そもそも陽化現象とは老化現象の意であり、いわゆる成長現象の事です。物が誕生し生命(運動)が開花した後、やがてその生命は必ず終息を迎えます。その長短は様々でも、万物万象には運動寿命が存在し、宇宙といってもその例外ではありません。物の成長には 「縦の成長(陰)」 と 「横の成長(陽)」 という異なる二種類の形態が存在します。当然人間成長にも縦横の成長が存在し、その中でも初期の段階に訪れる 「縦の成長」が重要な鍵を握っています。なぜなら陰の 「縦の成長」とは、後天的に自力で獲得出来る様な性質のものではなく、親や社会が導く成長であって、外側から与えられる誘導因子よって起こるものだからです。この縦の成長は原則的に満33歳で終了し、その段階で人間の人格の程度は決定されてしまいます。それ以上自力で伸びる事はなく、以後はただ横に成長するだけです。だが実際はほぼ満24歳前後でストップするというのが普通であり、肉体成長の終了と同時に心の縦の成長の方も終了してしまうのが一般的です。早い話が、人間の進化は極めて早期の段階で終わってしまうものであり、しかも自力で成長出来る訳では無いのです。この恐ろしい現実をとかく人間は認めたがりませんが、その人間が “成長のおぼつかない背丈の低い人間” (目線の低い)か否かは、30歳前後で既に決定されてしまうという話です。その後本人が成長しても、縦には伸びず(人格の向上は無く)、ただ横に成長する(経験や知識を獲得する)のが精一杯であり、その獲得すらも怠れば、人間とは思われ難き人格を呈してしまいます。

 現代教育では、人間とは学習(経験や知識)によってのみ自力で人格を形成すると考えられていますが、それは間違いでないにしても、最も重要な成長行程が存在する事を知りません。本人の努力では獲得出来ないものも存在するのです。幼少期の極めて早期の段階から、親や社会が子供の 「縦の成長」 を導く必要があります。つまり生物界の頂点に立つ人間が、一体何の為にこの宇宙に誕生し、一体何を目的にして生を営むのか、人間として誕生した以上、社会や人類の為に自分は一体何をすれば良いのかという人格(心)の底辺の底上げを誘導しなければならないのです。もしその子が動物を虐待した場合は、「お前はそれで満足したのか?」 と問い質さなければなりません。残虐な闘争本能(動物本能)を潜在させる子供に、人間としての本能を移植させる事が重要なのです。親が誇り高く慈愛に富む精神を有しておれば、その子供も基本的に親のその姿勢を学びます。親にどれほど財産や地位や知名度があったとしても、その子供はつまらぬ形質だけを学習し、人間の本質を学び取る事が出来ません。その様なものは子供の増上漫を煽るだけの話であり、低劣な人格を涌現させるだけに過ぎません。

 幼少期に親が子供の教育に関らず、心の発達を本人任せにしてなおざりにしてしまえば、子供はマンガやゲームの中から価値観や世界観を学び取ってしまいます。まともな人格が形成出来ない子供は、つまり縦の成長がおぼつかない子供は、徒な知識だけを獲得して成長して、自己の感情や本能すら制御する事が出来ません。今の社会には子供のまま大人になってしまった人間が一体どれほど存在するでしょうか。これらはハッキリ言って親の手抜きが原因と言えましょう。この様な心の健全な発達が無く、肉体だけが大人になってしまった人間を「陽化馬鹿」 と称しています。責められるべきは本人ではなく、基本的な躾が出来なかった親の方なのです。と言うより親自身が子供な為に、子供にまともな教育や躾が出来ないというのが本当のところかも知れません。子供に子供の教育は出来ないのが普通です。大人の知恵を与えて賢い子供を作る事と、心の器を広げて大きく高い人格素養を持つ子供を作る事とは同じ事ではありません。子供のうちに過分な人智を教え込む事は余り関心しませんし、むしろ知識を与えるのではなく、正しい物事の考え方や捉え方を教える必要があります。それは植物を大きく縦に伸長させる為には、余分な枝葉を払ってやる必要があるのと一緒の理屈です。あーなればこーなるという屁理屈は自分自身で覚えて行く事であり、大人が事前に教えても意味が無いのです。そんな徒な知識よりも、動植物を守り、それを育てる事を教え、また友達と仲良く協力して行く事を教える方が重要です。つまり人間として本来あるべき基本的な姿勢を教えて、協調性や許容力や仲間意識や耐久心や諦念や慈愛心や命の重要性を教える事の方が重要なのです。それらの人格向上因子は子が親から学び取るものであり、一番身近な親しか教えられません。

 陽化した地球、そして現在の陽化社会に住む人間にとって、この先の未来の動向を予見する事も重要な事ですが、いかなる時代になっても陰の要素が土台基盤であり、そもそも生きるという行為そのものが陰の所業に他なりません。陽化人間は心根が弱く、ちょっとした理由で生き甲斐を見失うと、すぐ自殺を考えてしまいます。普段はふんだんに獲得出来る食べ物や衣服や光や暖がいつも取れるとは限りません。空気や水や重力でさえ有限なものなのです。現在自己の命を保っている事すらラッキーである事を感謝することは勿論、そんな風前の灯の如き不安定な人間社会に住んでいる事を認識させるのも重要でしょう。

 結論を言えば、基本人格とは自己が自力で形成出来るものでは非ず、人によって作られるという話ですが、備わった人格の高低はともかくとして、その既に定められた人格を持つ我々大人には横の成長しか残されていません。私事を言わせて貰えば、女姉妹の中の一人息子で育った私は、姉達に言わせれば人格の形成が今一だと評価されていますが、それは自分でも納得するところです。私自身はこれ以上縦に進化する事は出来ませんが、横の成長の方で縦の未進化のデメリットを補いたいと考えています。つまり己自身の向上は望めなくても人の成長には関われるという話であり、横綱にはなれなくても横綱を育てる事は可能です。己の限界を悟った私はそれに徹して動いています。

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