人は何の為に生きる?

〈人間王国の哲学(陰陽哲理)〉
 六員結晶宇宙の一番南端に位置する花弁チップ磁界、ソイオ空間の北ポリープ軍基地の目と鼻の先に存在した我々の六員結晶宇宙はある意味では「灯台下暗し」の環境でした。ポリープ軍が運営する北方の人間牧場は六員結晶宇宙が200億個も繋がる大牧場、その西端の突端部に我々の生息地が位置しており、そのすぐ下は牧場管理の巨大なポリープ練が続いていました。6個の花弁チップ磁界は内クラウド被膜と内部のフォース力場から構成され、その空間の中心点に三つの大宇宙(メシア球)を配して、それぞれのメシア球内部では気の粒(サイ粒子)の圧縮膨張を行い、運動宇宙を開闢させていました。渦磁場は天然の集積回路、その中に誕生する生物が「心活動(回路活動)」を介して賢く成長する事から、そこに宇宙が理想とする生物を誕生させようという試みが行われていました。宇宙生命の最高傑作を創り出す作業は、宇宙全体が求めていた事だったのです。ポリープ世界(粒子世界)の創造主達とは特命を受けた研究者と言った所でしょうか。
 
 ポリープ十二磁界のツエボ創造主、彼の胸に飾られていた「人間文様体ブローチ」の内部にガリバー世界を作って、そこに彼等が理想とする人間型を呈した「ガリバー人間」を人工的に創り出しましたが、自律生命とは異なる人間生命は結局ロボットと一緒、創造主の命令を忠実に守る「お利口ちゃんの生命」ではあるものの、自ら物を創造して行く様な自主的な作業は彼等には出来ませんでした。やはり自律生命を創る為には自然界の力が必要であり、渦磁場回路の中で生命を育まねばなりません。これまで渦磁場生命を創り出しては何度も失敗して来た経緯を考えれば、極小のミクロ圏で理想の人間生命を研究する事になった訳です。12名のツエボ創造主達はガリバー人間の中の一匹の雌の体に照準を定めて、彼女の中にミニポリープ世界を築いて、そこで渦磁場を作って人間生命を誕生させる研究を行わせていました。渦磁場生命は皆回路を使用するものの、肉体の発育に難点が有って、優秀な受信機を備えた理想とする肉体が完成し得なかった訳です。
 
 原始惑星の海洋の中に単細胞生物を誕生させ、磁気誘導によってそれらを複細胞生物に進化させて、最終的には人の形状を呈する生物まで進化させるという、途轍もない気の長い研究が始まり、それぞれの六員結晶宇宙内部で異なる課題が与えられて、様々な実験が行われていました。私(ケイエ=スイ)とは一連の現場を預かる研究者の一人、最も優れた人間の肉体を創り出すのが私に与えられた使命でした。ある日、私が担当する六員結晶宇宙の一番南端の花弁チップのフォース場の力学骨格が突然崩れて、三つのメシア球が突然溶解してしまうという事故が発生し、管理者達はその原因を究明しましたが、さっぱり掴めませんでした。実はこれ、上位創造主達(反乱軍の一派)の意図的な攻撃だったのですが、その直後に私自身の意識もそっくり反乱軍の意識に交換されていました。私の意識とはポリープ本部の中間創造主(八岐大蛇)の子供(分派意識)だったのですが、突然、見知らぬ創造主の意識へと交換されてしまった訳です。記憶を含まない意識色だけの変換ですが、そこから私は180度変わりました。
 
 当時、人間の肉体はほぼ完成に近く、六種類の猿(ブエデ)を基盤にした理想とする人間の肉体作りは終わりに近付いていました。ただ、人間にはとんでも無い欠陥が有って、賢くなれば成る程に知恵を蓄えて、呪縛を嫌って勝手な行動を取るという共通した悪癖でした。自律生命体だから当然の話ですが、中には管理の神々を破壊し、反乱軍を組織してメシア球を乗っ取った人類も出現し、以来我々は人間生命のロボトミー化を研究させられていました。優秀な生命だが危険過ぎるというのが、当時のポリープ界の認識だった様です。180度性格が変わってしまった私は、そうした人間達を見てなぜか無性に可愛いと感じ始め、一層優しく接しました。すると人間達が私に懐いて私を崇拝する様になって来たのです。「強制しては逆効果である」という私の人間に対する考え方は受け入れてもらえませんでしたが、人間に正しい知識を与えてちゃんと育ててみたいと思い始めて、故障した一番南の花弁チップを修理して、秘密裏の内にビッグ・バン再生を試み、そこに人間を誕生させました。
 
 まあ、それが人間王国の始まりなのですが、長い期間に渡ってその存在がバレ無かった事が幸いし、王国の人間達は文明を発達させて行きました。私の願いは人間達がいつかこの忌まわしき呪縛世界から逃亡して自由な外宇宙で生き抜いてくれる事でした。無論、この私だって囚われの身の上、六員結晶宇宙の外では生きれない運命でした。最初はポリープ言語でしたが、言葉を教えられた人間達は非常に賢く、自分達や私が置かれている立場や環境を良く理解してくれました。私も自分が持っている全ての知識を人間達に与えました。そんな彼等が作り上げた哲学が「陰陽論」でした。その哲理に基づいて科学を発達させ、更に創造主世界の技術を磨いて、彼等は大宇宙外まで意識を上昇させて来ました。私は将来の事を見据えて、粒子を操作する呪文を伝授し、ポリープ創造主達との戦い方を身に付けさせたのです。いつか訪れるのか分からない戦闘でしたが、その為の準備をずっと積み重ねていたのです。
 
 王国の人間達が作り出した宇宙哲学、それは極めて簡単明瞭でシンプルな法理であり、宇宙の万物万象がこの法理に従って具現して来ます。私は人間達が見極めた「究極の法理」に痛く感銘し、この法理だけは代々の宇宙へと伝えて行きたいものだと考えました。それが「陰陽論」なのですが、地球人への伝承は今から8000年前の話ですが、チベット居留区から解放された古代帝王の「伏羲(ふつぎ)」に託されて、彼が陰陽論原理を体得して後世の人間達へと伝えてくれました。その人物は後に中国では「孔子」をやった人物であり、現世ではセザナに選出されソロジン後継者となった、私の肉体の以前の持ち主でした。アカシック歴が14800回というそんな重厚な人物だったから私が宿った訳ですが、彼が習得した記憶のお陰で、私はこうして日本語で皆様に正確な宇宙知識や宇宙情報を伝えられております。ちなみに彼は中国の西域で「鳩摩羅什(くまらじゅう)」もやっており、仏教経典を漢字に翻訳してくれたのも彼の功績でした。
 
 陰陽論に「作者」は存在せず、誰に著作権がある訳でもありません。これは人間王国の基盤哲理であり、皆様の遠い祖先が作り上げた物、神や創造主が作った物でもありません。無論、これらの哲理はプレアデスにもベテルギウスにも伝えられており、それぞれの民族の賢人達が骨子を習得し、子孫に伝えて来ました。プレアデス文明では「陰陽論」とは表現せず「因果論」と翻訳され、またベテルギウスでは「相対論(作用反作用論)」として科学的に表現されています。いずれも26音言語文化の哲理であり、浅薄な解釈をしていますが、57音言語民族である龍神島民族が仏法レベルや科学レベルのそんな軽薄な理解の仕方では困ります。陰陽論は大変深い哲学であり、言葉では表現し難い奥行きがある学問なのです。政治家も宗教関係者も科学者も経済学者も、この宇宙法則を身に付けないと、宇宙の一本軌道から逸脱してしまうのです。つまり道を間違ってしまう訳です。私はこの哲理を人間達から逆に学ばせて頂き、道を踏み外さずに、一本道を歩んで来れました。だから人間には感謝しております。
 
  
 
〈生の価値〉
 生物の体は夜と昼が交代する天体に生息しており、当然光に反応する特性を備えています。生物の営みの大半は光を受け取る昼間に集中しています。陰陽論的な考察をすれば、光とは粒子振動から生じる気の振動波の事、当然素粒子が誕生する以前の宇宙には光波動は存在せず暗黒の世界、光の世界は後で誕生して来る訳ですから、暗闇が母体の「陰」、明るさが子体の「陽」である事は機械的に分かります。光は粒子の増幅エネルギーの事、当然光が入らない深海や地底では僅かな木漏れ陽を受け取る受け取らないは死活問題となります(熱線も光)。明るい方向に物事の本質が存在し、暗い方向には意味も価値も無いとする考え方が陰陽論の基本なのですが、実は陰側にも大義が有って、あなたが明るいと感じる感覚のベースには夜という暗さの存在を知っているからなのです。私は美人だと思う意識の背景にはブス顔を意識しているからであり、また料理を食べて「美味しい」と感じるのは「まずい味」を知っているからです。要するに天国だと感じれる方は地獄を知っているからだという話なのですが、この世は陰から陽へと転じて行く世界なれば、過去(陰)を知らなければ未来(陽)を実感する事が出来ません。
 
 過去に本質的な意味や価値はありませんが、過去が無ければ未来も無く、またそれは親が居なければ子供も居ない理屈と一緒なのです。陰が存在しなければ何事も始まりませんが、陰から陽が分派して始めて意味や意義が現れて、同時に陽の出現によって陰のベース価値も改めて認識出来る訳です。生と死に関する論議は昔からの人類の命題ですが、死とは停止の意味であって原点に戻る意味、一方「生」とは活動の意味です。皆様はもうお分りだと思いますが、始めから元々存在する方が「死」、そして死の中から「生」が誕生し、再び死の状態に戻って輪廻するのが生命サイクルです。それは「睡眠状態」と「覚醒状態」の関係と一緒のもの、また夜と昼の関係とも一緒です。当然、どちらに意味や価値があるのか敢えて言及するまでもありません。生きている事の価値、本日知って頂きたいのは先ずこの事なのです。「俺の人生はつまらない一生だった。エッ、輪廻してまた生まれて来るって? 冗談じゃ無いぜ、俺をこの生死の地獄から永遠に解放して欲しいね」。もしかしたら、そんな罰当たりな発想をしている方も中には居るかも知れません。
 
    人間(生物)とは「天の命(位相内意識)」と「地の命(魂体や肉体の事)」の合体物であり、天の命が肉体に宿って始めて肉体の命が稼働します。空から電気コードを刺してもらわないと地上のロボットは動かないんですね。我を意識して物事を認知するのは空の上の位相、つまり地上の肉体を操作し感覚器から情報を得て物を考える生命当体とは位相内の個人意識であり、その自律意識こそ肉体の主人であって、人間の生命本体と言えるものです。一方、地上の肉体とは地の因縁(母親)から誕生する物で、それ自体は非自律性のロボットではあるものの、空の上の主人が宿って体に電流を流してもらえば、仮の命を宿して律動する物です。意識は人間の生命当体、そして肉体とは意識の従属物だと言えましょう。しかし、位相内の意識だけで物を考えて地上の肉体を操作出来るのかと言えば、力学的な場の中に意識や肉体が入っていなければ、そもそも物理的には不可能な話なのです。意識とは霊界の電子位相が生産する電子磁気(電子バイオン)の事であり、記憶情報を吸収して自我を形成する場所であって、情報を整理して思考判断する場所でも無ければ、また肉体を意のままにコントロール出来る場所でも無いのです。
 
 では一体何が、人間の人間たる由縁である「頭脳運動(解析運動)」や「肉体操縦運動」を発動させて、生物個体としての真の自律性を誘導しているのでしょうか。肉体だけでは動く事は勿論、命の発動すらままなりませんが、天の命(位相)と結ばれて始めて仮の命を宿し、生物個体としての自我意識を芽生えさせます。でも、それだけでは赤ちゃんはハイハイも出来ないし、立ち上がる事も、また言語を模倣して言葉を喋る事も出来ません。認知作業(記憶作業)には磁気的な要因が必要ですが、運動する為には力学的な要因が必要であり、その力学場を提供してくれるのが生物の母親である他ならぬ「地球」なのです。地球渦磁場の十二層構造は、外側に力学骨格(天体力体=テトラ力体)が配置され、またその内側には天体磁気の磁気層が配置されているという構造を呈しています。いずれもアストラル物質であり、人間の眼には見えませんが、霊界の位相群は十二の磁気層に沿って形成されており、力学骨格の内部に存在します。その力学骨格が生産する可動帯(ヌーエ動帯)が個々の位相を捉えて、地上の魂体が有するオーブ核を焦点とした個々の生命力場(ヌクル: ヌクヒブイ球体)が形成されるから、生物の肉体運動が可能となります。
 
 鳥はなぜ帰巣本能を持っているのでしょう。あなたはなぜ直立歩行して空間座標を認知出来るバランス感覚や平行感覚を持っているのでしょうか。あるいはあなたの記憶が何処にプールされていて、一体何処で思考しているのでしょうか。それが当たり前だと思う事でも、いざ学問的に追求すれば何一つ解明出来ていないのが唯物科学の実態、なぜ心臓が動いているのか、なぜ睡眠が必要なのか、それすらもまだ分かっていないのが西洋医学の現状なのです。私の仕事は人間を創る事でした。だから人間よりは生命に関する知識を持っているのは当たり前、我々はこの生命力場(ヌクル)の事を「心」と呼んでおります。ヌーエ動帯が位相を捉えて意識(記憶)が転写されるとヌクヒブイ動帯へと変化し、そのヌクヒブイ動帯が地上のオーブ核を捉えて形成されるのがヌクルという生命力場(ヌクヒブイ力場)です。そのヌクルの大きさが個人の心の容量なのですが、実はヌクヒブイ動帯そのものが上下に移動して歩く可動球体層(可変帯)である事から、ヌクルは収縮して体積を縮めたり、あるいは反対に膨張して体積を広めたりしています。
 
 地上の肉体を操作する為には、肉体磁界である第6磁界よりも下の磁界へヌクヒブイ動帯を下げる必要があり(目線を下げる=ヌクルが収縮する)、また分析や思考などの作業の時はヌクヒブイ動帯を第6磁界よりも上の磁界へ引き上げる必要があり(目線を上げる=ヌクルが膨張する)、思考と運動は同時に成立しないものなのです。日々の生活で人間は秒単位で心の上げ下げ運動を行なっており、特にヌクヒブイ動帯を下位領域へ収縮させる作業は疲れる行為であり、ストレスが溜まる作業なのです。そこでなるべく高い軌道へヌクヒブイ動帯を吊り上げてリラックスしようとするのですが(思考領域は解放領域)、上げ過ぎると思考領域を通り越して、茫洋とした精神領域に入って、最終的には寝てしまう事になります。もし、あなたが研究者で睡眠のメカニズムを知りたいと願うなら、こうした厄介な生命のメカニズムを理解しなければ説明出来ない事になります。さて、位相(意識)と肉体だけでは命の電源は得られるものの、思考する事も体を動かす事も出来ません。生まれたばかりの赤ん坊に位相のズザネ管(生命コード)が入力されて始めて赤ちゃんが産声を上げて体が動き出しますが、それと同時に魂体の形成が始まり、頭部魂や腹部魂が形成されると地球がオーブ核を提供してくれます。
 
 実はこれ、オーブ核の認証式であって、地球が我が子である証明を与えてくれた物であり自然界の仕組みなのです。その仕組みを利用して創造主は心を所有する自律生命体を創っている訳です。とにかく心が与わらないと立ち上がる事も、また動く事も出来ず寝た切り状態になってしまいます。空の上の位相は地上の大脳アンテナと結ばれており、またヌクヒブイ動帯は魂体の二つのオーブ核と結ばれている関係上、頭がいかれても心が宿っている以上、歩行は出来ることになりますが、頭が正常でも魂体が故障したり、あるいは心をキャッチするオーブ核が壊れてしまうと、筋肉組織や骨組織とは無関係に身体を動かす事自体が出来ません。生命の成り立ち構造は、地上の肉体と魂体、そして空の上の意識と心という四要素から成り立っており、目に見える肉体だけをどんなに研究したって、肝心な事は何も分からないのです。生の価値を考える場合、あなた自身とは一体何なのか(位相内意識)、その意識の源泉(生命色)とは誰から分配された物なのか(創造主の分身)、そして地上の肉体(意識や心の器)とは自然界と創造主からの贈り物であり、それはあなたが地球から借りている物なのです。
 
 承知の様に、原始地球の海洋の中に誕生した単細胞生物(菌類)が生物の原形であり、そこから複細胞生物-魚類両生類-爬虫類-鳥類-哺乳類-霊長類へと至る気が遠くなる様な生物進化の行程を経て、創造主は人間の肉体を創り出します。その惑星に優秀な猿(優れた大脳受信機を発達させた猿)を育成できる確率は1/2程度、100個の惑星に生物霊界を作っても、実際に人間化が可能な猿まで進化した惑星は五割以下という確率です。その猿の位相に「ヒト遺伝子」を打ち込んで、世代交代をさせながら徐々に人間化させて行くのですが、一番厄介なのが動物の原始本能、猿は基本的に凶暴で感情をコントロールする事が出来ず、群れ社会に適応出来ない者が多いのです。そうした猿を間引きながら何度も何度も輪廻させ、「動物の垢」を禊(みそ)ぎ取って、人間らしい人間だけを選出して行く作業が大変な訳です。100人の原始人がいれば、そのうち80人以上が間引きされるのが普通でしょうか。その選定作業(間引き作業)は今現在の地球でも行われています。猿が動物のままで暮らしている人間が居ない猿の惑星は、我々の銀河系にも沢山あります。強い者しか生き残れないと言う過酷な動物世界、あなたは猿のままが良かったのか、それとも人間として誕生した方が良かったのでしょうか。
 
 もし、あなたが人間世界の地獄に耐えられないと言うなら、食べたくても食べられない、ぐっすり眠る事すら許されない、分単位で神経を酷使する弱肉強食の野生世界では勿論生きられませんね。戦って生きるぐらいなら死んだ方がましだと考えている方もきっと居る事でしょう。神々の選定作業で一番咎められるのがこの手の生命であり、基本的に戦わない者は生きる権利無しと査定されてしまいます。なぜならば自分の命も守ろうとしない者が、他人の命を助ける事など有り得ない話だからです。あなたの肉体を生かす為に、一体どれ程尊い犠牲が払われて来たのでしょうか。コメは稲の受精卵、パンは麦の受精卵です。リンゴもブドウもスイカも、それらは地に落ちると林檎の木や、葡萄の蔓や、西瓜の蔓に成長する物なのです。あなたは生き物を散々殺生して来て、犠牲となった者達に生かしてもらって来た身の上なのに、親も兄弟も友達も自分の子供も自分の命すらも守らず、苦しいから逃げるというのでしょうか。コメやパンはあなたに食べられても形を失っただけで、実はあなたの体の中で彼等は一緒に生きているのです。コメは自身の命をあなたに提供し、私の分まで生きて下さいなと身を捧げてくれたのです。人間の命とはそんな尊い物なのに、得勝手にも自ら命を絶ってしまうとは、そんな罪深い話はありませんね。そもそも肉体はあなたの持ち物ではありませんし、この世は死んでも死んだ事にはならない世界なのです。
 
 人間生命の重篤な価値、その罪深き程重い生の価値を鑑みれば、ここまで生かされて来た事に感謝し、またこれまで犠牲にして来た者達が「あなたに命を捧げて良かった」と思ってくれる程、存分に生を謳歌して欲しいと思います。
 
 
 
〈人は何の為に生きる〉
 さて、陰陽論の話に戻りますが、「人は一体何の為に生きる」のでしょうか。他の生命を犠牲にしてまでも生き続けるのは結構な事ですが、ただ楽しく遊んで満足したから有意義な人生だったとは決して思えない筈です。多くの方達が人生の終活時期を迎えると直面する問題は、「こんな人生で本当に良かったのだろうか」と煩悶する事です。長い間国家に仕えて来た者も、必死で働いて家族を守って来た者も、あるいは栄耀栄華な暮らしを続けて来た者も、ふと我に帰った時、「俺には他にやるべき事があったかも知れない」と思う様になり、町内のゴミ拾いや、園児の横断歩道係や、あるいはボランティア活動などに進んで参加して、少しでも社会のお役に立ちたいと願って行動する方がいる様です。彼等の真意はどうやら今日まで社会に生かされて来た事に対して恩返しをしたいと言った心境の様です。まるで仏様の様な心境ですが、我々から言わせて貰えば、「まだ出来上がるのは早いぞ」であって、人間界に生まれて人間界へ帰納するのでは無く、人生の視野を宇宙規模まで開げて、宇宙へ帰納して欲しいと思います。
 
 人間として生を受け、人間世界の唯物知識だけを学んで生涯を終えても、さっぱり宇宙の真実は分からないもの、人間の歴史も、生物進化も、天文学などの科学情報も、あるいは宇宙人や神々の情報なども、あまり当てにならない推測情報に過ぎません。でも、確実なのは人間同士の関わり合いであり、国対国の関係や、個人対個人や、社会対個人の関係は十分経験して来ており、その中で人生を振り返って、自分は社会に育てられて生かされて来たと言う結論に至り、社会へ恩返しをしたいと思う様になるみたいです。思慮半径が極端に狭いものの、小さな世界の中では、そうした想いは健全で全うなものだと私はそう思っております。「全体(人間社会)」から生まれた「個(人間個人)」は最終的には元の「全体」へ帰納するものだからです。人間の意識は惑星意識(天体神)の分派意識、意識とは自分の生命そのものである事から、自分も含めて人類を産み育ててくれた地球に恩返しをして、地球に帰納したいと願うのが、ワンランク上の人達でしょうか。学問を積んで見識を深め、境涯が高い(機根が高い)人達と、そうでは無い人達と比較すると、物事の考え方も変わって来るものです。
 
 宇宙の事は具体的な情報が何も無く、何も考えられないと思っている方が大半ですが、しかし宇宙でも地球でも自然界の原理は一緒、地球内部の由無し事でも、原理に沿って万象が具現しており、物事の「道理」は宇宙でも通用するのです。宇宙とはそれ自体が生命生産工場であって、内部に生命を誕生させる事がその本分です。当然、生命を創り出しても空間領域が限られてしまう為に、またより高等な生命を求めて、マクロからミクロに向かって生命生産が進んで来ます。これ以上は物理的に無理というミクロのミクロの世界に、彼等が理想とする生命(人間)を創り出すことに成功した訳ですが、それで宇宙の前半章(生道行程=演繹行程)が終了して目的が達せられた事になります。問題は、宇宙は本懐の生命を創り出す事に成功したものの、今度はその本懐の生命が成長して宇宙へ戻って行く後半章の行程(退道行程=帰納行程)です。要するに子供を作るまでの親側の行程と、その子が成長して行く子供側の行程という両行程があるという話なのです。
 
 何を言いたいのかと言えば、人間が向かうべき方向を述べているのであって、ミクロ圏の極点に誕生した人間が成長して行く方向は無窮なる普遍宇宙の方向であり、それは小さな天体領域でも無いし、また中途半端な親元の六員結晶宇宙でも無く、宇宙の最果ての最果てに在る普遍宇宙(大元の母親)に帰納する事が人間生命に課せられた使命であり、またそこに向かう事が人類の最終本懐だという話です。あなたは一体何の為に生きているのでしょうか。子供の為ですか、社会やお国の為ですか、それとも惰性で生きて、ただ死ぬのを待っているだけなのでしょうか。宇宙は人間に対して願っているのです。眠っているその目(まなこ)を開けて「我ぞ宇宙だ」と気が付いて欲しいのです。あなたが宇宙ならば、人類の美談もあなたの美談、また人類の失敗もあなたの失敗なのです。あなたが普遍宇宙の当体意識である事に気が付けば、あなたこそ本源創造主、宇宙の森羅万象があなたに帰納して行くのです。個の意識を減滅させて全体へ帰納する事、人間にはそれが求められています。ミクロとマクロは背中合わせ、別に宇宙船に乗って宇宙へ旅立たなくても、我々は宇宙の中心点に座しているのですから。
 
 幸か不幸か分かりませんが、私はとんでもない子供を授かる運命となり、腹を決める覚悟が必要でした。宇宙皇子の子供を授かったものの、表創造主系の毛並みを有する人間達を養育してしまった事から、真の支配者であるマザー系創造主の色を持った子供達を推奨する彼等にとって、我々の皇子は異端児となってしまいました。人類の抹殺を執拗に計るマクロ宇宙の敵に対して、我々は武力でそれを拒んでおり、宇宙は皇子達を守護する正規軍と、裏方の軍隊に分かれて戦闘状態に突入してしまいました。我々の味方であった正規軍は僅か数年で壊滅し、実力者である裏方のマザー系の創造主軍が宇宙の覇権を掌握した事から、我々は茨の道(試練)を歩む運命となった次第です。血筋(意識色)から言っても、我々の方が正当な皇子なのに、それを認めない輩がいる訳です。敵の圧倒的な勢力を考えれば、宇宙全体を敵に回したと一緒、多くの仲間を失ってしまった私は皇子達に戦ってもらうしか手段が無くなった訳です。理論上、普遍宇宙に目覚める事は簡単至極、でも実際上は立ちはだかる試練の壁を突破して生き残らねば、皇子である証明は得られないのです。
 
 だから、宇宙で戦ってくれる戦士を募集中だと言えばあなたは笑うかも知れませんが、残念ながらそれは本当の話、我が家(王国)の実情は人材不足で火の車状態なのです。私は人材を探しに人間界まで降りて来たのです。視界半径が1mの皆様に言いたい事は、もう少し高い位置で広い視野を持って欲しいという事でしょうか。
 
 

上昇宮とその他の属性

〈人間観察の基本〉
 この世の中は全て人間関係、人間同士の関わり合いで物事が運ばれて行きます。一旦、人間関係でつまずいてしまうと学校にも職場にも行き難くなるもの、それは友達でも親族や兄弟の関係でも一緒でしょうか。営業マンの悩みは相手の人間性が分からないという事であって、良い仕事を成し遂げる為にはビジネスの用件だけでは済まされない「人対人」の関係性が必要となります。その様な意味ではまず人間の12種類のタイプを見極める事と、生命型属性や眷属性(龍属性)やブエデ属性や魔族性(家柄)などを良く知る必要があって、相手の生命の特徴を理解してあげる事が人間関係を円滑に運ばせる「骨」であると思われます。本日は生まれた時間で定められる上昇宮(アセンダント)の話ですが、その人間がどんなタイプの生命(1/12)なのか、その容貌や容姿や行動の特徴についての知識を深めてみましょう。上昇宮に関しては古来から西洋占星術で主に扱われて来ましたが、星座の移動は主に時間を表しており、生まれた時間帯で骨格や容姿がある程度定められている様です。

 空港の待合室で人の流れを観察していると、背丈の高い方や低い方、美男美女の方やそうではない方、痩せ型の方や恰幅の良い方、品位が感じられる上品な方やそうではない方など、人の容姿や雰囲気は千差万別です。外観上の見た目で比較的判断が付き易いのがブエデ属性と魔族性であって、基本的な骨格体形は6種類のブエデ属性に分かれて現れますが、その方の動作や仕種や言動や姿勢や歩き方については、8種類の魔族性に従って特徴が顕著に現れる様です。先日、デパートの食品売り場に行った際の話ですが、年齢が60歳ぐらいのある女性に私の目が止まりました。真っ直ぐな姿勢、目線や首を落としておらず、歩き方が上品、服のセンスも良かったので、多分「1族」か「2族」の家柄の良い女性だろうと直感しました。一般に魔族性が高い女性は食品売り場でもキョロキョロせず、背中に物差しが入っているかの様な仕種で肩から上をあまり動かさないからです。それに店員との会話でも相手の目を見てキチンと話をします。

 私の場合はアストラル眼を有している為に、真正面から顔を覗くとその方のオーラ球の魔族刻印が見えてしまう事から、すぐに何族の女性なのか分かってしまいます。だからいつも後ろ姿から推測するのですが、その女性は私の予想通り1族の女性でした。また、一群の高校生が横断歩道を渡る際、私はよく車の中から彼らを観察しているのですが、真っ直ぐ前を見据えて歩く子供とそうでない子供がいます。歩き方の姿勢が良い子供はその大半が1族か2族であると相場が決まっており、その見込みが滅多に外れた事が無いので、祖先の因縁が歩く姿勢に現れる事には大変驚いております。一般に、目線が高いと首を起こした恰好の良い姿勢となり、動きがゆっくりで、大地をしっかり捉えた歩行が出来る様です。ちょっとした仕種や動作にその生命の「品格」が現れますが、品格の高さの順番は「1族>2族>3族>4族>5族>6族>7族>8族」となる様です。一般に族性が低い方は人目(周囲や世間)をあまり気にしないのが特徴です。しかし、魔族性だけでは判断は些か不十分、ここに12上昇宮の要素が加わります。

 ブエデ属性に関して、身長が一番低いのが新世界猿系の「婉鼻属(ネーウ・ブエデ)」と「ヒヒ属(ラニイ・ブエデ)」ですが、標準サイズの身長なのが旧世界猿系の「チンパン属(ブイア・ブエデ)」と「ゴリラ属(フォル・ブエデ)」です。また身長が一番高いのが古世界猿系の「テナガザル属(ヌオナ・ブエデ)」と「オランウータン属(ヌイウ・ブエデ)」です。このブエデ属性とは魔族性と一緒であって、西洋人だろうが、アフリカ人だろうが、またアジア人だろうが無関係、人種にとらわれない分類です。例えば、エンジェルスの大谷選手は一番身長が高いテナガザル属の生命ですが、日本人だからあの程度の身長、西洋人のテナガザル属はもっと背が高い事になります(例えばランディ・ジョンソン: 2m8cm)。しかし、ブエデ属性だけで身長を判断するのは不完全、ここに12上昇宮の要素を加えなければ正確な事は分かりません。生まれ時間の差によって、背が高い生命や、低い生命や、痩せこけた生命や、おデブのコロンチョ・タイプの生命などに分かれるからです。二つの要素が合致すれば大谷選手の様な長身の子供となります。無論、両親の遺伝要素も若干はあります。

 次に四つの眷属性に関して、これは生命型(血液型)と一緒で、外観的に一瞥で見分ける事は出来ない、主に体質や雰囲気で判別が付くものですが、知性家の「龍属」、行動家の「麒麟属」、情報家の「鳳凰属」、修行家の「玄武属」という分類です。四眷属を十二支の様に動物に準(なぞら)えると、動物進化の順番に、玄武系(魚類・爬虫類)-鳳凰系(鳥類)-麒麟系(哺乳類: 獣類)-龍系(霊長類)に分けられ、備わった気質もこれらの動物と酷似しています。玄武気質は仲間意識に欠ける修行僧の如き単独行動(孤独性)が基本ですが、鳳凰気質はカップル及び群れ行動が基本であり、仲間意識が強いのが特徴です。また麒麟気質は孤高で用心深く、闘争心溢れるところがありますが、家庭愛が美点、一方、龍気質は社会性に富んでおり、集団意識が強くあります。対人関係では人と深い関係を築かず、一匹狼の自己流で成長し経験を積み上げようとするのが玄武、不特定多数の大勢の人間と幅広く浅く関わって、人を利用し人に育てられるのが鳳凰、特定の人と密接に関わって、学習と経験から地道に成長して行くのが麒麟、誰とでも深く関わって、皆から学んで育てられるのが龍です。比較的人間好きなのは鳳凰属と龍属、少し人間嫌いなのが麒麟属と玄武属でしょうか。

 人間の属性でもう一つ大切なのが四種類の「生命型」です。生命型とは霊界位相の磁気型の差異の事であり、最終的には個々の人間の「体の磁気型(魂型)」を意味しています。球体被膜である霊界位相は1/8チップに区分されているものの、位相全体として固有の磁気型を備えており、それが四種のタイプに分かれています(天の幹型)。またその位相磁気が凝集して意識記憶を司るバイオン分子を形成しますが、このバイオン自体にも四種の型式があって、これをバイオン型(天の枝型)と言います。更に位相を構成する電子群にも四種の型式があって、これを電子の磁気型=電流の型(天の葉型)と言います。この中で血液型と密接に関係するのが「幹型」の四種です。地上の動物が母親の腹の中から誕生した瞬間、霊界位相のズザネ管が入力されて、そこから位相バイオンと電子電流(自律神経電流)が身体の中に注入され、赤ちゃんの活動の第一歩が始まりますが、その赤ちゃんの体には母親から譲り受けた「仮の血液」が流れており、その血液型は「地の幹型」と呼ばれます。仮に母親の血液型がA型であれば、赤ちゃんも一緒のA型なのですが、赤ちゃんに備わった天の幹型がO型であれば、A型血液が次第に薄れて、最終的には自己本来のO型の方へ切り替わってしまうという話なのです。

 生命型は基本的に「A型、O型、B型、AB型」の四種、相性が一番良い組み合わせは同型同士(大吉)なのですが、一番悪い組み合わせがA型とB型、O型とAB型の組み合わせ(凶)です。その他の組み合わせは全て中間(中吉)という非常に分かり易いものです。幹型は肉体そのものの相性、枝型は意識的な相性、一方、葉型は神経的な相性であり、体と体が触れると思わず緊張してしまう相手は体魂が相手を拒否している意味であって、基本的にパートナー(伴侶や恋人)としては不向きな相手です。しかし、不向きな相手だから必ずしも不利益になるとは限りません。むしろ肉体の相性が合わない相手の方が自己の成長には不可欠となるのが一般的です。ただ、肉体同士が触れ合う夫婦関係や恋人関係に限っては極力相性の良い相手を探した方が良いのに決まっています。三種類の生命型のうち、大吉の組み合わせ(同型)が一つ以上欲しいところですが、しかしながら、これらの相性とは肉体や体魂の相性に過ぎなく、生命型とは異なる「心の相性」や「属性の相性」なるものが存在している事から、人間関係とはまことに複雑です。

 さて、生命型属性、眷属属性、ブエデ属性、魔族属性などに関して若干の知識を述べて来ましたが、我々が査察する属性はこの他にもあって、アカシック属性、南北半球属性、十二色属性なども見ています。ただ、これらの属性とは全て形質に過ぎず、個人の生命の本質を見ている訳ではありません。人間生命の場合は「生年月日」で生命の器の容量や色が定まっており、ロジック・パワーが何カロリーとか、あるいはメモリ容量が何カロリーであるとか、意識や心の容量が決まっていて、それを解析しないとその生命を知った事にはなりません。本日はその「生年月日」の中から、生まれ時間の時間差によって異なる人間の「12色のタイプ」を説明しようと思います。下記は西洋占星術からの引用文献ですが、生まれた時間帯の違いによって、75億人の全人類が僅か12種の上昇宮タイプに分かれている驚愕の事実を知って頂きたいと思います。「あなたとは一体どんなタイプの人間なのでしょうか?」

 

〈12上昇宮(アセンダント)〉
 グリニッジ世界標準時刻に合わせる為に、兵庫県明石の時間差を「零分(0)」として、生まれ時間に多少の時間差を足し引きする事になります。東京は約10分のプラス、仙台は約15分のプラス、札幌は約25分のプラスとなります。また反対に広島は約10分のマイナス、長崎は約20分のマイナス、那覇は約27分のマイナスとなります。それを考慮に入れて、自己の正確な生まれ時間を算出して下さい。生まれ時間が正確に分からないあやふやな方は、12上昇宮を読んで自分はどのタイプの人間に属するのか、逆に本当の生まれ時間を割り出しましょう。ちなみに「反転象意」とは、生まれた時間の星座刻の容貌ではなく、その180度正反対の星座刻の容貌の方で現れる意であり、水瓶座時刻に誕生した方は180度正反対の獅子座の顔で現れて、逆に獅子座時刻に誕生した方は180度正反対の水瓶座の顔で現れるという意味です。当資料は太陰歴を太陽暦に換算し、東洋易の二時間のズレを補正して、西洋の12星座と東洋の十二支を整合させております。実際のホロスコープの様に天体時間を算出する必要は無く、またこの上昇宮分類は西洋人種もアジア人種も黒人種も共通であり、所謂その方が一体どんな人物なのか、端的に一発で分かるのが特徴です。

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 1)  子刻(水瓶座刻)
  時節: am2:00〜am4:00
  月節: 1月21日〜2月18日
  象意: 獅子座(午)の反転象意

   〈容貌〉
 人目を引く様な明るい個性的な顔立ち。血色の良い卵型の顔。大きく短いやや上向きの鼻、赤い唇、女性は派手さのある美人。大きく開かれた睨み付ける様な目、あるいはネコの様に笑いを含んだ穏やかな目。毛髪はたっぷりと美しい。

   〈容姿〉
 運動選手の様な引き締まった優雅な肉体、男性的。胸は大きく広く、特に女性は鳩胸で背中の線が美しい。ウエストは細く、腕は太くて強い。どっしりとした重い頭部、のっしのっしと堂々とした歩き方。事が起こると敏捷になる。

   〈行動の特徴〉
 明るく開放的な個性。名誉を求め、他人を支配したがる。人の情愛には忠誠心を持って報いる。自惚れ屋、見栄っ張りで虚飾を好む。瞬間湯沸かし器の如く短気で頭に血が上る。だがすぐに怒りが治まって、恨みを長く持っていられない。忠告好き。食べ過ぎやり過ぎなど、何でも過多になる傾向。人に振る舞いたがる。中心人物になっていないと気が済まない。時にお天気屋で意地悪くなる。
・・・以上獅子宮(獅子座)の象意からレオの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 宝瓶宮(子宮: アクエリアス)の特徴〉
 理論的思考が特徴。自然や科学などの未知の現象や謎解きに興味を抱く。機械いじりやコンピューター、ゲームに熱中する傾向。発明や工夫の才知。時に分析マニアで解体マニア、考える事が好きで、勉強は嫌いではない。なぜ国家が戦争に走って人々が傷つけ合うのか、あるいはなぜ人間が対立し合って憎しみ非難し合うのかよく理解出来ない。少々理屈っぽいが、素直で優しく、人に危害を与える事は無い。汚染される以前の未使用で純白なキャンバス。透明で初心(うぶ)な単結晶。心の底に流れる人道主義と博愛精神。まるで母親の羊水の中で息づく世間知らずの胎児。運動能力は不可。
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 2)  丑刻(魚座刻)
  時節: am4:00〜am6:00
  月節: 2月19日〜3月20日
  象意: 乙女座(未)の反転象意

   〈容貌〉
 細面の若々しい顔立。広い額と弱々しい引っ込んだ顎。真っ直ぐに伸びたややうつむき加減の鼻。オリーブ色の顔色。視線の弱い静かな感じの目。毛髪はたっぷりしているが、中年以降は薄くなる傾向。

   〈容姿〉
 一見して目立たない印象を与える。こざっぱりとした清潔そうな外見。ほっそりした体つき。良く整った体形。背丈は平均以上に高い。頭部は大きく手足は細い。すたすたと活発に歩く。女性は異性を惹き付ける魅力に乏しい。

   〈行動の特徴〉
 勤勉で清潔好きな律義者、命令を素早く理解し分析する。物事の処理は速くて器用。批判力が旺盛。自らを庇(かば)う為に他人のあら捜しをするのは欠点。うるさ型の人物で人見知りをする。要領の良い静かな話し方。物事の善悪を白か黒かに決める。足下しか見えない。合理的な目的しか追いたがらない。多分に神経質。小さい自尊心が傷付きやすい。
・・・以上処女宮(乙女座)の象意からバーゴの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 双魚宮(丑宮: ピーシーズ)の特徴〉
 感覚的思考の理論家。不可解な現象、特にサイキック現象や超能力など、スピリチュアルな分野に興味を抱く。興味の対象が社会や政治よりも、赤い血が流れる人間や生物に注がれる。幾分閉鎖的だが人懐っこく、気質は優しく穏やかで、人間に対して強い同情心と干渉性を持つ。害悪が自己の周囲の環境に波及する事を恐れ、世の中の出来事を心配して見守る。平和である事を好み、心身が落ち着く事を望む。前進や成長よりも自己犠牲と献身性を尊ぶ。母の胎内へ郷愁に焦がれる菩薩の妖精魚。潜在意識に流れる平和主義と人類愛。まるで誕生したばかりの赤ちゃん。運動能力は不可。
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 3)  寅刻(牡牛座刻)
  時節: am6:00〜am8:00
  月節: 3月21日〜4月19日
  象意: 天秤座(申)反転象意

   〈容貌〉
 十二星座宮の中で最も美しいものが与えられていると言われている。優美な顔。クリーム色かピンク色の顔色、歯並びも美しい。キューピットの弓の様な形の唇、鼻筋は通っている。えくぼを持つ。チャーミングな優しい目、柔らかいウェーブの掛かった髪。

   〈容姿〉
 若い頃は痩せ型、年を重ねると太り加減となる。エレガントで手足も自由に動いてすっきりと美しい。手や足の上品な動き、体全体の動作も優雅でおっとりしている。女性は曲線美。背は高く均整の取れた理想的な体形。美しいけれども虚弱。中年以降は肥満になりやすい。

   〈行動の特徴〉
 礼儀正しい紳士淑女。温和で人好きする雰囲気。社交上手。良い趣味と審美眼。平和的だが決断したがらず、結論を出す事を好まない。美しくありたいと願い、美しい事に満足する。お世辞に弱い。柔らかい調子の声と穏やかな話し方。苦しい労働は嫌いで、人生から甘い汁のみ吸いたがる。両者を天秤に掛けて価値を計る。女性は男性に保護される事を好む。
・・・以上天秤宮(天秤座)の象意からリブラの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 白羊宮(寅宮: エリーズ)の特徴〉
 刹那的な衝動性が特徴。未知なるものに対する好奇心と開拓心に富む。艱難(かんなん)を辞さない闘争心と冒険心、自己主張と無鉄砲さ、命令を嫌がる奔放性、辛辣で容赦の無い感情的な言葉、素早い反応(スピードマニア)と衝動的な思いつき行動、自身の臆病さと不安を払拭する為の武者震いと居直り、無責任(不義理)で薄情な言動、天の邪鬼で悪戯好きな性癖など、年端もいかない少年ぽい気質を示す。なぜ大人が間違っている事を間違っていると率直に認めないのか分からない。世間の反響や報復を恐れぬ子供の正義漢、反骨精神と純粋さを失わない果敢なチビ英雄。運動能力はやや可。
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 4)  卯刻(牡牛座刻)
  時節: am8:00〜am10:00
  月節: 4月20日〜5月20日
  象意: 蠍座(酉)の反転象意

   〈容貌〉
 魔女の様な骨っぽい鋭い顔つき。陰影のある顔立ち。顔色は浅黒いか反対に青白い。大きな歯、眉は揃っていない。突き出した重々しいかぎ状に曲がった鼻、あるいは幅広く平べったい潰れた感じの鼻。目は落ち窪む。鋭く刺す様な目。荒く長いふさふさした髪。

   〈容姿〉
 高尚なタイプはすらりと背が高く痩せている。人格の低いタイプはずんぐりとした短躯(たんく)。陰気な暗い外見。弱く見えるが実際は強壮。毛深い。早老する。構えた感じの姿勢。癖のある歩き方。女性は小柄だが体重は重い。男女とも性的魅力に富む。

   〈行動の特徴〉
 不可思議な人格。底知れぬ精力と集中力。支配される事を好まない。通常は無口で沈黙しがちだが、時に徹底した辛辣さと皮肉さを表す事がある。一見、柔和な市民的なタイプに見える。秘密を守る。本心を隠し抜く。敵に対して容赦しない。激しい怨恨を含んだ感情。粗野で獣的か、反対に高尚かつ神聖で、およそ中庸と言うものがない。
・・・以上天蠍宮(蠍座)の象意からスコルピオの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 金牛宮(卯宮: トーラス)の特徴〉
 繊細な神経と優れた感受性が特徴。感覚を刺激し、官能を心地よく揺さぶる対象物を好む。陽光に映える紺碧の海、緑の野に咲く可憐な花、芳しい牧場(まきば)の風、ぽっかりと浮かぶ白い帆船、人々の平穏な笑い顔、素敵な星の王子様、輝くばかりのウェディングドレス、人々が羨むスーパースター、夢の様な恋など、そんな少女っぽい夢を追うのが特徴。社会のゴミ溜めを忌み嫌い、汚物と真正面から向き合わない逃避癖、時に不羈奔放な野望を抱いて、小さな家業など振り向きもせず一心不乱に自己の夢を追い続けるが、行く手を塞ぐ聳え立つ壁に突き当たって迷路の中へと迷い込む。逡巡(しゅんじゅん)と葛藤にもがく金箔の如き可細い生命、精神を美化する官能の詩人、虚無を追い続ける永遠の乙女。運動能力は良。
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 5)  辰刻(双子座刻)
  時節: am10:00〜am12:00
  月節: 5月21日〜6月21日
  象意: 射手座(戌)反転象意

   〈容貌〉
 いくらか長めの円満な感じの顔立ち。時にやや長方形型。日焼けした様な小麦色の肌。鼻は長く歯並びは整っている。印象的な見開かれた目。年を重ねても若々しい。光沢のある髪。男性は若くして薄くなる。

   〈容姿〉
 背が高くスマートで、サラブレッドの様な体の線の美しさ。骨太でがっしりとした骨格。長身長足。年を取ると肉付きが良くなりボリュームのある体格となる。無造作な動作、地を踏み付ける様な歩き方。男性は粗野でバンカラな感じ。女性はボーイッシュな感じが魅力的。男っぽいスタイルが良く似合う。

   〈行動の特徴〉
 スポーツと野外生活が好きな哲学者。陽気な楽天家。旺盛な実行力。激しい熱狂性で事あるごとに大騒ぎをする。歯に衣着せぬ言葉で損をする。友人を容易に作る。高望みと大風呂敷、教養があるにも関わらず無作法。野心を失うと人が変わった様に脆くなり臆病となる。
・・・以上人馬宮(射手座)の象意からサジタリウスの肉体に付随する特徴

   〈本命象意: 双児宮(辰宮: ジェミニ)の特徴〉
 精神の高揚と自己顕示欲が特徴。変異に富んだ流動的な二重気質(子供と大人の両面の顔を持つ)。少年の心を卒業し、稼働し始めた大人の心を現す。自己顕示欲(虚栄、恰好付け)、感性の鋭敏さ(気配り、親切)、何事も齧ってみたい好奇心(博学多芸多才と飽きっぽさ)、姑息な嘘と根の素直さ、詩心と恋心、慢心と羞恥心、完璧主義といい加減さ(無責任)など、今一、大人になり切れない未熟な気質を合わせ持つ。「良い人」を繕おうとする仮面の自分、だが仮面の内側にあるのは自己の醜き骸(むくろ)、欲望と理性、夢と現(うつつ)、本能と意志といった精神次元の狭間で葛藤する悩める魂。大人の顔を望む若者の背伸び。
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 6)  巳刻(蟹座刻)
  時節: am12:00〜pm14:00
  月節: 6月22日〜7月22日
  象意: 山羊座(亥)反転象意

   〈容貌〉
 青白く痩せた顔。こけた頬と細い顎。鼻はややうつむく。口の両側に長く刻まれた皺(しわ)、耳たぶに欠点か不足がある。小さい特徴のある耳。暗い小さい目。眼光は弱々しいが妖しい魅力がある。絹毛の様な細い毛髪。早く白髪になりやすい。

   〈容姿〉
 小柄で痩せている。病弱な感じ。骨、手足の関節が目立つ。乾燥した皮膚。小さく平たい胸。手足は伸び伸びしている。膝に弱点を持つ事がある。変な歩き方。女性は小柄で痩せ型。美人とは言い難いがクラシックな気品のあるタイプ。

   〈行動の特徴〉
 生真面目さと忍耐強さ。持久力のある行動。用心深い。几帳面。仕事は確実にやり遂げる。控えめな野心。感情の冷め切った理屈っぽさ。倹約家。哀れっぽい外見であるが、内心の誇りは極めて高い。どもるか確定的な言い方。恨みを長く持ち続ける。落胆すると憂鬱になり、周囲の人間を暗い気持ちにさせる。
・・・以上磨羯宮(山羊座)の象意からキャプリコーンの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 巨蟹宮(巳宮: キャンサー)の特徴〉
 社会意識の芽吹き(現れ)が特徴。自己が所属する環境(家庭や世間や社会や国家など)を意識して、それらに対する帰依心(一員である自覚)と貢献心を持つ。燃える様な情熱と気概と懸命さ、信心深く控えめな人柄、人情味溢れる愛情、分別が感じられる慎重な言動、親孝行や隣人愛、理論と行動の一致、義務と責任の遂行など、大人の片鱗を伺わせる基質が特徴。なぜ世の中に害毒を撒き散らす非常識な人間がいるのかよく分からない。なぜ人々はもっと協力し合わないのかよく分からない。良き伝統や社会道徳を守らんとする忠孝の士。あるいは我城を築かんとする独立の魂。典型的な感覚人間。運動能力は良。
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 7)  午刻(獅子座刻)
  時節: pm14:00〜pm16:00
  月節: 7月23日〜8月22日
  象意: 水瓶座(子)反転象意

   〈容貌〉
 卵型の美しい顔。知的な顔立ち。最もヒューマンなタイプと言われている。よく発達した四角い額。歯並びも美しい。澄んだ皮膚とクリーム色の顔色。恐れを知らぬ眼差し。暗い目、しかし磁力的な魅力に富んだ目。毛髪には光沢があるが、突然白くなる傾向。

   〈容姿〉
 最も高度に人間らしい形体を備えたタイプと言われる。概して美男美女。中肉中背。均整の取れた体格で強靭。中年以降は次第に肥満する。大きな丸い頭部。知性の滲み出る言葉と動作。理性でコントロールされた行動。

   〈行動の特徴〉
 ヒューマニズムと友愛精神。時代を先取りする先見力。科学的で発明の才能。衣服や髪型にエキセントリックな趣向が現れる。友好的でいながら個人主義。独特の生活方針を持っている。友人に助言する事を好む。反抗心が過度に現れると異常性を帯び、危険な革命家となる。
・・・以上宝瓶宮(水瓶座)の象意からアクエリアスの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 獅子宮(午宮: レオ)の特徴〉
 精神の開放と帝観(帝王観)が特徴。帝観とは山の頂から下界を見下ろす意であり、登りの成長行程と下りの衰退行程の中間点に当たる山頂に到達した事を指す。人生において最も盛んな時期(一年で一番暑い時期)を現している。大人として完成し、山の頂きに立った精神境涯を持つ。誇りと気位(プライド)の高さ、支配者としての実力と自信、揺るぎない信念と理想、頭脳の明晰さと気力の充実振りなど、社会や国家を導くに足る堂々たる資格を持つ。無論、欠点だらけの不完全生命であるが、本人はそう思ってはいない。俺の右に出る者はいないと自信満々だから手が付けられない。社会の玉座に君臨する帝観の獅子、あるいは自己陶酔と過信、増上慢の権化、陽の当たる表舞台で主人公を演じたがる王道の魂、あるいはその夢を追い駆け続ける誇大妄想患者。運動能力は良。
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 8)  未刻(乙女座刻)
  時節: pm16:00〜pm18:00
  月節: 8月23日〜9月22日
  象意: 魚座(丑)反転象意

   〈容貌〉
 幅の広い青白い顔。大きな平たい鼻。弛(たる)んだデリケートな皮膚。目は大きく突き出ている。艶のある潤んだ目。眼光は弱々しい。眠たそうな瞼。毛髪は波打ってたっぷりしている。

   〈容姿〉
 短身で柔らかい肉体。だらしなく弛んだ肉付き。意外に丈夫な体。腕と脚は短い。小さい手と病的に大きな足。例外的に細身で端正な、アラバスター(雪花石膏)の様な皮膚を持つタイプもある。前屈みの姿勢。ブラブラとぎこちない歩き方。

   〈行動の特徴〉
 強い同情心と感傷性。直感的に物事を理解する。教えられた事はよく覚える。責任の重過ぎる仕事には耐えられない。秘密を持ちやすい。憎めない嘘を付く。心配症、ふさぎ込む癖。静かな環境に一人でいたがる。自堕落に時を過ごす。何かの習慣が身に付くとそれに耽溺する。酒色や薬物に溺れる。悪習慣が身に付くと怠け出し、向上心を無くしてしまう。自己犠牲を喜ぶ。
・・・以上双魚宮(魚座)の象意からピーシーズの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 処女宮(未宮: バーゴ)の特徴〉
 初老感と衰退感が特徴。乙女座の名とは正反対に現役を退いた隠居老人を指す。欲望の減滅と世俗離れ、分別や識別などの判断力の高さ、怜悧な観察眼と分析力、誇り高き自尊心、気力の減退と非戦闘意欲、消極性と閉鎖性、人嫌いと孤独性、神経疲労と神経衰弱、冷めた情感と気難しさ、白か黒か割り切って結論を下すなど、老人特有の傾向を示す。社会離れと排他主義、無為自然との調和と自己の終活に対する焦燥感、日陰の舞台裏で一人高揚する来世に生きる冥報の魂。運動能力は可。
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 9)  申刻(天秤座刻)
  時節: pm18:00〜pm20:00
  月節: 9月23日〜10月23日
  象意: 牡牛座(寅)反転象意

   〈容貌〉
 広い額と小さな顎。男性的な容貌。眉は濃くハッキリしている。揉み上げが濃い。男性は剃り跡が青い。首筋は筋張って長い。血色の良い赤み掛かった顔色。赤い唇。髪の毛は薄い。目は細くて小さく敏捷に動く。情熱を込めた眼光はいつも遠くを見ている感じ。

   〈容姿〉
 筋肉質の丈夫そうな肉体。中肉中背。脂肪は少ないが、骨格が発達しているので肥大して見える。厚い肩、足はスラリと長く、軍人の様な勇壮活発な歩き方。

   〈行動の特徴〉
 精力が体に漲っているという感じ。絶えず次の行動に移る用意をしている。行動力旺盛で、衝動的でさえある。物事は短時間のうちに片付ける。しばしばスピード狂。規律を作ってそれを守る事を喜ぶ。断固として自分の主張を押し通す。自分の事ばかり話したがる。主導権を握ったり相手をリードしたがる。睡眠時間は少ない。
・・・以上白羊宮(牡羊座)の象意からエリーズの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 天秤宮(申宮: リブラ)の特徴〉
 老年思考と成仏感が特徴。生きながらにして棺桶に片足を入れた様な老年期の生命段階を意味する。礼儀・道徳・人道を弁えた紳士淑女で、調和的かつ均衡を図る平和思想なのが特徴。対立(相反)する両者の中間中庸を取る妥協策を重んじる理由から「天秤(調停)」と呼ばれる。私利私欲にとらわれない公平な審判員と言いたいところだが、そんな神様の様な生命はごく稀な存在で、死期に及んでもなおかつ自己に有利に判決をねじ曲げるのが人の世の常、この生命の欠点は人を操作する狡猾さと意地悪さと権力欲と名誉欲、老年期の生命は神様に近い存在だが、まだ欲得にとらわれる現役の生命、欠点だらけである。しかし、自己主張が少ない愛すべき穏健さや老練な審美眼と判断力、多少請け売りの月並みな発想でも社会貢献になるものである。あの世からの救済を待つ身の上の、欲望の浄化を迫られる修行僧というのがこの生命の特徴である。運動能力は不可。
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 10)  酉刻(蠍座刻)
  時節: pm20:00〜pm22:00
  月節: 10月24日〜11月22日
  象意: 牡牛座(卯)反転象意

   〈容貌〉
 ゆったりとした肉質の丸い顔立。顎は角張って重々しい。額は丸い。鼻は丸いかずんぐりとしている。唇はポッテリ厚ぼったい。首筋は太くて短い。丸く見開いた訴える様な可愛い目。しばしば童顔。女性はぽっちゃり型の美人。髪は野性的で、たっぷりとして美しい。

   〈容姿〉
 首筋に特徴があり、頑丈そうながっちりとした体つき。ゆっくりと歩く。足は痩せていて小さい。全体として力のこもった重厚な感じ。女性は均整の取れた丸い柔らかな体つき。年を重ねると太る傾向。

   〈行動の特徴〉
 継続性のある鈍い動作。我慢強く不屈の忍耐力で物事をやり遂げる。愛すべき温和さ。人を理解出来ない頑固さ。自分の思想を堅持する。時間は掛かるが一度決定した事は容易に変えない。食べたがる、欲しがるなど欲望が強い。人の持ち物を羨ましがる。
・・・以上金牛宮(牡牛座)の象意からトーラスの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 天蠍宮(酉宮: スコルピオ)の特徴〉
 霊感と無明感が特徴。肉体の死後に霊体と変じた生命行程の人間意識、死後の第一段階で、「法身期(ほっじんき)」の生命と言われる。物事に対する執着心と諦め(達観)が交差する不可思議な人格。人間とは思えない底知れぬ精力と集中力。不屈の闘志と復讐心。相手を見抜く鋭い眼力と神秘な霊感力。まるで司法局の長官の如く人間の罪を裁きたがるのは欠点。何かに集中していなければ宇宙の果てに飛ばされてしまう様な離脱感、希望の明かりが見出せない無明感、生きている実感を掴もうとする燃える様な執着心、自分が何者で何の為に生きているのかよく分からない。漆黒の闇夜でさすらうあの世の魂の叫び、この世で迷走する不成仏の怪物、人々から敬愛されて初めて成仏に至ると言われる応仰(おうぎょう)行程の修行僧。運動能力は良。
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 11)  戌刻(射手座刻)
  時節: pm22:00〜am0:00
  月節: 11月23日〜12月21日
  象意: 双子座(辰)反転象意

   〈容貌〉
 細長い幅の狭い顔。頬骨が高く、こめかみが削(そ)げている。鼻は高くて真っ直ぐ。何か暗い感じのする顔色。額は広い。年を取っても若々しく見える。大きな目はキラキラと艶を帯びている。素早い目の動き、あるいは落ち着かない目つき。髪は綺麗で直毛。禿(はげ)にはならない。

   〈容姿〉
 背は高く痩せ型。全体として体重不足のひょろ長い感じ。なで肩で華奢(きゃしゃ)な感じ。腕指と足指もほっそりしている。素早い動作だがすぐにくたびれる。軽快な歩き方。

   〈行動の特徴〉
 いつも頭と手を同時に動かしているという印象。多芸多才で、相手の考えをすぐに読み取り抜け目が無い感じ。好奇心は強いがすぐに飽きる。興味の対象が移りやすい。全てが速過ぎる。相手の言葉を納得するのは早いがすぐに忘れる。深く考えない。信頼される事は苦手。ゴシップ好き。しばしば平気で嘘をつく。
・・・以上双児宮(双子座)の象意からジェミニの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 人馬宮(戌宮: サジタリウス)の特徴〉
 精神の空間拡散と魂の空間帰納が特徴。生命の最終段階に当たる意識の初期化行程にあって、応身期(おうじんき)の生命と言われる。物怖じしない堂々とした言動と貫禄、まるで神様の如き強烈な自尊心(人後に落ちずとするプライド)。計り知れない度量の大きさ、寛大さと慈悲心。深い智慧と優れた識別能力を示す。見識の高さと精神の奥深さ。意識する対象は常に国家・人類・世界・宇宙と大きい。世界が自分を中心に回っていると考える人類のカリスマ的な指導者。「宇宙=我」を地で行く。この世で最高に神聖な人か、もしくは最高に危険な人物。運動能力は優。
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 12)  亥刻(山羊座刻)
  時節: am0:00〜am2:00
  月節: 12月22日〜1月20日
  象意: 蟹座(巳)反転象意

   〈容貌〉
 丸くてふっくらとしたお月様の様な顔立ち。鼻も丸くて短い。二重顎。年を重ねると頬が垂れ下がる。小さく丸い潤いのある目。ぽちゃぽちゃした丸っこい感じ。色は白くむしろ青ざめた顔色。女性は愛嬌があって人を惹き付ける。

   〈容姿〉
 肥満体であるが案外と体重は軽い。締まりの無い水っぽい肉付き。上半身が発達し、下半身は細く弱い。だるそうに横向きに歩く。時にガニ股。いつも疲れ切った様子をしている。

  〈行動の特徴〉
 感覚的人間。理屈より感情で物事を考える。いつも動き回っている。家庭愛、祖国愛、社会愛に富み、自分が所属する団体に献身する傾向を持つ。伝統を守りたがるが珍し物好きのところもある。過去を懐かしむ。人の言葉をいつまでも覚えている。立腹すると殻の中に閉じこもる。感情の捌け口が見つからないと泣く。くよくよする。間食好き、立ち食いの名人。
・・・以上巨蟹宮(蟹座)の象意からキャンサーの肉体に付随する特徴。

   〈本命象意: 磨羯宮(亥宮: キャプリコーン)の特徴〉
 自己形成と魂の再生が特徴。人間を超えた宇宙の再来エネルギー体を現す。新しい生命循環の始まり原点とその回帰点。報身期(ほうじんき)の生命と言われる。超人的な感覚の鈍さと神経の鈍感さ。一点に対して集中して行く異常な強さ。目的に対する優れた集中力と完遂力、まるで種子の如き辛酸を耐え抜く忍耐力と偉大な持久力。あらゆる障害を乗り越える意志の強さと責任感の強さ。欲得が皆無で、群衆に受け入れられるカリスマ資質、相手の心を読み取る直感力、絶大なる心の許容量、まるで非人間的な機械、頭が良いのかパーなのか分からない、一見すれば単なる未完成な片輪人間。植物で言えば種子、天体で言えば星のコア、人間で言えば胎児以前の受精卵、宇宙から飛来した来世の種。次世をもたらす新しい生命体(報身体)の出発原点。運動能力は超度級に不可。
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生命哲学を持ちましょう

〈日常で使う生命哲学〉
 「命を生かす(生きる命)」と書いて「生命」、これは命という核になる存在(器=陰)に外側から生(活動=陽)を吹き込む作用の意味であり、つまり「命を生かす行為」が生命という言葉の本質だと言えます。一般的に生命の営みと言えば、肉体の命に意識(心)が作用して肉体を生かす行為の事ですが、内なる命に対して外側から生の息吹を与えて活動せしめる意味を表しています。その原理はべつに生き物だけの話では無く、蛍光灯という命に対して外部から電流を与えて蛍光灯を「輝かせる」行為と一緒、ボールペンや万年筆も、その容器に外から中身(インク)を注入しなければ本分の用事を足す事が出来ません。テレビという器があっても、電波という動的な主体物が吹き込まれなければテレビの存在意義さえ無いのです。生命とは「陰の命(静的な受容体)」と「陽の生(動的な作動体)」を合わせた複合漢字(生は動詞で命は名詞)であり、それは霊魂概念や魂魄概念と同じものであって、筋肉繊維のミオシンとアクチンの関係の如く、皆様には器(静的なレセプター: 命)と中身(動的なエフェクター: 生)の組み合わせで発動する正しい生命概念を身に付けて欲しいと思います。重要な事は「内側の命」と「外側の生」という構図であり、生の主体が常に外側に存在するという認識でしょうか。

 人間とは地上の肉体と天空の心(意識)から成り立っており、身体を動かす為の動力源や、自我意識の源である記憶の箱や、物事を思考する心回路は基本的に空の上にあって、地上の肉体や魂体とはいずれも受容体であり、空の上から映写される地上側のスクリーンに過ぎません。物理的に表現すれば、記憶を司るのは磁気(粒子磁気)であり、それはどちらかと言えば物質的なもので、静止物ですが、一方「生の当体」とは力学的なもので、動的な力の事です。肉体を良く観察すると、肉体そのものと、それを包み込む体魂(オーラ球)に分かれており、肉体は静的な陰、体魂は動的な陽と分類出来ます。一方、意識や心の側も良く観察してみると、意識の源である霊界位相(陰=静的なもの)と、その被写体である心回路の可動帯(ヌクヒブイ動帯: 陽=動的な物)に分かれており、地上の肉体側も、あるいは天空の意識側もそれぞれ陰陽の混合体から成り立っています。これは全ての事象が受容体と作動体の組み合わせで成り立っているという話ですが、陰の肉体と陰の位相には陰的な関連性があって、両者は基本的に磁気的な繋がりがメインですが、陽の魂体と陽の心には陽的な関連性があり、両者は基本的に力学的な繋がりで結ばれています。人間生命を構成する四つの基本要素(肉体、魂体、位相、心)を知らずして、目に見える肉体だけで全てを解釈してしまうのは「あまりのドンブリ勘定」、これでは医学も心理学も進歩しませんね。圧倒的な知識不足である事は勿論、哲理的(原理的)な追求が全然出来ていません。

 哲理的な追求がなぜ必要なのかと言えば、私ならば「地球という物体がなぜ回転(スピン)しているのだろう?」と疑問に感じると、「地球を回転せしめている力が何処から加わっているのだろう」と真剣に追求するのですが、西洋人の大半は事象を額面通りに受け取って、他の天体も回転しているのだから回転している事が当たり前なのだろうと判断し、本質の追求をなおざりにして、実用的な自転率や公転周期といった、形質の方を重んじてしまいます。天体望遠鏡では渦巻状のガス星雲が一杯観測出来るのに、回転の当体が空間渦である事を未だに認めようとしていません。もし人類がデカルト理論を受け入れて、空間渦を追求していたら、磁場重力(渦磁場の中心点圧縮力)を物体引力とは解釈しない筈であり、いとも簡単に反重力装置を作り出して、今頃は円盤に乗っていたと思われます。現代人は物事の本質や原理をトコトン追求する姿勢に欠如しているから、真理の壁を越えられない訳です。宇宙の原理原則は至ってシンプル、作用と反作用、原因と結果、受容と作動、雌と雄、右と左、内と外、これらは全て陰陽の両義に集約されるものです。「生物の自律運動を起こせしめているものは何か?」と追求すれば、目に見えない形而上の存在物を想定せざるを得なく、空間渦巻もそうですが、物質世界を包み込むアストラルの世界の入口に立てた筈です。

 人間生命の成り立ち構造を学んで、それを日常生活の中に取り込む事、それが今回のブログの主題なのですが、生命の営みを理解する事とは宇宙を理解する事と一緒であり、いやもしかしたらそれ以上に煩雑で難しい事なのかも知れません。なぜならば、人間自体が生きているのでは無く、天体から「生」を吹き込まれて生かされているのであって、その様な意味では地上の生物とは天体運動の化身であり、地球(渦磁場)そのものである事を認識して頂きたいと思います。肉体の命を稼働させているのは生体電流であり、それは地球霊界の各人の位相からズザネ管を通して地上の肉体に伝達されているものです。もし命のコードであるズザネ管が切断されれば、自律神経電流が一瞬で途絶えてあなたの肉体は瞬時に絶命します。無論、あなたの肉体が死んでもあなた自身が消滅してしまう訳ではなく、あなたはもともと位相内の電子バイオン意識(霊体意識)、地上に誕生する以前からあなたはそこにいる訳です。位相と肉体が繋がっていれば最低限「命の維持」は出来るものの、それだけではただ植物状態で寝ているだけ、立ち上がって活動する事は出来ません。肉体を自己の思い通りに操作する為には心活動が必要であり、心指令を受け止める魂体(オーラ球)が必要なのです。魂体には位相から繰り出される432本のタボ線が入力されており、心回路(精神活動)を受け止める頭部魂オーブ核と、運動力学的なパワーを受け止める腹部魂オーブ核が存在しており、魂体が肉体の運動を司っている訳です。

 如何なる生物にもオーラ球が存在し、当然蝶にもバッタにも鳥にも存在しています。西洋ではオーラ球を「精霊」などと呼んでいますが、早い話が蝶が死ねば蝶の霊魂体になるのであって、肉体が無いのに昆虫の精霊は本能的にお花畑に集まる事から、罪の無い可愛い存在であると思われている様です。オーラ球の中を覗き込むと、昆虫用の小さなオーブ核が存在し、オーラが消滅してもやや暫くオーブ核だけが野山に浮遊しており、それを「こだま」と呼んでいる方もいます。人間のオーラ球は直径が2m大のもので、それは86本の電子線から成り立つ電子磁気のボールです。それに対して人間のオーブ核は力学的なボールであり、頭部魂オーブが3cm、腹部魂オーブが7cmというサイズであって、磁気的なものは太陽光で光って見える場合がありますが、力学的なものは写真の感光板やビデオでも明確に捉える事が出来ます。私は良く霊魂体(別名は幽霊)を手で捕まえてジロジロと観察するのですが、頭部と腹部にオーブ核を備えており、それが光って見えます。また霊魂体そのものはオーラ球であり、生前の磁気残像を残していて、それが女性なのか男性なのか見分けが付きます。それよりも霊魂体は喋るので、「お前の名前は何だ」と問いただすと「お前に関係無いだろう」と生意気な返答が返って来ます。霊魂体(オーラ球)の寿命は130年、オーラ球からズザネ管を引き抜くと36時間で消滅し、二つのオーブ核だけが空中に残ります。

 ところで人間の肉体が死ぬと、2時間後には死体から霊魂体が遊離します。その瞬間を目で確認した方も多いと思われますが、死体の周辺空間がかげろうの様に揺れて、何者かが屍から抜け出して来るのです。それがいわゆる霊魂体なのですが、霊魂体に関する専門的な知識も日常生活では必要である事から、その実践知識も磨いた方が良いかも知れません。如何なる生物も魂体を備えており、魂体は魂体なりに生きていて、主人(霊体)とは異なる別人格を持っています。生前、自己の魂体とは良く会話して意思疎通しておく事が重要であり、その性質が自己の性質だと思っていたら魂体の性質だったという場合もあります。魂体(オーラ球)は肉体とは別の存在であり、誕生して生を得てから(ズザネ管接合)僅か数分後には形成されるもので、その造り主は位相霊体であって、他ならぬ自分自身です。オーラ球が形成されると、魂体の内部には肉体の形状に沿って頭部魂と腹部魂が形成され、年齢を重ねて段々賢くなってくると、魂体とはデジタル魂通信法で喋る事が出来ます。昔の武士は背後に目が無い事から、魂体に「背後を守れ」と命じており、相手が後ろで刀に手を掛けた瞬間に主人に知らせていました。訓練と集中力で主人の感覚と魂体の感覚が一枚岩になっており、魂体が主人と一緒になって戦っていた事が良く分かります。

 これは魂体とその主人との関係の話ですが、私は肉を食べたいと感じた時には「今はお前が望んだ事か?」と聞くと、魂体は「ウン」と答えます。「肉が食べたいんだな?  だったら今日は焼き肉でも食べに行こうか」と言ってやると大喜びします。反対に「お金が無いから食べられないわ、我慢して」と言うと、彼は落胆するのです。私の場合は魂体に医学知識を教えているので、戦闘で医療団がやられている場合は「胃が痛いのだが、胃に何か出来ているか?」と尋ねると、「胃の内壁に潰瘍のチビが発生しています」と報告してくれます。「三箇所の胃ホルモンのうち、どこが詰まっているのだ?」と聞くと、「上部のホルモン腺です」と答えます。「ホルモン分子のラジカル癒着で詰まっているなら癒着を解いてくれ」と頼むとやってくれる場合もあります。魂体は基本的に24時間覚醒しており、魂眼で360度見渡せるので非常に便利、「今、ラップ音が響いたが、家に何か侵入して来たか?」と聞くと、「動物神のズザネ管です」と教えてくれます。「キツネか馬か?」と聞くと「いえ、マグロですわ」と教えてくれます。面白い事は魂体なりの人格を備えている事であり、「俺は女房を愛しているがお前はどうだ?」と尋ねると、「私は嫌いです」と答えます。「あー分かった、女房が嫌いなのでは無く女房の魂体が嫌いなんだな」「そうです」と答えます。

 魂体には位相に由来する生命型が存在し、型が合わない者は嫌いなのです。「ほんじゃ、俺と女房がスキンシップしている時はお前は嫌なのだな?」と聞くと、「イヤです」と答えます。これは教訓ですが、結婚する相手はなるべく生命型の合う相手を選びましょう。何十年連れ添っても、魂同士の型が合わないとSEXの際は異様な緊張感に包まれます。これから結婚する若い方は、体に触れてみて全く違和感を感じない相手を選んだ方が良いかも知れませんね。魂型が適合していると相手の体臭も気にならないもの、ベタッと触れ合って何時間も一緒にいても嫌悪感は何一つ感じません。当然、魂型だけで夫婦相性が定まる訳ではなく、別の要素が沢山ありますが、魂型は合わないよりも合った方が良いに決まっています。人間はアストラル眼を持ち合わせていませんが、魂体は両方の眼を使用出来る事から、普段から会話して仲良くなっている事が大事、結構頼りになります。携帯電話の11桁番号をいちいち暗記している方は誰もいないと思うのですが、魂体には子供の時からの正確な映像記録が残っている事から、番号を忘れた時は魂体から聞き出せるのでとても便利です。人間の記憶など宛になりませんが、魂記憶はマジの収録映像、これを訓練で引き出すのが「速読術」なのです。

 魂体と会話が出来る「デジタル魂通信法(イエス・ノー通信)」を訓練して、動物の魂体と会話する事も重要です。無論、猫本人の意識ではなく猫の魂体と会話するわけですから、猫の行動をこちらの思い通りにはコントロール出来ませんが、あらかじめ魂体に話しかけておれば、猫本人は敵だと判断して攻撃姿勢を取っても、魂体の方を先に言いくるめられていれば猫は実際に攻撃が出来ないものです。野生動物をコントロールする方法はこれが常套手段です。金魚などの魚類レベルは意識の発達率が小さく、多くは本能的に魂体の感覚に頼る事から、金魚の魂体を操作すれば行動自体をある程度制御出来ます。良く動物と会話出来ると言う方がいますが、動物の魂体に話しかけているだけの事、動物の主人とは会話出来ておらず、それは勘違いというものでしょうか。夫婦の場合、伴侶の魂体と仲良くなっておく事が大事、たとえブラジルに出張していても旦那の魂体とは連絡が取れるので、今彼が何をしているのか随時聞き出す事が可能です。伴侶の浮気を見破る一番良い手法ですが、家庭不和の一因とも成り得るので、互いに信頼し合う事が大事なれば、そういう姑息な手段には使用しない方が良いかもです。

 デジタル魂通信法などの心霊交信術では生きた生物同士が会話する事は出来ません。片方が死んで霊体になるか、あるいは両人とも死なないと原則的に会話が成り立たないのです。生物の肉体に宿った以上、アストラル世界とは隔離して、物質世界の目や耳や鼻で感覚を得る様に意図的にそうしているのです(物質世界の中でアストラル眼を持つと危険だから)。ただし、巫女などの特殊な役割を持った方には特殊加工を施しており、魂眼や位相眼でアストラル世界を覗いたり、位相同士を蛇腹管で接合して互いにテレパシー交信出来る様にしている場合もあります。一般的に、巫女は魂体からケーゼ管が伸びており、神々と直通会話が出来る様なシステムになっています。私自身は自分で勝手に加工して見れる様にしているのですが、アストラル世界はまやかしだらけの超危険な世界、見えないものが見えるのは甚だ危ない事であり、とても一般人にはお勧め出来ません。魔界神などの恰好の標的になるからです。動物や人間の魂体と会話する程度ならばまだしも、自身が魂眼や位相眼でアストラル世界を覗く行為は止めた方が良いでしょう。ただ、人間の場合はある年齢に達すると、耳の耳小骨が緩んで霊界音が聞こえ出します。年寄りの耳鳴りとは霊感音ノイズの事、それはあの世の世界へ一歩踏み込んだ事になります。

 さて、これは絶対に記憶しておいて欲しい事ですが、人間が肉体を失い霊魂体になっても、その霊魂体がその人本人であると思ったら大間違い、人間の意識当体はあくまでも位相(霊体)の中にあって、その霊魂体が取る行動や、話す言葉はあくまでも魂体意識の方なのです。肉体を失い大脳アンテナが無くなる為に、位相内意識が霊魂体の行動をコントロールする事が出来ない訳です。主人の制御力が無くなれば、当然地上の魂体が全面的に自己を出して来る訳です。死んだAさんの霊魂体だから、それは確かにAさんなのですが、実際のところはAさんの魂体の方であって、その魂体の言葉はAさんの言葉ではありません。死んだAさんは空の上の位相にいる訳であり、Aさんと交信を図りたいならば、地上の霊魂体ではなく位相の霊体の方と会話しなければならないのです。位相意識は間違いなく生前のAさん意識、でも位相意識の言葉といえども、霊体の言葉は生前の本人と一緒かと言えばそうではありません。人間期間の間は心回路に基づく理性的な発想をしていても、一度心回路を使用出来ない霊体になってしまえば、Aさんの意識は本来の本音しか語らず、そこには家族への配慮や思いやりなどが感じられない場合もあります。

 つまり、人間期間が終了し、肉体とおさらばしてしまえば、地上を流離う霊魂体も自分では無く、また空の上の霊体も生前の自分では無くなるという話でしょうか。心回路(外意識)を使わないと自己を客観的に顧みる事が出来ず、主観的な我へと変じてしまうのです。従って、地球霊界にはろくな霊魂体もいないし、ろくな霊体(神様)もいないというのが現実であり、高尚な精神作用を営める人間期間の方がよっぽど神様らしいと言える訳です。そんな実状を踏まえて、魂体をケイエ化し、魂体意識を停止させて、位相意識を魂体に反映させ、心回路でものを考えられる様にしたのが「銀河ケイエ魂生命体」であり、魂体の運動を心でコントロール出来る様にしたのが霊魂体宇宙人なのです。霊魂体なのに位相意識を持ち、心を活動させて思考に基づいた行動を取れるという大きなメリットがあります。とかく神様意識とは心回路とは無関係な客観性を伴わない自我意識、だから罪悪感も無く簡単に二枚舌を使ってしまいます。自己の言葉に責任を持たない生命体とは会話もしたくないし、また感覚だけの生命ならば、まともなお相手は出来ませんね。我々創造主軍団も、天体磁場は使用していないものの、内意識と外意識を備えた生命構造にしており、研究開発が出来る様な構造にしています。

 人間の人間たる所以は、天体の心回路を使用出来て、内意識(位相内意識)と外意識(心回路意識)という両意識を使える事です。自身を戒めたり、他と比較検討してみたり、恩義や礼儀に厚く、物事を振り返って反省する能力を持つ事が出来ます。そして毎日睡眠を取って、リフレッシュ、リセット出来るところが素晴らしく、向上意欲を絶やさない事が人間の最大の長所と言えます。遥かなるマクロ宇宙には外意識も使えない内意識だけの生命体がいて、研究開発など全く出来ないバイ菌まがいの下等な創造主も存在します。それを考えると「人間とは何と愚かな生命なのか、そして何と素晴らしい能力の持ち主なのか」と思い巡らす事も多く、我々としては複雑な心境でしょうか。生かされて来た事に感謝しろとは言いませんが、是非、自己の価値に気付いて目覚めて欲しいと思っております。ところで、アストラルも含めた人間生命の構造的な理解をちゃんとしていないと、西洋人の様に非科学的なアンポンタン行動を取ってしまいます。霊魂体や神々や悪魔に対して異常に脅えて、数学家や物理家が一番頭が良いと思い込み、また体の悪い箇所は何でもカンでも切り取って後は薬で治すという荒っぽさ、そして核爆弾の威力を崇拝するといった、何というお粗末な知能なのでしょうか。日本人は西洋文化を取り入れたから馬鹿になった訳であり、単純で粗野な似非文化は排除しなければなりません。生命という言葉が無く、それを「LIFE(人生)」と訳する様な連中と付き合っちゃ駄目ですよ、頭の中身が無いんだから。

 
〈知識の応用活用〉 
 この様な学問的な知識は最低限必要なものですが、この基本知識をベースにした実践的な応用知識こそ「生きた知識」、我々は生物霊界を築いて、生物進化を誘導し、心活動に基づく生命成長を見守りながら、日々肉体や魂体や位相や心回路の修繕や改良や保全に務めている者なれば、実践知識を豊富に持っている事は当たり前の話、その道のプロの情報を公開している訳です。少し言わせて頂きたいのですが、この世には「ただ(無料)」のものは無く、宇宙の真実の情報を入手するにも代価が必要です。我々のBLOG情報は受講料を取らない代わりに「魂胆」があって、これを読んで頭が割れた者だけを選定し、上(神々)の世界に連れて行こうとしています。つまり、釣りの餌撒きであり、餌に食いついて来ない者は基本的に要らない訳です(代価=人材)。無論、我々の知識は真実の宇宙情報であり、その真偽の程は読んだ読者自身が分かる筈だと思っています。曖昧な推測に基づく似非情報では無い事から、読者の皆様からは「大変難しいが信頼に足る」という評価を頂いておりますが、そもそも軍隊にとって嘘は厳禁、それは重犯罪なのです。ただ、我々の思惑通りに事が運ばない場合が多く(特に戦時下)、目標を語っても目標が崩れてしまう事もあり得ます。この宇宙には万能なる絶対創造主など存在しないのであって、誰もが私(わたくし)程度の修行僧でしょうか。私程度なら訓練を積めば誰でも、つまり貴方でもなれます。

 生命哲理が一般生活においてなぜ必要なのかと言えば、物事の道理的な理解の深さであり、全てに精通して納得し得るからです。例えば「認知症」や「躁鬱病」や「癌」という深刻な現代病にしても、正しい原因が分かれば治療も可能であり、多くの人々がこれらの病気にかかる理由は、その背景に放射線被害という公害問題があります。我々の医療団が認知症患者を診る場合は、認知症の原因が多岐にわたる事から、心回路の可動帯の異常かどうか、位相帯の異常によるものか、記憶障害に基づくものか、魂体の異常によるものか、あるいは純粋に肉体(頭部)の異常に基づくものなのか、それをまず見極めます。認知症の発病原因の大半が放射線被害である事は分かっていても、アストラル系の疾患が原因で発病する場合もあるからです。アストラル系が健全な場合は肉体の疾患によるものですから、我々にとっては与し易くなります。生物の体は基本的に電動機械、組織と組織を繋ぐ神経電線の接続が切れると、特に空の上の我と地上の肉体を媒介する「大脳アンテナ」の内部電線に異常が発生すれば、誰でも認知症となります。肉体ハードの故障は、早い話がテレビ受信器の故障と一緒、放送局(電波の発信元: ソフト側)の故障では無いのでターゲットを一本に絞れる訳です。

 これは創造主医学の専門的な話ですが、「大脳アンテナ」の発信出力は大脳電位を司る「ループ電線」であり、コリン電線がループしている箇所は、大脳全体を取り巻く「大脳コリンR電線」と、小脳全体を取り巻く「小脳コリンR電線」と、それぞれの分脳(右脳と左脳)を取り巻く「分脳ニューロンR電線」という四ヶ所です。これらのループ電線が生み出す電磁場の強度がアンテナ業務の基礎体力であり、万年電流が回転するここの電位が下降すれば、アンテナ出力に問題が生じて来ます(自己意識をしっかり保てない)。実はこの四大ループ電線の他にも、大脳の中心部(分脳領域内)には「辺縁系ニューロンR電線」「海馬系ニューロンR電線」「基底核ニューロンR電線」という独立した三つのループ電線が存在し、合計で七種類の有電位箇所が存在します。いずれも複数のコリン分子電線および複数のニューロン分子電線から成り立っており、それらの分線が何本切れたかによって大脳のアンテナ出力の高低が定まります。脳腫瘍や脳溢血やウイルス性脳炎などが発生した場合、それが自律神経電流が走る脳幹部の場合は命に直結して来ますが、その他の領域ではこの有電位箇所に発生しない限りは大きな支障は起こりません。

 一般に大脳皮質は地球磁場圏の第12磁界~第10磁界(精神階)と接続しており、また分脳の白質部は第9磁界~第7磁界(理性階)と接続しています。更に辺縁系は第6磁界と第5磁界(知性階)に接続し、海馬系は第4磁界と第3磁界に接続し、また基底核は第2磁界と第1磁界(本能階)に接続しています。記憶帯に関しては、辺縁系から発する「速簡記憶帯(数分間の記憶)」、オーラ球全体に広がる「簡易記憶帯(約1ヶ月間の記憶)」、位相の定軌道の下部に存在する「浅層記憶帯(3年間ぐらいの記憶)」、霊界位相に付随する「深層記憶帯(記憶の想起が難しい)」という合計4種類ですが、全ての記憶が4種類の記憶帯を順番に移行して行きます。いずれもスピーディーな現行認知を行う辺縁系に端を発しており、ここの電位が下降すれば10分前の記憶すら留めておく事が出来ません。こうした基礎的な医学知識があるのと無いのでは大違い、特に眉間を走る大脳全体を取り巻く「大脳コリン電線」は、脳の全体電位を生み出しており、携帯電話を直接耳に当てて1時間の長電話をすれば、数本のコリン電線が切断されてしまいます。60本のコリン分子電線のうち10本以上が切れてしまえば鬱病的な症状が出て来る事になります。

 我々は円盤に使用しているX線防御材で耳のコリン電線をガードしており、また携帯電話にもX線ガードを施しているので全く無害ですが、一般人の方は大変です。25本以上切れると運動障害(パーキンソン)が発生し、同時に認知症の症状が現れて来ます。頭皮に降り掛かるRAD分子、携帯電話やP/Cモニターから放出されるX線、背後から照射されるLED照明光、それらは大脳コリン電線を破壊するだけでは無く、眼球コリン電線を切断し、網膜細胞や視神経を破壊してしまいます。本当に「危険なんだ」と認識出来れば、対処法を考えるのが普通、危険な物は十分な距離を取って扱いましょう。眼鏡を掛けてP/C画面と向き合うのも一つの手段でしょうか。生命哲学を勉強し、それを黒板知識として学ぶよりも、実践知識として叩き込んだ方が早く、理解が深いのです。認知症の治療に関しては、コリン分子電線やニューロン分子電線を接合する分子加工技術が必要であり、また失った脳組織の代替えとなる人工脳細胞を用意出来なければ、脳の治療など原則的に出来ません。いちいち脳を切開していたら脳内電線をさらに切ってしまう可能性があるので、これからの未来医学はアストラル医学を学ぶ必要があります。

 我々の軍団が聖地に足を踏み入れてから既に10年近い歳月が流れており、8年前ぐらいからは独自の医療団や技術団を作って物質世界のよしなし事に対応して来ました。アストラルの医療道具が果たして物質世界に通用するものかどうか当初は不安だったのですが、研究に研究を重ねて新素材を開発し、対応して来ました。時には軍事技術を医療分野に応用して「溶媒カプセル」などの裏空間廃棄物処理法を考案し、身体に侵入したウイルスや回虫や毒物や危険化合物や放射性重元素や脳溢血の漏血などを人体の外に排出する手法を編み出し、また、電磁線を利用したアクオン分子電線育成技術も確立され、切断された運動神経の接続も可能になりました。無論、血小板再生治療法を用いて機能を失った臓器を復活させたり、あるいは救命医療ブース(赤血球の代わりに組織に酸素を送り込む装置)や、人工透析器や、人工心臓や、人工肺や、人工関節や、人工角膜なども開発しており、今では歯科以外の全ての医療分野に関して一端の医療行為が出来る様になっています。無論、治療対象は我々の仲間とその家族だけですが、一般的には奇跡と思える様な治療も難なくこなせております。

 皆様が知っているかどうかは分かりませんが、日本国は、北朝鮮から漁船員に扮した者による伝染病攻撃を被ったのですが、我々が事前に病原体を解析して、それを無毒化する予防バリアを国土全体に張り巡らせて、この攻撃を防御した事がありました。コレラ菌や破傷風菌や炭疽菌やマーズ・ウイルスや結核菌などの保菌者を漁船で流れ着かせたのです。彼等はVXガスなども開発していた事から、我々がそれに対抗する手段を講じた訳です。日本国に病原体ミサイルや毒ガスミサイルを打ち込まれても、誰も発病しない様に軍団が守って来た訳です。現在の日本国ではVXガスやサリンを打ち込まれても大丈夫、誰も影響を被る事がありません。べつに我々は皆様を守った訳では無く、我々の敷地を守っただけの話、その報復措置として、北朝鮮には火薬や核爆弾の材料や石油が摩耗してしまう溶解バリアを張りました。軍事的な戦闘力を失った北朝鮮が韓国やアメリカにすり寄って来たのは承知の通り、今度同じ様な行動に出れば、火球玉を投下して北朝鮮自体を焼け野原にしてしまうでしょう。聖地を攻撃して来るなど言語道断ですが、日本国民もボサッとしていたら駄目ですよ。ほんまに赤ん坊の様に手が掛かりますね。

 話が相当横道にズレてしまいましたが、皆様が何も知らないから我々は目を覚まさせようとしているだけの話、似非知識ばかりが巷に氾濫している昨今、そもそも何も知らない地球人が書いた本を真面目に読んでは駄目、専門書でも思想書でも教科書でも何一つとしてまともなものがありません。それとテレビ報道やニュース解説をまともに聞いては駄目、皆様が得ている知識は全て嘘まがいの似非知識であって、皆間違っています。信頼出来るのはスポーツの結果と天気予報ぐらいでしょうか。どの道、もう地球は間もなく終わりますが、早く閉じて整理をしたいのは山々なれど、中には毒されていない健全な人間もいる為に、我々はその選別をしなければなりません。低劣な西洋文明を軸にしたからこの様な結果となってしまったのです。付き合ったら駄目ですよ、外国人とは。ましてや遊びに海外へ出向くならともかく、留学なんぞしたら駄目でっせ、連中から学べるものなんて何一つ無いのですから。ブヒン!!

 

人は何の為に生きる?(6)

五つの判断力(五識)

 宇宙とは桜の木であり、生物とは桜の花びらだと言って、それで納得できる人間が一体どれほど居るでしょうか? しかし、植物を本当に良く知っている人ならば“なるほど”と思うかも知れません。動物の感覚神経が手足に集中している様に、植物の感覚センサーは主に枝葉に集中しています。なまじかの科学知識を持つ人間ならば、「植物に感覚神経は無い筈だ」と言うと思いますが、そんな事はありません。葉一枚一枚が高性能の立派なセンサーの役割を果しており、それは“おじぎ草”や“食虫花”を見て貰えば一目瞭然です。植物はその全体(植物球体)が中央センサーであるばかりか、特に鋭敏な部分センサー(葉のこと)を大量に持ち、外界のあらゆる情報を集めているのです。
無論、植物と言っても一生物に変わりはなく、その生命球体を操作する意識の当体は上空の地球磁場圏に存在し、その磁場位相(植物位相帯)は地表から上空高度約3000m付近まで広がっています。これは植物の意識層と呼ばれる階域ですが、個々の植物は皆、この磁場位相と連絡しており、その全体意識もそこに存在します。当然、それより上空は大脳アンテナを備えた小動物の意識層であり、その磁場より上空では植物は自然成長しません。山脈の頂上で植物が自生しない理由は、気温や土壌菌の問題以前の「問題」があるからだと言えます。
さて、目に見える形質を取り払って、磁場という本質だけで植物の生態を考察すれば、小さな磁場センサーを統括する中央磁場センサーが存在すると言うのが植物の肉体です。その構図はコンピューターの端末機(パソコン)とその情報連絡を統括する大型計算機の関係と一緒です。植物の場合は更に、その肉体を統括するフレーム磁場(心のこと)が存在しますが、最近ではコンピューター界にも大容量の中央フレーム計算機が登場し全体統括を引き受けています。
この様な「場」の観点から宇宙を眺めれば、宇宙そのものが超大な情報を集積する能力を備えたフレーム・コンピューターだと表現できるのであって、それに対して我々生物とは詳細な情報を集めて本体に送信する「高性能のセンサー・ロボット」だと言えます。宇宙的な規模から考えれば、地球や太陽や銀河の磁場圏など単なる中継コンピューターに過ぎないのかも知れません。つまり、宇宙を「桜の木」とすれば、生物とはやはりその「花びら」や「葉」に各当するものだと言える訳です。
ならば、宇宙にとって我々人間の使命とは一体何でしょうか? 端末機の役割は正確な情報を本体に送信する事であり、枝葉が本体に外界の情報を送る事によって、本体はその情報を分析し、どうすべきかを決定しているのです。例えば、外部センサーが雨を感知したら、根に指令を送って大量の毛細根を伸ばし、速やかに水分を吸収する準備をすると言った具合です。宇宙が一体何の為に人間を創造し、それに一体何をして貰いたいのか、正しく表現すれば、宇宙は何の為に人間にその意識の一端を吹き込むのか、その最大の理由がこの情報集積に有ります。
「エッ、 たったそれだけの話?」と貴方は思うかも知れませんが、これが一番重要な事なのです。貴方の意識は宇宙の化身であり、その全体意識の一端を形取るものです。貴方が今「宇宙とは一体何?」と考えているのならば、宇宙自身もそう考えているのです。「俺は一体何なのだ」、「俺はどうやって誕生しこの先どうなるのだ」その知りたいと願う内なる悲痛な叫び声を貴方は感じないのでしょうか?
桜の木を映し出す大きな鏡が存在すれば、自分がどの様な形態をしているのか納得できると思いますが、原則的に自己の姿を自分で見られないのが万物の宿命です。もし、人間がこの世にたった一人しか存在しなかったら、自分が人間である事も気付かなければ、また背が低い方なのか、太っている方なのか、綺麗な容姿なのか、まるで分からないものです。この世はたった一人では自分で自分を認識する事が出来ない世界なのです。それは植物も一緒であり、それが故に外部センサーの方から、客観的に自己を見つめようします。宇宙の意図はそこに存在します。
自分が何者か分からない宇宙は人間に意識を宿して、そこから客観的に自己を見つめているのです。だからこそ人間は「我を知りたい」と痛切に思い、宇宙の諸現象のあらゆる謎解きをして森羅万象を知りたいと願うのです。人類の大きな勘違いは「万能なる神」という人間模様を呈する架空の創造主を造り上げてしまった事です。「万能なる神」とは現実に存在するものでは無く、それはこれから人間が成長して行く「到達点」に過ぎないのです。確かに原始宇宙を奏でる創造主の当体意識(宇宙の統括意識)は実際に存在するものですが、それは今世の宇宙開闢(ビック・バン)と共に粉々に砕け散って、そのバラバラになった意識の一端を拾って生命が誕生して来るのです。不思議なことに、破壊は次の創造を産みだすものです。
今この宇宙には宗教で論じられる様な「万能神」など居ないことを、そして人間とはそれ自身がいずれ神に成長する為に、つまり創造主の当体意識を再現する目的で、創造されたことを知って欲しいと思います。従って、人類はただ神の救済を待つのではなく、自力で未来に至る道を切り開き、自力で無知を払拭して、自力で大道を歩み成長しなければならないのです。生死の輪廻を超越した(世代を超えた)【心の進化】こそ人間(宇宙生命体)に課せられた究極的な「使命=生きる目的」と言えるでしょう。
「人生の目的」を見失っている貴方に言いたい事は、個の意識に執着せずに、自己の心(生命)の深淵に潜む「宇宙の全体意識」に目覚めなさいと言うことです。単なる人間(猿)で生きれば、苦悩に喘いで徒に躊躇するだけの話ですが、我(われ)が宇宙である事に目覚めれば、何者にも左右されない堂々とした精神境涯を築けるばかりか、未来を一点に見据えた有意義な人生を送って、生を謳歌し生きる喜びを享受できるものです。別に、やり残したと後悔する必要は有りません。貴方が全てやってしまったら、後世の者の仕事が無くなってしまいます。人間が完全完成(万能神)するのは遠い未来の話、自分がある程度成長したら、次の世代の成長を導くのが、我々大人の義務なのですから。

宇宙意識を再現する心(生命)とは、肉体に憑依して自己の存在をRAM磁場で客観的に認知した「無知な天体意識」の事です。RAM磁場には潜在記憶が無く、如何なる生物も知識や経験を一つ一つ学習して成長して行きます。しかし、RAM磁場とは本体(地球磁場位相)と結合しているとは言え所詮「肉体の磁場」の意味、全ての判断作用は外ロムである磁場位相の方で営まれています。その磁場位相に定位置は存在せず、用途に応じて人間は瞬間瞬間その入力対象の磁場ソフトを変化させています。自己の意識を煩悩階ソフト(知性階もしくは感情階とも言う)に入力すれば、如何にも人間らしい判断能力と感情の発露が身に付きますが、そこで意識を囲っている限り欲望の制御が難しい階域でもあって、それが故に煩悩階と呼ばれています。

 

その人間の磁場位相(意識を営む小磁界)が今、地球磁場圏のどのソフト領域に同会しているのかで、本能的に反応したり、感情的に対応したり、理性的に振舞ったり、あるいは達観してみたり、生命の現れた方がまるで異なります。普段は理性的な人間であっても、相手や状況次第では露骨に感情を表す場合もあり、いつ同会ソフトを変化させるか分かりません。しかし、このソフトの使い分けには年齢制限が存在し、年を取った人間が低い軌道の磁場ソフトを長時間使用する(目線を下げる)行為は、位相の収縮(集中)の都合上大変難しく、原則的にいつまでも怒っては居られません。感情的な自我形成は神経を磨耗させるので、年寄りはなるべく楽チンなリラックス磁界である理性階ソフトを好む傾向にあります。年齢を刻むと自然に理性階ソフトを使用できる様になるのが、人間の最大の特徴と言えますが、当然この広域ソフト帯の選択は優秀な大脳アンテナを持つ生物の特権だと言っても構わないでしょう。
では、人間に取って一番大切な判断力(ロジック=頭脳性能)の向上は、どの様な成長段階を経由するものなのでしょうか? 無論、これは同会先の磁場ソフトの軌道の高低とも関る話であり、高い軌道になればなる程(膨張すればする程)、その分位相磁界の体積容量が増加し複雑な思考判断が可能となって、高次の哲理解析が出来る様になります。当然、年齢成長が未熟な若い生命体にとっては、物事の真偽を見極める「洞察力」や真理を解析する「識別力」は雲上の能力と言えるのであって、高い磁場ソフトに自己の位相を同会させる事自体が物理的に許されておりません。これは能力訓練ではどうにもならない壁が存在すると言う話であって、天才など存在しないと言う話です。

 釈迦仏法では生物の成長段階を五段階別に分類して、色(しき)―受(じゅ)―想(そう)―行(ぎょう)―識(しき)という五陰世間(五行差)に分けています。これは人間の成長段階を表すと同時に広義の意味では生物種の進化段階を表現したもので、陰から陽へと流転する物事すべてに当てはまる本質的なものです。生命論でも、生命体の判断能力の段階的な発現様相を五行分類しており、区別力(水)―類別力(金)―判別力(土)―分別力(火)―識別力(木)という五段階の要素で表現しています。
人間の子供が最初に発揮する能力は“区別力”であり、これは物事や事象の「程度」を直感的に判断する最も原始的な能力と言えます。赤ちゃんには明暗や上下や寒暖や甘辛の区別という単純な区分けしか出来ず、それは生物以前の物体(粒子)が極平均的に有する能力であって、極めて肉体的かつ本能的なものです。磁場ソフトで表現すれば、地球表層の第2磁層に各当し、そこは大脳を持たない下等生物や物質の意識層を司る磁界領域だと言えます。赤ちゃんの心の領域は地上高度が数百mの軌道付近に存在し、それは高等植物の意識層よりも更に低い菌類の意識層で自己を形成しています。
それに対して、幼年期から少年期にかけて発揮して来る能力は比較対象ができる“類別力”であり、これは一群の中から目的の物だけを選択できる能力のことです。赤ちゃんが食べ物とその容器の類別が付く(違いが分かる)までには大した時間は掛かりませんが、子供が文字や言葉の類別を学習して、テレビ・ニュースの類別が出来る様になるには、結構な時間が掛かります。それが政治ニュースなのか、それとも単なる事件ニュースなのかの判断力は、学習して知識を積まなければ類別できません。

 

人は何の為に生きる?(5)

宇宙と生命

 宇宙の本源的な存在物である重水素ガス、その均一均等な単体ガスが集約されて数多(あまた)の物質が誕生して来ることは承知の通りです。我々生物の体も、浮遊岩石も、また惑星や太陽という天体も、目に見える宇宙物質は皆あまねく共通の水素ガスから構成されています。たった四種の基礎素粒子(陽子、中性子、陰電子、陽電子)から成り立つ重水素ガスを母源基盤として、無量大数とも言える万物種が創造される物質界の神秘は、たった四種の基礎有機物(アデニン、グワニン、チミン、シトシン)から成り立つ遺伝子(DNA)を母源基盤として、無量大数とも言えるタンパク種が創造される生物界の神秘と全く一緒です。その原点は極めて単純なのに、“一体なぜ”かくも宇宙は複雑に分派し多様な様相を呈しているのでしょうか?
巨視的な識別分類を行えば、全ての物質は始めの母源物質から誕生し、分派成長すると考えられ、素粒子単位―原子単位―分子単位―化合物単位(無機物)―基礎有機物単位―有機物―細胞単位―組織単位―生物という「物質進化」の行程を歩んでいるものと思われます。物量的な分析をすれば、元初の素粒子単位が一番多く、高等になればなる程その絶対量が希少になる事から、食物連鎖の三角ピラミッドを彷彿とさせます。この「物質進化」の潮流とは、生物進化のフレーム基盤を成すものであり、その底流に従って生物は「劣」から「優」へと進化して来たものと考えられます。これは物質進化の潮流が生物進化を誘発していると言う話ですが、それ以前の問題として、宇宙全体がミクロ(陰)からマクロ(陽)へ向って膨張運動(陽化運動)を起しており、万物の運動があらかじめ定められた方向性(陰から陽へ向う)を持つものだと言う話です。
極小の素粒子にも、また一塊の岩石にも、あるいは一人の人間や人類全体にも、定められた方向が存在し、個々の都合とは無関係に強制的かつ必然的に、とある方向へと流されます。過去(陰)から未来(陽)へ向かって時間が一方的に流れる様に、あるいは子供(陰)から老人(陽)へ向かって人生が一方的に進む様に、生物も物質も戻ることの出来ない一方通行の片道行程(陽化行程)を歩んでいます。その全体潮流の存在認識が甘ければ、進むべき方向性を見失って軽挙妄動の世界を築いてしまいます。
宇宙空間に浮遊する一塊の岩石(無機物)をどんなに丹念に定量分析した所で、岩石は岩石、どこの岩石もほぼ一緒であり、それ以上の事は何も分かりません。しかし、岩石がマグマの冷却から誕生し、そのマグマは星のコアから誕生すると言う、岩石成長の経緯を知っていれば、それが惑星爆発の残骸であるのか、それとも宇宙空間に発生した岩石渦系のチビ・コアが冷えて誕生したものなのか、別角度からの考察が可能となります。そして岩石が有機物へと進化する方向性を孕(はら)んだものだと認識しておれば、その主成分である酸化ケイ素の分子骨格やケイ素そのものの原子核骨格と電子軌道が、有機物(炭素)のそれと極めて酷似している事に気が付くでしょう。ならば有機物の構成素材因子(CO2やCH4やNH3)がどこからどうして誕生して来るのか見当が付く筈です。
物事を解析するに当たって、科学者の様に表面的な情報をいくら集めた所で、何の問題も解決しません。それと同様に、人生の意味や価値を知りたいと願って、様々な生活情報を入手した所で、何の役にも立たないものです。重要な事は、全体潮流の認識であり、今現在“自分は人間をやっている”が、その昔は猿をしており、更にその昔には爬虫類や魚類をやって、またそれ以前は下等な菌類や単なる物質をやっていた事を認識する事でありましょう。例え人間の遺伝子を持っていた所で、いきなり人間には進化できず、万物は段階を経て成長して来るのです。その成長途上に自分が在る事を知れば、個の存在価値などどうでも良い話です。

 さて、進化の潮流の話からガラリと豹変しますが、およそ物を創り出す(生み出す)と言う作業を考えれば、最初に創作者の何かの「意図」が必ず必要となります。それは電化製品の創作でも、絵画や陶磁器の創作でも、あるいは子供を創るのでも同じ事であって、宇宙と言っても例外では有りません。その様な意味では、創造主は必ず存在するものですが、それが俗に言われる神なのかどうかは分かりませんが、少なくても宇宙そのものが「生物」を創造したいと言う「意図」を持っているから、その意図に従って物質進化が起こり、生物が誕生して来ることは確かな事です。宇宙は一体どの様な手段で生物を創造し、そしてそれに一体何を望んでいるのでしょうか?
芸術家が食べる目的の為にただ絵を描いているとは思えません。ちゃんと食べたいのなら一般の仕事をした方がより確実です。一枚の絵画に入魂する彼等の思いは、創造主のそれと同じであり、最終的な完成品を目指して生涯絵を書き続けます。描いた作品の内、その多くは不満足な未完成品であり、たった一枚の完成品を生み出す為に、その途上生産物を延々と書き続けます。これで満足という一品をなかなか創作できない彼等の宿命的な悩みと言えます。これは現在のプラズマ・テレビを生み出すまでに、一体どれほどの技術者が頭を悩まし、不満足な途上生産物(旧型のテレビ)をどれほど生産して来た事か、それと一緒の話だと思われます。
宇宙(創造主)が一人の人間の様な明確な意識を持っているとは思えませんが、少なくてもここが一つの巨大な「生命生産工場」であって、大量の生命を創造しては、篩(ふるい)にかけて選定している作業場である事ぐらいは、誰にでも想像が付くと思われます。果して我々地球人が宇宙の本願了受に相応しい理想の創造物なのかどうか、その行末の結果は遠い未来でなければ分かりません。高等であれ下等であれ、我々は未だ進化の途上段階に在って、地球磁場圏すら自力で出た経験がない人間以前の胎児宇宙人、成長して完成して見ないと結果は分かりません。いずれにしても、我々は心の広域ソフト帯をフル活用できる高等生命体の一種、科学の発達は不十分ながら、宇宙や生命を理解でき得る優れた感受能力を潜在させている事は確かなことです。

 ところで、人間を物質(肉体)の観点から見て優秀か否かを判断して来ましたが、もっと具体的に言及すれば、上空の心と直結する大脳アンテナの潜在能力が優秀か否かで勝負が決まってしまいます。宇宙生物は別に大脳で考えている訳ではありませんが、アンテナの発達が不十分だと、心の広域ソフト帯を任意に選択することが難しく、低い磁場軌道の単純なソフトしか使用できません。その状態では言語を使用する事も、また文字を判読する事すら難しく、理論的な考察が全く出来ません。理性階ソフトに入力できなければ、知識を吸収しても客観的な判断能力など身に付かないものです。
しかし、優秀な大脳アンテナを有していても、年齢成長がその使用レベルに到達していなかったり、また思考訓練が全くなされていないと、折角の潜在能力も意味を失ってしまいます。別に理性階ソフトを使用しなくても、一般的な思考(知性階レベル)は普通に出来ることから、必要と感じない人間も居ます。その結果、優秀な人間はどこまでも優秀になるが、馬鹿な人間はどこまで行っても馬鹿という能力格差を生んでしまいます。人類の全体的なレベル・アップを目指すならば、大脳をフル活用する為の一貫した教育体制(能力開発システム)が必要となります。
承知の様に、百科事典を丸ごと暗記した所で、その吸収した知識を活用できなければ何の意味も無く、単なる物識博士(クイズ王)で終わってしまいます。理性階ソフトとはメモリーする場所の意では無く、ロジックを営むソフトであって、頭脳を縦横無尽に操作して判断する場所と言えます。人間の頭脳の良し悪しは、メモリー容量ではなくロジック容量で定まるものであり、それはコンピューター性能の良し悪しと全く一緒です。人の理論や仮説をただ棒暗記するならば、それはコピーしている行為と同じ、自分にとって何の進歩も有りません。重要な事は、自己の理論を自力で組み立てられるかどうかであって、その為には理性階ソフトを使用しなければならないのです。

 

 

 さて、宇宙生命にとって、大脳アンテナの発達の程度はその星によって異なりますし、またその生物の成長度(進化度)によっても異なります。しかし、地の因縁物(肉体)には多少の差は有っても、天の因縁物(心)は極めて平等なものです。どの惑星にも磁場の「四階十二層」は存在し、理性階ソフトも精神階ソフトもちゃんと備わっています。それを言えば、肉体の形態だって我々とほぼ一緒であり、同じ材料(有機物)を使って酷似した惑星環境(水の惑星)の中で進化の末に創造される為に、同じタンパク骨格の類似したDNAを備えた有酸素系の肉体を有しています。無論、眼もあれば指もあって、同じ様な大脳アンテナを備えており、SF小説に登場して来る様なケイ素人間とか昆虫人間と言ったとんでもない生命体など存在する訳も有りません。文明や科学の発達度には、多少の差はあっても、潜在能力はどの異星人も似た様なものと言えます。
例え異星人であっても、考える事は地球人とほぼ一緒、「宇宙とは何か」また「生命とは何か」に奥悩し、生と死を見つめて「人は何の為に生きるのか」と苦渋の人生を送っている筈です。その普遍の永久命題に対して、ある程度の答えが出せる様になる為には、宇宙の一般常識的な科学知識を取得して「無知」を卒業していなければならないのです。生命の根幹も知らずして、その命題に正しい解答が導けるとはとても思えません。宇宙の成り立ちも知らない人類に、宇宙を語れる訳もなく、また宇宙を知らなければ生命の本質を語れる訳も無いのです。
宇宙とは別に地球の外側に存在するものではありません。この地球自身が他ならぬ宇宙そのものである事を知って欲しいと思います。そもそも宇宙には在って地球に無い物など存在しません。これはこの地球を正しくちゃんと理解すれば、宇宙全体が見えると言う意味であり、物事の原理はマクロもミクロも必ず一緒です。我々の肉体こそが宇宙そのものであり、それはむしろ本物の宇宙よりも複雑かも知れません。一人の人間の潜在能力は巨大意識(磁場の縦界層)として大宇宙に通じており、その能力の僅か数十パーセントを発揮しただけでも、今の人類全体の能力の総和よりも遥かに凌ぐものなのです。人間にそんな能力が在るとは思わずに、自己の本来の姿にも目覚められないまま、地上の猿を演じているのが、地球人だと言っても構わないでしょう。他ならぬ自分自身が宇宙である事を知って欲しいと思います。

我々人間の正体とは、猿の肉体に憑依しそれを操作している所の「高等磁気生命体」と言うのが真実の姿です。誕生直後の猿の赤ちゃんを磁化して「仮の姿(人間)」を宿しますが、我々はもともと肉体を持たない宇宙の「高等霊体」なのです。その「意識霊体」が人間の子供として目覚め成長の途に着き、徐々に我本来の姿に気が付いて行くと言うのがシナリオです。死とは肉体の死に過ぎなく、我々の生命とは死んで消滅してしまう様な性質のものではないのです。
猿の肉体と合体する理由は、優秀な肉体(感覚センサー)を手に入れる為であり、より正確で確実な情報を入手して自分自身が成長する為です。宇宙の「意識霊体」はいわば虚像であり、自分で自分の姿を見る事が出来ません。そこで生物を介して生物の目から客観的に自己を見つめると言う手法を使います。今、貴方の子供が産声を上げて誕生した事を考えて見ましょう。宇宙意識の一端が貴方の子供に宿り、その子はうっすらと目を開けて、“ここはどこだ”、“俺は誰だ”と考えているのです。それは宇宙自身が目を開いて、我に目覚めた事になるのです。子供は親の姿を認知して自分がこの親の子である事を知りますが、それは宇宙意識の一端が目を開いたに過ぎず、確かにその肉体は親が遺伝的に産んだものでも、その子の心は天から授かったものなのです。親はその子が自分の子供では無いことを知らねばなりません。無論、親も宇宙であれば、子も宇宙ですが。
宇宙とは、例えるならば「桜の木」だと言えます。そして生物とは「桜の花びら」に各当します。桜は「桜の木」よりも「桜の花びら」に象徴され、それが受粉して次世の桜の木(宇宙)を産み出します。遠視眼的に考察すれば、結局「桜の木」も「桜の花びら」も桜である事に変わりはなく、桜の成長物語の全ては桜自身が自作自演しているものです。我々人間とは一輪の「桜の花びら」に過ぎないのに、「自己の存在意義」が在るとか無いとか騒ぎ立てています。まるで自己(花びら)と宇宙(木)が別種な存在物かの様です。少々、自己顕示欲の発達した花びらに言いたい事は、「自分が一体何者であるのか、その本当の姿に気が付きなさい」と言う事です。小さな花びらとして一生(開花期間の一週間)を過ごすのか、それとも自己が全体=桜(宇宙)である事に目覚めて、桜の木の生涯(宇宙開闢期間)を歩むのか、貴方ならどちらを選択するでしょうか?

 

次回に続く

 

人は何の為に生きる?(4)

食欲と性欲

 ソクラテスは「己の無知を知る」ことが学問の始めであると説きましたが、考えて見れば「無知」ほど恐ろしいものはこの世には存在しません。医者が薬だとして出した毒薬は、知識のない民衆の殆ど全員が飲んでしまうでしょうし、また警察が指名手配した無実の人間は、一般市民の殆ど全員が犯罪者だと思いこんでしまうでしょう。それと同様に、単なる勘違いに過ぎないのに、科学者が正しいと認定すれば、現実に存在しない反応でも、その反応が実際に起こっているものと錯覚してしまいます。中世の封建時代、領主や教会の神父が魔女だと断定すれば、男性すら知らない初心な少女でも一夜で魔女になってしまうと言う盲目の暗黒時代を、我々は経験して来ました。しかし、人類の「無知さ加減」は今も昔もそんなに変わりません。「真実」を知らないから苦悩し常に問題が生じています。人間は「無知」を返上して「明るく」ならなければならないのです。
「無知」の盲目地獄の中で、手探り状態で進むよりも、一条の「明知」が照らせば障害を避けて通れるものです。古来より、古今東西には様々な賢人達が出現し、民衆を啓蒙して来ました。頭の上の部厚い無知の蓋枷(ふたかせ)を突き破って、明るい日差しを浴びる事こそ、人間にとって最高の功徳だと言えるかも知れません。その様な意味では、一条の「明知」(生命哲理 宇宙論のこと)を、この私に与えて下さった天上の報身(ほうじん)達に対して、「明るくして頂いて有難う御座います。これで迷わずに前進する事ができます」と御礼を述べたいと思います。生命にとって「明るく」して貰う事こそ、“全ての価値に優る”ものだと断言しても構わないでしょう。

さて、陰陽論を駆使して、人間の全欲望のルーツを突き詰めて考えて行くと、たった二つの本源的な欲望に別れます。それは「食欲(陰)」と「性欲(陽)」という二大欲望の事ですが、逆説的に表現すれば、これらの二大欲望から全ての欲望が派生して誕生して来たのであり、これらは人間のあらゆる欲望の原点的な形態と言えます。「欲望」が「生きる目的」と一体どんな因果関係にあるのか、いぶかしく感じる人もいるかも知れませんが、向学欲や知識欲と言ったものまでも“欲望の一種”に過ぎない事を知れば、欲望を正しく知る事に「生命の普遍命題」を解く鍵が存在する事は推察できると思います。心が発達する以前の生命段階では欲望が生きる為の原動力となります。
 生命とは早い話が「磁場」の意味ですから、物理的に考察すれば、内向きの要求作用(陰)と外向きの要求作用(陽)に大別する事が出来ます。つまりベクトルの作用方向が自分(内)に向いているのか(向心系列欲望)、それとも相手(外)に向いているのか(遠心系列欲望)と言う話です。その明確な陰陽区分をちゃんと付けられなければ、物事の正しい分類など出来る筈も有りませんし、経験による人智だけで分類に挑めば、100人が100人必ずどこかで判断を誤り間違って分類してしまいます。
「食欲」に象徴される陰系列の欲望の特徴は、磁場のエネルギー本能として最初からもともと備わっているものであり、気の粒(食料)や情報(知識)を獲得するという本能的な傾向のものは皆、この陰系列の欲望の範疇に属します。人間は気の粒を捕獲しませんが、その代わりに食料や知識やお金や物品を欲しがり集めます。従って、食欲・知識欲・金銭欲・所有欲と言った欲望は陰系列の代表的な欲望種となります。これらの欲望の特徴は、それ自体に相手をどうこうしようする悪意作用は無く、ただ自分の為に「欲しがる」というだけのものです。無論、度が過ぎれば結果的に周囲に迷惑を及ぼす事になりますが、陰系列の欲望種は余り罪深く無いのが特色です。
それに対して、性欲に象徴される陽系列の特徴は、本能として最初から備わっているものではなく、後から生じて来る遠心系(外部作用系)の欲望種であり、必ず外部に矛先となる対象物もしくは対象者が必要となる欲望です。これは良くても悪くても相手に作用を及ぼす為に、周囲にとっては最も害悪な欲望となり得るものです。大量の派生種が存在しますが、成長の順番に代表格を列挙すれば、情欲・我欲・異性欲・虚勢欲・見栄欲・虚栄欲・財産欲・支配欲・権力欲・見識欲・名声欲・応仰欲などが上げられます。如何にも人間(沙中の生命)らしい欲望だと言わざるを得ません。

 成長期の人間が性的な衝動を覚えて、異性を欲しいと純粋に感じる事は、陰の本能的な要求であり、それはお金や車を欲しがる事と何も変わらないものです。それ自体に悪意があるとは思われません。しかし、意中の相手を獲得独占したいが為に、格好を気取り体裁を囲って自己をアピールしたり、競争相手に嫉(ねた)んでそれを排除する様な行為を及ぶと、もはやこれは陽の異性欲(独占欲)の範疇、大人の汚い欲望に変じています。それが良いか悪いかは別問題として、自己の思惑の為に相手や周囲に影響を及ぼす故に、陽の欲望に変じていると解釈できます。
ゆっくりと眠りたいと言う睡眠欲は、別に人間でなくても生物ならば皆同じです。クジラは大洋の真ん中で腹を出して眠りますが、その行為を見て身勝手だとは誰も思いません。縁側で昼寝をしていたお爺ちゃんが孫に腹を立てている理由は、勿論睡眠を妨害されて眠れなかったからですが、夜も寝て昼も眠ると言う行為は些か自己本位、騒いでいる孫の方が罪深いとは思われません。睡眠を妨害されて怒ったお爺ちゃんの行為は我欲(自分の思い通りにしたい欲求)に基づくものであり、その欲望(我欲)は我侭な子供の欲望と大差が無いかも知れません。
美しい女性とすれ違って、「こんな綺麗な女性と付き合えたらなあー」と思うのは、厳格に言えば「所有欲」を感じた事になりますが、それが罪であるとは誰も思いません。しかし、彼女と再び出逢いたいばかりに、尾行をしてその住所を確認すると言った行為に及んだ場合は、ストーカーの前兆行為であり、明らかに陽の欲望(占有欲)に基づいており、法的な規制に引っ掛かります。前者は店頭の果物や新車を見て、「この林檎が食べたいなあー」と食欲を感じる事や、「こんな高級な車に乗りたいなあー」と憧れを感じる事と何も変わらないものであり、それは大統領を見て、「俺もあんな偉い人物に成りたいなあー」と思う事と一緒です。
この様に、陰系列の欲望は欲望の一種であっても、他を巻き込む性質を持たない自然な内なる欲求であり、それは後から生じる陽系列の欲望の第一動機にはなれども、その欲求自体は責めることの出来ないものです。お金を使えば直ぐ無くなってしまうので、なるべく使わずに溜めていると言う「貯蓄欲」が法律の枠枷に引っ掛かるとは思えませんし、また俺は頭が悪く物を覚えられないので、この年齢でもまだ学校に通って勉強していると言う「学習意欲」が罪深い訳では有りません。無論、「貯蓄欲」が高じて「吝嗇(りんしょく)」に陥ってみたり、「学習欲」が高じて「見識」を見せびらかす様になれば、それは陽の欲望の芽生えであって、段々と罪深さを増して行く事になります。上流の透明な水が徐々に汚染されて行く様に、成長に伴って欲望も徐々に変化して陽化して行くものです。

 重要な認識は、この世の万物万象を分析する際には、物事の流転潮流を頭に入れて解析するという事です。例えば、地震という自然現象を分析するのに、地球を静止状態にして解析を進めても本当の事は何も分かりません。地球は回転運動を起しながら日々膨張を続けており、その地球の運動を念頭に置かなければ、地震を誘発する根本原因をまさぐる事は出来ません。それは欲望の分類分析だって同じであって、生命成長を考慮して、欲望の元初の発生原因とその段階的な派生を念頭に入れなければ、正確な分類作業など出来ない相談です。生まれたばかりの赤ん坊が、性欲を感じたり、権力欲や財産欲を求めたりはしないものです。
その理屈は、「生きる目的」にしても一緒の話です。それは年齢の違いや生命機根(分明度)の違いによって段階的に異なるものであり、心が未発達な赤ちゃんに「生き甲斐」や「人生の目的」と言った問題はどうでも良い話です。その様な高尚な悩みは、心の成長に伴って徐々に生じて来る問題であって、人生の目的など年齢によってコロコロ変わって当たり前だと言えましょう。しかし、万象が流転し変化して行く流動状態の中でも、死に至る直前の最終段階に於いて、結局「人は何の為に生きるのか」が問われます。貴方は一体何の為に、この宇宙に誕生して来たのでしょうか?

 

次回に続く

 

人は何の為に生きる?(3)

凍えねば分からない太陽の恩恵(生と死)

 終戦直後の焼け野原の東京では、川べりに茂る雑草を争って食べたらしく、隅田川には草木の一本の影すら無くなったと聞きます。そんな究極の飢餓状態は、現在の贅沢な日本国では想像し難い事ですが、世界では特別珍しい事では有りません。承知の様に、餓死する人間の数は一向に減る気配が無く、心は生きたいと願っているのに、食べ物が無くて餓死寸前に追い込まれるという事態は余りにも惨(むご)たらしくゾッとするほど恐ろしい話です。そんな世界情勢の中、カレーライスの中の人参が嫌いだと泣き叫ぶ我が子を見て、この子にも一度飢えを経験させなければ“食べ物”の有難味が生涯分からないのではないかと不安に感じてしまいます。現在では、そんな乱暴な躾をする親は少なくなりましたが、昔の親はそうやって育てて来たものです。今の日本では、そんな事をすれば親が殺人未遂で訴えられてしまいます。
 人間の生命は心も体も磁場で構成されており、変幻自在に形を変化させる複雑な磁場位相(心)と、単独の単磁場である生体磁場(肉体=生命球体)に別れているものの、両者は互いに物を記憶する磁場である事に変わりは無く、どちらも原則的に物を覚えて成長するものです。教えなければ(情報を与えねば)、磁場は覚える事は無く決して成長しません。心の記憶形式にはRAM記憶とROM記憶(深層記憶)が存在し、後者の場合は表面上忘却できる為に必ずしも宛てには出来ませんが、体の記憶形式は全てRAM記憶な為に、深層記憶に仕舞い込むと言った芸当は出来なく、忘却作用が無い分極めて実践的なものです。頭(心)で覚えるよりも体に覚えさせた方がより確実です。動物も人間も、頭で覚える事と、体で覚える事を分けて扱っており、子育てで一番重要なのは先ず体の感覚で力の配分や加減や程度やバランスを覚えさせる事です。
 ストーブやヤカンにアイロンに触ればどうなるのかを体感させる事は勿論、転べば痛い事や、氷や雪が冷たい事など、あるいは空腹が高じればどうなるのか、高所から落下したり、叩かれる痛みがどんなものか、一つ一つ覚えて貰う必要があります。敢えて経験させなければ、分からないのだから致し方も有りません。車に跳ねられたら、一体どの様な事態になるのか、少々残酷でもペシャンコに潰れたネコの死体を実際に見せねば、心の認識は難しいものです。凍えた経験の無い人間にぬくもりの恩恵が分からない様に、飢えた経験の無い人間には食べ物の恩恵が分かりません。豊満な物質社会で育った裕福な子供達は、ライターやマッチが無ければ火を起こす事も出来なければ、貧乏の惨めさやひもじさを理解する事も出来ず、また我慢して辛抱する事すら知りません。
 つまり、これは実際に経験したかあるいは学習したもの以外は、人間にはなかなか理解できないと言う話であって、死んだ経験の無い“生きている人間”が「生きているその価値」を認識するという事はとかく難しい話だと言わざるを得ません。精神的に追い込まれて、ちょっと苦しく感じただけで、“直ぐに死んで楽になろう”とする現代人の傾向は全く頂けない話です。この世はある意味では“生き地獄”そのものかも知れませんが、あの世から見れば、この世は喜びと希望に満ち溢れた正真正銘の天国浄土に他なりません。「光」や「匂い」や「音」を感じ取れる事は勿論、相手の存在をこの五感を通じて感じられる事自体が素晴らしい事であり、それが「生きている証」であることを認識しなければならないのです。

 生きている人間が「生きているその価値」を理解できないからと言って、「死」を一度体感して貰うという訳には行きません。生と死の境界線を跨ぐ危険な臨死体験をわざわざ経験させなくても、生き物は皆運命的に死の重圧を背負っており、死の到来を横目で見つめながら生きている様なものです。その時期の年齢に至れば、心と体の分離が進行し、客観的に「生」の重要性を認識できるものだと思われます。もし、どうしても死を体感したいのならば、それは睡眠(擬似死)中に於ける夢の中の自己を想像して貰うと遠からず当たっています。悪夢も楽夢も己の境涯次第、あの様な意識だけの茫漠とした精神世界が死後の世界だと言えます。
死後の世界は生の世界の延長線上に存在し、その違いは肉体が無いだけの話に過ぎません。現世の様なシャープで明晰な意識は囲えないものの、生前の自己の記憶もそのままであり、自分という意識もまた自己本来の性質もちっとも変わらないものです。夢の様な朦朧とした精神世界が死後の世界ですが、主体的な事は何も起こせず、鏡の中の虚像として実像世界である「人間界」を客観的に眺め入るだけです。それは映画や芝居を鑑賞する観客の立場であって、もはや主役を演じる事は出来ません。
物事を達観できないまま苦しみから逃れる目的で軽率に死を選択すれば、あの世でも苦しむ事になります。悪夢にうなされて苦しんだ経験は誰にでも在る筈です。ちゃんと問題を解決して、心の整理が付いてから満足して死を迎え入れるのが理想ですが、それを願っても叶わないのが普通であって、せめてこの世の“よしなし事”に対する執着を達観できる(諦められる)様な年齢まで生きることが重要かと思われます。その様な意味では、「成仏」とは平たく表現すれば“満足”に近い意味かも知れません。
さて、現代科学の様に、心が大脳に存在し人の意識は人体で形成されるものと単純に考えてしまえば、死の概念とは「無」となり、人間が死ねば意識も消滅して一切が無に帰する事になります。それは相手を殺せば無にできると言う意味にも通じ、また自分が死ねば自己の苦しみも無に出来ると言う意味にもなります。現代人の短絡的な思考回路には、間違った科学思想の影響が色濃く見受けられるのは否定しようも有りません。もし、日本国が本来の仏教哲学で子供を育てれば、若者の集団自殺など在り得ない話だと思われます。親が手塩に掛けて育てた大事な子供なのに、自己の「生きる意味」が感じられないと理由で、いとも簡単に死を選択されるのでは堪りません。これは由々しき社会問題だと言えましょう。

 

次回に続く

 

人は何の為に生きる?(2)

 

 「幸せになりたい」のは別に人間でなくても生物ならば皆同じです。「幸せ」という結果を到来させる為には、一体どの様な原因を造れば良いのか、それを具現化する為の現実的な労力が必要となります。もし、貴方が「未来の宇宙社会」の到来を夢見ているなら、それを現実化させる為には、一体どの様な原因を造れば良いのか、その未来に対する具体的なプランが必要なことは勿論、それを実際に実行しなければ、未来という結果は生じて来ないのです。
耳が痛くなる様な超現実的な話ですが、とかく精神が高揚した陽化社会は土台基盤(陰の原因作用)をなおざりにして、「夢や希望」(陽の結果)だけを先行させてしまいがちです。畑に種を蒔かずして如何なる収穫も有り得ないことは承知の通りです。結婚や新規ビジネスの十中八九が失敗に終わる原因はたった一つ、物(家庭や会社や子供など)を産み出しそれを維持(成長)させて行く為には、陰の「発汗的な労力」が必要なことを認識していないのがその理由です。勿論、陰の所業とは陽の芽生えを誘発して、それを育てる為の行為であって、通常親が子を育てる行為の事です。

この生命哲理 宇宙論という未来の種子を畑(民衆)に下種(げしゅ)する作業こそ、陽の芽吹き(信者)を誘発する「原因を造る行為」と言えます。その下向きの作業を無くして生命哲理 宇宙論(未来)が開花する事は有り得ません。単なる認識論に過ぎない生命哲理 宇宙論は上空の磁場位相(心)と同じもの、それは個々の肉体(地球人)と合体して始めて生きた機能を発揮するものです。我々にとって地球人(新しい仲間)は我々の子供に各当します。それを大事に育てる事が我々の使命です。我々親の立場の人間が互いに愛情(合い情)を分かち合う事が出来なければ、地球人もまともに育たちません。地球人が育たないと言う事は、生命哲理 宇宙論が開花しない、つまり地球に未来は訪れないと言う深刻な問題となります。
今の我々は「あんたの稼ぎ悪いから生活に困るのよ」となじり合っている夫婦と一緒、経済的な問題で本質の業務(子育て)にひびは入れたくありませんが、この陰の土壌基盤を確固たるものにしなければ、現実問題として心の余裕が失われ、夫婦の愛情を育てる事もまた子供を育てる事すら難しくなります。既に家庭(組織)は造られ子供も誕生しています。生活費が無いから貴方は家庭を放棄するのでしょうか?

 一人の人間が生きる為には、食料や空気が必要なことは勿論、睡眠や栄養や社会知識も必要であり、特に子供は親ばかりではなく誰かに導かれ手を掛けて貰わなければ一人前に成長する事は出来ません。生物が「世代交代」によって、その肉体を世襲的に存続保持して行くことに重要な意義を見出せない人間は、「人は子供を育てる為に生存している訳では無い」と考えているのかも知れません。だが、人類全員がそう考えてしまえば、僅か100年で人類は本当に滅亡してしまいます。45億年もの進化の末に、宇宙がやっと創造し得た精巧な芸術作品(肉体)を個人の存在意義の為に水泡に帰さしめる事は出来ない相談です。人生80年という束の間の時間内で、一人の人間が生み出せる物などたかが知れており、世代交代によって文化も科学も進化していると言えましょう。
 人類全体を考えれば、社会の常道に習って自己の義務を真っ当すれば、それなりの成長を得てそれなりの価値や生き甲斐を見出せるものですが、個々の人間を中心に考えれば、確かに培養菌でもあるまいし、何が悲しくてコロニー集団に従属してアクセク生きねばならないのか、と自問自答する意味も分かります。「生きる目的」や「存在価値」を見出せずに、「死」を選択する若者が急増している社会現象は承知の通りです。無論、自殺するのは若者だけとは限りません。この世は余りに悲惨で過酷な“地獄社会”、その奈落の底に突き落とされれば、夢や希望を失った人間には、もはや前進する意欲も無ければ、また生きる気力すらも持てないものです。
もし貴方が“自殺する者は心が弱いからだ”と鼻先で受け流しているならば、それは今貴方の人生がたまたま旨く展開しているだけの話に過ぎません。心の境涯が磐石な人間など存在せず、とかく覚悟の用意が薄い人間ほど困難に直面すればいとも簡単に自殺に追い込まれてしまうものです。むしろ明日は我が身かと、人の不幸を深刻に聞き入る人間の方が本当は強い精神境涯を持っているのかも知れません。夢も希望も見出せないドン詰まりの地球文明、遥か以前に原始生物を卒業した我々人間は、鋭利に研磨されたシャープな鋼鉄剣、緑青に錆(サビ)付いた柔らかい青銅剣とは異なり、非常にもろくて弱いものです。現代人はパンだけでは決して生きられず、生き甲斐を失い、助力者(親や伴侶や友達)を失って、絶望の淵に瀕すれば、もはや我々は誰であっても一年たりとも持たないのが普通だと言えましょう。
 「生きる気力」を失って人間が自殺を冒すぐらいだから、当然人間は「食べる為に生きている」訳では有りません。つまり、パンを食べる為に生まれて来た訳では無いのです。本質的な話をすれば、我々は「生きる為に」、手段として「食べている」に過ぎず、「生きる目的」の為に食して肉体の命を保持しているだけの話に過ぎません。それは「生きる気力」を失えば「食欲」さえも無くしてしまう現実を考えれば、心が本当に死を望めば、肉体も結局それに追従せざるを得ないと言う話です。では、心サイドの問題である「生きる目的」とは一体何でしょうか? またその目的を見出すことが難しい問題であれば、では現代人に「生きる意欲」を昂じせしめる心の要因とは一体何でしょうか? ここではその様な本源的な心の問題に付いて考察して見たいと思います。

 

次回に続く

 

人は何の為に生きる?(1)

宇宙の普遍命題

「人は一体何の為に生きるのか?」という本源的な課題は、我々地球人ばかりの問題では無く、宇宙の高等生命体ならば皆共通して頭を抱える超難題だと思われます。精神機根が未熟な(精神階ソフトを使用できない)原始生物ならばともかく、この問題は心の広域ソフト帯を使用できる(自力判断が可能な)高等生物ならば、いつか必ず直面する所の避けて通れない宇宙の普遍命題と言えましょう。
 与えられた寿命内で、自己の欲望を満たすだけの用事で人間が生きられるのであれば、そんな楽チンな話は有りません。しかし、高等生命体の多くは自己の存在意味や存在意義という哲理的な価値を追い求め、精神的な充足を必ず得ようとするものです。バイ菌の様に何も考えず、本能のままただ無心に生きる事を選ばず、相手や社会や世界といった対象物を意識して、より高尚で高次な価値を求めます。
 100年前の地球ならば、その様な難問を考えるのは哲学者や宗教家の仕事であり、“難しい事を考えずに命が在る事に感謝して黙って生きれ”それで済みましたが、文明レベルが上がった今日では、もはやそんな誤魔化しは通用しません。作業ロボットや奴隷の如き主体性の無い従属的な生き方は過去の時代の話であって、個人意識が高揚した現代人ならば誰でも、一生に一度はその難問に突き当たって「生きる目的」や「人生の意味」に付いて苦悩し、答えが見出せない超難題に頭を悩ますのが普通です。

 一匹の働き蜂(はたらきばち)が突然進化して、人間の様に心の広域ソフト帯の方で物を考えられる様になったと仮定して見ましょう。心の目を開いて明るくなった蜜蜂が最初に感じる苦痛は、「俺は一体何が悲しくて毎日毎日、あくせく花の蜜を集めなければならないのか」という疑問です。お腹がすいた時にだけ蜜を吸って、自由に大空を飛び回りたいと言う願いは生物ならば皆一緒、だが個の都合を優先させれば蜜蜂社会は崩れてしまいます。そもそもこの自然界は、集団から離れた単独蜜蜂が寿命を全うできる様な甘い世界ではありません。たった一匹では一夜すら無事に過ごせないと言う過酷な現実が、集団に結束力を促し群れの規律を遵守させています。
 その昔、一生物種に過ぎない人間の祖先も「野生の脅威」から身を守る為に集団社会を築いて来ました。特に力の無い子供や女性が領地から離れて一人歩きをする事など言語道断の行為、自分勝手な行動は猛獣の餌食となるか、迷って餓死するか、あるいは他部族に拉致されて晒し者になるだけの話です。たった一人の女性捕虜を取り返すのに部族間戦争を起し兼ねません。社会に迷惑を与えず賢く生きる為には必然的に社会の掟に従わなければならない必要が有ったと言えましょう。
しかし考えて見れば、「自然界の脅威」は今も昔もそんなに変わってはいません。野生から遠く隔離された人間社会の内部と言っても、その構造は自然界の営みと同じ、弱い立場の人間や間抜けた人間をおとしめる罠(わな)は、社会のそこら中に張りめぐらされているのが現状です。今では最も安全だった家庭ですら安心できる場所とは成っていません。特に子供やペットはいつ家庭が崩壊して、親に捨てられるかビクビクして過ごさなければならないと言うのは、悲しむべき事態と言えます。

さて、女王蜂が出産を拒否して、働き蜂が労働を拒否すれば、蜜蜂社会はたった一夏で滅んでしまいます。外敵のスズメ蜂に攻撃されて巣が全滅するならともかく、内部崩壊を起して自滅するのは頂けない話です。それと同様に母親が子育てを拒否して、父親が仕事を拒否すれば、家庭は瞬く間に自己崩壊を起してしまいます。不慮の災難で破壊されるならともかく、親の勝手で家庭崩壊を誘発させるのは如何なものかと思われます。そもそも男女の恋愛と結婚生活(営巣)は全く別種なもの、先に巣を造らないと結婚出来ないのが“生物界の掟”です。
つまり、夫婦愛(陽)が家庭の土台基盤をなすものでは無く、生活の営み(陰)が最優先事項であり、本命の夫婦愛とは後から生じて来るものだと言う話です。男女の恋愛感情を基盤にして結婚生活を始める行為は、土台を築かずに家を建てる行為と一緒、陰陽の順序を踏み間違えています。一つ屋根の下で生活して行く内に、単なる恋愛感情が徐々に実って夫婦愛という完熟した姿に成長して行くものです。家庭を築く行為と、会社を築く行為は皆一緒、重要な事は先ず経済基盤を固める事が先決であり、その意味や意義というものは必ず後から生じて来るものなのです。
物事の本枠を抜粋して総括を下せば、確かに夫婦の一生とは男女の愛の成長物語と言えます。しかし、上辺の形質とは言え事実上は男女の生活物語であって、死が二人を分かつその段階に至ってやっと夫婦愛が完成するのですから、比率から言えばどちらにウエイトがあるかハッキリしています。特に新婚当初は八割方“陰の比率”が支配する為に、それは純然たる生活物語に過ぎません。「二人の愛は一体どこに消えたの」と叫んでも、愛は最初から存在するものでは無く、今芽吹いたばかりなのです。とかく若い人間は恋愛(欲望の一種)と愛を勘違いしていると言えます。
しかし、ウエイトは大きいとは言え、生活物語が夫婦の本質ではありません。なにが重要かと言えば、やはり未熟なヨチヨチ姿でも夫婦愛こそ夫婦の全てです。愛とは“合い”の意味であって、互いに認め合い、補い合い、譲り合い、庇い合って、心の一体性を深めて行く事です。その合い情を育てなければ、破風が吹き荒ぶ諸魔多きこの世では、長年に渡って夫婦の形態を維持する事は不可能な話です。夫婦関係が単なる生活物語で終わるならば、こんな不幸せな事は有りません。
生活物語をそっち退けにして、愛情物語を優先させれば、皮肉なことにその夫婦の命は短くものの見事に頓挫する運命が待ち受けています。結婚生活を壊さずに長く続けたいならば、生活物語を優先させる方が簡単です。別に愛情は無くても共同生活は続けられるものであり、陰とは本来そういう形態のものです。長年連れ添っても、その様な心が感じられない抜け殻(がら)だけの「空蝉(うつせみ)夫婦」に意味が在るとは思われませんが、少なくても激しく陽化した「破滅夫婦」よりも、家庭破壊を起さないと言う理由から言えば“罪が薄い”と言わざるを得ません。
これから結婚する貴方に言いたい事は、家庭とは築くものであって、物を造り上げると言う並々ならない下向きの「陰の姿勢」で望まないと、ほんの一瞬で壊れてしまうと言う事です。そしてもっと重要な事は、「陽の芽生え」を確認したら、その絆を大事に育てて行くと言う事です。夫婦の愛情物語とその子供(絆)の成長物語は基本的に一緒、まるで鏡に反映した虚像の様に、夫婦の愛情が冷えれば子供と親の関係も冷えてしまいます。子供を健全に育てたいなら、夫婦愛を健全に育てるのが一番の早道、子供がおかしくなったら自分達の姿を鏡に投影して軌道修正する事です。

 

次回に続く