことに成ります。それから30年後、伊勢からは次の一派が「出雲の国」に出向します。現在の島根県ですが、この地に赴いた者は約1万人に上ります。それから更に200年後、伊勢から再び人員の地方出向が起こって、6万人規模の大移動が始まります。出向先は四国徳島の「阿波の国」であり(船移住)、伊勢には3万人の者だけが残っていました。人口の増加により伊勢地域には深刻な食料不足問題が発生していたのでした。これら三箇所の移住地の中で、爆発的に発展したのが「阿波の国」でした。温暖な気候と、瀬戸内の豊富な水産物と、肥沃な大地は国力を高めたばかりか、文化を急激に発達させて行く事になります。移住後300年が経過した紀元前1800年頃には、阿波の国の総人口は26万人にも増えていました。

 しかし、神々の思惑は「九州開拓」に有りました。その目的はまるで胎児の様な世間知らずの龍神島民族に他の大陸民族を意識させて、日本国として一つに纏めて行くと言う方向であり、同時に近親結婚による「遺伝病」の解消も画策していたからです。早い話が、他民族との混血を視野に入れて、一つの国家として活動を始めることを望んでいたのでした。「筑紫の国」に焦点を定めて、「阿波の国」から24万人規模の大移動をさせたのは紀元前1790年代の事でした。そのお蔭で、神社の関係者のみが残った阿波の国は一挙に廃墟化して伊勢の二の舞に成ってしまいました。活性の中心を九州に移した神々は、他民族との交流を促して、龍神島民族としての民族意識の高揚を待ち望みます。血の弊害を解消する問題に関しては、現在の中国河南省で栄えていた(二里頭文化圏)の民族(3000名の女性)を迎え入れる為に、九州から船を出して迎えに行かせます。なかば強制的に連行した女性達は異民族との性行を頑なに拒否した為に、出雲の国に上陸させた女性達を再び船に戻して洋上で全員を召還してしまいます。出雲の国は重篤な遺伝病に苦しんでおり、五体満足な子供がなかなか誕生しなくなっていました(盲人ばかり生まれて来る)。

    失敗に終わった神々は、今度は同じ中国の女性達にヒューマノイド手術を敢行し、300名を再び島根に上陸させて、血の因縁を解消させました。出雲の国で誕生した新生の子供達は、筑紫の国や大和の国にも配分される事になり、取り敢えずの急場を凌ぐことが出来ました。龍神島の領土は、北は北海道から南は沖縄の与那国島までが、本来の固有の領土と言えますが、文化の進展が南から北に向かって推移して行く事実を熟知している神々は、沖縄の島々に人間が住んでいない事を随分と気に掛けていました。九州開拓が精一杯で沖縄に移住させる程の人口に成っていないのが、頭の痛い問題でした。そこで新たな民族を移動させる事になり、同じ57音言語を有する中国の四川民族(アリニラム言語)の移住導入を決意します。四川民族は元々モンゴル平原から南下して来た民族で、既に7万年も前からアリニラム言語を話していました。民族移動によって四川に住み着いたのは今から約2万年も前の話ですが、近年「三星堆遺跡」が発見され、中国の研究家も古代史の解明にやっきになっていると言う状況です。

    琉球人と四川民族との骨格や容姿の比較、あるいはDNA配列を比較してもらえば、沖縄人のルーツが解明できると思いますが、成人の男女合わせて8000人と言う規模のヒューマノイド手術の結果、彼等は四川を脱出して沖縄本島に辿り着き、そこで琉球王朝を築き上げます。これは筑紫の国の開拓を始めてから1千年後の紀元前700年代の話ですが、ちょうどその頃から本土では「古墳造り」が始まっていました。琉球人は民族意識が強く、女性の節操感が発達している為に、本土の血の解消問題には全く役には立ちませんでしたが、民族的に霊能力が発達していて、巫女を中心にした手堅い王朝を築いて他民族の侵入を防いでくれました。古墳造りが盛んになると、少ない人口では労力に不足し、労働を専門とする奴隷が必要となって来ました。そこでセザナは南洋の土人に目を付けて、オーストラリアの東沿岸部に生息していた原始人(オーストラリア・イブ)の移動を考え付きます。当時、現在のグラッドストンの領域にはオーストラリア自生の原始人が30万人程の部落を形成していました。言語教育も何も受けていない本物の原始人です。

    紀元前430年頃、セザナは彼等の部落を「放電玉」で焼き払い、森や畑も海岸線も焼き払って、強制的に船に乗せて本土からの引き離しを敢行しました。彼等は当時は無人島だったパプア島やソロモン諸島やバヌアツ島などの南洋の島々に逃れますが、更に追い打ちを掛けて追い立てて、結局日本国まで強制的に辿り着かせます。日本の沿岸部に流れ着いたオーストラリアの原住民の数は約2万人、彼等を龍神島民族が捕獲して、古墳造りの奴隷にして行きました。普段は原始人が漂着すると必ず焼き殺していたセザナですが、この期間だけは龍神島に特別入っても良かった訳です。東北や北海道に漂着した者は、そのまま山奥で原始生活を始めましたが、本州の沿岸部や琉球国に漂着した者達は、皆連行されて奴隷となりました。また、これを契機にオーストラリアの原始人が南洋の島々に辿り着いた事から、ニューギニアやハワイ諸島やポリネシア諸島にも人間が住むことになりました。九州や沖縄の熊蘇人、並びに東北の蝦夷人、北海道のアイヌ人などのルーツがここに在ります。彼等は日本国の先住民族では無いのです。

    古墳造りが始まった頃から、龍神島民族は過去の資料を集めて、自分達の歴史を文章に残し始めました。彼等の文字は所謂「カタカムナ文字(ケウエグ文字)」で綴れており、そこにはモーゼ由来の真実の歴史が刻まれていました。その文章には何と自分達の祖先がコップ座からやって来た事まで説明されていたのです。セザナや神々に取っては、その話を後世の龍神島民族に残すのは、些か抵抗がありました。なぜならば彼等はヒューマノイドの話を理解できるレベルには成っておらず、創造主や神々よりも宇宙人(人間)を崇める恐れがあり、また古い科学知識は間違った宇宙観を身に付けさせてしまう恐れが有るからです。宇宙は生身の人間が闊歩できる様な場所では非ず、そこは純然たる意識の世界であって、境涯成長の場に他なりません。目に見える物質宇宙をいくら知った所で、人間には何も出来ないからです。そこでセザナは宇宙語の廃止を考えますが、だがそれに取って代わる文字がありません。結局、龍神島民族に新しい文字をもたらす為に、以後三度に渡って漢字の導入、カナ文字の導入、ひらかな文字の導入を計る事になります。

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