〈地球文明の歴史(その2)〉
ヨーロッパの音楽学史を飾るドイツの作曲家(オルガニスト)である「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750年)」は今から6万3000年前にプレアデス連合アルデバランから地球へ移植された生命であり、J.S.バッハ自身の眷属性(けんぞくせい)は「②白龍」、その裏アカシック回数は8万3000回と言う重厚な精神性を持つ生命でした(日本国にも5度生まれている)。バッハは音楽家として特別に選ばれて地球霊界へ移植された生命ではありませんが、輪廻転生の結果、たまたま音楽家の一族に誕生した事から音楽の道を選択した様です。彼は中世ヨーロッパのバロック音楽を集大成し西洋音楽の基礎を築いた偉大な作曲家ですが、同じ宇宙人生命でも音楽の為に地球へ特別に移植された生命である所の、モーツァルト(③白銀龍)や、ベートーヴェン(①白銀龍)や、シューベルト(①白銀麟)や、リスト(①白銀鳳)や、ショパン(②白銀武)などの様に芸術性に秀いでた「鬼才」では無く、音楽の総括的な学術基礎を築いた生命だと言えます。その様な意味では、J.S.バッハは後世(1800年代)に誕生して来る「ヨハネス・ブラームス(②白麟)」と大変良く似ており、二人とも6万3000年前に地球に移植された「アルデバラン星人」でした。
ちなみに、前回のブログに登場して来たアントニオ・ストラディバリは「④銀龍」、それに対してニコロ・パガニーニは「③黒龍」なのですが、彼等を地球へ入植させる際に、神々が「本当に移植して良いものかどうか」ためらった経緯が眷属性と言う観点から見ても良く分かります。銀龍は職人と言うよりもむしろ「政治家」、そして黒龍とは人間に成る以前の悪魔的な生命段階だからです。
モーツァルトにしてもベートーヴェンにしても、白銀龍の高い芸術的なセンスや能力は認めざるを得ませんが、しかし、それは貴族文化の中で花開した専門能力、能力だけで人間を評価する事は危険すぎます。四眷属の中で、一番能力が高いのが「龍属」であり、二番目が「麒麟属」、三番目が「鳳凰属」、四番目が「玄武属」であると言われています。だが人間の資質という観点からは、一番綺麗な人間性を示すのが「玄武属」であり、反対に一番最低なのが「龍属」という順番です。龍属とは「霊長類」の意味であって、一番能力が高いものの、背徳、裏切り、詐欺、虚偽、逃避、強欲、傲慢、恐喝など「何でも有り」の生命である所が問題点なのです。本日は能力と人間性という観点から、過去の偉人達の生涯を寸評して見たいと思います。
③ 罰当たり息子の「ベートーヴェン」
銀河連合プレアデス同盟国の一つにイルカ座ε星(地球名: アルダルフィン)と言う星がありますが、この星の第三惑星に住む人類は連合内では「フイリ星人」と呼ばれており、彼等は音楽に長けた民族でした。プレアデス連合国の音楽は基本的に「フイリ星」の音楽であると称しても差し支えがありません。聖地・地球にプレアデス音楽を注入する為に、この星からは6名の優秀な音楽家が選ばれて地球へ派遣移植されています。その6名の作曲家とは、いずれも著名な音楽家として名を残しており、「G・ヨーゼフ・ヴェルナー(②白銀鳳)」「W.A.モーツァルト(③白銀龍)」「L.V.ベートーヴェン(①白銀龍)」「フレデリック・ショパン(②白銀武)」「ジュゼッペ・ヴェルディ(②白銀龍)」「ヨハン・シュトラウス2世(②黒龍)」と言った面々です。別にフイリ星だけの話ではありませんが、地球文明の底上げの為に神々が地球に移植した過去世の宇宙人意識の数は、音楽の関係者だけでも3000名を優に越えており、その大半は西暦1600年代から1900年代に掛けて移植が行われて来ました。皆様に認識を改めて欲しい事は、純粋な地球人が独力で創作した物など、たとえ音楽分野に於いても「何一つ無いのだ」という事でしょうか。
さて、本日はフイリ星人の6名の天才作曲家の中から、地球名称が「ベートーヴェン」こと「メーキゲ・ヌイ・ミヤーエ」の人物像を解析して見たいと思います。今や昔の話になりますが、プレアデス同盟国を中核とした「銀河連合組織」とは200近い惑星民族を一同に束ねた天の川銀河系の巨大組織でした。銀河連合は人間国家の集合体ではあるものの、その基盤構造とは「神界組織の下部組織」に他ならなく、物質世界に於いて神々の仕事(例えば原始人言語教育など)を具体的に担う人間組織というのがその実態でした。連合組織を纏める中核民族が牡牛座α星のアルデバラン民族であり、この民族を中心に「銀河ファラ王制度」を設けて銀河民族の統一を計っていました。無論、銀河の公用語はアルデバラン言語でした。物質世界に於ける銀河文明の中心地とは神々が降臨する所のアルデバランの第三惑星(テニネ)だったのです。しかし、当時の銀河文明とは奴隷制度が存在する「貴族文化」であって、36万年間も続いたその華やかな文化は惑星テニネの終焉(今から16万年前)と共に、つまり時代の新風と共に銀河系から消え去った事になります。新風とは勿論、ベテルギウスを中心とした「オリオン風」の事であり、奴隷制度の無い平民文化が銀河系を席巻した事になります。
中世ヨーロッパは早い話が領主と教会が実権を握った封建社会であり、そこに「ルネサンス」の風が起こって華やかな貴族文化が開花しました。神々はここぞとばかりにプレアデス文化を注入し文明の発達を誘導して来た経緯があります。音楽は主に教会の讃美歌からスタートして貴族世界の余興として広がり、最終的には一般民衆の中へ取り込まれて行きました。当時の音楽家は教会や王朝が抱える楽団や歌劇団に所属するか、もしくは貴族社会(パトロン社会)を興行して歩かないと金銭を得る事が出来なかった事から、余程の家柄に生まれ付かない限りは、経済的には決して恵まれた状態では無かった様です。天才音楽家と謳われた「モーツァルト」の借金人生を考えれば、それがむしろ音楽家の普通の姿なのだろうと思います。しかし、同じ天才でも、ベートーヴェンの様に「罰当たり人生」を貫いて行くのも、生きる為の一つの手段なのかも知れません。この時代、特定のパトロン(援助者)が無しの状態で、いわゆる「フリーランス」の音楽家として生き抜いた者はベートーヴェンぐらいだったからです。凄い人と言えば、それまでの話ですが、彼の場合は「狂気の人」とも言えます。
この話は今から約21万年前のフイリ星時代の話ですが、メーキゲ(ベートーヴェン)はフイリ星王朝の皇族の一人として誕生し大変恵まれた環境で育ちました。幼少時より音楽に多大な興味を抱いて過ごしますが、王子としての身分が故に、歌を口ずさむ事も、また楽器を奏でる事も、あるいは音楽を勉強する事も許されませんでした。音楽を奏でる行為は身分が低い者がする仕事だったからです。聴衆の拍手喝采を欲しさに楽器を奏でる様な「卑屈な行為」は、あるいは人生の意味や価値を人の受けや評価に見出そうする「低劣な精神」は、それは「猿芸の猿」と一緒のもの、主君たる者は俗悪な見せ物興行に関心など抱いてはならない。要するに、飼い主の命令にお手を決め込んで、頭を撫でてもらおうとする「ポチ」に成ってはならない言う話であって、そんな格式の高い英才教育の下でメーキゲは育ったのでした。だが、メーキゲの前世も、またその前々世も、いずれも音楽家をやって来ており、彼の生命には音楽が深く染み込んでいました。父親の意思を継いで領主になった所で、自分の将来に対して一滴の夢も希望も見出せない事から、メーキゲは修行の道を選択して「出家」する決意を父親に伝えます。「メーキゲ、お前は出家の意味を分かって言っているのか?」「ハイ、お父様、私は修行僧になる事を決心しました」、この会話はメーキゲが満13才の春の事でした。
「出家」とは信仰の門を潜ると言う意味であり、出家の道を選択した者に対しては、例え親であろうが、はたまた国王であろうが、本人の意志を拒んで引き止める事は出来ないのが、当時の「銀河法」の決まり事でした。メーキゲの両親は泣く泣く息子を中央教会へ預ける事になりました。もしかしたら、息子とはもう二度と会えないかも知れず、両親はメーキゲの体を抱きしめて今生(こんじょう)の別れを惜しみました。そうして彼は修行の道に足を踏み込んだ訳ですが、実は「出家話」はメーキゲの真っ赤な嘘、宮殿から外世界へ抜け出す為の方便に過ぎなかったのです。この罰当たり息子は中央教会が主催する楽団員になる為に宮殿をまんまと抜け出して来たのであって、教会の司祭にはその訳を熱心に伝えて楽団マスターに師事したい旨を伝えました。前代未聞の驚愕話に司祭は唖然として暫く返答も出来なかったぐらいです。神をも利用してしまう大胆不敵な末恐ろしいクソ餓鬼、後に、その額には「天罰マーク」が刻まれる事になりますが、そんなマークなど本人は「どこ吹く風よ」のスタイル、メーキゲの脳裏に溢れんばかりに湧き上がって来る旋律を早く書き留めて曲を作りたかったのです。
それから数十年後、兄の帝冠式に楽団を率いて祝賀会の余興を担当したのが弟のメーキゲでした。この時、メーキゲは両親と再会を果たします。両親は既に噂話を耳にしており、メーキゲが中央教会の楽団長をしている事実を知っていましたが、嘘を付いて宮殿を出た事も、また音楽に身を投じている事も責める事はありませんでした。そんな寛大なご両親なのに、この罰当たり息子は父親に対して、こう言ったのです。「お父様、私は音楽家の道を歩んでいるつもりは無く、芸術家として学問の道を歩んでおります。音楽とは音学であり、学問や芸術の一種であると私は考えています」と。それに対する父親の返答は無く、父親は黙って息子を再び抱きしめました。人は如何なる目的に向かって邁進しても別に構わない。学者であろうと、医者であろうと、はたまた政治家であろうと、戦士であろうと、専門の道を極める事は大切なことであるが、だが、それ以前の問題として「人は人として成長しなければならない」それが先決だろうと思います。さて、ベートーヴェンの前世は宇宙人(メーキゲ)でしたが、舞台を地球へ変えた所で、メーキゲはメーキゲであって、龍属の生命である事に変わりは無く、そう簡単に性根が変わるとは思えません。
ベートーヴェンを担当した神々ファイルに基けば、メーキゲ時代の魔族性は裕福な1B族(皇族Bランク)でしたが、本人の天罰マーク(指導生命)に従って親元が経済的にゆとりの無い2B族(貴族Bランク)の子供として誕生させたと言う説明があります。ベートーヴェンには経済上の苦労を背負わす事(処罰)と、両親や弟や妹の世話を焼いてもらう事(義務)と、体を不自由にさせて苦悩の人生を歩ませる事(枷)が、天罰者が担うべき負荷量であり、その苦渋の人生の中から彼の作風が如何様に変化し、深い味を出して来るのか、それを見定めようと言うのが、神々の姿勢だった様です。当然、神々は彼が音楽の道に進める様に音楽一家に狙いを定めて誕生させています。ベートーヴェンは1770年の12月にドイツに誕生し、1827年の3月に58才で他界しており、死因は鉛中毒であると言われていますが、神々の資料には死因に付いての説明が全く無い理由から、逆に神々が死因に関与していた事は明らかだと思います。軍団の調査によれば、ベートーヴェンの殺害(召喚)に絡んだのは上位神の命令で動くケゴ神の「死神一派」であり、最後の致命傷は腎臓に仕掛けたアストラル武器(ズヌエリ電磁被膜)である事実は分かっています。また、ベートーヴェンを全聾(ぜんろう)に仕立てたのも神々の策略であって、魂体の「耳ブロック」との接続管が意図的にカットされていました。
一般的にベートーヴェンの死因と目されて来た「鉛中毒」に関しても軍団は調査を行いました。その結果、これには神々は何も関与していない事実が分かりました。ベートーヴェンの髪の毛から一般の100倍もの鉛イオンが検出された問題ですが、彼が好んで飲んでいた安物の「トカイワイン(ハンガリー産ワイン)」の甘味料に原因があって、当時は「酢酸鉛」が使用されていた様です。ベートーヴェンのみならず当時の大酒飲みの多くの方が鉛中毒を発症しており、それが肝臓や髪の毛に蓄積したものと考えられます。では「なぜ」神々はベートーヴェンに苦悩を与え続けて、音楽家としては致命傷である聴覚まで奪ったばかりか、寿命を最後まで全うさせずに、彼の命を奪い去ったのでしょうか。この話はわざわざ止(とど)めを刺しに行く必要があったのかと言う疑問です。「なぜ、神々はベートーヴェンを途中で召喚しなければならなかったのか」今回の主題はここに在ります。これは参考になるかどうかは分かりませんが、モーツァルトの殺害(砒素中毒)に関しても、このケゴ神の死神一派が関与しており、なぜ35才と言う若きモーツァルトの命をわざわざ召喚しなければならなかったのか、神々の真意がさっぱり見えて来ません。そもそも彼等は音楽啓蒙の為に選ばれて地球人として再生された生命体なのに、どちらも人生を途中で強制的に終わらされいます。しかも、当時の多くの宇宙人音楽家が後世に生まれ変わっているのに、この二人の生まれ変わりは無く、位相は「凍結」された状態です。
実はモーツアルトの額にもベートーヴェンと同じ「天罰マーク」が刻まれており、彼等は同じフイリ星人の天才音楽家ですが、互いに良く似た「罪」を何度も繰り返す「重犯罪人」だったのです。作曲数がある程度の物量に達したら、社会に対するこの生命の悪影響を鑑みて、神々はさっさと召喚してしまう程の悪質な生命だった訳です。特にモーツァルトに関しては箸にも棒にも掛からない邪悪な生命であって、神々は幼少時から「砒素」を体に注入して負荷を与えて健康を損ねさせて来ました。ベートーヴェンの場合は指導や課題が与えられている分、モーツァルトよりは少し手が良いと言う事でしょうか。モーツァルトの殺害に使用された武器は有名な「ナポリ水」であり、亜砒酸を含有するこの水を体内へ注入する事によって(ズザネ管注入)、神々の天罰が実行されて来ました。これまでに一体何人の歴史上の人物が毒殺(砒素中毒)によって葬られて来た事でしょうか。でも、それは神々のみが知る事なのです。同じ宇宙人出身の音楽家でも、ショパンやシューベルトやリストやパガニーニ達は生まれ変わっているのに、ベートーヴェンとモーツァルトに関しては、音楽以前の問題であって「人として完成していない」から、寿命をコントロールされる立場に置かれています。
「単なる音楽家に過ぎないのに、大望貪欲で傲慢無礼な高慢気質、神をも愚弄する傍若無人なその態度、まともな挨拶も礼儀も交わせない人間が、人の上に立てる筈も無い。人からしてもらう事は当然で感謝の念も示さないならば、いずれは社会的な制裁を喰らうだろう事は明白である」。だからボロが出る前に、本人の名声が傷付く前に処分してしまおうと言うのが、神々の魂胆だった様です。何度も言いますが、音楽家である以前に先ず「人である事」、それが人間の課題だと言えましょう。皆様が敬愛して止まないモーツァルトとベートーヴェンをボロチョンに非難して、大変心苦しいのですが、彼等の過去の経歴(生き様)を見ても察しが付く様に、普通の人間では無かった事は確かなのです。現在、二人の位相は凍結された状態で保存されており、輪廻再生が禁止されています。
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