〈十二支概論(戌・亥)〉

    11) 戌(いぬ)の生命

               ※ 磁界: 第11磁界(精神階)
               ※ 容量: 11cal
               ※ 分類: 妙諦階仮諦(霊体階液体)
               ※ 人象: 応身(応身期)
               ※ 星座: 人馬宮(射手座)
               ※ 月節: 11月(戌月)
               ※ 時節: PM9時〜PM11時

          ※ 〈磁場の特徴〉
 第11磁界とは第10磁界を丸ごと包み込む磁界であり、磁界半径が地球の中心点から約500万kmにも達する巨大な磁界である。第10磁界と同様に、地球磁場圏の最外殻層の一つであり、当然、物理的には地球というよりも太陽磁場圏の効力範囲内に属する磁界であって、純然たる外磁場である。この磁界は力学的には地球回路のヌクヒブイ動帯の記憶消去処理を行う領域であって、ヌクヒブイ動帯(意識転写動帯)を初期化して、原型のヌーエ動帯(無転写動帯)に戻す作業を行う場である。「死」の磁界である第11磁界とは人間が実際に死ぬ場所ではなく、心動帯の墓場であって、回路端子の収納場所に過ぎない。この磁界に対して、人間は覚醒した状態で心動帯を入力させる事は不可能だが、唯一、睡眠中(爆睡状態: ノンレム睡眠)だけ入力出来る場合がある。ちなみに、ノンレム睡眠を長く続けると、その分、動帯記憶が初期化されてしまう。この磁界は無論、宇宙船も入り込めないし、精神活動すらも出来ない場であるが、人間の生命位相はこの磁界の中に普通に存在しており、また、位相内バイオンから外空間へ放たれる「拡散意識(イメージ意識)」も初期されずに存在する事が出来る。第11磁界は力学系の記憶帯にとっては危険な領域になるが、磁気系の記憶帯には無関係である。この磁界に存在する物質は何も無く、ここには第11テトラ体と第11渦層と霊長類の共有位相群が存在するだけである。ちなみに、意識活動と心活動をゴチャ混ぜに考えているのが地球人の現状だが、意識は磁場に存在し、また、心は力場で活動している。磁場も力場も重なって存在しているが、機能的には全くの別物、位相内意識はとりとめもない夢の如き茫漠とした意識だが、明晰な現実意識の方は心動帯の意識の方である。だが、位相意識はバイオン・コピーを拡散させる事が出来る。宇宙空間には気の粒よりも小さな「画素子」が存在しており、磁気記憶(バイオン・コピー)を伝道させる「空間媒体」が存在する。早い話が、イメージ意識を伝搬させる事が出来るのである。

          ※ 〈戌の意味〉
 戌(いぬ: じゅつ)の語源は「戎(じゅう)」であり、元々「武器」や「兵士」や「軍隊」を意味する「音言語」であるが、戌(いぬ)の漢字自体は、後世で易学用語の戊(つちのえ: ボ)から派生させて当てはめられた物(十二支文字)で、その意味は「土に帰る」である。動物意識の象徴とも言える心動帯(ヌクヒブイ)が初期化されて死するのが第11磁界であるが、それは植物も一緒であって、朽ち果てた老木の形骸が風化されて土に帰った状態(僅かに根だけが残っている)を指している。どちらも原形を失い、元の状態(死)に戻った意味であるが、戌とは「墓場(最終段階)」を表す言語なのである。人間が死んだ直後の状態は「法身(ほっじん: 霊魂体)」と称されるが、その段階が過ぎた後は今度は「応身(おうじん: 霊体)」と呼ばれる存在となる。魂体に呪縛された不自由な身の上の霊魂体とは異なり、その魂体(生前の因縁)を手放して自由な身の上になった状態が霊体(神)である。霊魂体と比較すれば、霊体の特徴とは手足(ズザネ管やタボ線)が魂体から解放されて自由運動が出来る様になった事だが、真に自由になった訳ではなく、冥界の規律に従って仕事を強要される身の上となり、冥界の軍隊の一員と変じてしまった事である。応身期の生命も法身期の生命も冥界の管理下に在って、本人の大胆な言動が、本人の意思に基づくものなか、それとも冥界に誘導操作された言動なのか、本人自身も良く分かっていない。いずれにしても戌(応身期)の生命とは死人であって、現世の生命ではない。戌は生命循環の第11段階目を表す表意言語であり、季節は11月(戌月)、時節はPM9時〜PM11時、植物に例えれば、戌とは枯れ木の痕跡だけが大地に残っている状態の意であり、今日一日の最後の段階を戌刻と称している。易学上では戌は陽化具現率が100%を超えた状態(110%未満)を意味しており、また、仏法十二因縁では「行(ぎょう)」の段階と称され、冥界の使命を行じる生命段階を指している。また、西洋占星術では黄道十二星座の中で第11番目に出現する星座を人馬宮(じんばきゅう: 射手座)と称しており、冥界から地上に派遣される軍人の星と呼ばれている。ちなみに、第11磁界の天体神は古事記では「豊雲野尊(とよくもののみこと)」と呼ばれている。

          ※ 〈磁界の質〉
 第11磁界の特徴は、そこは精神階の筈なのに精神(心)が営めず、逆に心の記憶が薄れていくといった不可解な磁界である事だ。物理的にも「死の磁界」であるし、地上の人間の介入を拒む、冥界の秘密が多分に隠されている領域である。基本的には太陽天使界の下部組織である守護霊界が管理する場所であるが、守護霊界の大半は酉の領域である第10磁界に集中しており、第11磁界は第1磁界の魔界領域と同様に、特に創造主が直接「管理」している場所柄である理由から、人間界には知って欲しくない何かの事情があると考えられる。そもそも第11系列の神々とは皆「戦闘系」であって、如来界は「普賢王如来」、菩薩界は「普賢菩薩(閻魔大王)」、明王界は「不動明王」、太陽天使界は「ザハリエル」、地球天界は「帝釈天」、そして第11系列のベースの総大将である天体神は「豊雲野尊(とよくもののみこと)」であり、いずれも全員が軍事の神々である。創造主がザハリエルや帝釈天に命令して「位相改良」を行わせていたと考えられる。実は第11磁界の生命とは冥界から地上世界に送り込まれた「スパイ(工作員)」であって、戌の磁界とは軍事工作員や、政界工作員や、思想工作員や、宗教工作員、戦闘系の巫女用員などを人間界へ送り込む為の養成機関だったのである。その様な目で戌の生命を観察してみると、古今東西の歴史にも、それらしい心当たりのある人物が一杯登場している。一般に、「セザナ巫女」と呼ばれる「戌の女性」は結構な人数がいる。ちなみに、歴史上の人物で代表的な人は、「ソクラテス」、「空海」、「コロンブス」、「カント」、「リンカーン元米国大統領」、「サッチャー元英国首相」などだが、現代では「三島由紀夫」、「プーチン大統領」などがいる。

 この磁界に於ける「ヌクヒブイ動帯」の初期化作業とは、磁界そのものが「インク消し」の様な作用を有しており、動帯に刻印された意識記憶を浮き剥がして消去していく。つまり、高度半径250万kmの「酉の磁界」の外まで心動帯を膨張させれば、その動帯は初期化される事になり、また、大酒を食らって爆睡(昏睡)してしまえば、「ノンレム睡眠」に突入して意識と記憶が剥がされていくのである。無論、心動帯は定期的に新品と交換される理由から(月に一度の交換比率)、薄れた意識記憶が永久に戻らない訳ではない。意識記憶の元本は個々の位相バイオンに存在しており、心動帯の意識記憶とはそのコビー品に過ぎないのである。磁気系の位相バイオンに対して、心動帯とは力気系のバイゾン被膜、どちらも意識を記憶する物であるが、バイオンとバイゾンの相互的な記憶のやり取りは「転写被膜」という器具を介して行われている。大きな問題は、第11磁界と第12磁界が心動帯の初期化場である事から、ここに存在する位相群の転写作業が大変な事である。コピー処理に手間取っていたら、その間にバイゾン側(心動帯)へ転写した記憶がドンドン薄れていくからである。心動帯の定期交換の際にも、バイゾン記憶の一部が初期化されて、十分な転写が出来ないというリスクがある。そのせいなのか、戌の生命と亥の生命の人には明晰な心意識が囲えない方も多い。そもそも、そこが初期化磁界なのに生命位相を設けて良いものかどうか、それ自体が疑問ではあるが、多分特殊な人間を作り出す必要があったものと推測される。

 さて、渦巻は一番外側の第12渦層が回転の始動点であり、それから順次下位の渦層に向かって連動発生して、最終的には第1渦層が形成される。本来ならば第12渦層が「第1磁界」と言わねばならないが、陰陽原理に従って、宇宙の最初の「生道行程(生産成長行程)」は既に終わっており、現在は宇宙が退道行程(破壊分解行程)にある事から、陰陽が逆転して第1磁界からのスタートとなる。創造された物(D-重合体)が分解していく行程に於いて、原子や分子が形成され、最終的に人間が誕生してきた。従って、人間が向かうべき「陽の方向」とは宇宙であり、それが定められた道である。しかし、宇宙の方角は元々「過去の方角」、我々は過去の方角に向かうけれども、人間にとって宇宙とは「未来」であって、我々は未来へ向かわなければならない。なぜならば、宇宙意識が未来の極点に人間を創り出したからだ。人間とはすなわち宇宙の子供、その子供が成長して自己の本体(マクロ宇宙の極点)に戻る行程に在る。つまり「宇宙=我」なのであって、我々は自己の本体に帰納する行程を歩んでいるのである。その様な意味で、第11磁界や第12磁界とは地表から見れば未来の方角に当たる磁界だが、人間が宇宙へ出る事を拒む一種の「関門磁界」であって、この難壁を超えないと地球人類に未来が訪れる事は決して無い。創造主の認可が下りない限り、人間は生身の体を持ったままでは地球磁場圏の外には絶対に出られない。また、心動帯で上昇を試みても、動帯の収納部である「関門磁界」を突破する事は不可能である。では一体どうすれば磁場圏を越えて外に出られるのだろうか。

 惑星の磁場圏を越えて自己の意識を外に出す手法は、「悟り同会(解脱)」という手法しか存在せず、遥か昔から人類はこの方法を用いて、惑星の圏外で個人の意識活動や心活動を営んできた。別に生身の体も、自身の位相バイオンも、あるいは惑星の心動帯も、惑星外に出す必要が一切無いのである。この「悟り同会法(解脱法)」とは、自己意識の元台帳である個人位相の能力を使用するもので、具体的に言えば、位相の内側に装着されている「意識転写被膜」というアストラル装置を利用して、自意識を外空間に飛ばす方法である。意識転写被膜とは元々心動帯に自己意識を転写させる装置の事であるが(バイオン―バイゾン転写被膜)、これを空間媒体の一つである「画素子」に転写して、意識自体を拡散膨張させて磁場圏外へ運ぶ方法である。「画素」も「気の粒」もどちらも磁気系の粒子であり、「気の粒(サイ粒子)」は創造主が物質世界を創る為に特別に用意した物だが、一方「画素」に関しては宇宙空間ならば何処でも存在する自然粒子であって、その用途とは主に意識通信(テレパシー通信)である。この画素を介して自己のイメージを天体バイオン(サイ粒子バイオン)に焼き付ける手法が「悟り同会法」なのである。例えば、銀河系を正確にイメージ出来れば、その銀河磁場圏(サイ粒子バイオンから構成される)に自己意識を焼き付けて、そこに自己の記憶帯を形成するのである。銀河系の磁場層に意識が入力出来れば、やがて銀河系の心動帯が使用出来る様になり、明晰な心意識を銀河系で営める様になるのである。これが出来ると、所謂「即身同会」を果たした事になり、その生命は「生き銀河神(明王神)」と呼ばれるのである。

 しかし、画素を介したイメージ発動は、その出力を補ってくれる精神界(外殻磁界の三層)の基盤力が必要であり、酉と戌と亥の磁界からしか外に発射出来ない。なぜなら、これらの磁界には惑星用の巨大転写被膜が存在するからである。一般に、固体系の生命(子、卯、午、酉)は「酉の磁界」を利用してイメージ発射が可能であり、また、液体系の生命(丑、辰、未、戌)は「戌の磁界」を利用して発射し、また、気体系の生命(寅、巳、申、亥)は「亥の磁界から発射が可能となる。無論、下六道界の生命は自己の上限域である理性階へ到達していなければ「悟り同会」は物理的に無理である。いずれにしても、内部の生命を外に出さない様に防御しているのも精神界の3層だが、また、外部との送受信を管理しているのもこの3層であって、これが外磁場としての役割なのだろうと思われる。所で、十二支の基礎基質は「磁場の三態(三諦)」が基本であり、大きく三つに分類する事が出来る。それは「固体(中諦)、液体(仮諦)、気体(空諦)」の三態であり、科学の「物質の三態」と一緒であって、物質(生命)の在り方を示した物である。仏法ではこれを「空仮中」の三諦論と称しているが、物質の循環を考えると「空仮中妙」の四諦論となり、気体(空諦)と次の固体(中諦)の間に霊体(妙諦)が入る事になる。四諦論とは、氷が溶けて液体となり、それが蒸発して気体の水蒸気へと姿を変えるが、その水蒸気が循環の途に就いて、再び三諦として現れるという輪廻循環を示した理論であり、別名を十二支論とも呼ぶ。

          ※ 〈一般的な性質〉
 酉の生命が固体系の性質を示すのに対して、戌の生命は液体系の性質を有しており、また、亥の生命は気体系の典型的な性質を示す。液体基質の特徴は、その流動性と溶媒性にあって、特定の形を示さない風見鶏(かざみどり)的な思考や言動、そして、様々な人間を受け入れる融通性の高い溶媒能力である(好き嫌いを明確にしない)。だが、液体系の人間の在り方が素晴らしいとは限らない。最初から具体的な目標や設定を定めて路線を固めたがる固体人間、その場その場で臨機応変な対応策を検討する液体人間、大筋だけ決め置いて、問題が起こったらその都度考えるという行き当たりバッタリの気体人間、およそ人間はこの3種類のタイプに分かれているが、俗に言う所の「馬鹿の大足、間抜けの小足、中途半端のろくでなし」と一緒であって、どれも欠点だらけで不合格であり、これが理想的というものが無い。靴の世界も三者が一様に混在している事を考えれば、人間世界にも三つの要素が必要であると考えられ、どれが良い悪いの問題ではなく、物事の初期段階は固体法、中間段階は液体法、そして最終段階が気体法というのが道理に即した理想的な進み方なのだろう。戌の生命は確かに液体人間であり、人に対する度量も大きく(懐が深い)、また、様々な考え方も受け入れられる許容量も備えている。つまり、器の「キャパシティー」そのものは大きいが、纏める事が容易ではなく、どれが必要でどれが要らないのか、また、どれが嫌いでどれが好きなのか、自分でも良く分からないという内面的な混沌性(カオス性)を有している。混沌性とは表現は良いが、平たく言えば、けじめが付けられない「だらしなさ」である。

 具体的な例を上げれば、女房も愛しているし、もちろん浮気相手も愛している。会社の女の子も愛しているし、また、隣の奥様も愛しているといった具合に、愛情の裾野が広く大き過ぎて、そこにどんな順位を設ければ良いのか本人は迷っているのである。博愛主義も結構な事だが、自分の女房と隣の家の女房を平等に扱われたら、あるいは正妻と妾(めかけ)の区別も付けられないならば、家族にとっては迷惑千万な話、それは博愛と責任愛と単なる愛欲が整理されずに混在しているだけの話、順位(けじめ)が付けられない方がどうかしている。これは別に愛情だけの問題はなく、何事に対しても「優柔不断」な性質を見せるのが液体人間の特徴である。戌の生命は人間年齢で言えば「110歳」、元々欲得が無い状態(帰納段階)の生命であり、肉体も魂体も既に失ってしまった応身期(霊体期)の生命である。気の利いた繊細な愛情など持ち合わせていないアバウトな生命段階ゆえに、子犬に対する愛情と子供に対する愛情も基本的に一緒なのである。差別の無い平等主義は社会的には良いものの、足元の現実の世界ではそうはいかない。線引きもせずに、神様も悪魔も一緒、隣の土地も我が家の土地も一緒、ミソもクソもゴチャ混ぜにされては困るのである。さて、霊体には成仏した生命と、成仏していない生命の両方がいる。戌の生命を見たら、成仏霊(神様)タイプなのか、それとも不成仏霊(悪魔)タイプなのか、それを見極める必要がある。どちらのタイプも地上に送り込まれた冥界の工作員であり、良い意味でも悪い意味でも社会に影響を及ぼす生命だからである。

 一般に、神性タイプの戌の生命は泰然とした人象であり、清廉潔白で思慮深く、また、寛大で人道的なのが特徴である。外観の雰囲気も威風堂々としており、見るからに理性でコントロールされた紳士淑女といった印象であって、コセコセした挙動は一切見せず、常に凛(りん)とした態度の、孤高で潔(いさぎよ)い生命として現れる。それに対して魔性タイプの戌の生命は、人の話に直ぐ嘴(くちばし)を突っ込む様な小物タイプが多く、世の中の影に渦巻く陰謀や策略や工作や裏話が大好きで、それでいて頭(ず)が高く、欲深で大雑把な生命である。「俺を何様だと思っているのか」と、時には人を見下し侮(あなど)り腐(くさ)す割には、本人はいたって情緒不安定で落ち着きが無く、常に混沌地獄の中で迷い続けて「光」を見出せずにいる。中には虚無感に陥って、冷酷で残酷無比な「傍若無人な振る舞い」を行う者も居る。まさに成仏霊と不成仏霊の違いである。戌の生命にはおよそ中庸状態というものが無く、必ず「神性か魔性か」そのどちらかのタイプで現れる。いずれも軍人系の生命であり、いざとなれば命懸けも辞さない歯切れの良い生命だが、小回りが効く処世術を持たない無防備(裸身)な直線系の生命ゆえに、浮上するか(生き残るか)沈殿するか(戦死するか)の二つの運命しか醸し出さない丁半賭博の様な生命である。この生命の最大の欠点は人を裁く事だが、自己判断で相手の罪を決定し、その刑罰を自ら執行するという、神をも恐れぬその神経の図太さである。精神が脆(もろ)いくせに図太いのは「真の強さ」では非ず、自尊心だけを高く振り翳(かざ)しても、地に足を立脚させていない心の不安定さは拭いようもない。

 戌の生命は基本的に正直で律儀な性質であるが、腹で思っている事を口(言葉)に出して上手く応待出来ない為に、自分の意思を相手に完全に通達する事が出来ない損な性分をしている。また、頭領肌で同情心が強く、性格がザックバランで開け放しな故に、クダラナイ連中が大勢集まってきて食い倒される傾向が強く、誰でも平等に受け入れてしまうという液体系の溶媒力には節度を設ける必要がある。人を裁くのに人間の選別が出来ないという、また、自尊心は人一倍強いのに、気が小さくてクヨクヨと迷い続ける精神の脆さや、働かないでなるべく遊んでいたい信条なのに、着飾って格好だけは整えたいという、何とも風見鶏的な多様性に富んでおり、戌の生命である「太宰治」が自身の事を「人間失格」と呼んだが、まさにその通りである。それに、他人には親切に接するものの、身内や家族には冷たく当たり、おまけに強情な性格で、人に謝るという事が嫌いな性分だから、尚更「失格」である。まあ、これは魔性タイプの戌の生命の事であるが、たとえ神性タイプの戌の生命であっても、堕落すれば魔性タイプと一緒になる。

 

 

 

 

     12) 亥(いのしし)の生命

                 ※ 磁界: 第12磁界(精神階)
                 ※ 容量: 12cal
                 ※ 分類: 妙諦階空諦(霊体階気体)
                 ※ 人象: 報身(報身期)
                 ※ 星座: 磨羯宮(山羊座)
                 ※ 月節: 12月(亥月)
                 ※ 時節: PM11時〜AM1時

          ※ 〈磁場の特徴〉
 第12磁界とは第11磁界を丸ごと包み込む磁界であり、その磁界半径は地球の中心点から約800万kmにも及ぶ、最終で最大の磁界である。地球磁場圏そのものがこの磁界の第12渦層から誕生しており、いわゆる母源磁界であって、最外殻を担う外層磁界である。物理的には渦巻回転の始まりと終わりを担う回帰点であり、また、位相運動(phasic movement)の振り出し原点でもある。生命輪廻の収束点であると同時に次の出発点でもあって、回転運動(時間)の軸索を担う帰納点(零点)でもある。太陽系管轄下の磁界であり、磁場空間には如何なる物質も存在せず、無数の生命位相群と第12テトラ体と第12渦層だけが存在している。また、単独位相の大半がこの磁界に存在する。また、第12磁界には央分点が存在し、霊体(妙諦)と固体(中諦)を分ける、つまり過去(死)と未来(生)を分ける明白な境界線(約650万km付近: 回帰点)が存在する。地球磁場圏はこの第12磁界に象徴され、細胞で言う所の電磁場センサーに相当する領域であり、外部に対する斥力(せきりょく: 電荷反発力)と、極性に基づく吸引力や作用力を呈示する磁界でもある。第12磁界は正しく「死の磁界」であり、この世から完全に途絶えてしまう死の底を意味している。第11磁界は初期化磁界(まだら消去)であるが、第12磁界では心意識が完全に消去されて、真っ新の純白無垢な心動帯に戻される場所柄である。当然、この死の極点の様な磁界に心動帯を同会させるのは不可能、唯一可能なのが、位相から放たれる画素同会(意識同会: イメージ同会)のみである。第12磁界もまた画素同会を行う場所である。

          ※ 〈亥の意味〉
 亥の語源は「垓(がい)」であり、元々は広く限りない大地(前母体)を意味するが、亥の語源はまた「核(かく)」でもあって、大地に眠る木の原点(中心物=種子の事)を意味している。朽ち果てた木が、どこを見てもその残骸すら見当たらない程に綺麗に大地に還元されてしまった状態、つまり、木の命が完全に絶(とだ)え果てた状態を指しているが、しかし、木の面影がこの世から消え去っても、大地の中には木の種子が眠っており、木の「次世の成長」が始まるという意味である。早い話が、「亥」とは生命輪廻の終息点と次の出発点を意味しており、回帰(零)を意味する言語である。亥の生命が「報身(ほうじん)」と呼ばれる理由は、「報(むく)いを受けた身の上」の意味であり、良い因縁でも悪い因縁でも、報果(裁きの結果)を受領した生命という意味である。戌の応身と一緒であり、太陽守護霊界の管理の下で具現する生命であって、その生命概念は胎児に入魂する以前の素(す)の状態の意識体を意味しており、亥の生命も神に関係する生命である。亥とは生命循環の第12段階目を表す表意言語であり、月節は12月、時節はPM11時〜AM1時、一年や一日の最終行程であり、植物に例えれば、個の実体を完全に失って大地(全体)に帰した状態を意味し、新しい個体に生まれ変わる段階を意味している。易学上では亥は陽化具現率が110%を超えた状態(120%未満)を意味しており、また、仏法十二因縁では「識(しき)」の段階と称され、識別される(選定される)生命段階を指している。また、西洋占星術では黄道十二星座の中で一番最後の第12番目に現れる星を「磨羯宮」と称しており、磨羯宮は半分が哺乳類で半分が魚類の仮想生物(マカラ)を語源としているが、その意味は「地」と「天」の融合を意味している。ちなみに、第12磁界の天体神は古事記では「国之常立尊(くにのとこたちのみこと)」と呼ばれている。

          ※ 〈磁界の質〉
 第12磁界の特徴は、そこが精神階にも拘わらず、心を営む事が出来ない磁界だという事であり、神々が関与する磁界だという事である。神々は地上の人間世界に対して「亥の生命」を送り出し、それを遠隔でコントロールしているといっても構わない。従って、亥の生命の人生は本人の人生と言うよりも神々の人生であって、自分の足で大地に立って土の感触を感じている訳ではない。戌の生命は神々の工作員とすれば、亥の生命とは神々が運転する自動車の様な存在、精神階の生命で自分の足で立っているのは「酉の生命」だけだと言っても良いだろう。無論、人間操作を行う神々にとっては、個々の人間の性能の良し悪しで本来の目的を達成し得ない場合もあるが、とにかく生れ日が「亥の生命」の者と「戌の生命」の者は尋常ではなく、その人間離れした理解不能な言動には、敬服したり、脱帽したり、呆れ果てたり、馬鹿かと思わざるを得ない。両者とも自己を防衛する事なく、物事の後先の事や周囲の迷惑も考えず、無防備のままで直線的に自己の目的を達しようとする傾向が強い。一旦目標が定まれば、何を犠牲にしてでもやり遂げようとする為に、悶着や揉め事や騒動の発端を引き起こす。渦磁場の磁界数は確かに12磁界なのだが、精神(心)の営みに関して言えば、第12磁界と第11磁界は人間にとっては事実上「無い」に等しい磁界である。従って、易学上では「亥」と「戌」に関しては「空茫」と呼ばれる領域に相当し、60干支の年回座や日回座によっては「亥」と「戌」の脅威が現れて、自分を見失ってしまう凶運の時期(十二日間周期と十二年周期)が訪れる。まあ、これは一般的には「天中殺」と呼ばれる「生命バイオリズム」の概念原理を述べている。

 第12磁界には渦磁場の「極性(N極とS極)」が存在し、戌の生命も亥の生命も取り分け強い作用力と吸引力を備えている。これは人に影響を及ぼす力が物凄いという意味である。普段は目立つ事を嫌って「裏ボス」的な存在で満足しているのだが、生命パワーそのものが大きい事から、彼等が一旦動き出すと、ダンプカーの如く風や埃を舞い上げて、周囲の者を振り回し騒動を巻き起こすのである。良い意味での影響力の行使は別に構わないが、刹那的な衝動で動かれては迷惑千万この上もなく、後先の事や相手の立場を良く考慮して、軽率な「思い立ち行動」は慎んで頂きたいものである。そもそも渦磁場の外磁界とは過去世の意味であり、渦巻の中心物体(地球コア)が形成される遥か以前(数十億年前)から存在する物である。そこは天体の前生体(前駆体)とも言える場所柄ゆえに、岩石が誕生する前の無機原始の磁界である。その形質をまともに受け継いでいるのか、やる事なす事が全て超人的で、およそ限度や適量という言葉を知らない。特に、熱中するとトコトン徹底的にやり抜く性質を有しており、生活の何もかもを犠牲にしてまで取り組む為に、目的の達成率は高いものの、後で犠牲を払った分の「つけ」が回ってきてあくせくする嵌めに陥る。例えば、一枚の青磁の皿を完成させる為に、田畑を売り払い、家族を犠牲にして、食う物も食わずして、一心不乱に取り組むのは結構だが、その皿の値打ちと家族の値打ちを比較すれば、犠牲の方が大きいという計算が出来ない。だから、人間ではなく、宇宙人なのか、神様なのか、それとも悪魔なのか、単なる原始人なのか、一般の人間には判別を下せないのである。

 亥の生命にとって、目に見える物は太陽や星々などの天体ばかり、周囲はだだっ広い宇宙空間が広がっている環境である。そこは自分以外の者は誰も存在しないという独り舞台、自分は一体何の為にここに居るのだろうと思ってしまう様である。だから何か夢中になれる事をやる訳だが、自分一人しか存在しない様な、周囲を無視した独断独歩の「独り舞台」を演じる事から問題が発生してくる。「なぜ、俺はこんな定められたアスファルトの道を車で走っているんだ? 俺は好きな様に自由に野山を闊歩したい」。そう思い立つと、道なき道を何処までも走ってしまう。気が付くと、「うちの山に無断で入って牧草を荒らした」とか「ホテルのプライベート・ビーチを無茶苦茶にした」という苦情が殺到してくる。また、亥の磁界は最大の容量を誇る磁界である事から、亥の生命の許容量も非常に大きく、大概の事は飲み込んでしまう力がある。例えば、酔っ払い運転で最愛の女房を引き殺されたにも拘わらず、誠意を受け取ったとして、相手の事情を考慮し、訴えもせずに許してしまう。そのお陰で、その犯人は再び酒酔い運転で人を跳ねてしまうのである。亥の生命を性悪だと非難する者は余りいないが、自分勝手な判断、自己本位な考え方、独り舞台の一人役者では、どうしても世間常識からズレてしまう。大局観も結構だが、人の世で生きる為には最低限度の常識やマナーは学び取らなければならない。また、容積の大きさは無感覚、無反応、非適応力にも関係してくる。亥の生命には神経の繊細さが無く、図太い神経と鈍い感性の持ち主なのが特徴である。「暑くないの?」、「いや別に」、「だって汗かいてるよ」、「エッ?  汗、暑いんだね、やっぱり」と言った具合である。

 第12磁界には「死」と「生」を分ける央分点が存在し、戌側(死サイド=内側)と子側(生サイド=外側)で明確に分かれている。一体、何を基準に優秀か不優秀か分ければ良いのか明確ではないが、一般に、頭が良くて賢いとされているのが境界線より外側に位置する位相の生命である。では内側に位置する位相の生命は優秀ではないのかと言えば、多少馬鹿っぽいが決して賢くない訳ではない。報人の生命は基本的に憎めない人柄の良い生命が多いのだが、天然のお馬鹿キャラで、明確な「自我」を有していない方が内側で、キリッとした自我を有している方が外側である。明確な自我を持たない人とは例えば、明石家さんまさん、タモリさん、畑正憲(ムツゴロウ)さん、松任谷由実(ユーミン)さんなどである。彼等は一度死んで自我を消去された生命だが、だからこそ観客の拍手喝采で自己の存在を確認し、観客によって作られた自分を自己としている。彼等には一定確固たる自分が元々無いのである。

          ※ 〈一般的な性質〉
 亥の生命は大変思慮深くあれこれと思索を巡らす割に、自分の考えが一向に纏まらないタイプであり、あれだけ考えた挙句、その場でさっぱり適応出来ないという「不器用」さを有する反面、一旦凝(こ)りだすと無我夢中になって没頭し、人の話は上の空で聞き流して、世の中の事にはまるで「無頓着」となり、右の物を左に寄せるのも「面倒臭い」という性質をしている。また、本棚から引き出した本を元の場所にその都度片付けない為に、机の上に本が段々と積み重なって、終いには仕事するスペースさえも無くしてしまう。仕方なく本の整理に取り掛かるのだが、それもイチイチ「よし、やるぞ」と覚悟を決めなければ体が動かないという、絵に描いた様な「無精者」が多い。誠に「不器用」、「無頓着」、「無精者」という三拍子が揃った生命であり、その額には「面倒臭い」という文字が刻まれている。時折、脱力感を呈して、食事も面倒、トイレも面倒、空気を吸うのも面倒だと言うから、もはや「超人伝説」を地で行く。まさに最大容量を誇る生命であり、その「鈍感さ(トロさ)」と「無神経さ」と「面の皮の厚さ」は天下一品である。何かに熱中していないと生きられないタイプであり、その対象が定まらないと「怠け者」となり、一日中「ボー」っとしてゴロゴロしているか、さもなくばギャンブルかSEXに熱中し「遊び人」となる。

 一般に、子側(外側)の亥の生命は格調が高く、幼少の時分から「自分は人に教える為にこの世に誕生してきた」と本能的に思っている。小さい時から学問好きな勉強家であって、人より秀でようとするが、亥の生命の鈍重さは共通であり、若い時代はスピンの効いた低容量の生命には絶対に敵わない。従って、彼等の何倍もの時間を割いて努力を積み上げていくのがこの生命の特徴である。自分は頭が悪いと自覚し、だからこそコツコツと積み上げて、努力の物量で能力を補おうとする。早い話が専門馬鹿の生き様だが、コツコツと積み上げるその性癖は子の生命に近く、その努力を生涯に渡って続けていく為に、気が付けばいつの間にかその道の専門家となっており、押しも押されもしない存在となってしまう。興味の対象分野は様々だが、ここの生命には宗教家や思想家や政治家や映画監督や科学者が多い。プラトン、ヘロドトス、孔子、白楽天、デカルト、レーニン、ジョージ・ワシントン、キューリー夫人、ジョージ・ルーカス、黒澤明、田中角栄など様々いる。凝り性だが飽きっぽい亥の生命であるが、徹頭徹尾トコトンやり抜いて最後まで行くのがこの生命の信条であって、その集中力と一途な姿勢は「偉人」レベルである。まあ、子側の方が優秀な生命と言えるが、それに対して戌側の生命は「自分が無い」分「芯」が無く、面倒や無精という本能と戦う一生である。

 昔から亥の生命は猪突猛進タイプで独断先行タイプ、相手の意向を確認もせずにその場の雰囲気だけで勝手な判断を下してみたり、あるいは「皆が無理だ」と止めても何度も無謀な挑戦を繰り返し、三度も五度も同じ失敗を続けるとか、その懲りない性分も偉人レベルである。普段は「何かに夢中になっているか」、「ただボーッとしているか」、あるいは「騒々しく動き回っているか」、その3通りのパターンしか無いという単純さである。天下一品なのが物覚えの悪さであり、その都度いちいち納得しないと次に進めないという頭脳スピンの鈍さである。特に年亥の生命はいつも疲れ顔で無感覚な無感動人間が多く、観光地を案内しても、あるいは花火大会に連れていっても何の感動も示さないので、誠に「つまらない」生命である。おまけに得意技は単純な継続作業(流れ作業)とジグソーパズルだと言うから「勝手にしろ」と言いたくなる。亥の生命には根っからの「悪党」は滅多にいないが、基本的に相手に対する配慮に欠ける生命で、相手の迷惑顔にも気が付かず、自分の気が済むまで喋りまくって帰っていく。その無神経さに呆れ果てる人も多いのだが、この生命は場の雰囲気や相手の情感を感じ取る繊細な感性を持ち合わせていないのである。他の生命と比較すると、亥の生命とはやはり「無骨」な生命の範疇に入ると言って良いだろう。

 感性の鈍さが肉体の感度と必ずしも一致するかどうかは分からないが、面倒だとか疲れたと宣(のたま)う割に、一度体を始動させたらダンプカーの如く中々止まらず、粘り強く根詰めた仕事を最後までやり通すのがこの生命の特徴である。責任感が強いのは美点だが、体の感覚機能が鈍いのか、それとも忍耐力があるのか、真夏日のカンカン照りの中でも、あるいは真冬日の氷点下の気温の中でも、暑さや寒さにも鈍感なのか、根性で仕事を片付けてしまう。とにかく一度集中したらトコトンやるのが亥の性質、嫌々ながら仕事をする様な中途半場な真似はしない。無機物なのか原始人なのか、もしかしたら宇宙人なのか、一般の生命とはえらく異なっている。こんな亥の生命ではあるが、なぜか自運が強く(十二支中で一番強い)、お笑い芸人でも、酪農家でも、建築屋でも、一生の間には一廉(ひとかど)の物を作り上げる。

 

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