本日は陰陽哲理の「三諦論(さんたいろん)」について説明しようと思います。回転運動の様な循環を刻むもの、あるいは球体を呈するものを表現する為には「四諦論(したいろん)」がベースになりますが、直進運動の様な無限に連鎖を刻むものや、縦に垂直に伸び行く様なものは、基本的に三諦論が適用されます。一体何の話なのかさっぱり分からないと思いますが、回転運動や球形物もしくは球体物の推移の仕方には、それらを陰陽等分する分割線が必ず存在し、それに従って陰の領域と陽の領域という二つの区分に分割が可能であり、更にそれらの領域をクオーター分割する副分割線も存在し、最低二ないし四に区分する事が出来るというのが「陰陽論」もしくはその応用である「四諦論」です。
四つの因子に分けられるものと言えば、代表的なものでは東西南北の方位は勿論、春夏秋冬の四季、人間血液のOAB型の四因子などが挙げられますが、これらは全て回転もしくは循環を象徴するものです。人間の血液型がどうして回転と関係があるのかと言えば、それらは血球の本質的な違いを区分けする型であり、要するに回転磁場の四種の性質の現れ方の違いであり、いかなる磁場にも必ず存在するものだからです。
磁場には中諦基質(春型基質=B型基質=東方基質)、仮諦基質(夏型基質=O型気質=南方基質)、空諦基質(秋型基質=A型基質=西方基質)、冥諦基質(冬型基質=AB型基質=北方基質)の四通りが存在し、必ずどれかの性質が具現するものです。人間の場合は、その本体である人間魂の性質が体細胞に磁化反映されますので、血球の型=人間魂の型と言っても構いません。血液型を陰陽分類すると、春夏つまりB型とO型が陰であり、秋冬つまりA型とAB型が陽となります。地球自身は一体何型を呈する磁場なのでしょうか?
ちなみにこの私の人間魂の型式はO型であり、本来直情的な基質であって、単純馬鹿とも言える様ないかにも人間臭くほとばしる如き優しい情感の持ち主ですが、それは所詮肉体魂の性質であって、生命(心)本来の性質ではありません。心の型式は典型的な冬型基質であり、怜悧で冷めた情感を持つ極めて原理的な発想をする無機物的な孤高の生命体であり、人間離れした情感の持ち主だと言えます。夏型の肉体と冬型の心を持つ極めてアンバランスな両極人間、それが私の特徴と言えます。
さて「四諦論」とは磁場の型式の現れ方ばかりではなく、回転運動そのものが実効力を呈する陰の作用運動と、惰性力の陽の反作用運動に分かれており、更にそれらを二分割して四つの行程に区分したのが「四諦分類」であり、必ず中諦(春)から始まり、仮諦(夏)や空諦(秋)を経由して冥諦(冬)に至って一周を終え再循環の途に就きます。陰の作用行程とは中諦と仮諦であり、また陽の反作用行程とは空諦と冥諦の二種の行程の事です。回転運動の真実の姿は、四辺と四角を備えた「四角点運動」がその原点運動であり、行き道の中諦ベクトルと帰り道の空諦ベクトル、並びに行き道の仮諦ベクトルと帰り道の冥諦ベクトルの方向は180度正反対であり、両者は極性の違いの如き著しい違いを示します。その理屈は血液型のB型とA型の違いと、O型とAB型の違いと一緒のものです。
ところで、生命位相に転写された生命記憶(意識=心)は、天体磁場を縦に一方的に垂直移動するものであり、過去から未来へ向かう西暦時間や数字の演繹的な広がりと同様に輪廻循環をしないものの一つです。しかし心を焼き付ける場である天体の「磁場位相」は輪廻転生を繰り返すものであって、立派な循環運動であり、「四諦論」で説明する事が出来ます。勿論これは人間の正確な生まれ変わりは原則的に無いが、それに近い輪廻転生は実際に起こっているという話に他なりません。
科学が唱える物質の三態とは、固体(中諦)と液体(仮諦)と気体(空諦)の三態であり、多くの物質が明らかに異なる三種の形態を取る事から「物質の三態」と呼ばれています。物質に近い下等な生物も、その成長行程に於いて明らかに異なる三種の形態を示すものであり、幼虫ーさなぎー成虫の三態は別に昆虫だけの話ではありません。これらは人間で言う子供ー大人ー老人の違いと言えるものですが、いつもながら感じる事は、一番最後の行程が抜けている事であり、固体(子供)ー液体(大人)ー気体(老人)の次に来る生命行程が入っていません。これならば物質も生物も老体もしくは老人で折り返しの途に就く事になり、老人の次に赤ちゃんとして再誕生するならば永遠不滅の寿命を持つ事になってしまいます。
固体ー液体ー気体の次には「霊体」という帰納行程が存在し、運動によって出現するかりそめの実態を解いて本来の姿に戻る行程、つまり零化の行程が必ず存在します。再生が可能な水蒸気分子も、いつかはその分子構造を解き、単体の原子単位へと帰納するばかりか、その原子ですらその構造を解いて素粒子化する事は勿論、その素粒子だっていつか必ず気化して気の粒に戻る日が訪れるのです。元々特定の実態を持たない惑星の磁場位相が地上の生物魂を支配して、そこで逆に我に目覚めるのが生物生命の基本です。
つまり肉体と位相(心)は一緒に成長行程を歩みますが、ほぼ永遠の寿命を持つ心に取って肉体の運動寿命は余りにも短く、いつも成長の途上でさようならを告げねばなりません。貴方の意識とは元々地球の磁場位相に単体で存在したものであって、霊体行程(冥諦行程)とはその本来の単体形状に戻る行程を指しているのです。成仏するしないは別問題として、地球の磁場位相が、肉体死を境にして本来の位相の形態に戻るという生命行程を見落としてしまえば、目に見える物質(肉体)だけが全てという極めて狭い唯物的な生命観で生きねばならないのです。というより「我とは何ぞや」が理解出来ない、動物と余り遜色の無い知恵遅れの生き物を続ける破目に陥ってしまうのです。その様な意味では西洋哲学に「四諦概念」が無いという事は致命的な事であって、それは正確な零の概念が無い事と一緒の意味なのです。零とは「本末究境等」の意であって、元の形状に戻って等しくなるという意味に他ならなく、それは回帰循環する生命の冥諦行程を語ったものだと言えましょう。
生命行程である「四諦行程」は、それぞれが三つの段階に分離が可能であり、四×三=十二の行程に分割する事が出来ます。いわゆるこれが仏法十二因縁であり、易学でいう十二支であって、西欧占星術でいうところの十二星座の事です。これらは本来、渦巻きの十二渦層もしくは渦磁場の十二磁界を意味するものです。固体である中諦は、子(水瓶座)、丑(魚座)、寅(牡羊座)というB型基質(春型)の三種に分かれ、液体である仮諦は、卯(牡牛座)、辰(双子座)、巳(蟹座)というO型基質(夏型)の三種に分かれ、また気体である空諦は、午(獅子座)、未(乙女座)、申(天秤座)というA型基質(秋型)の三種に分かれ、最後の霊体である冥諦は、酉(蠍座)、戌(射手座)、亥(山羊座)というAB型基質(冬型)の三種に分かれて、それぞれ特徴的な生命行程を具現しています。
輪廻循環する一日のサイクル時間を、下等な動物に取っては夜と昼という「二諦分割(陰陽)」で充分かも知れませんが、少し高等になると、朝昼夕夜の「四諦分割」が必要であり、それによって取る行動も異なります。しかし人間に取って時間の四分割は余りにも大雑把であり、人類は昔から時間の十二分割を基本として生活して来ました。現在では二時間単位の悠長な生活は時間の浪費と考えて、現代人はその倍の二十四分割で時間に追われながらあくせくと生活しているのが現状ですが、昔から睡眠時間の比率は変わらず、人間生理に適った時間配分は十二進法が基本と言えます。
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