〈宇宙と生命〉

 宇宙の本源的な存在物である重水素ガス、その均一均等な単体ガスが集約されて数多(あまた)の物質が誕生して来ることは承知の通りです。我々生物の体も、浮遊岩石も、また惑星や太陽という天体も、目に見える宇宙物質は皆あまねく共通の水素ガスから構成されています。たった四種の基礎素粒子(陽子、中性子、陰電子、陽電子)から成り立つ重水素ガスを母源基盤として、無量大数とも言える万物種が創造される物質界の神秘は、たった四種の基礎有機物(アデニン、グワニン、チミン、シトシン)から成り立つ遺伝子(DNA)を母源基盤として、無量大数とも言えるタンパク種が創造される生物界の神秘と全く一緒です。その原点は極めて単純なのに、“一体なぜ”かくも宇宙は複雑に分派し多様な様相を呈しているのでしょうか?

 巨視的な識別分類を行えば、全ての物質は始めの母源物質から誕生し、分派成長すると考えられ、素粒子単位―原子単位―分子単位―化合物単位(無機物)―基礎有機物単位―有機物―細胞単位―組織単位―生物という「物質進化」の行程を歩んでいるものと思われます。物量的な分析をすれば、元初の素粒子単位が一番多く、高等になればなる程その絶対量が希少になる事から、食物連鎖の三角ピラミッドを彷彿とさせます。この「物質進化」の潮流とは、生物進化のフレーム基盤を成すものであり、その底流に従って生物は「劣」から「優」へと進化して来たものと考えられます。これは物質進化の潮流が生物進化を誘発していると言う話ですが、それ以前の問題として、宇宙全体がミクロ(陰)からマクロ(陽)へ向って膨張運動(陽化運動)を起しており、万物の運動があらかじめ定められた方向性(陰から陽へ向う)を持つものだと言う話です。

 極小の素粒子にも、また一塊の岩石にも、あるいは一人の人間や人類全体にも、定められた方向が存在し、個々の都合とは無関係に強制的かつ必然的に、とある方向へと流されます。過去(陰)から未来(陽)へ向かって時間が一方的に流れる様に、あるいは子供(陰)から老人(陽)へ向かって人生が一方的に進む様に、生物も物質も戻ることの出来ない一方通行の片道行程(陽化行程)を歩んでいます。その全体潮流の存在認識が甘ければ、進むべき方向性を見失って軽挙妄動の世界を築いてしまいます。宇宙空間に浮遊する一塊の岩石(無機物)をどんなに丹念に定量分析した所で、岩石は岩石、どこの岩石もほぼ一緒であり、それ以上の事は何も分かりません。しかし、岩石がマグマの冷却から誕生し、そのマグマは星のコアから誕生すると言う、岩石成長の経緯を知っていれば、それが惑星爆発の残骸であるのか、それとも宇宙空間に発生した岩石渦系のチビ・コアが冷えて誕生したものなのか、別角度からの考察が可能となります。そして岩石が有機物へと進化する方向性を孕(はら)んだものだと認識しておれば、その主成分である酸化ケイ素の分子骨格やケイ素そのものの原子核骨格と電子軌道が、有機物(炭素)のそれと極めて酷似している事に気が付くでしょう。ならば有機物の構成素材因子(CO2やCH4やNH3)がどこからどうして誕生して来るのか見当が付く筈です。

 物事を解析するに当たって、科学者の様に表面的な情報をいくら集めた所で、何の問題も解決しません。それと同様に、人生の意味や価値を知りたいと願って、様々な生活情報を入手した所で、何の役にも立たないものです。重要な事は、全体潮流の認識であり、今現在“自分は人間をやっている”が、その昔は猿をしており、更にその昔には爬虫類や魚類をやって、またそれ以前は下等な菌類や単なる物質をやっていた事を認識する事でありましょう。例え人間の遺伝子を持っていた所で、いきなり人間には進化できず、万物は段階を経て成長して来るのです。その成長途上に自分が在る事を知れば、個の存在価値などどうでも良い話です。

 さて、進化の潮流の話からガラリと豹変しますが、およそ物を創り出す(生み出す)と言う作業を考えれば、最初に創作者の何かの「意図」が必ず必要となります。それは電化製品の創作でも、絵画や陶磁器の創作でも、あるいは子供を創るのでも同じ事であって、宇宙と言っても例外では有りません。その様な意味では、創造主は必ず存在するものですが、それが俗に言われる神なのかどうかは分かりませんが、少なくても宇宙そのものが「生物」を創造したいと言う「意図」を持っているから、その意図に従って物質進化が起こり、生物が誕生して来ることは確かな事です。宇宙は一体どの様な手段で生物を創造し、そしてそれに一体何を望んでいるのでしょうか?

 芸術家が食べる目的の為にただ絵を描いているとは思えません。ちゃんと食べたいのなら一般の仕事をした方がより確実です。一枚の絵画に入魂する彼等の思いは、創造主のそれと同じであり、最終的な完成品を目指して生涯絵を書き続けます。描いた作品の内、その多くは不満足な未完成品であり、たった一枚の完成品を生み出す為に、その途上生産物を延々と書き続けます。これで満足という一品をなかなか創作できない彼等の宿命的な悩みと言えます。これは現在のプラズマ・テレビを生み出すまでに、一体どれほどの技術者が頭を悩まし、不満足な途上生産物(旧型のテレビ)をどれほど生産して来た事か、それと一緒の話だと思われます。  

 宇宙(創造主)が一人の人間の様な明確な意識を持っているとは思えませんが、少なくてもここが一つの巨大な「生命生産工場」であって、大量の生命を創造しては、篩(ふるい)にかけて選定している作業場である事ぐらいは、誰にでも想像が付くと思われます。果して我々地球人が宇宙の本願了受に相応しい理想の創造物なのかどうか、その行末の結果は遠い未来でなければ分かりません。高等であれ下等であれ、我々は未だ進化の途上段階に在って、地球磁場圏すら自力で出た経験がない人間以前の胎児宇宙人、成長して完成して見ないと結果は分かりません。いずれにしても、我々は心の広域ソフト帯をフル活用できる高等生命体の一種、科学の発達は不十分ながら、宇宙や生命を理解でき得る優れた感受能力を潜在させている事は確かなことです。

 ところで、人間を物質(肉体)の観点から見て優秀か否かを判断して来ましたが、もっと具体的に言及すれば、上空の心と直結する大脳アンテナの潜在能力が優秀か否かで勝負が決まってしまいます。宇宙生物は別に大脳で考えている訳ではありませんが、アンテナの発達が不十分だと、心の広域ソフト帯を任意に選択することが難しく、低い磁場軌道の単純なソフトしか使用できません。その状態では言語を使用する事も、また文字を判読する事すら難しく、理論的な考察が全く出来ません。理性階ソフトに入力できなければ、知識を吸収しても客観的な判断能力など身に付かないものです。

 しかし、優秀な大脳アンテナを有していても、年齢成長がその使用レベルに到達していなかったり、また思考訓練が全くなされていないと、折角の潜在能力も意味を失ってしまいます。別に理性階ソフトを使用しなくても、一般的な思考(知性階レベル)は普通に出来ることから、必要と感じない人間も居ます。その結果、優秀な人間はどこまでも優秀になるが、馬鹿な人間はどこまで行っても馬鹿という能力格差を生んでしまいます。人類の全体的なレベル・アップを目指すならば、大脳をフル活用する為の一貫した教育体制(能力開発システム)が必要となります。

 承知の様に、百科事典を丸ごと暗記した所で、その吸収した知識を活用できなければ何の意味も無く、単なる物識博士(クイズ王)で終わってしまいます。理性階ソフトとはメモリーする場所の意では無く、ロジックを営むソフトであって、頭脳を縦横無尽に操作して判断する場所と言えます。人間の頭脳の良し悪しは、メモリー容量ではなくロジック容量で定まるものであり、それはコンピューター性能の良し悪しと全く一緒です。人の理論や仮説をただ棒暗記するならば、それはコピーしている行為と同じ、自分にとって何の進歩も有りません。重要な事は、自己の理論を自力で組み立てられるかどうかであって、その為には理性階ソフトを使用しなければならないのです。

 

 

 さて、宇宙生命にとって、大脳アンテナの発達の程度はその星によって異なりますし、またその生物の成長度(進化度)によっても異なります。しかし、地の因縁物(肉体)には多少の差は有っても、天の因縁物(心)は極めて平等なものです。どの惑星にも磁場の「四階十二層」は存在し、理性階ソフトも精神階ソフトもちゃんと備わっています。それを言えば、肉体の形態だって我々とほぼ一緒であり、同じ材料(有機物)を使って酷似した惑星環境(水の惑星)の中で進化の末に創造される為に、同じタンパク骨格の類似したDNAを備えた有酸素系の肉体を有しています。無論、眼もあれば指もあって、同じ様な大脳アンテナを備えており、SF小説に登場して来る様なケイ素人間とか昆虫人間と言ったとんでもない生命体など存在する訳も有りません。文明や科学の発達度には、多少の差はあっても、潜在能力はどの異星人も似た様なものと言えます。例え異星人であっても、考える事は地球人とほぼ一緒、「宇宙とは何か」また「生命とは何か」に奥悩し、生と死を見つめて「人は何の為に生きるのか」と苦渋の人生を送っている筈です。その普遍の永久命題に対して、ある程度の答えが出せる様になる為には、宇宙の一般常識的な科学知識を取得して「無知」を卒業していなければならないのです。生命の根幹も知らずして、その命題に正しい解答が導けるとはとても思えません。宇宙の成り立ちも知らない人類に、宇宙を語れる訳もなく、また宇宙を知らなければ生命の本質を語れる訳も無いのです。

 宇宙とは別に地球の外側に存在するものではありません。この地球自身が他ならぬ宇宙そのものである事を知って欲しいと思います。そもそも宇宙には在って地球に無い物など存在しません。これはこの地球を正しくちゃんと理解すれば、宇宙全体が見えると言う意味であり、物事の原理はマクロもミクロも必ず一緒です。我々の肉体こそが宇宙そのものであり、それはむしろ本物の宇宙よりも複雑かも知れません。一人の人間の潜在能力は巨大意識(磁場の縦界層)として大宇宙に通じており、その能力の僅か数十パーセントを発揮しただけでも、今の人類全体の能力の総和よりも遥かに凌ぐものなのです。人間にそんな能力が在るとは思わずに、自己の本来の姿にも目覚められないまま、地上の猿を演じているのが、地球人だと言っても構わないでしょう。他ならぬ自分自身が宇宙である事を知って欲しいと思います。

 我々人間の正体とは、猿の肉体に憑依しそれを操作している所の「高等磁気生命体」と言うのが真実の姿です。誕生直後の猿の赤ちゃんを磁化して「仮の姿(人間)」を宿しますが、我々はもともと肉体を持たない宇宙の「高等霊体」なのです。その「意識霊体」が人間の子供として目覚め成長の途に着き、徐々に我本来の姿に気が付いて行くと言うのがシナリオです。死とは肉体の死に過ぎなく、我々の生命とは死んで消滅してしまう様な性質のものではないのです。

 猿の肉体と合体する理由は、優秀な肉体(感覚センサー)を手に入れる為であり、より正確で確実な情報を入手して自分自身が成長する為です。宇宙の「意識霊体」はいわば虚像であり、自分で自分の姿を見る事が出来ません。そこで生物を介して生物の目から客観的に自己を見つめると言う手法を使います。今、貴方の子供が産声を上げて誕生した事を考えて見ましょう。宇宙意識の一端が貴方の子供に宿り、その子はうっすらと目を開けて、“ここはどこだ”、“俺は誰だ”と考えているのです。それは宇宙自身が目を開いて、我に目覚めた事になるのです。子供は親の姿を認知して自分がこの親の子である事を知りますが、それは宇宙意識の一端が目を開いたに過ぎず、確かにその肉体は親が遺伝的に産んだものでも、その子の心は天から授かったものなのです。親はその子が自分の子供では無いことを知らねばなりません。無論、親も宇宙であれば、子も宇宙ですが。

 宇宙とは、例えるならば「桜の木」だと言えます。そして生物とは「桜の花びら」に各当します。桜は「桜の木」よりも「桜の花びら」に象徴され、それが受粉して次世の桜の木(宇宙)を産み出します。遠視眼的に考察すれば、結局「桜の木」も「桜の花びら」も桜である事に変わりはなく、桜の成長物語の全ては桜自身が自作自演しているものです。我々人間とは一輪の「桜の花びら」に過ぎないのに、「自己の存在意義」が在るとか無いとか騒ぎ立てています。まるで自己(花びら)と宇宙(木)が別種な存在物かの様です。少々、自己顕示欲の発達した花びらに言いたい事は、「自分が一体何者であるのか、その本当の姿に気が付きなさい」と言う事です。小さな花びらとして一生(開花期間の一週間)を過ごすのか、それとも自己が全体=桜(宇宙)である事に目覚めて、桜の木の生涯(宇宙開闢期間)を歩むのか、貴方ならどちらを選択するでしょうか?

 

次回に続く

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