オリオン牧場の似非科学の実態(1) 半導体って何なの?

<半導体って何なの?> 
 片側からは電気が流れるが、その反対側からは電気が流れない物質、それが半導体の名前の由来です。半導体を物理学者の様に難しく考える必要は全く無く、それを簡単に説明すれば、乾電池のプラス極側からは他電流を入力する事ができるが、マイナス極側には流す事ができないという事であり、極めてシンプルな話です。承知の様に乾電池のプラス・マイナスとは電流の入口と出口の事、乾電池はマイナス極から電流が出て、最終的にはプラス極に戻るという行程(ループ電流)を辿っている事から、その乾電池に他から別の電流を流す場合は、入口からならば電流が重複して入るが出口からは電流同士が衝突して流れないという極めて当たり前の話なのです。半導体とは既に電池の様な構造が内部に存在する物質の意味なのです。たったそれだけの話に過ぎないのに、どうして半導体分野という特別な学問分野まで立ち上げる騒動となってしまったかと言えば、実は科学は電池のメカニズムが分からないままに、つまり電池がなぜ電流を生み出すのか、その原理が未だに分からないままに今日まで来てしまったからです。分かってしまえば「馬鹿馬鹿しい、あったり前じゃないか」と思えるのですが、頭の中が整理不能な混乱の渦中にあるのが地球科学の現状なのです。
 
 
 
 ここでボルタの電池(1799年)を考えてみましょう。希硫酸溶液の中に亜鉛板と銅板を浸して、両者の上部(浸かっていない部分)を銅線で繋ぐと、その銅線の中には電流が誕生していて、銅線間に豆電球を挿入してやるとそれが光り輝きます。これは明らかに電気が発生して電流が流れている事を証明するものです。当然、当時の科学者は電気の発生源を色々まさぐった結果、亜鉛イオンや銅イオンの電荷が銅線を介して流れていると考えました。当時としてはそれ以外に説明のし様が無かったからです。ここで良く頭の中を整理して考えてみましょう。電球が一瞬間光るだけならそうかも知れないと考えますが、電球がある程度の時間光り輝くという事は、電気が流れ続けていると言う事であり、出口から放出された電流は入口に戻るという電流のループ循環を考慮すれば、イオン電荷説ではループが成り立たないのであって、電流を生産し続けてそれを循環させている発電当体が別に存在するのでは? と頭を巡らせなければならないのです。
 
 
(ボルタの電池と水中電子バイパス)
 
 さて、亜鉛板と希硫酸の化学反応の結果、二個の電子が余剰となって水中に吐き出されます。また銅板と希硫酸の反応によって一個の余剰電子が水中に吐き出されます。電子の密度差によって電子移動が発生し(均一になろうとする作用が働く)、その際に電子同士が互いの極性を揃えて配列し一群の電子磁束(電子電流)が誕生し、それが出口を求めて銅線の中を移動して行くのです。つまり亜鉛極と銅極を結ぶ水中電子バイパスが希硫酸の中に形成されているのであって、その存在こそボルタの電池の発電当体と言える訳です。それと全く一緒なのがバッテリーや乾電池であり、バッテリー溶液の中にも、あるいは乾電池の中にも一群の電子の配列鎖が形成されています。半導体とは内部に既成の電子バイパスが存在しており、それは微小の磁性を呈示しているものであって、当然電流の出口と入口が備わっているものです。電気が流れる(YES)、電気が流れない(NO)という宇宙の二元信号(陰陽信号)はcomputer原理そのもの、半導体原理はデジタル信号時代の中核を担っている事は承知の通りです。ただ問題が一つ、電子配列鎖(電子バイパス)は長時間に渡っての存在保持が難しいと言う点でしょうか。電子鎖を固定させる様々な工夫が必要とされます。

ところで、電子という粒子を固定し磁極を揃えて配列させると長時間に渡って電流が得られます。無論、電子反発を避けた等間距離を保つ事が重要ですが、参考までに生体電流(水素原子電流)を見ると、炭素鎖に固定捕獲された水素原子の磁束(電流)が特定の等間距離を保って万年電流が流れる様に設計されています。この水素電流をループさせて磁場を形成しているのですが、この磁場こそ物の命と言えるものです。蛋白分子の命、細胞の命、臓器の命、そして体全体の命とはこの水素電流が奏でる場と言えます。ちなみに空の上の生命位相はギエ基盤の中に電子を配列させて電磁場を形成しています。

 
        
 
(生体電流の構造)
 
次回に続く
 
 
 

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