オリオン牧場の似非科学の実態(2) 脳と意識と心の関係

<脳と意識と心の関係> 

 人間生命を端的に表現すると「地上の人の肉体に憑依した天体生命」と言えます。肉体の五感から入力される感覚情報を空の上の電子位相で受け取って、そこで「あー何て美しいペルシャン・ブルーの海なのだろう、これが秋の海だー」と感動している姿は大脳の中で感じている事では無いのです。眼前に広がる碧い海の光景と、体に吹き付ける冷たい海風と、辺り一面に漂う潮の香りを、大脳アンテナ(送受信器)を介して空の上の我(自己)に送信しており、あなたは空の上で景色を識別し過去の記憶と照らし合わせて「何て美しい」と感動している事になります。我(われ)の固有の記憶を持ち、また我を意識してものを想うその生命場こそ「地球霊界」の中のあなた自身の位相だと言える訳です。皆様は目に見えないアストラル世界を覗く事は出来ませんが、我々は医学者の一人としてアストラル帯の修理修繕などを行なう関係上、電子バイオン(磁気)で満たされた位相の中に皆様の現行意識や現行記憶が存在し、そこに位相眼と呼ばれる映像装置がある事実も熟知しております。この位相眼が破壊されると眼球も視神経も脳も健全であるのに全く目が見えないんですね。位相の内部には地上と直結している口も耳も目も皆備わっているから驚きなのです。

 こうした個々の生命位相は、一本の生命コード(ズザネ管)と432本の運動コード(サイキック・コード: ヌサネ=タボ線)で地上の肉体と繋がっています。これらのコードが入力されるのは、あなたが母親から誕生した瞬間に行なわれるもので、ズザネ管が入力されたその刹那に位相電流(自律神経電流)が赤ちゃんの体内に流れて一人の天体生命が産声を上げる訳です。母親の胎内にいる間は母親の肉体の器官の一つとして動いていますが、誕生後は一つの自立した存在物として認められ、赤ちゃんは胎児期間を返納して一人の独立した位相生命体として扱われる事になります。肉体とは言うなれば「高性能センサーマシーン」であって、位相生命がそこに宿る意義とは、肉体と共に経験値を積み上げて、我と我が身を理解して宇宙を包括出来る生命に成長する所にあります。つまり生命成長の為に特別に造られた育成場こそ惑星霊界だという話でしょうか。宇宙で経験する出来事と、地上で経験する出来事は基本的に一緒、人間は宇宙の全てをここ地球内で経験する事が出来ます。地球も宇宙の中の一つ、マクロもミクロも大差が無いという話なのです。当然皆様は養育されている立場であり、まだ世間知らずの学生身分、ちゃんと勉強しないと一人前の社会人として地球の外には出させてもらえない事になります。それが銀河世間の常識なのです。小中学生が歌舞伎町をブラブラしたら駄目なんですね。

 さて、医学的な見地から大脳と位相の関係を説明させてもらえば、位相から発して尾骶骨から脊柱を貫くズザネ管の末端は中脳水道で開口しており、そこから位相バイオンが身体の外に吹き上がって魂体を包み込む「オーラ球」を形成しています(オーラ直径は2m以上)。この吹き出し口をスピリチュアル世界ではサハスラーラ・チャクラと命名している様ですが、これは厳密に言えばチャクラ孔とは言えない代物であり、正式には位相バイオンの噴出口です。この噴出口付近では大脳アミロイド蛋白(脳ミソ)に意識転写が行なわれて空の上の位相の地上出張所が形成されています。身体の運動を司るアクオン電線(随意電流)は大脳灰白質を形成するアミロイド蛋白を基点として発しており、アクオン電線内の水分子磁束に意識を乗せる事が可能になります。ピアノの鍵盤の上を飛び交うピアニストの指運動を見れば、そこに意識が宿っている事は一目瞭然、そういう芸術的な運動が出来る所が人間の凄さでもあります。一方、ズザネ管の側壁には位相電流が走っており、その電流はコリン電線(不随意電流)を介して「間脳」に集約され、脳幹を走破して末端組織まで電流が届く様になっています。早い話が心臓を動かし肺の呼吸運動を促す「自律神経電流」の事ですが、その発信源とは無論空の上の位相になります。右肩のタボ線を外すと肩の運動が不能となり、首筋のタボ線を外すと首を回す事すら出来なくなります。更にズザネ管を切断すれば一発で心臓が止まってしまう訳です。

 一個の単細胞生物を良く研究すれば、そこにも一本のズザネ管が入る口と、432個のタボ線が入力される神経分岐点が存在します。もともと人間の肉体の原点は一個の受精卵からスタートしており、60兆個の細胞から構成されているのでは無く、一個の受精卵が60兆個に増殖しただけの話に過ぎません。生物の基本形はあくまでも細胞であり、それは他ならぬ地球自身の子供であって、地球の進化成長に合わせて生物進化も進んで来るものなのです。生物の肉体は地球コアの成長に即応して自動的に進化するもの、だが生物の意識や心というものは学習や経験を介して知識や智慧の獲得によって進化して行くものであり、何も刺激が無く、何も学ばなければ、人間は何万年経っても同じ状態のままなのです。宇宙人の歴史を見ても、原始人に言葉を教えて文明を誘導して行く歴史が大半、我々の宇宙とは基本的に生命生産工場であって、幼弱な生命を教育して行く「学校」であると言えるのです。尻の青い学生の身分にも関わらず、一人で大きく成ったかの様なドヤ顔をして、俺達は文明人だと自惚れているその醜悪な姿勢は世間知らずの「愚か者」に過ぎません。馬鹿は馬鹿である認識を持たないと永久に馬鹿であり続けますが、聖地の優秀民族がそうであっては我々としても大変困る訳です。それと学校の中で戦争されるのも本当に困りますね。地球の終焉(天体寿命)が間近に迫った状況であるのに、救出船すら出せない戦争状態では一体何の為にやって来たのか我々の存在意味すら影が薄くなります。

 余談はさて置いて、生命当体とも言える現行意識が実在する「位相」ですが、ここは自意識を囲ってものを思う場であっても、残念ながら思考する場ではありません。もう一度言い直しましょう。位相は記憶を想起して我を意識しものを思う場であっても、物事を思考分析して推測判断を導く理性的な場では無いという話なのです。肉体センサーから入って来る情報に感動して「あー、何て美しい海の色だろう」と感じているのは位相であり、それは過去の映像記憶と照らし合わせて感動している訳です。その状態は位相内の電子バイオンで感じているのですが、この美しい情景を写真に旨く収めてフェイス・ブックに乗せたいと思った次の瞬間には、写真の構図に対して頭がフル回転をしており、陽光に反映する波の煌めきを入れたいとか、船尾の影を旨く利用しようとか、海と空のバランスの配分をどう決めようとか、あなたは位相の静止モードから一挙に心の可動モードに切り替わっているのです。ボャンとした意識活動とは全く異なる心活動とは、素早く類推分別したり、損得を計算したり、目的の為の行動を起こしたりする事なのです(パースピレーションが激しいのが特徴)。では具体的に意識活動と心活動のメカニズムに付いて説明しようと思います。ちなみに肉体(陰)と比較すれば、意識や心の活動は陽に分類されますが、その陽の中にも陰陽が存在し、意識活動が陰、心活動が陽に分類出来ます。

 

次回に続く