〈陰陽論哲理(その2)〉

     C 九星気学(本命回座)

 流年の十干や九星が逆順で推移するのに対して、太陽系から地球の磁場や力場に転写された場合は、十干や九星は正順で流れます。具体的に言えば、太陽磁場圏では「甲乙丙丁〜」「九八七六〜」と流れるのに対して、これらが地球磁場圏に投影された場合は、地支(十二支)には変化は無いものの、数字系だけが正反対の方向から流れます。十干は「壬辛庚己〜」、九星は「一二三四〜」と順番通りに流れる事になります。これは川を挟んで両岸から川の流れを眺めて見ると、片方は左手側から右手側に向かって川が流れているのに、もう片方は右手側から左手側に向かって川が流れている事になります。鏡に向かって右手をかざせば、鏡の中の自分は左手を上げている事になります。これは鏡像原理と呼ばれる現象ですが、こうした基本的な宇宙原理を熟知していない愚かな人間達が、古来から続いて来た易学体系を自分なりに解釈して、様々に改竄や改良を付け加えてグチャグチャにしてしまいました。ここでは人間王国伝来の本来の易学を学んで欲しいと思います。

 太陽の第五渦層(第五磁界)に運動位相(太陽フェイズ)が入力されると、例えば運動位相が「③甲辰」の場合は第五磁界そのものが「③甲辰」の性質を呈する事から、その年に誕生した地球の生命は、豚も猫も鳩も人間も含めて、その全員が「③甲辰」の性質を具有する事になります。これは早い話が「生まれ年」の話であって、人間ならば学年単位で基本的な性質が定まっていると言う話でしょうか。人間生命の本源意識とは「生まれ年(太陽フェイズ)」では無く、「生まれ日(地球フェイズ)」の方に在るのですが、人間個々の本源的な性質が外面に現れて来るのが遅い理由から(満32歳以後)、年の性質と日の性質をミックスした物が自分の性質だと思ってもらっても構いません。特に九星に関しては、年九星もあれば、日九星もありますが、年九星が9年単位で推移するのに対して、日九星は9日単位で推移する理由から、年九星の方が大きな作用力を有しており、それが故に年九星は「本命星」と言われています。日九星は「脇役」だと言う話です。

 さて、今年2024年は「③甲辰年」です。③とは三碧震宮の意味ですが、それを「九星盤図」に書き込むと下記の様な配置となります。その年の流年は真ん中の「中宮位」に書き込む決まりになっており、その理由とは如何なる者も仮零点である中宮からスタートするからです。次に来年2025年の九星盤図を見てみましょう。来年は②乙巳年ですから、二黒坤宮が中宮に入る配置です。更にその次に再来年2026年の九星盤図も確認して見ましょう。再来年は①丙午年ですから、一白坎宮が中宮に入る年廻りです。こうして九つの九星盤図を並べて見ると、三碧震宮年に誕生した生命が、⑤-⑥-⑦-⑧-⑨-①-②-③-④-⑤-⑥-⑦-⑧-⑨-①-②-③と言う具合に順番に回座宮がズレて循環する事実が分かります。ここで重要な事は、本命星の回座宮が流年の流れ方とは異なり正順に流れると言う事実です。九星の「流年回座」と転写された「本命回座」は180度正反対、九星そのものの意味も違って来る為に勘違いしない様に気を付けて頂きたいと思います。ちなみに、「九星盤図」とは自己の本命星が、今年はどの「宮」に配置されているか、それを確認する為のツールであって、方位の吉凶を見るものではありません。

 易学の中でも、九星気学が比較的重んじられる理由は非常に「実利的」で「実用性」が高いと言う事でしょうか。生命体の性質や性分を査定するのは十干や十二支の方が的確に相手を見定める事が出来ますが、九星気学は人の運勢ばかりでは無く、会社や組織などの運勢の動向を伺う事ができるからです。例えば、我々のRIAT組織は2017年(①丁酉年)の8月からスタートしており、組織の生まれ年の九星は一白坎宮となります。今年(2024年)で満7歳になります。今年の九星盤図を見れば、一白は三碧震宮に回座しており、RIATは誕生して初めて自力でスタートを切った年となります。最初の4年間(乾-兌-艮-離)は「幼年期」であり、育つと言うよりも育てられて来た4年間であって、最初の関門である前厄年(離宮年)で世の中に受け入れてもらって存続が可能となりました。多くの組織が満4年目(数え5年目: 離宮の年)に潰されてしまうからです。その後は「少年期行程」の九年間となりますが、「少年期の中の胎児期」が坎宮の年(2022年)であり、「少年期の中の幼年期」が坤宮の年(2023年)、そして「少年期の中の少年期」が今年7年目の震宮の年(2024年)となります。組織としては不安定ながらも、やっと自分の足で歩み出した事になります。

 少年期行程の9年間を無事に過ごす為には後二つの関門があって、満9年目(数え10年目)の五黄中宮年をクリアして、満13年目(数え14年目)に訪れる九紫離宮年を生き抜けば、9年間に及ぶ少年期行程のヨチヨチ歩きからは解放されて、少しは安定した「思春期行程」の9年間へと移行する事が可能となります。こうした見方は商売の関係も、また夫婦の関係も一緒であって、一緒に暮らし始めて何年目なのか、夫婦の危機が何時訪れるのか、それを念頭に入れて人生を歩んでいる方と、行き当たりバッタリに生きている方との差は大きいと言えます。RIAT組織はまだ7年目ですが、地球に於ける宇宙生命論の歴史は長く、今年で37年目になります。現在は「盛年期行程の熟年期」に回座しており、既に一人前の揺るがない状態であって、この生命論にオンブにダッコされてRIAT組織が成り立っている状況でしょうか。創造主組織だから潰される心配は無いと考えるのは余りにも軽薄、地上に降りて来た以上は他の組織と一緒、頓挫するか、分裂するか、あるいは潰されるか、自滅するか、それは組織を運営する経営陣次第、先行きを予見するのは不可能なれば、危険は常にあるものです。下記の図は年齢別の回座表ですが、行程別に分けております。

 ※ [注5] 年齢別の回座行程表は一般的な十進法で示しており、それを九星区割りした物を示しています。最初の4年間が「幼年期行程(満0才〜4才)」であり、また次の9年間が「少年期行程(満5才〜13才)」であって、以下「思春期行程(満14才〜22才)」「青年期行程(満23才〜31才)」「盛年期行程(満32才〜40才)」「壮年期行程(満41才〜49才)」「熟年期行程(満50才〜58才)」「円熟期(初老期)行程(満59才〜67才)」「老年期行程(満68才〜76才)」「成仏期(死期)行程(満77才〜85才)」と言う十段階の構成です。それ以上長生きした方は、別段階(寂光期)の「寂光幼年期行程(満86才〜94才)」「寂光少年期行程(満95才〜103才)」「寂光思春期行程(満104才〜112才)」「寂光青年期行程(満113才〜121才)」「寂光盛年期行程(満122才〜130才)」へと入ります。問題はこうした年齢別行程の名称と、九星区割りに登場して来る名称が異なると言う認識です。そもそも九星区割りに登場する「胎児期」などと言う名称が、実際の人生行程に存在する筈も無く、九星名称とは要約された「象徴名称」に過ぎません。行程別名称の方には「思春期」とか「盛年期」と言う区分けが登場して来ますが、九星名称はそれらを内包した概念的な名称であって、その点を注意して頂きたいと思います。


 

      D 本命回座の象意

   <①: 一白坎宮の回座象意(胎児期)>
 自己の本命星が一白坎宮に回座する年廻りは、易学上は誕生する以前の「胎児期(本厄年)」に相当し、人間としての「相(そう)」は持てども子供以前の段階であって、何の作用も示せず、また何の意思も示せず、ただ無言で母親の胎内で息づいているだけの状態を意味しています。無論、これは極端な例え話ですが、それに近い状態なのが坎宮に回座した場合です。前の年(離宮: 前厄年)の過ごし方如何で吉凶が大きく分かれますが、離宮で人生のドン底に突き落とされた方には地獄に匹敵する一年間となる様です。重さ4kgの鉄枷を背負ったまま牢獄に閉じ込められた状態と言えば想像が付くでしょうか。どんなに叫んだ所で、どんなに足掻(あが)いた所で、誰も振り向いてくれる者は無く、また耳を傾けてくれる者もおらず、自分の存在を気に掛けてくれる者すら誰一人いないと言った状況であって、希望も夢も抱けず、死ぬ事も出来ず、真っ暗な闇夜の中で強烈な疎外感と孤独感と閉塞感に襲われて、艱難辛苦だけが心に重くのし掛かって来る言う一年となる様です。唯一の心の救いは実家の母親だけと言う状態でしょうか。それに対して、離宮に刑罰を受けずに無事乗り越えた方は、憂鬱では無いものの、外に出て人と付き合いをする交友気分にはなれず、家と会社を往復して黙々と仕事をこなす毎日、喜びは家庭に在って、家事のお手伝いや、実家の草むしりや、子供達のお世話に没頭する一年となります。いずれの場合も、外から眺めればまるで「冬眠状態」に他ならなく、苦しい冬眠なのか、それともスヤスヤ冬眠なのか、その違いでしょうか。

   <②: 二黒坤宮の回座象意(幼年期)>
 自己の本命星が二黒坤宮に回座する年廻りは、易学上はヨチヨチ歩きの「幼年期(後厄年)」に相当し、人間の子として誕生して「性(しょう)」は示せど、言葉の表現も体の運動もままならず、何も思考できない事から、誰かが世話してやらないと生活すらもおぼつかない幼弱な段階を意味しています。無論、実際にそんな一年になる訳ではありませんが、まるで幼年期の如き状態に陥るのが坤宮に回座した象意と言えます。前年度の坎宮の凶意作用をそのまま引き摺った方は、未だに重さ3kgの鉄枷を背負ったまま、抜け出す事の出来ない暗くて長いトンネルの中に居て、ひたすら辛酸に耐えて春の訪れを待つ一年間となる様です。ただ坎宮と違う点は人が自分の存在を認めて話掛けてくれる事であり、無視されなくなった事と、トンネルの出口が遥か遠方に見える様になって来た事でしょうか。微(かす)かに希望は抱ける様になったものの、心の重圧感はまだ重く、未来がさっぱり読めず、今後自分が何を目的に生きれば良いのか、どういう方向へ歩み出せば良いのか、何も考えられない状態ですが、とにかく何でも良いからコツコツとまめまめしく真面目に生きようと本人は考える様です。それに対して、凶意作用を受けなかった方は、春の訪れを待つ身は一緒ですが、家庭の中から外へ飛び立って社会で活躍する夢を抱き、将来の為に知識や技術を今の内に身に付けようと努力を惜しまない一年となりそうです。独身女性の場合はやたらと結婚を意識して、花嫁修行に精を出す人が多い様です。坤宮年は誰かのお世話をしたいとか、社会に貢献したいとか、好きな人に尽くしたいとか、従順で純朴な人間性を醸し出す年廻りだと言えましょう。

   <③: 三碧震宮の回座象意(少年期)>
 自己の本命星が三碧震宮に回座する年廻りは、易学上は発動を開始した「少年期」に相当し、まるで春を迎えた土中の虫達の様に一斉に活性して動き出します。暗い夜の帷(とばり)がやっと明けて、朝の光が窓から差込んで周囲が明るくなった状況であり、早く外に出て走り回りたいと言うウキウキとした躍動感を覚える段階を意味しています。人間は離宮で死んで、坎宮で生まれ変わって子宮内の胎児となります。次に坤宮で赤ちゃんとしてこの世に誕生し、やっと「体(たい)」が出来上がって自力で動ける様になります。つまり少年期とは夜明けであって、人間としてスタートを切る段階の意味になります。ちなみに「死期(離)」「胎児期(坎)」「幼年期(坤)」の三段階を厄年と称しており、また真ん中の「壮年期(中)」を加えて四厄年とも言われています。外は明るくなったとは言え、陽はまだ低く夜が明けたばかり、心の重さは続いており、2kgの鉄枷を背負っている状態と言えます。しかし、坎宮の4kgの負荷と比較すれば半分の重さ、脳裏に去来する過去の蟠(わだかま)りも幾分癒えて、とにかく希望を持ち先を見据えて前進しようとする積極性が湧いて来るのが震宮回座の特徴でしょうか。しかし、窮屈な家庭からいきなり外に飛び出して開放されても、思い描いた通りに進まないのが人生、早計な未熟者には挫折や失敗や不祥事が付き物と言う一年になる様です。でも、色々あっても、人の人生では無く自己の人生、全て自分のせいだと考えれば不満や不平は溜まらないし、また何よりも自己の存在をアピールできる事自体が幸せだと感じる年廻りだと言えます。

   <④: 四緑巽宮の回座象意(青年期)>
 自己の本命星が四緑巽宮に回座する年廻りは、易学上では成人した若者である「青年期」に相当し、一人前とは言えないものの、立派な大人に成長した段階を意味しています。体が完成し「力(りき)」に漲り溢れた段階であって、多くの者がこの段階で結婚し子供を設ける様です。陽は高く昇って気温は上れど、でもまだ午前中の段階、心の負荷は1kgに軽減しており、もう昨日(過去)を引き摺る様な気配は消え失せて、今日の実感を持って現在を生きている段階と言えます。多感な青年期とは夢と希望に溢れていて、様々な物に興味を抱いては幅広く学習や経験を積み重ねて行きます。体は既に完成しているものの、心の成長や人格の形成はこれからの話、そしてまだ己(おのれ)を知らず、世の中の道理も分からない早春の青春譜、だからこそ何かの志(こころざし)を立てて、それに没頭し、溢れんばかりの情熱を燃焼させて行く段階だと言えましょう。人生行程に於いて、どの行程に在っても巽宮に回座すると、物事に対してはエネルギッシュに取り組めるものの、なかなか形にはならず、世間に流されて人間関係も表面的な浅い付き合いで終わってしまいます。これと言った人生の指針も目標も見出せず、確固たる物を築き得ない「様子見伺い」の一年間となりがちです。この期間はなぜか人には従順で素直な顔を見せて、自分の素顔を体裁の仮面で包んでしまう傾向が強く、そんな自己防御(羞恥心)に気を使っている様では「青い」と言わざるを得なく、仕事の業績を伸ばしたり、また独立して企業を営んだり、あるいは志を完遂するのは無理だろうと思います。

   <⑤ 五黄中宮の回座象意(壮年期)>
 自己の本命星が五黄中宮に回座する年廻りは、易学上では一人前に成長した人間の「壮年期」に相当し、人や社会に対して「作(さ): 作用のこと」を及ぼせられる生命段階を意味しています。この段階に至って心の負荷は0kgとなり、4年間に渡って引き摺って来た過去の重荷(蟠り)からは完全に開放されて身軽になった事になります。時間帯で表現すれば、午前12時を過ぎた昼休みの時間であり、もはや昨日の気配は完全に消え失せて、今日の後半章が始まる時間帯と言えます。また中宮回座にはもう一つ意味があって、それが九星回座行程の前半と後半を分ける「仮竟等(きょうとう)点」であり、仮零点(仮ゼロ点)である事です。つまり中宮には運勢を零化する「凶」の象意作用が働くと言う意味であって、それが故にこの回座年が四つ目の「厄年」てあると言われています。四柱推命で言う所の「空芒(天中殺)」年見たいものだと認識して貰えば正解でしょうか。不慮の災難や病気や事故に付いては「前厄」や「本厄」や「後厄」が圧倒的に多いのですが、中宮回座の「厄年」は自らが原因を引き起こしているケースが多く、この年を迎えると、なぜか「墓穴」を掘る様な真似をしでかしてしまう様です。壮年期と言えば、自信を持って堂々と世間を渡れる年代ですが、鼻息も荒く暴走した結果、大きな問題を起こして失落するとか、調子に乗ってやり過ぎて大失敗を犯すとか、あるいは軽はずみな英断即決をして大損害を与えてしまうとか、このぐらいは構わないだろうと思った事が刑事事件まで発展するとか、そうした類(たぐい)の凶意が起こりがちです。これは単に未熟な若造の失態劇に過ぎず、世の中を良く知らず、自制心の欠如が引き起こしている問題だと考えられますが、心の負荷率が0%になる事が浮き上がらせる結果なのかも知れません。

   <⑥ 六白乾宮の回座象意(熟年期)>
 自己の本命星が六白乾宮に回座する年廻りは、易学上では立派に成長した人間の「熟年期」に相当し、人や社会に対して「因(いん): 原因のこと」を講じて行く生命段階を意味しています。因を講じなければ、つまり原因を作らなければ、果(結果)は得られないもの、これが因果法であり物事の道理です。種を蒔かなければ収穫は得られない、教えなければ分からない、電気を入れないと蛍光灯は光らない、排泄しないと食べられない、寝ない者は起きられない、やればやられる、これぞ物事の道理に他ならなく、こうした原因を作る事ができるのが「熟年期」であり、乾宮が回座した一年だと言う話でしょうか。乾宮が回座する年は心の負荷率がいわゆる「−1kg」となり、軽過ぎて浮き上がってしまう状態になりますが、逆に浮き上がるまいとする反作用が心に働いて、大地をしっかり踏み込む様になります。親から譲り受けた伝統工芸の職場、それまでイヤイヤながら働いて来たものの、乾宮が回座した年から一念発起して大真面目に取り組み始めたと言う経緯が多い様です。乾宮の象意としては、我城を築かんとして懸命に直向きな努力を続ける事であり、それまで「遠心系」だった心が「向心系」に切り替わって一点集中型へと変化し、地味な活動を堅実にコツコツ出来る様になって来る様です。合理性や利便性を唄って、一発勝負に掛けてくる投機的な中宮に対して、乾宮は分相応の志を立てて、それを堅実にやり通す所が大人を感じさせます。乾宮は「因」を作る段階、この年の行いは次の年の「縁」に繋がり、そしてその翌年の「果」の年に結果として現れます。人生の後半章である「因」「縁」「果」のこれらの三行程が、最終の「報」の段階に於いて、9句節の総決算(裁き)として自己の身に降り掛かる事になります。従って、この年廻りの過ごし方如何で運命が決定されてしまうと言っても過言ではありません。

   <⑦ 七赤兌宮の回座象意(円熟期)>
 自己の本命星が七赤兌宮に回座する年廻りは、易学上では初老期に至った人間の「円熟期」に相当し、前年度の「因(内的な原因)」に由来する「縁(外的な原因)」を受領する段階を意味しています。前年度に自らが作り出した因に対して、他から縁が訪れる「因縁」の年廻りであり、当然良い因縁の場合もあれば、また悪い因縁の場合もあります。「縁」は必ず人を介して作用して来る外的な要因物であり、前年度の行いに応じて現れるものです。例えば、乾宮の期間にたまたま知り合った反社会組織の人間にお世話になってしまい、翌年その縁が広まって抜け出せない状況にまで進展してしまったとか、あるいは前年度に知り合った男性が広告会社へ転職し、その縁のお陰で店舗の名前が全国に知れ渡って大きな業績を収めたとか、人間と人間の関わり合いが人生に大きな影響力を及ぼすものです。邪(よこしま)な人間にはその類の者が関わり合って来る事は承知の通り、悪義は悪義を呼び集め、また正義は正義を呼び集めるのが世の常でしょうか。兌宮が回座する年廻りは、いきなり人間の縁が広まって「付き合い」が突然多くなるのが特徴です。兌宮の心の負荷率は「−2kg」、これは大地をしっかり踏み締めようと思っても、体が浮き上がってしまう「軽さ」であり、本人もついつい宴会の席上へとそそくさ足を運んでしまう様です。人間関係の枠を徒に広げてしまうと、本業や本分から気持ちが遠退いて、段々人任せになって行くし、また消費される交際費や時間のロスが重なって経済を脅かす事にもなり兼ねません。付き合いも程々にしなければならないでしょう。この年に重要な事は人を慎重に見極めて良縁を残し、悪縁をバッサリと断ち切る事でしょうか。次の年が恐ろしいからです。

   <⑧ 八白艮宮の回座象意(老年期)>
 自己の本命星が八白艮宮に回座する年廻りは、易学上では死に際の人間の「老年期」に相当し、両年の因縁が結果となって現れて来る年を意味しています。この段階に於ける心の負荷率は「−3kg」となり、心も体も浮き上がってしまい、地上にしがみ付こうと踏ん張って見ても、どうしても現世や現実から遊離し浮いてしまいがちです。これまで長年勤め上げて来た会社に引導を渡して転職を試みるとか、長年連れ添って来た伴侶との生活に見切りを付けて離婚に踏み切るとか、何の宛ても目的も無いのに、まるで現実を逃避するかの様に、旧道を捨てて新道を選んでしまいます。あの世からのお迎えが来た如く、地上の執着やしがらみを捨てて、「悪魔の囁き」に耳を傾けてしまい、とんでも無い決断を下してしまう場合が多い様です。実年齢にもよりますが、若い期間ならばともかく、人生の巻き返しが効かない高齢者の艮宮回座はまことに危険であると言わざるを得ません。無論、心を完全に浮かせてしまう原因は、因の年と縁の年の二年間に理由が在って、その因縁が巻き起こした因縁因果なのです。過去の両年で一生掛かっても返せない様な莫大な借金を抱え込めば、この年に浮き上がってしまう事は必定だろうと思います。時に新道を選んで結果的に正解の場合もありますが、正解だったと分かるには次の9句節をやり過ごさなければなりません。艮宮を迎えると、基本的に誰でもその象意を被って「新道」を歩みたくなるものです。これまでやって来た仕事に対して心が離れてしまうからです。しかし、そこで踏ん張った者と、踏ん張れ無かった者との差は大きく、なぜならば最終章の次の年が控えているからです。

   <⑨ 九紫離宮の回座象意(死期)>
 自己の本命星が九紫離宮に回座する年廻りは、易学上ではこの世から去った人間の「死期」に相当し、本当に死ぬ訳では無いものの、世間や社会からは死後の人間と同等な扱いを受ける年を意味しています。この特殊な段階に於ける心の負荷率は「−4kg」となり、心も体も現実から完全に浮き上がって地上には殆ど居ません。地上に居るのは「本人の抜け殻」であり、周囲に影響を及ぼせない霊魂体みたいな存在でしょうか。離宮は九星回座の最終章に当たり、「報(ほう: むくい)」を受ける段階を意味しています。報とは「報果(裁きの結果)」であって、過去8年間の生き様に対する裁判の判決を受ける事ですが、当然、犯罪に対する法的な裁きもあれば、また表彰や勲章に値する良い裁きの場合もあります。人間は良い事もするし、また悪い事もするからです。離宮の特徴は、それまで秘密にしていた物や、隠蔽していた物や、嘘を付いて隠し通して来た物が、それらの全てが表沙汰となり世の中に公表されてしまう事です。汚職や横領や偽造や詐欺などが明るみに出て、それに対する刑罰が世の中から課されてしまいます。また潜んでいた病気も実際に病状として現れ、隠して来た浮気の事実も結局はバレてしまう様です。まるで神様が人間を裁いている様な一年ですが、実は本命星が離宮に回座した年には、担当の神々が実際に裁判に出廷しており、具体的な罪状を決めて刑罰を与えています。その伝統は今も守られている様です。神々の関与は9年に一度の離宮年だけの限定ですが、この年に突然死する方は神が絡んでいる場合が多く、またこの年に出会う人間は神の誘導による相手が多い様です。離宮の年はもともと人間関係の離合集散が激しく、長い間続いて来た「腐れ縁」に終止符が打たれて、一連の揉め事に整理や決着が付くと言う特徴があります。また長年に渡ってコツコツと努力を続けて来た人は、その実績や功績が世に認められて、昇進や昇格や賞賛を受ける事になります。一年間の期間中に「天罰」と「褒賞」が同時に起きるのが特徴であって、前半が良ければ後半が悪く、また前半が悪ければ後半が良いと言う年廻りになる様です。いずれにしても、離宮年は裁かれる年だと言えます。

 ※ 九年単位で繰り返される「九星回座」は力学的に刻まれた場のリズムであり、この宇宙の全生命体が各年代毎に味合う「九星バイオリズム」です。九星バイオリズムとは早い話が「成長バイオリズム」の事ですが、平坦で緩(ゆる)い成長行程など有り得ない話であって、力線の直進運動でさえ山谷(やまたに)があって、延べたんに真っ直ぐには進めないものです。昔の修行僧達は絶対に逃れられないこのバイオリズム哲理を体得し、人生の処し方を真剣に考えて来ました。人生航路には誰しも転落する「落とし穴」が一杯仕掛けられていて、そこに陥落した苦い経験から、次の年廻りを読んで賢く対処する術(すべ)を身につけて来た訳です。現代人は低劣な西欧文明に感化されて、行き当たりバッタリの運不運の人生を歩む様になってしまい、こうした哲理が存在する事自体、今や誰も知らない状況です。九星気学は宇宙が再生する度に、代々引き継がれて来た王国哲理の一つ、実践哲学の極意だと言っても構わないものです。折角、龍神島民族として生まれて来た訳ですから、宇宙法理を学んで日々の生活に活かしたいものです。

 

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