「幸せになりたい」のは別に人間でなくても生物ならば皆同じです。「幸せ」という結果を到来させる為には、一体どの様な原因を造れば良いのか、それを具現化する為の現実的な労力が必要となります。もし、貴方が「未来の宇宙社会」の到来を夢見ているなら、それを現実化させる為には、一体どの様な原因を造れば良いのか、その未来に対する具体的なプランが必要なことは勿論、それを実際に実行しなければ、未来という結果は生じて来ないのです。耳が痛くなる様な超現実的な話ですが、とかく精神が高揚した陽化社会は土台基盤(陰の原因作用)をなおざりにして、「夢や希望」(陽の結果)だけを先行させてしまいがちです。畑に種を蒔かずして如何なる収穫も有り得ないことは承知の通りです。結婚や新規ビジネスの十中八九が失敗に終わる原因はたった一つ、物(家庭や会社や子供など)を産み出しそれを維持(成長)させて行く為には、陰の「発汗的な労力」が必要なことを認識していないのがその理由です。勿論、陰の所業とは陽の芽生えを誘発して、それを育てる為の行為であって、通常親が子を育てる行為の事です。

 この生命哲理 宇宙論という未来の種子を畑(民衆)に下種(げしゅ)する作業こそ、陽の芽吹き(信者)を誘発する「原因を造る行為」と言えます。その下向きの作業を無くして生命哲理 宇宙論(未来)が開花する事は有り得ません。単なる認識論に過ぎない生命哲理 宇宙論は上空の磁場位相(心)と同じもの、それは個々の肉体(地球人)と合体して始めて生きた機能を発揮するものです。我々にとって地球人(新しい仲間)は我々の子供に各当します。それを大事に育てる事が我々の使命です。我々親の立場の人間が互いに愛情(合い情)を分かち合う事が出来なければ、地球人もまともに育たちません。地球人が育たないと言う事は、生命哲理 宇宙論が開花しない、つまり地球に未来は訪れないと言う深刻な問題となります。今の我々は「あんたの稼ぎ悪いから生活に困るのよ」となじり合っている夫婦と一緒、経済的な問題で本質の業務(子育て)にひびは入れたくありませんが、この陰の土壌基盤を確固たるものにしなければ、現実問題として心の余裕が失われ、夫婦の愛情を育てる事もまた子供を育てる事すら難しくなります。既に家庭(組織)は造られ子供も誕生しています。生活費が無いから貴方は家庭を放棄するのでしょうか?

 一人の人間が生きる為には、食料や空気が必要なことは勿論、睡眠や栄養や社会知識も必要であり、特に子供は親ばかりではなく誰かに導かれ手を掛けて貰わなければ一人前に成長する事は出来ません。生物が「世代交代」によって、その肉体を世襲的に存続保持して行くことに重要な意義を見出せない人間は、「人は子供を育てる為に生存している訳では無い」と考えているのかも知れません。だが、人類全員がそう考えてしまえば、僅か100年で人類は本当に滅亡してしまいます。45億年もの進化の末に、宇宙がやっと創造し得た精巧な芸術作品(肉体)を個人の存在意義の為に水泡に帰さしめる事は出来ない相談です。人生80年という束の間の時間内で、一人の人間が生み出せる物などたかが知れており、世代交代によって文化も科学も進化していると言えましょう。

 人類全体を考えれば、社会の常道に習って自己の義務を真っ当すれば、それなりの成長を得てそれなりの価値や生き甲斐を見出せるものですが、個々の人間を中心に考えれば、確かに培養菌でもあるまいし、何が悲しくてコロニー集団に従属してアクセク生きねばならないのか、と自問自答する意味も分かります。「生きる目的」や「存在価値」を見出せずに、「死」を選択する若者が急増している社会現象は承知の通りです。無論、自殺するのは若者だけとは限りません。この世は余りに悲惨で過酷な“地獄社会”、その奈落の底に突き落とされれば、夢や希望を失った人間には、もはや前進する意欲も無ければ、また生きる気力すらも持てないものです。もし貴方が“自殺する者は心が弱いからだ”と鼻先で受け流しているならば、それは今貴方の人生がたまたま旨く展開しているだけの話に過ぎません。心の境涯が磐石な人間など存在せず、とかく覚悟の用意が薄い人間ほど困難に直面すればいとも簡単に自殺に追い込まれてしまうものです。むしろ明日は我が身かと、人の不幸を深刻に聞き入る人間の方が本当は強い精神境涯を持っているのかも知れません。夢も希望も見出せないドン詰まりの地球文明、遥か以前に原始生物を卒業した我々人間は、鋭利に研磨されたシャープな鋼鉄剣、緑青に錆(サビ)付いた柔らかい青銅剣とは異なり、非常にもろくて弱いものです。現代人はパンだけでは決して生きられず、生き甲斐を失い、助力者(親や伴侶や友達)を失って、絶望の淵に瀕すれば、もはや我々は誰であっても一年たりとも持たないのが普通だと言えましょう。

 「生きる気力」を失って人間が自殺を冒すぐらいだから、当然人間は「食べる為に生きている」訳では有りません。つまり、パンを食べる為に生まれて来た訳では無いのです。本質的な話をすれば、我々は「生きる為に」、手段として「食べている」に過ぎず、「生きる目的」の為に食して肉体の命を保持しているだけの話に過ぎません。それは「生きる気力」を失えば「食欲」さえも無くしてしまう現実を考えれば、心が本当に死を望めば、肉体も結局それに追従せざるを得ないと言う話です。では、心サイドの問題である「生きる目的」とは一体何でしょうか? またその目的を見出すことが難しい問題であれば、では現代人に「生きる意欲」を昂じせしめる心の要因とは一体何でしょうか? ここではその様な本源的な心の問題に付いて考察して見たいと思います。

 

次回に続く

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