生命輪廻の陽化運動(2)   

 さて、繰り返しになりますが輪廻運動は前進運動であり、ただ回転を繰り返すだけではありません。高気圧や低気圧の大気渦が回転すれば、下降流や上昇流という大気の直進運動を生み出します。また、電子が公転すれば中心磁束という直進流を生み出し、電子スピンは電子の中心磁束(電流)を生み出します。

 

 

 もちろん、生命輪廻はこれらの物とは異なりますが、先にお話した様に心を進化させる直進運動を行なっており、その進化には逆流は決してありません。
 ここでの話は死後の世界を信じろという意味ではありませんし、またはかない肉体を備えている人間期間が虚しいという意味でもありません。死んでから進化するのは当然の話であり、宇宙の高み(精神の上層階)に死んでから到達するのなら、誰にでもできる芸当という話なのです。重要なのは“生きたまま”進化することが重要なのです。仏法では死んで上界へ達することを“死成仏”、生きたまま上界へ達することを“即身成仏”と称していますが、原則的には死んだ人間の自力成長は難しいのです。一方で肉体と一致した明晰な意識を奏でる人間の精神成長は早く、人によっては一瞬にして最高峰の上界に到達できる人もいます。

 本書でお話しているこの陰陽哲理も、そこに住む意識体が書かせたものをわかりやすく表現し直したものなのです。しかし、その磁界(星団磁界)ですら最高峰の磁界ではありません。まだ上が存在しているのであり、そこは創造主の意識世界と言えます。その場へ生きたまま同会するのが人間に課せられた当面の使命なのです。そして、その磁界や場すらも越えていくことが究極の人間の使命に他なりません。それは貴方自身が成すかもしれませんし、後世の子孫たちが成すのかもしれませんが、いずれにしても尊い肉体を存続させることも最重要課題であり、世代交代を続けてこの肉体を子孫に伝えていく意味がそこに存在するのです。

 人間(宇宙人)とは桜の花びらに過ぎず、その花を開花させているのが宇宙であり、桜本体である“桜の木”なのです。仮に桜の花が60億個の花びらを開花させたところで、それらは桜の木の一部に過ぎず、元々独立した存在ではありません。桜の花びら(人間)は桜本体(宇宙)を象徴するものですが、結局それらは桜の木の一部に過ぎず、全体的なものではなく部分的なものなのです。個の意識に捕らわれて、一人の人間意識から卒業できない人は永久に花びらをやり続ける事になりますが、考え方一つで人間は地球にもなり、宇宙全体にもなって我が桜であるという全体意識も囲えるのです。創造主(神=全体宇宙)が人間に望んでいることは、我(神)に従って生きるのではなく、我(神)の意識に人間が成長することであり、人間が我と同化しうる日をただひたすら待っているのです。悲しいことに、小さな肉体に呪縛された哀れな人間は自分が地球であることも、そして宇宙自身であることも気が付かずに、無意義な人の一生を送ってしまうのです。

 さて、この宇宙で唯一無二の存在である原始宇宙(創造主)は、前宇宙の遺伝記憶である“宇宙を創造して生命を生産する記憶”を持つものの、自己を客観的に判断し得る“外磁場(心)”を持たない内磁場だけの極めて原始的な意識体です。それは人間の様な賢い生命体とは言えず、尊いものであっても、その知能は白痴的な生命状態と言えます。彼(創造主)は自分がどこの何者なのか、まるで何も分からないのです。そこで宇宙は記憶に従って人間を造り、そこに自己の意識を投影して、肉体を通じてあらゆる情報を集めて自己の成長を促がしているのです。つまり、人間とは神の意識を奏でる生命体であり、神(人間)が“我とは何ぞや”を理解するその日まで、日々の成長を義務付けられた生命体なのです。
 そんな創造主を具人化して万能なる神のイメージを抱き、人間とは別種な存在物として扱っているのは知能遅れの地球人ぐらいのものです。人間が想像するような神など宇宙には存在しないのであり、救いを待っても無駄だと言えます。神の意識は現存するものではなく、これから人間が創造するものに他なりません。神を信奉する西欧人にとっては、これは神を冒涜する考え方かもしれませんが、特定の神など崇めない東洋人にとって、万能神の存在は無く、誰も神など宛てにしておらず救済など待っていません。それは宗教が生み出した弊害であり、神など居ないことを認識しなければならないでしょう。

 生命輪廻が生み出す心の“縦の進化”の行き着く先には、大宇宙の当体意識を奏でるという人間に課せられた最高の使命が存在します。その究極的な目的の為に人類が存続し、世代交代を続けて成長を続けていることは認識しておかなければならないでしょう。
 重要な事は、物事が陽化流転して本来あるべき姿(回帰原点)に向かって動いているという事であり、ミクロの範囲でもマクロの範囲でも陽化運動が起こっているという事実です。宇宙と言えども、自然の摂理に従って運動を起こしており、人間と同様に成長があり、死を迎えて、輪廻を繰り返しています。その絶対法則は神が創作したものではなく、神(宇宙)も従わなければならない自然の掟であり、それは単に最も初歩的な物理法則に過ぎないのです。その物理法則を認識するのに、神の知恵は要らないのであり、それは人智で充分理解し得るものなのです。絶対に超えられない神の壁を作り出せば、宇宙は謎解きの出来ない孤高の存在となり、その民は盲目地獄から永久に逸脱できません。

 

 

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