陰陽論哲理の概要〉

 宇宙生命論の哲理ベースとは、いわゆる「陰陽原理」の事であり、この哲学は地球人が開発したものではなく、過去世宇宙の遥か昔から「人間王国哲理」として代々の子孫宇宙へと伝承されてきたものです。今世の宇宙でも、創造主や神々の啓示を介して人間社会に普遍哲理として浸透してきました。我々の大宇宙(メシア球)とは、ケケ粒子の容器の中で気の粒(psy粒子)を圧縮爆発させて誕生させる渦巻宇宙(vortex universe)であり、単なるビッグ・バン宇宙ではなく、運動原理に基づいて開闢(かいびゃく)する体系宇宙(cosmos)であって、たまたま偶然にカオス(chaos: 混沌)から発生してきたものではありません。宇宙の森羅万象が法理(運動法則)に基づいて具現している事実を、特に西洋科学思想に洗脳された単純頭の地球人は再認識すべきだと、我々はそう考えております。渦巻とは複数の渦層(かそう)から構成される天然の集積回路であり、その内部に生命を誕生させる理由は、心回路を使用出来る優秀な自律生命体を創り出す為です。

 運動宇宙(物質宇宙)の最大の欠点は「期限がある(有限宇宙)」という事です。気の粒の誕生した世界は最終的に気の粒に戻ってしまうのが定めなのです。承知の様に、大宇宙の外は純然たるアストラル世界、この世界には有効期限というものが原則的に存在しません。運動宇宙が生産する物質は素粒子から構成されており、その素粒子自体が極小の運動体(渦巻体)である理由から、物質には必ず有効期限が存在します。一輪の薔薇の花も、一滴の水雫も、あるいは一個の細胞も、皆一様に素粒子を基盤とした原子や分子から構成されており、いわゆる粒子運動が物質の形態を支えて維持している訳です。運動の期限が訪れると、万物がその形を解かれて元の気の粒に戻ってしまうのが運動宇宙の「定め」なのです。つまり、運動宇宙とは「虚無の実相」に他ならなく、生物も物質も宇宙の開闢期間のみに出現する「仮初めの姿」だと言っても構わないでしょう。では、あなたが生きた証を次世の宇宙に対して何も残せないのかと言えば、それは違います。生物を創る行程に於いては、大宇宙外に存在するアストラル物質を大量に導入しており、あなたの意識が存在する生命霊界そのものがアストラル物質で構成されています。

 肉体が死ねば、それは朽ち果てて土壌に帰してしまうものです。また、心回路も永遠のものでは決して無く、天体の力学骨格が崩れ去れば、あるいは原本の生命位相が無ければ、心を営む事自体が出来ません。唯一残る物は霊界内部の個人位相(アストラル物質)であり、そこにはあなたの現世記憶や過去世記憶が残っています。創造主世界では位相内の現世記憶を初期化して、輪廻転生させて人間経験値を積ませている(動物時代の垢を落とす)輪廻システムを採用してきましたが、そもそも位相意識とは電子バイオンに刻まれる記憶であって、電子バイオン自体はアストラル物質の一種ではあるものの、永遠のものではありません。それを気の粒バイオンに転写して初めて、大宇宙外でも使用出来る永遠の意識記憶となります。その昔、人間意識を天体の成仏意識として気の粒バイオンに転写し、「神意識」を大量に作り出していましたが、ポリープ創造主達がその気の粒バイオンを食する理由から、現在は気の粒バイオンへの意識転写は行われていないのが実情です。つまり、今世の宇宙が終息すれば、誰の意識であろうと悉く平等に消えてしまう事になります。

 今から十数年前、創造主世界で勃発した戦火が大宇宙内部にも及んで、神々世界は一斉に消滅してしまいました(ポリープに食べられた)。優秀な人間生命の意識(神意識)を大宇宙外(六員結晶宇宙)へ引き上げて、創造主世界の一員へ仕立て上げる、それが慣例行事だったのですが、我々としては貴重な財産を一挙に失ってしまった事になります。電子バイオンをそのまま大宇宙外へ運ぶ事は物理的に出来ませんが、べつに気の粒バイオンへ転写しなくても、転写物の種類は他にも色々有って、人間の意識を大宇宙外へ運ぶ事は難しい話ではありません。大きな問題は、現行の人間社会には創造主世界で活躍出来る様な「優秀な人間生命」が居無いという事実であって、「居無いのであれば、これから育てよう」と考え直した事でしょうか。それと、これまでの神々による人間管理体制を終わらせて、創造主の直接管理下体制に切り替える事となり、地上の人間教育から天空の神々教育まで、一貫した教育体制を敷く事になりました。

 人間期間から宇宙生命論を学んでもらい、優秀な人間生命を育てて、卒業後(死後)は霊魂体宇宙人(人間と同様に心を営める神)として銀河系で活躍してもらい、そうした実践経験を積んでから創造主門を潜ってもらおうというのが新体制の方針です。神の玉座に胡坐(あぐら)をかいてしまえば(尊敬を集めて偉くなってしまえば)、向上心を失って、後は堕落と腐敗が待ち受けているだけの話、創造主とは永久の修行僧でなければならないのです。創造主へ成長する為の学問哲理、それが「宇宙生命論」ですが、その骨子とはシンプルな「陰陽原理」にあって、この宇宙の森羅万象を説明出来る普遍法則の事です。陰陽原理を体得しなければ生命論を学んだ事には成らず、またその哲理を学んで胸に深く刻まないと、宇宙創造主には決して成れないという「究極の原理」の事です。長たらしい前置きとなりましたが、本日は宇宙生命論の骨子である「陰陽原理」に関して、その概論的な説明をしようと思います。

           陰陽の三法則

         ① 流転則(成長の法則)

         ② 優劣則(優化劣化の法則)

         ③ 因果則(因果応報の法則)

 「この世の万物万象は陰と陽の異なる形質から成り立っている」というのがいわゆる一般的な陰陽論なのですが、男と女、陽子と陰子、北半球と南半球、右手と左手といった単なる二元論の区分け話ではなく、過去と未来、植物と動物、夜と昼、実像と虚像、ハードとソフトなど、陰陽の違いを指す「差の哲理」を述べたものです。「陰」の定義とは母体の意味であって、最初に存在する骨格ベースとなる形質を指しています。また、「陽」の定義とは母体から派生してくる子体の意味であって、その物や現象の本質や本分を表すものです。例えば、「夜」と「昼」に関して、どちらが「陰」でどちらが「陽」なのでしょうか。宇宙には元々明かりが無く、暗くて寒いのが宇宙空間の定常状態です。そこに恒星が誕生して光の世界が後から出現してくる事から、夜は陰、昼は陽となります。それと同様に、「雌」と「雄」はどちらが「陰」でどちらが「陽」なのでしょうか。生物の原形は雌雄両体が原則であり、全て「雌」からのスタートです。その雌から分派してきたのが「雄」であり、従って、雌が陰、雄が陽の存在となります。

 「過去」と「未来」の様に、最初に存在するのが陰(母体)であり、未来とは後から発生してくる陽(子体)になる訳です。過去に学んで過去に生きたところで、それは同じ事の繰り返しだけの話、生きる本分(夢や希望)とは未来側にある事は承知の通りです。一つの物を陰陽分割してみると、必ず陰の部分と陽の部分に分かれています。物には用事を足す本質の場所が必ず在って、例えば鉛筆や筆や耳かき棒を見て、その物の本分を足す大事な部分と、それを補助する為の柄(: 取っ手)の部分に分かれている事はあなたにも分かる筈です。柄の部分が陰、筆先の方が陽であり、ペンとしての命(本分)が陽側に在って、それは柄を操作して後から取り付けられる部分なのです。では、コップの「底」と「飲み口」に関して、あなたはどちらが陰でどちらが陽なのか判別が付くでしょうか。液体を入れる容器としては一見「底」が大切の様にも思えますが、コップを製作する行程を考えれば、底側からコップが作られて、最後に飲み口が作られる理由から、飲み口が陽の部分である事は推察出来ます。そもそも飲み口が無ければコップとは言わないのであって、コップ(容器)の命とは「飲み口」なのです。

 それと同様に、家という建築物に於いて一番大切なのは家のどの部分なのでしょうか。土台なのか、壁なのか、部屋なのか、屋根なのか、あなたには推察が付くでしょうか。あるいは自動車という乗り物に関して、一番大切な本質とは車のどの部分なのでしょうか。それはエンジンなのか、ボディなのか、タイヤ(車輪)なのかという問い掛けですが、あなたはどう考えますでしょうか。その物の本質を指す部分は一番最後に作られる、もしくは取り付けられる部分であって、それが陽である証明だと言えます。承知の様に、建築物は屋根から作る事が出来ません。土台から作って最後に屋根を被せる事から、家の命は屋根に存在する訳です。そもそも家とは雨露を防ぐ目的の物であり、外環境から独立させる物なのです。そして、自動車を作る行程に於いて、一番最後に整備されて取り付けられるのがタイヤ(車輪)です。エンジンが有っても車輪が無ければ走れません。リアカーも馬車も自動車も、車輪こそ命であって、そこに本質がある訳です。

 一人の人間の成長行程を考えれば、少年時代、大人時代、老人時代という三つの区分に分割出来ますが、少年期から大人になるまでの前半期と、大人から老年期に至るまでの後半期に分けて、前半期とは「陰の行程」である事は皆様にも理解出来ると思います。人生の本分・本懐というものが後半生の「老年期」にある事は承知の通り、後半の「陽の行程」にこそ意味と価値が存在する訳です。それは過去()に意味があるのではなく、未来()にこそ意味が存在する事と一緒の理屈でしょうか。さて、ここで考えて欲しい事は、子供(過去)から老人(未来)になる行程は実在しても、老人から子供に戻る逆行程はこの宇宙には存在しないという事実です。つまり、未来から過去に戻る行程は無いという事であり、その様な意味では、タイムマシンを想定するパラレル・ワールドとは陰陽原理を熟知していない西洋の数学者が考え出した青臭い夢物語に過ぎません。彼等は「鶏が先か、卵が先か」という簡単な問い掛け問答にも正解を導けない低脳民族、最初に存在する親が陰、後から誕生してくる卵が陽、従って、後先問題は「鶏」と答えるのが正解なのです。

 親子関係こそ陰陽を象徴する代表的な範例ですが、勘違いしないで頂きたい事は、一人の人間の成長行程に関しては、子供時代が陰、老人時代が陽と成りますが、複数の人間を客観的に総じる場合は、一般的には最初に存在する親側が陰の存在となり、後から誕生してくる子供側が陽の存在と成ります。ところで、こうした陰陽分類は万物万象に対して類別区分けが出来るものですが、運動原理に基づく法則が存在しており、それが最初に示した「陰陽の三法則」です。これらの法則に関して、大変大雑把な説明で申し訳が無いのですが、アバウトに概論だけを述べようと思います。

  ① 流転則(成長の法則)・・・この世の万物万象は陰から陽に向かって流転し、一方通行(陽化)の行程を辿る(逆行程は無い)

 川の流れは上流()から下流()に向かって一方的に流れるもので、自然界に於いては下流から上流に向かって流れる逆方向はあり得ません。それは時間の流れ(西暦)も人間の年齢も一緒の理屈であって、未来から過去に向かう逆方向の流れは原則的に存在しません。川は下流で海に注ぎ、その一生を閉じますが、海(川の母体)は蒸発して再び川を生み出します。大きな意味では循環(サイクル)しているのですが、そのサイクルの方向もいつも一緒、逆向きバージョンのサイクルはあり得ません。人間が良く勘違いするのは、化学反応などの行程が可逆的である理由から、「こちら向きの反応行程があるならば逆向きの反応だって有り得る」と単純に発想してしまう事です。自然界には可逆反応は存在しませんが、人為的にエネルギーを加えて無理やり起こす可逆反応は、それは逆行程とは言えないのです。人為的にエネルギーを加えれば、川の流れだって一時的に逆方向へ流す事も可能ですが、だがそれは自然則に反する行為、無意味な行為と言えます。自然界の「道理: nation」を心得ない若者の単純発想、それが地球科学をグチャグチャにしている原因の一つなのです。

 道理を心得ない科学者達の青臭い発想と言えば、核分裂反応と核融合反応でしょうか。物質エネルギーとは破壊分解行程から誕生するもので、つまり、物が壊れる際に生じるエネルギーなのに、物と物が融合する際にもエネルギーが出るというデタラメな発想が、ベーテとワイゼッカーが提唱した「核融合理論」です。私自身も低温核融合に携わった人間ですが、核融合反応とはエネルギーを消費する反応であって、エネルギーが放出された試しは一度も経験がありません。太陽も地球も核融合反応ではなく核分裂反応で燃えており、それが自然界の正しい姿なのです。水爆(核融合爆弾)など実際には存在しないのに、なぜ軍部は「嘘」を付くのでしょうか。阪大の熱核融合炉からエネルギーが出た試しは一度も無く、政府はそうした研究詐欺に大事な国費を投入しなければならないのでしょうか。太陽の周囲に存在する膨大な物量の水素ガスやヘリウム・ガスを見て、宇宙人はそれらを太陽コアの核分裂反応によって吐き出された「排泄物(ウンコ)」と考えるのに対して、地球人は太陽を燃焼させる為の「燃料(食料)」だと主張している訳ですから、物事の道理も分からない「お馬鹿」だという判定が下されます。

 光エネルギーが乏しい宇宙空間に於いては、水分子は通常「固体」の状態で存在しますが、太陽に近い惑星の中では「液体」や「気体」で存在しています。水が液体でいられる「水の惑星(太陽系の内惑星)」にしか生物が誕生しない理由はここに在ります。そもそも温度が低い状態が「陰」、反対に高い状態が「陽」である理由から、素粒子や原子や分子などの運動体は温度が高い程活性する事は承知の通りです。水分子も温度が低い状態では固体を呈し、高くなるに連れて液体となり、最終的には気体となって分散してしまいます。従って、水分子の陽化行程とは「固体」−「液体」−「気体」という一方通行を辿る事になり、これは一個の岩石が崩れてボロボロになり(液状化)、更に土壌の砂粒と化していく(気体化)行程と同じものです。太陽や惑星の中心核に存在する超密度の天体コアが液状化(マントル化)して、最終的にはガス化していく行程も自然な姿であって、宇宙の物質は固体−液体−気体という「陽化行程」を平均的に辿るものです。大きな物質単位が次第に分解されて小さな物質単位へと遷移していく「破壊分解行程」の事を「陽化行程」と表現していますが、しかし、破壊行程ばかりであると、物質世界はあっと言う間に磨耗して消滅してしまいます。

 人工的に空気(主成分は窒素と酸素)を冷却圧縮してやると、やがて空気が液化します(液体空気)。つまり、光エネルギーを遮断し(気体活性を抑制)、強制圧縮してやると、分子と分子の結合力が優って気体状態が解消され、自然の流れとは逆方向の現象が起こり得る訳です。昼休みの自由時間、グラウンドで遊んでいる子供達を校内放送で呼び集めて集合させるのは結構大変な作業であり、一地点に集めるだけではなく(液化状態)、子供達を整然と列を組ませる(固化状態)行為はもっとエネルギーを要する事です。その理屈と一緒であって、お利口ちゃんの状態(固体状態)をずっと維持させる事は容易な事ではありません。ともすれば子供達はバラバラに分散してしまうものだからです。自然界に於いても、学校の先生の様な働きをする特別な作用体が存在し、膨張していく大気を重力圧縮で地表に縛り付けて、また、宇宙空間へ拡散していこうとする空気を「拡散渦」で液化させて「雲(水蒸気を液化した霧核の集合体)」を生産し、「雨」として水を地上に戻しています。そういう可逆的な作用行程が存在する事から、海が蒸発せずに残っている訳です。地表に於いては、氷を溶かす事は簡単であっても(自然の流れ)、水を氷へ戻す逆行程の方がエネルギーを消費する事になります。

 コンクリート製の頑丈な建物を建築しても、それは僅か60年の命、金属製のタワーも補強無しでは200年間保たす事は容易な事ではありません。あらゆる物が破壊分解されていくという「退道(たいどう)行程」の中で、逆に物を創り上げていくという成長生産行程は「生道(しょうどう)行程」と呼ばれますが、それは気体を液化するのと一緒の行為、手間暇を要する、つまりエネルギーを消耗する行程なのです。子供の教育に手間暇を掛けなければ、子供は一人前の社会人には成長出来ないもの、社会()が関わらないと言葉すら話せないものです。放ったらかしでは野犬や野良猫と一緒、衣服を纏う事すらしないでしょう。生きる事(生道行程)とは、ある意味では自然界に逆らって生きる事であり、規律や法律で人間の行動を規制するのも、自然のなすがままにはさせられない事情があるからです。野蛮人が都内をうろつき回り、そこら中で暴動が発生し、路上のあちこちでは捕まえた女性を次々と強姦しているといった社会は想像したくもありませんね。動物には教育を与えて道徳を教え込まないと本能的な獣性から免れる事は難しい理由から、創造主世界では人間を何千回も輪廻転生させて「人間経験値」を積ませている訳です。

 さて、ここで知って頂きたい事は、自然界の事象が流れ転んでいく「方向」であり、この世の万物万象が陽化の行程を辿っているという事実です。逆方向の作用もあるが、しかしそれはほんの一握りの話、老人が若返っていく行程は無いし、また、時間の流れがバックしていく行程も無いという事実です。宇宙膨張の行程があるならば、逆に収縮していく収縮行程もあるのではないかと、阿呆みたいな連想はしない事でしょうか。一旦、伸びてしまった輪ゴムやテニス・ボールは、最初から作り直さない限り元には戻らないのが物事の道理、陽化行程の成れの果ては「死」であって、宇宙も天体も人間も、あらゆる事象がそれで一区節を終える事になります。川の寿命は河口で終了し、淡水は海水へ帰納してその寿命を終えます。宇宙空間に広がった天体は、運動の衰えに従って渦巻の形態を解き、最終的には気の粒へと戻ってしまいます。また、大気圏外へ拡散した水蒸気分子は、その一部は循環行程に進んで再生はされるものの、多くの水分子を手放して失ってしまいます。その様な意味では、いつまでも在ると思うな「地球環境」でしょうか。

  ② 優劣則(優化劣化の法則: 進化の法則)・・・一つの物を二つに分割すると、必ず片方が優化し、もう片方がその分劣化を余儀なくされる。また、優化した者には劣化した者に対して「守る義務」が生じ、また、劣化した者は優化した者に対して「守ってもらう権利」が生じ、また、劣化した者は常に優化したものの命を握っている。

 ①の流転則とは、一つの事象もしくは一つの生命が陰から陽へ流転していく様が一方通行で進むという原理を説明したものですが、②の優劣則とは一つの事象ならびに生命が分派して分かれた場合、つまり、複数の個体間に作用し得る自然則を説明したものです。早瀬の急流が二つの支流に分派した場合、太い支流と細い支流に分かれる事になりますが(優劣分派)、優劣則とはこれらの支流同士の関係性を説いたものです。地球の原始海洋の時代、最初に出現した細胞は自活が可能な植物細胞でした。動物細胞とは無論、その植物細胞から分派してきた新型種であり、運動器官を有する新進気鋭の細胞群でした。一つの細胞が細胞分裂によって二つの嬢細胞に分派し、その片方が優化して動物細胞へと進化していく訳ですが、この動物細胞の出現によって、地上の生物相が植物と動物に分かれていく事は承知の通り、当然「植物と動物の関係性」には「優劣則」が成立します。

 「植物と動物、優化したのはどっち?」と問われれば、勿論答えるまでもありませんが、生物にとって「陽の魂」とは運動能力の事です。動物が植物の持つ運動能力まで獲得してしまった事から、植物は地に呪縛された生き方を余儀なくされたとも解釈出来るし、また、自分が動けないから動ける子体を生み出したとも考えられます。いずれにしても、植物と動物(昆虫)の惑星は銀河系には大量に存在しており、別に創造主が生物霊界を建設する以前の段階から、植物と動物、雌と雄などの陰陽区分は自然に出来上がっていました。動物は植物を劣化させた分、その分優化した存在ですが、両者の関係性は、動物は普段植物を食べて生きていますが、逆に植物によって命を握られており、命綱の「食料」と「酸素」を供給してくれるのは植物の方です。植物を根絶やしにすれば、動物は自分の命を断つ事になってしまうのです。動物には植物を守らなければならない義務があるのです。

 「女性と男性、優化したのはどっち?」と問われれば、互いに動物種の中での雌雄分派ですから、本質的に大きな差はありませんが、その肉体は機能的に女性は重装備、それに対して男性は軽装備のインスタント種です。雌雄両体から動物がスタートする事実を考えれば、女王蜂が単為生殖によって雄の働き蜂を生産する如く、生活の都合上、雌は雄を分派させたと考えるのが妥当であろうと推察出来ます。いずれにしても、男性が優化した事実は確かな事ですが、男性は女性に子宮で命を握られており、もし女性が根絶やしになってしまえば、男性も滅んでしまうのです。男性には女性を守る義務が在って、また女性は男性に守ってもらう権利があるのです。女性を大切に扱わない男性には天罰が当たるかもです。ブヒン!!

 さて、敗戦国のドイツを二つの国に強制的に分割すれば、片方が激しく優化した分、もう片方がその分激しく劣化します。優化したのは西ドイツ、劣化したのは東ドイツです。劣化国は国力が低下し、最終的には優化国に「劣化従属」を余儀なくされて、元のドイツに戻って一つになるのが一般的な相場です。それは早瀬の急流が二つに分かれて結局は一つに纏まるのと一緒の理屈です。では朝鮮半島を無理やり分割して誕生させた韓国と北朝鮮、優化したのはどっちなのでしょうか。北朝鮮の運命は語るまでも無く、最終的には韓国に「劣化従属」を余儀なくされてしまう運命なのです。これと同じ原理は、イデオロギーの違いによって世界は「民主主義国」と「共産主義国」に分派しました。優化したのはどちらなのでしょうか。そんな事は自明の理であって、共産圏は民主主義国に対して最終的には「劣化従属」する運命にあります。

 札幌支店の営業成績が振るわず、北海道から撤退を余儀なくされている会社へ助言したいと思います。これは陰陽則の応用編なのですが、一つの支店を無理やり二つに分割させて競争をさせると、一つの支店だけが急激に伸びて、もう一つの支店が伸び悩みます。優化した支店を最大限に伸ばすまで劣化支店を存続させるのが骨、最終的に劣化支店を優化支店へ劣化従属させて一つの支店に戻します。すると、これまでの伸び率の勢いは止まるものの、昔の支店とは桁違いの成績を示す支店に変貌しているのです。実は、この優劣則とは「生物進化の法則」であって、優化種を意図的に作り出す方法なのです。

  ③ 因果則(因果応報の法則)・・・この世は原因(作用)と結果(反作用)の世界、やればやられる世界である。

 最も簡単明瞭な法則、それが因果則でしょうか。「種を蒔かねば収穫は無し」、「寝ない者は起きられない」、「出さないと食べられない」、「振らないと当たらない」、「やらなければ始まらない」、「言葉を発しないと相手には伝わらない」、「求めよ、さらば開かれん」など、昔から格言として伝えられてきた名言が多いと思います。しかし、意外と若い間はこの格言の意味が良く理解出来ないもの、この理屈が納得出来る様になるまでにはかなりの人生経験が必要な様です。ドア()が勝手に開く事は無く、風か人か動物か、あるいは霊体か霊魂体の仕業なのか、何かが作用しなければドアが自然に開く事はありません。それと同様に、なぜ天体が自転しているのか、なぜ素粒子がスピンしているのか、回転を起こせしめる何かの力が作用しない限り、勝手に回る事はありません。元々正常な体細胞しか存在しないのに、なぜ突然「癌細胞」が誕生してくるのでしょうか。正常細胞を癌化せしめる何かの原因が必ずある筈であり、この様に、およそ学問追求というものは因果則の追求にあります。

 宇宙空間に存在する物は「気の粒」のみ、その気の粒を圧縮膨張させて天体渦が誕生し、渦磁場重力が作用するその中心点には天体のコアが誕生してきます。そのコアが分裂崩壊して100種の元素が誕生してきます。従って、大宇宙空間に存在する物質とは100種の元素から構成される「在り来たりの物質」しか存在しない訳です。同じ元素素材を使って、同じ化学反応を経て、同じ物質が生成される訳ですから、どこの惑星を見ても同様な人間、同様な動物、同様な昆虫、同様な植物しか存在していません。地球人が想像も出来ない様な生物がいる訳もありませんね。物事の道理をしっかりと頭に叩き込めば、尻の青い科学者達の妄想話に振り回される事も無いのです。科学理論や数理で宇宙を判断してはいけません。自然界の道理で、つまり常識で判断していくのです。気の粒から誕生した物質宇宙は最終的には気の粒に戻ってしまうもの、元々形なんて在って無い様なものなれば、この世は「虚無の実相」だという意味も分かる筈です。月や衛星の岩石を収集してきて、それを研究して一体何が分かると言うのでしょうか。岩石成分などどこも一緒です。

 地球のガキんちょ科学など放って置いて、あなたは宇宙論(学問)をちゃんと勉強しましょう。地球人の学問は学問ではありませんね。だが地球の道理は宇宙でも通じるものなれば、学問以前の問題として、先ずは自然界の道理を頭に叩き込む事でしょうか。クレヨンしんちゃんじゃありませんが、「勉強しろよ」、ブヒン!!

 

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