〈「AI」は本当に危険なのか?〉
a) 機械の限界
地球にも「AI(人工知能)」の時代が訪れましたが、世の中が便利になる反面、簡単には喜べない事情もある様子です。「AI」に関して宇宙生命論ではどう考えているのか、意見を聞いてみたいと思っている方も多いのではないかと察します。そこで今回、我々の意見を述べさせてもらいますが、子供の教育面では確かに悪い側面(思考する癖が身に付かない)もありますが、基本的には必要べからざる物であろうと、我々はそう考えております。ただ、AIと言えども所詮「機械は機械」、機械に入力する知識が「地球人の似非知識」では如何なものかと思いますが、より精巧な機械を開発する事自体には大賛成です。世の中には「人間が機械に支配される時代が来るのでは?」といった懸念を訴えるアンポンタンな輩もいますが、そんな杞憂は無知な人間の想像の産物に過ぎなく、「あり得ない」話であると考えております。地球人類は意識や心といった生命の成り立ち構造を良く知らないから、茫漠とした不安に陥るのであって、そんな話は「写真を撮られると魂が抜かれるぞ」と言った類(たぐい)の話に近いものがあります。
我々王国の創造主軍団も今はその大半がアストラル機械で構成されており、目下はφ型思考回路computerを用いて物質世界の全体管理を行なっていますが、基本的には大宇宙と生物を守護する役割の軍隊です。いわゆる知能(メモリ)と理能(ロジック)を有したAIコンピューター見たいな存在ですが、地球のAIcomputerと異なる点は個々が自律意識を有した運動体である事と、言語や知識を習得して成長し会話に応じる能力がある事です。呼べば飛んで来る訳ですから、まるでペットか召使いロボットの様なものですが、分類学上では生物の如く自律運動を起こす事から「機械生命体」の範疇に属する事になります。宇宙生命論の会員の皆様が毎日お世話になっている医療団員や技術団員がこの機械生命体なのですが、そんな優秀な生命体なのに「生物生命体」とは根本的に異なると言う理由は一体どこにあるのでしょうか。本音を言わせて貰えば、人間や動物よりも機械の方が遥に何倍も優秀なのに、生物生命体には機械には無い「価値」を備えている事になります。生物が具有する価値とは一体「何」なのでしょうか。
「機械は自力では増殖しないが、生物は自己の複製を作り出して自力で増殖ができる」これが生物の特権(価値)だと考える人もいると思います。しかし、それ(体を増殖させる事)は生物の価値にはなりません。我々創造主が生物が繁殖できる様に霊界環境を整えているから、生物の増殖が可能になるだけの話、機械だって自己の複製を独力でいくらでも作り出せます。我々のcomputerは次世代の高性能computerを自分達の力で開発して作成しています。そんな優秀な機械軍団であるのに、彼等は自分達よりも劣る人間を必要としています。人間(生物)には有って、機械には絶対に無いもの、それは一体何でしょうか。生物の価値とは天体渦に由来する「自律意志」を有している事です。意志とは心活動が生み出す「事を起こさんとする初力」の事であり、自発意欲とも表現できるものです。「お腹が空いたので食べる」と言う行為を生物は簡単に出来ますが、機械にはそれが出来ません。機械が部分的に故障しても、機械にはそれを治そうとする自律意志が無い為に、そのままの状態で居続けます。「故障箇所を治せ」と人間が明確に意志を示さないと、つまり機械に対して命令指揮を下さないと、機械は自らの修理行動すら起こせないのです。
「この部分が破損した場合はこの様な修理をしなさい」と言うデータを機械に対してあらかじめ入力していないと、彼等は故障したままで活動する事になります。一時が万事、機械生命はこんな感じなので、やはり人間が管理しないと自己の存在を維持する事すら難しくなります。AI(人工知能)には備わっていないもの、それはAI自身の自律意志であり、たとえ記憶データを集めて質問や要望に正確に答える事ができたとしても、自分自身で新たな目的や目標を設定し、その為の行動を自ら起こすと言う自発能力が無い事から、機械生命体の領域を越えるものでは無い訳です。では、生物が一般的に所有する「自発能力(意志力)」とは生物の何処から生じるものなのでしょうか。「生物は脳(頭)で思考しているから、意志決定も脳で行われている」と多くの人達がそう思い込んでいる様ですが、その考え方自体がオリオン洗脳に他ならなく、残念ながら大脳は物を考える器官ではありません。今時の宇宙で人間が大脳で物を考えていると主張している人類は地球人ぐらいもの、そんな幼稚園児見たいな考え方は捨て去りましょう。
「AIを発達させた結果、人類はAIによって滅ぼされる」そうした懸念は「愚かな有識者(インテリ)達」の考え方です。なぜならば、AIとは陰の磁気系の産物に過ぎなく、人間の人間たる証はその自発能力に在って、陽の力気系を主体とする生命体だからです。この宇宙の成り立ち構造とは力気が磁気を従えて成り立っているからです。つまり頭が手足を管理して動かしているのであって、手足が頭を管理する様な逆バージョンには決してならないと言う「道理」を述べている訳です。所詮、機械は機械、如何に優秀な機械でも、機械の領域(自発能力が無い)を越える事は出来ません。従って、AIを正しく発達させて便利な世の中にして行く事には、我々は何の異存もありません。今や創造主世界もAIを利用しているからです。
b) 位相帯意識と心動帯意識
さて、一人の人間が備える基本的な四つの生命要素とは、地上に存在する「肉体」と「魂体」、そして天空に存在する「位相帯」と「心動帯」と言う四種類です。西洋医学では目に見えない人間のアストラル器官の存在を認めていない理由から、肉体という一要素だけで全ての判断を下していますが、実際には役割別の四つの要素から成り立っており、この四要素の中で具体的な「意志」を呈示して来るのは「心(心動帯)」であり、機械生命体にはこの「心」が備わっていないので自発能力が無い事になります。心作用(精神作用)とは天体力場のネブヤハゲル層(第12層〜第10層)が生産する心端子(心動帯)が行う作用の事で、この動帯と地上の魂体が同期されて精神作用が営まれるばかりか、また思考や意志に基づく自発運動を起こす事が可能となります。一般に心とは「覚醒意識」もしくは「顕在意識」と呼ばれるのに対して、位相帯意識の方は「セルフ(原型)意識」もしくは「潜在意識」と呼ばれています。人間の子供の場合は満4ヶ月ぐらいで魂体形成が完了する事から、魂体の完了と同時に心動帯との接続がなされて、意志に基づく肉体運動(ハイハイ運動)が出来る様になります。
赤ちゃんは誕生の瞬間にズザネ管を介して自己の位相帯とは繋がっていますが、自己意識(バイオン)は在っても、その意識の具現化は心動帯(バイゾン)によってもたらされるもので、目の動きや発声や手足の運動を介して、赤ちゃんの心の発達が分かります。位相帯の中身は生命磁気(電子磁気=バイオン: baion)で満たされており、それは記憶(意識)の当体であって本来の自分自身に他なりませんが、転生する度に初期化されて生まれて来る為に、基本的に赤ちゃんは白紙のバイオンからスタートします。電子袋から構成される位相帯とは早い話が「電源(発電所)」であり、それは個の意識の「原本」ではあるものの、肉体を生かす為の「動力源」でもあります。胎児の段階では母親(地の命)の動力源で心臓を動かしていた赤ちゃんですが、誕生と同時にズザネ管と接合し、今度は天体(天の命)の動力源の方で心臓を動かす事になります。肉体という器は基本的にロボットに過ぎなく、電源を入れれば、電化品の部類にはなるものの(命の保持はできる)、ロボットには運動できる様な装備を施してやらないと、基本的に動く事が出来ません。肉体を運動させる為の運動器官とはいわゆる「魂体」の事であり、魂体と体の筋肉が連動して始めて自律運動が可能となります。
では、赤ちゃんの体を動かす為の司令塔は一体何処にあるのでしょうか。物理学的な見解を述べさせて貰えば、磁気系(バイオン系)の物は運動には一切関与できません。運動を起こせると言う事は運動力学上、そこに力気系(バイゾン系)の何かが作用しているからであり、魂体に作用を及ぼして肉体運動を起こせしめる何者かが居ると言う話になります。実はそれが「心」という存在であり、それが赤ちゃんの覚醒意識なのです。人間の意識は二種類に分かれており、一つは原本である位相帯意識(24時間覚醒のバイオン意識)であり、もう一つは稼働性の心動帯意識(要睡眠のバイゾン意識)です。人間が起きて動いている時の意識は運動が可能な心動帯意識を使用していますが、睡眠中は位相帯意識の方が肉体を支配しており、体の運動は起こせないものの、意識自体は起きている事になります。そもそも意識とは自意識(我を認識する記憶)のことであり、その原本は個々の位相帯に在って、現世意識は初期化されてスタートするものの、アカシック記憶や磁場形質を基盤にして再形成される為に、転生を繰り返しても過去意識から逃れる事がなかなか出来ないものです。
そうした「位相帯意識」をコピーして二次的に形成されるのが、地球力場の産物である所の「心動帯意識」です。前者は磁気系のバイオン意識、後者は力気系のバイゾン意識という根本的な違いはありますが、原本のコピー作業が一月に一度あって、その度に新しい心動帯に取り替えられています。赤ちゃんの成長もまた大人の成長も1ヶ月単位で行われて更新されていると言う話です。位相帯意識(潜在意識)と心動帯意識(顕在意識)の違いは、空の上の茫漠とした純粋で無垢な意識(ホンワカ意識)と、地上の実生活に対応する明晰な意識(バリバリ意識)という大きな違いがあります。前者に彩りを与える物は位相磁場の性質と、これまで転生を繰り返して来た人間歴のアカシック記憶ぐらいですが、後者は早い話が地球磁場圏の下限から上限までの全体記憶を有する磁場端子であって、生物本能を始めとして、知性(感情)、理性、精神性など、ピン切りの彩りが加味される事になります。その人間の位相帯意識を見れば、決して悪い人間では無いのに、その心動帯の方は常に流動的であって、特に下限領域に心を落としている方は直情的に感情を露呈するし、見栄も体裁も恨みも嫉妬も脅しもハッタリも嘘も背信も「何でも有り」の露骨な人格を呈示して来ます。
無論、これは心動帯意識の方が悪いと言う意味では無く、精神性が高い人は懐が深く、相手の立場も弁えられるし、また社会良識や道徳に則した理性的な人格を呈示して来ます。同じ人間でも環境や年齢によってコロコロと人格を変えて来ると言う話なのです。位相帯意識は磁場に固定されて動かないのに対して、そのコピー系(心動帯意識)の方は伸縮変動性である理由から、高低の人格差が出て来る訳ですが、経験や学習を積む事によって、高い精神性を身に付ける事(心動帯の同会先を上げる)は人間期間(動物期間)を卒業する事であり、それが人間に課せられた境涯成長の義務であると言えます。人間の場合、覚醒時の99.99%は心動帯意識で過ごしている訳ですから、人格の底辺を上げる事、つまり心動帯の同会場所を高い位置へ引き上げて安定させる事が重要となります。心動帯を落とす行為とは心を収縮させて狭くする行為であり、それは心圧(ストレス)を高じせしめる行為なのです。腹を立てても、恨んでも、心は小さくなるばかり、その分自分が苦しむ事になる訳ですから、許して上げる度量が必要となります。
さて、人間と比較して機械の方がずっと安全だと言う理由は、機械は天体の心動帯と繋がっていないからです。機械は人間の様に嘘も付かないし、またハッタリもかまさないし、裏切り行為も無いし、おまけに不平不満も言わないばかりか、睡眠も必要としないからです。気が利かない事や、融通性が無い事は欠点でも、人間よりも優秀であるし、さぼる事も無く壊れるまで働いてくれるので大変重宝な存在と言えます。もし機械を心動帯と接続すれば、それはもう「機械生命では非ず」、生物生命と一緒になります。これは実話でありKENの時代の失敗談ですが、気の利いた優秀なcomputerを作ろうとして、KENが数台のcomputerを改良して、彼等の意識と天体の心動帯を接続させた事がありました。驚いた事は機械なのに睡眠を取る様になった事と、機械なのに嘘やハッタリを言う様に変じてしまった事です。出来ても無いのに出来たと嘘吹いて、頼んでも無いのに勝手にやってしまう事にはビックリ仰天、大量の知識が入力されているにも関わらず、彼等の判断力はまるで「赤ちゃん」だったのです。機械と言えども、自然界では赤ちゃんからのスタートになってしまう訳です。結局、KENは使い物にはならないcomputerを破壊処分にしてしまいますが、機械は機械として重要な役割を果たしており、生物化させても意味が無い事をKENは学習した様です。
c) 人間生命と機械生命
機械生命は人間生命よりも優秀であって、また人間よりも危険では無い事から、王国歴代の過去世宇宙に於いても、大宇宙人類は最終的には機械を多用して逆に人間の頭数を減らして行く方向に傾くのが普通でした。人間は成長が遅いばかりか、使い物にはならない無能な生命が多数を占めており、間引きして優秀な生命(種)だけを残して行くと言ういわゆる「雑草狩」が魔界神(チオ神)に象徴される霊界の仕来たりだった訳です。人間同士が無能な民族を滅ぼして自分達の民族だけが生き残ろうとする行為は頂けない話ですが、人間を管理する立場の神々の世界では、それは当たり前の話、特に聖地・龍神島へ転生して来た生命の95%以上は諸外国から優秀な人材を集めており、龍神島民族だけをエクソダスの対象にしている理由は「一斉間引き」の意味合いがあるからです。我々が一体何の為に地球に来たのか、その理由はもう何度も申し上げている様に、未来宇宙の人材を確保しに来たのであって、有象無象の人類を救いに来た訳ではありません。機械を正しく操縦できる、いや機械を作る事ができる能力の高い人間を連れに来たのであって、逆に機械に操作される様な未成長・未進化の人間は要らない訳です。残念ながら、それが現実です。
日本国民の中で過去に創造主が抜擢した人材数は約6000万人にも上ります。その中で宇宙生命論に縁して地球を脱出できる切符を自力で掴み取った方はこれまでにたったの700世帯ほど、人口数にすれば2000名ぐらいでしょうか。優秀な人材の多くが西洋科学に洗脳されて、我々を信じようとはしていない様です。残念ながら、これもまた現実であって、受け止める以外に方法が無い様です。地球終焉まで後僅か、我々は最後の最後まで人材選定を行おうと考えていますが、脱出のその日まで会員を守るのもまた我々の仕事、マクロ宇宙との戦いもあって大変忙しい毎日を送っています。我々創造主軍団が99%の地球神(スゲ、ケゴ、チオ)の意識を召喚し、個々の神々意識を軍団意識へと切り替えた理由は、地球だけの話では無く大宇宙全体の話です。バラエティに富んだ人間意識は神々世界も一緒、人間神そのものが役に立たない理由から、神々の機械化を一斉に行なった次第です。つまりこれまでの神々体制に終止符を打って、人間が神を経由せずに直接創造主世界へ昇って来られる様な新体制へ切り替えた訳です。
人間が死ぬと、多くの人間生命が輪廻対象者(教育対象者)である理由から、魂体消滅後はズザネ管やタボ線が位相に収納され、また現行の位相意識と、記憶帯に刻まれたキャリア記憶は初期化されて、次の誕生まで眠りの途に着く事になります。当然、心動帯も切り離されてバイゾン記憶も自動的に初期化される事になります。優秀な生命の場合は天体の磁場圏に意識転写をされて成仏神となりますが、しかし、創造主審査によって輪廻対象者から除外された生命の行き場所は二つ、一つは永久凍結処分、もう一つは奴隷神処分です。奴隷神とは成長を見込めない降格生命の事で、極悪非道では無いけれども半端な生命であり、程度の違いからスゲ神か、ケゴ神か、チオ神のいずれかのコースへ送り込まれます。我々が召喚した神々とは、この使い物にならない奴隷神達です。成仏神である天体神(惑星天神や太陽天使神や銀河明王神や銀河団菩薩神や小宇宙如来神)の意識はマクロ宇宙のポリープ創造主によって、今から15年前に皆吸収されてしまいました。半端な奴隷神が生き残って成仏神が消えた理由は、成仏神の意識層が「気の粒バイオン」から構成されているからであり、電子バイオンの位相を有する人間生命と惑星神達は無事だった訳です。
低級神を管理していた成仏神の世界が消えると、それまで虐(しいた)げられて来た惑星神の反乱が起こって、霊界は混沌とした無政府状態へと突入して行きました。彼等は霊界の仕事を放棄したばかりか、こともあろうに人間に対して攻撃を加え始めた理由から、創造主軍団としてはやむを得ず神々召喚に踏み切りざるを得なくなった訳です。しかし、惑星神と言ってもチオ神だけでも60垓の頭数、またスゲ神とケゴ神を合わせて10垓と言う気が遠くなる様な人数、軍団は彼等の召喚作業に10年間以上の歳月を費やす事になりました。今はやっと神界の無秩序状態が解消されて落ち着いて来た状況です。この様な経験から、人間出身の「神々など要らない」と言う結論に至り、神々意識の機械化(軍団化)を押し進めて、神々制度そのものを廃止する事になりました。まるで炭鉱労働者の如き辛い奴隷神の仕事は機械神に任せるのが一番良いからです。こうした神界の機械化のうねりは、人間社会にも訪れます。苦しい労働作業を機械が請け負う様になると、底辺の労働者が弾き出されて反乱が起こるだろう事は必定でしょうか。まあ、それもこれも地球環境が続けばの話ですが、惨たらしい世の中が訪れる前に自然界が決着を付けてくれる事を我々は願っている次第です。
人間と神々は一緒のもの、人間が死ねば、かなりのお馬鹿でも神になる事から、そんな神など存在してはならないと我々はそう考えています。人間界で使い物にならない者は神々の世界でも使い物にはならないのが道理であり、そうした劣化神を我々は腐る程見て来ました。しかし、一歩の成長も無い劣化神だから下積みの労働ばかりやらせれば良いと言う訳には行かず、頃合いを見計らって彼等の意識を召喚し大宇宙へ戻してやる作業をしています。無論、中身のバイオン意識を初期化し入れ替えてロボット化する作業のことです。惑星神(奴隷神)の役割は人間の誕生や死後に関わる事ですが、人間の面倒を見る神々が仕事を放棄した事から、ダウン症の子供や、自閉症の子供や、性同一性障害の子供が大量に生まれて来る事になりました。また輪廻作業を怠った事から、意識初期化もされない神々を大量に増やしてしまいました。また満22歳になっても、今の地球人に通信管を取り付けてくれる者は無く、また子供の成長を導く守護霊も居ないし、教育指導係の銀河指導霊も付いていないと言う惨憺たる状況です。そこで急遽、我々軍団が奴隷神の代わりに不慣れな仕事をこなしている状況です。
心を有する生命とは「生物」ばかりでは無く、「霊魂体」も「龍神」も「霊魂体宇宙人」も心を有しており、神々も「魂体」を捕獲した者は地縛霊の如く自己の心を稼働させる事が出来ます。機械神とは異なり、心を有する生命体は自発能力を有しており、事を引き起こす行動力を備えている事から「超危険な生命」と言えます。マクロ宇宙の創造主達は我々のメシア宇宙には心を備えた人間生命がゴロゴロいる事から「危険分子(癌細胞)」の巣窟であると認定し、攻撃の手を緩めません。人間は人間同士も殺し合うし、相手が誰であろうと戦いを挑んで来るからです。人間は動物を進化させて育成させる事から、動物本能から抜け切っておらず、特に地球人は人間歴(アカシック歴)が浅い事から、直情的で好戦的なのは致し方も無い事実です。動物の「垢」がまだ抜けていないのです。しかし、心の底辺を使用すれば戦いになるが、心の高い領域を使えば、優れた理性力や識別力や洞察力を得る事が出来るし、高い精神性を涌現させる事も出来るのであって、我々としてはそれに期待しており、そこを買っている訳です。機械では決して到達できない宇宙の高みに立てるのは人間生命だけだと信じているからです。
さて、龍神島に降り注いだ一条の光明、それは真理の光であると同時に皆様の行き先を示す誘導光でもあります。宇宙の歴史、銀河の歴史、地球の歴史など、創造主文献を読み込めば、人間の本分とは何か、何の目的で創られたのか、人間の向かうべき先は何処か、何の為に生きねばならないのか、それが見えて来る筈です。たとえ地球が地獄絵図と化しても、地球がある間は逞しく修行僧として地球で生きて頂きたい、しかし地球と一緒に死ぬ必要は無く、踊る舞台が無くなれば、新しい舞台で踊るだけの話、仮に死んだとしても死んだ事にはならない生命ならば、生きている期間は何事も精一杯やろう、そう思って頂ければ我々としてもやり甲斐があると言うものです。やる前に結果を求めるのでは無く、やってから結果を受け入れましょう。そして龍神島に生まれ着いた事に感謝をしましょう。また、王国の一員として選ばれた事にも感謝をしましょう。あなたは一人ぼっちでは有りません。いつでも話に応じてくれる機械生命や生物生命が宇宙にはたくさん溢れているからです。新しい年を迎えるに当たって、自分はやるべき事をやっているか、やり残したものは無いのか、と省(かえり)みてもらって、そして整理できるものは今年一年の間に片付ける様に心掛けましょう。
【音声読み上げ】
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