〈創造主の生命査定術(その2)〉
大宇宙(メシア球)の担当創造主は惑星生物を「猿(ブエデ: 霊長類)」へと進化させて、その猿をヒト化させて大量の「人類」を創り出しますが、今度はその人類を更に進化させて優化種を作り出し、進化の行程から落ちこぼれた劣化種を始末していくという手段を講じて、天体生命の全体的な品質向上を図っていく役割を有しています。当然、陰陽法則から言っても、宇宙の初期段階で発祥させた早熟な人類よりも、後半期に誕生させた遅まきの人類の方が未来型であって陽化種となる訳です。聖地「地球」は他の銀河人類と比較すると2000万年以上もヒト化が意図的に見送られて来た経緯があり、最後の最後に猿の加工作業が行われた惑星です。従って、地球人類こそ宇宙の主人公に他ならないのですが、しかし、聖地民族の全員が宇宙の主人公だとは言い難く、残念ながら進化の潮流は地球の民族自体にも押し寄せてきて、優化民族と劣化民族に分けてしまうのです。地球民族の陽化種とは我々「龍神島民族」の事ですが、問題は龍神島民族の中にも進化が起こって、優化組と劣化組に分かれて分派していくという事実です。
人間の肉体進化は既に終了しており、進化の対象は主に「頭脳」に起こります。「頭脳」、つまり意識回路や心回路の事ですが、真実の宇宙知識(天体や霊界や生命に関する知識)を学んで宇宙の全体像を掌握しないと、座標点も分からない(位置も方向も分からない)まま、盲目のカオスの海を永遠に漂う嵌めになってしまいます。人間が一体何の為に誕生し、どの方角に進んで、何をすべきなのか、宇宙とは何か、天体とは何か、そして神や創造主とは何か、そうした基礎的な知識を学ばないと未来の方向が見えてこないものです。有限なる物質宇宙(運動宇宙)に住まう我々人間生命にとって、宇宙とは決して優しいものではなく、あらゆる物質が破壊され分解されていく運命に在ります。皮肉な事に、人間とは宇宙の「破壊分解行程(退道行程)」の途上に誕生し、つまり物が壊れていく環境下に生まれて、その中で「成長生産行程(生道行程)」を歩まなければならないという、厳しい運命が課せられているのです。大宇宙の盛りの時代はとっくの昔に過ぎ去りました。今は天体(星々)が次々と消滅していく後半生の時代なのです。
閉じていく老化宇宙(陽化宇宙)に誕生した人間生命の課題は、「如何に生き延びて、最後の最後まで生存を勝ち取るか」です。その昔、天の川銀河系には381部族もの惑星部族が誕生し、銀河文明が華やかに開花した黄金期がありました。それは数十万年も前の過去の話ですが、現在は地球も含めてたった22箇所の惑星人類が生き残っているだけです。地球もその運命からは逃れる事は出来ませんが、22個の惑星も間も無く滅び去る時期が到来する事でしょう。過去世宇宙の歴史を眺めれば、宇宙空間(銀河団)を渡り歩いて、最後の最後まで生き延びた聖地民族の中から創造主の後継者が選出されるのが慣例であり、今世の宇宙の特別人事(ソロジン選出)は異例の事態でした。幸いビッグ・バン再生は中止となり、メシアA球の存続期間は小宇宙の運動寿命が尽きるまで延びる事になりましたが、惑星民族にとっては星の寿命との戦い(生存競争)が待ち受けている事になります。どの民族にとっても、生きる為のストゥラグル(苦渋)は試練として与えられています。北国の大地にも花が咲き誇る時期は必ず訪れるものですが、いずれは冬に閉ざされて、花の姿は一輪も見えなくなってしまうものです。
宇宙のビッグバン・サイクルを一年に例えれば、既に夏の盛りはとうの昔に過ぎ去って、枯葉が舞い散る秋枯れの季節に我々地球人類は誕生した事になります。人類の前途に待ち構えているものとは宇宙の冬に他ならないのです。夢も希望も無くしてしまう様な儚い話ですが、だが物質世界は消え去ってもアストラル世界が消え去る訳ではなく、人間は毎年開花して毎年消えていくものの、創造主世界が滅び去る訳ではありません。創造主が健在だから次のビッグバン再生が始まり、次世の宇宙が再現されて人間が誕生してきます。人間目線で物を思考すれば、人類の未来には悲しい末路が待っている様に見えても、あなた自身が創造主に成長すれば、ビッグバン再生は毎年の恒例行事、人類全滅も毎年の恒例行事に過ぎません。まるで枯葉の如く次々と姿を消していく天体、その天体を渡り歩いて最後の最後まで生き延びる事、それが創造主になる為に課せられた試練であって、それに立ち向かっていく事が主人公民族のブループリント(宿命)なのです。今回のバエルヤ・エクソダスとは最初の試練に過ぎなく、人類が続く限り、第2エクソダス、第3エクソダスという風に、生存を掛けた戦いが続いていくのです。
創造主の宇宙観にはそうした宇宙再生や人類の末路が見えているだけに、人間査定には大変厳しいものがあります。向上心の無き者や、困難に立ち向かっていかない者(戦わない者)や、状況や場を理解出来ない者や、集団行動が出来ない者や、法律や道徳や秩序を遵守出来ない者や、宇宙真理を体得出来ない者や、仲間や家族や祖国を守ろうとしない者や、自分の事しか考えない得勝手な者は、基本的に神にも創造主にも成れない訳であって、使い物にならない理由から、人間を止めて頂く事になります。とかく人間とはバラエティーが豊かな個性に富んでおり、そうした個性とは渦磁場十二階層の違いや、力場の十二色の違いや、四つの眷属性の違いや、六種のブエデ属性の違いや、生命型の違いや、地球の半球性などの違いなどに起因しており、現れ方は十人十色ではあるものの、現実の社会に於いて使い物にはならない者は、宇宙に行っても使い物にはなりません。たとえ優秀な生命であっても、欲望の罠に嵌まった脱落者は「理性力欠如」という理由で進化の行程から間引かれてしまいます。
「神だか創造主だか何だか知らんけどよー、俺の命だから、俺は俺のやりたい様に生かしてもらうぜ」。こういう生命も多分いると思います。こうした生命に対する我々の対処の仕方は簡単明瞭、「どうぞお好きな様に地球で生きられるだけ存分に生きて下さい、我々はあなた達には関与しませんから」という一貫した態度を取る事です。つまり、彼にはエクソダス(地球脱出)に見合う資格が無いと判断を下している訳です。我々は日本人の優化種にしか関心が無いのであって、基本的に劣化種には用事が無いのです。知能の発達や心の発達が進化種と劣化種の違いであり、宇宙生命論を学んで納得している様なレベルの生命では進化種とは言えず、「もっと知りたい」とか「これからどうするの?」とか「私でもお役に立てるだろうか」といった向上心や求道心を持った者でなければ、人類の未来を担う進化種とは言えませんね。今の我々の仕事は日本人の中から進化種を分派させる事であり、その進化種を「生身脱出」もしくは「霊魂体脱出」させて、未来宇宙の人材(創造主世界の一員)を確保する事です。
さて、地球は磁場や力場の方向性が北半球と南半球で大きく分かれており、南半球が「陰」で北半球が「陽」となります。また、地球渦流が左巻きである理由から、回転領域を大きく4分割(90度分割)した場合、最初の始動部が純陰となり、最後の終息部が純陽となります。回転運動を二つに大別すると、始動側が陰となり、また終息側が陽となる事から、これらを更に4分割した場合は陰側には「陰陰」と「陰陽」の領域が、一方陽側には「陽陰」と「陽陽」の領域に区分出来ます。地球という球体を赤道を中心に二つに分割しても、あるいは地球を林檎の様に4分割してみても、一見、どうでも良い様な話ですが、これは磁場や力場の2分割や4分割の話であって、分割の場所柄によって形質が大きく異なり、それは地表に生息する生物にも大きな影響力を行使しています。北半球人間と南半球人間ではまるで人種でも異なる様な大きな隔たりがあって、のんびりした感覚の南半球人間が北半球のスピード社会に順応するのはかなり厳しく、北半球では「南半球人間は会社人としては使えない」と烙印を押されてしまうのが一般的な様です。
※ 半球性 ※
上図(1)に示したのが半球分割ですが、S極から入ってN極から吹き出す中心磁束流や力束流が磁場や力場を循環しており、南半球に生息する動物や人間は物理的に頭側から「力」が入力して足元に抜けていく事になります。従って、進化の活性は主に下半身側に起こって、身長は抑圧されて小さくなるものの、足や腰や生殖機能などが発達していきます。当然、下半身が発達した分、その分逆に頭部や上肢(手腕)が退化していくという傾向にあります。南半球を生息地にしてしまった鳥類は、足が発達した分、その分手(翼)が退化して、飛べない鳥に変化してしまいました。有袋類がなぜ南半球だけに生息しているのか、無論、それは生殖機能が発達したからです(北半球は産み捨て)。それに対して、北半球は反対であり、磁束流や力束流が足元から入って頭部に抜けていく為に、生物の身長が伸びて大きくなっていく事は勿論、進化の対象が主に上半身側の頭部や腕に起こります。同じ熊や狐でも北極圏の熊や狐が一番大きい事は承知の通り、当然、頭脳が発達する訳ですから、文明国は北半球だけに集中しています。こうした物理環境のなせる技が、南半球人の特徴となっており、身体は頑丈ではあるものの、社会性を有さない事(働く意欲が薄い事)が北半球では一番のネックとなる様です。
〈南半球人の特性〉
南半球特性とは個人位相が南半球に存在する生命の事であり、北半球に生まれ様が、南半球に生まれ様が、位相が南半球に存在すれば「南半球人」と言う。半球特性としては、家族性が薄く、基本的に親の言い付けを守らない。自分の好きな様に振る舞いたがり、社会や世間やルールや義務などの呪縛を嫌う。人を騙(だま)したり、陥(おとしい)れたり、憎んだり、妬(ねた)んだりする様な卑屈な精神は見られないが、とにかくのんびりとノホホンと自由に暮らしたがる。好きな仕事はするが、嫌いな仕事はしたがらない。一般的な欲心も薄いが向上心も薄く、現状のままで諦めて納得する。体は下半身が屈強なので、なかなか倒れる事は無い。生家(親元)と縁遠く、盆や正月でも帰省しない傾向。北半球人間と比較すると、大脳ニューロン・ループ単位(N単位)の発達率が悪く、六道劣化する比率が高い。
※ 眷属性 ※
上図(2)に示したのが地球の4分割図であり、地球を縦に4分割する線の事を「眷属線(リグニオ線: 神語)」と称していますが、元々は渦巻の母体運動(四角点運動)の四つの対角線(グリッド線)を基盤として形成されるテトラ体の骨格力線の事です。地球人はそれを「子午線(180度分割線)」と呼んでいますが、正確には子午線も眷属線(リグニオ線=テトラ力線: 90度分割線)の一部に過ぎません。地球の1回転を4当分にする線の意味であり、また1日を朝・昼・晩・夜に分ける線でもあります。地球人がどの様な区分をしようが、四つの眷属線は既に定まっており、回転の始まりは玄武線(太平洋子午線: 東経180度=西経0度)を起点としており、玄武線から鳳凰線(西経90度)までの1/4領域が「玄武領」で、魚類や爬虫類が最初に発生する場所です。また、鳳凰線(西経90度)から麒麟線(西経180度=東経0度: グリニッジ線)までの1/4領域が「鳳凰領」であり、最初に鳥類が発生する場所です。また、麒麟線(グリニッジ線)から龍線(東経90度)までの1/4領域が「麒麟領」であり、最初に哺乳類が発生する場所です。そして最後に龍線(東経90度)から玄武線(東経180度)までの1/4領域が「龍領」であって、最初に霊長類が発生する場所です。
不思議な事に生物進化とはあらかじめ定められた領域で発生するものであり、例えば、「玄武領」に生息する一部の魚類だけが浮き袋を肺に変化させて爬虫類へと一斉に進化し、また、「鳳凰領」に侵入した一部の爬虫類だけが上肢を羽に進化させて空を飛ぶ様になり、また、「麒麟領」に住み着いた一部の鳥類(原始鳥類獣: 飛ばない鳥)だけが卵生から胎生に切り替わって哺乳類へと姿を変え、また、「龍領」に侵入した一部の哺乳類だけが大脳アンテナを発達させて霊長類へと進化していきます。そうした肉体の構造変化は物理的に定められた領域でのみ起こるものであって、その様な意味では四眷属領(四テトラ体領)とは生物進化のダイナモ領域と言える訳です。本源の本源を正せば、渦巻骨格を作り出す力線の四角点運動が形成するテトラ骨格(正八面体)に、天体や生命のあらゆる謎が封印されており、重力も潮汐力も斥力も、心(精神)活動(ヌクヒブイ運動)も、睡眠も、生物進化までもがテトラ体のなせる「技」だと言ったらあなたは驚くでしょうか。
さて、生物進化の発生場所が物理的に最初から定められているという驚くべき話ですが、実は地球霊界の位相群も四つの眷属領の必ずどれかに属しており、仮に自己の位相が麒麟領に存在すれば、その方は所謂「麒麟属の生命」であると呼ばれます。四つの眷属性は肉体や意識にも大きな影響を与える事から、地球でも昔から研究がなされてきました。特に人間の体質や行動の四つの違いは、古くはアーユル・ヴェーダ医学やユナニ医学や中国医学でも語られており、また、アメリカ・インディアンも人間の四つの体質について言及しています。同じ人間や、同じ猫や、同じ犬や、同じ鳥なのに、共通した四つの顕著な違いがあって、なんとその行動パターンまで良く似ているから驚きなのです。実は「龍神」もこの眷属別に分かれており、四つの共通性質を示す理由から、これは渦磁場の物理性質だと言っても構わないでしょう。創造主が人間査定を行う際にはこの眷属性を最初に考慮しなければならず、12種の生命色と掛け合わせて、白龍(はくりゅう)や、白銀麟(はくぎんりん)や、紫鳳(しほう)や、群青武(ぐんじょうぶ)などと称して、その生命の眷属特性を見極めています。では、生物に共通する眷属性の違いとは一体どの様なものなのでしょうか。具体的に説明しようと思います。
〈玄武属性(爬虫類性: 陰陰)〉
自己の位相が玄武領域に存在する全ての生物は、基本資質として爬虫類特性を有しており、その意識や心や身体までもが爬虫類と酷似した性質を醸し出しています。これは人間(霊長類)なのに4種類のタイプが居て、霊長類人間も居れば哺乳類(獣類)人間も居て、また、鳥類人間も居れば爬虫類人間も居るという話であって、それは猫でもインコでもトカゲでも、あるいは龍神でも神様でも一緒の話です。単純頭の西洋アンポンタン思想に感化された現代人、そのとうの昔に忘れてしまった記憶を思い起こして欲しいのですが、接しただけでも歴然と判別出来る人間の根本的な違いを再認識して頂きたいと思います。海の岩場で天日干しをしている「海イグアナ」を想像してもらうと、この生命を理解し易いのですが、一人朴訥(ぼくとつ)として佇(たたず)み、ただ海を眺めているその姿は一見哲学者や求道者にも見えますが、実はただボーっとしているだけの話、実際は何も考えておらず、辺りにも神経を使っていません。起きながら寝ているのと一緒です。感性が発達していない為に、周囲の状況を見極める能力に乏しく、一つの事柄を考え始めると、それで精一杯になる事から他に神経を使う余力を無くしてしまうのです。一本槍の「トカゲ頭」とでも言いましょうか、この生命の最大の特徴は「無神経」「無感心」「マイペース」「孤独性」「薄情け」「非社会性(非家族性)」「非協調性」というものです。
群をなしている理由から、海イグアナも団体行動が取れるのかと言えば、実はただ互いに寄り添っているだけの話に過ぎず、食事時間も休憩時間も帰宅時間もテンデンバラバラ、天敵が出現しても逃げ方も統一されておらず、個人個人でバラバラです。そもそもトカゲやワニやカメが団体行動を取れる筈もありませんね。そうした性質は人間になっても一緒であり、この生命は寡黙で友人が少なく、家族や学校や会社の中でも「変人扱い」を受けてしまいがちです。一番困るのが周囲の状況や、その場の雰囲気や、自己が置かれている立場を理解し得ない事であり、それでいて質問が多い生命で(頭の整理が遅いので疑問だらけ)、よく場外れな愚問攻撃をして周囲に呆れられます(講義の速度に付いていけない)。基本性格は南半球人と酷似しており、決して悪い性格ではなく真面目な生命ですが、相手の心を理解出来ない蒙昧(もうまい)さと、状況を察知出来ない愚鈍さと、一人前の人間とは思えない未熟さは天下一品、「我ここに在る故に我在り」では路傍(ろぼう)の石コロと一緒、如何にも進化の途上に出現した原始生命体だと言わざるを得ません。それでいて、食欲と異性欲と要望だけは一人前だから困ります。
こうした劣悪な玄武属性ですが、他の要因から顕著に現れている場合を「ハード玄武」、他の要因から少しだけ現れている場合を「ソフト玄武」と称して区別しています。玄武属の基本的な体質は爬虫類系の冷血動物である事や、水性系の動物である事に起因しており、循環器系の未発達さがその特徴です。低温に耐える機能は備えているものの、高温には耐えられない体質である理由から、日常生活では冷たい温度の水に浸かる事や、夏場は汗を掻くことを好みます。生ぬるい温度のお風呂やプールなどに長時間浸かる癖があって、水の中にいる時が玄武属のリラックス・タイムの様です。それは猫でも犬でも一緒であって、水に浸かる事自体が余り好きでは無い哺乳類や霊長類の中でも、玄武系の生命は異例中の異例だと言えましょうか。実際の爬虫類(二心房一心室)の様に静脈血と動脈血が入り混じる事はありませんが、爬虫類体質をそっくり受け継いでおり、血球生産が不完全である理由から、免疫機能の疾患や、呼吸系の基礎疾患を持つ方が多い様です。運動能力がパーである(運動音痴)理由から、玄武属は動き回る事が少ない生命で、少し動いて直ぐ休憩を取ります。総じて一日の大半はトカゲの如く一人でジッとしており、静かに読書していると思ったら、よだれを垂らして爆睡しているという、他と決して交わろうとはしない孤独性分が伺えます。
人間は基本的に霊長類であり、社会性を有する事から、人を介して社会の仕来りを学び成長していきます。人と交わらないと自分の事も分からないからです。人と交わる事が嫌いで、一人単独で気ままに自由に生きたいと願えば、それは社会からの脱落を意味しており、成長が止まってしまう意味になります。世間から隔離された山奥に住む仙人、その仙人から一体どれ程の役に立つ情報が得られるというのでしょうか。トカゲ仙人に道を尋ねても、教わる事など何一つありませんね。玄武属の生命と言えば、一般的には「ピントがずれとるぞ」とか、「相手の立場を弁えろ」とか、「人の話を上の空で聞くな」という批判が多いのですが、だからこそ玄武属の生命は積極的に人と係わりを持って、独学姿勢ではなく共学姿勢で臨む必要がある様です。つまり、トカゲの垢が落ちた「ソフト玄武」に成長しましょう。血液型のAB型の人口数が少ない理由は、AB型は性格が悪いので間引きされるケースが多いからですが、四眷属の中で一番人口数が少ないのが玄武属です。その理由は社会についていけない脱落者が多いからです。
〈鳳凰属性(鳥類性: 陰陽)〉
自己の位相が「鳳凰領」に存在する生命は皆「鳳凰属性」を有しており、人間でも猫でも鳩でも、その基本的な性質や体質からは逃れる事が出来ません。爬虫類も鳥類も共に「卵生」ですが、鳥類の特性は何と言っても「空を飛べる事」にあって、視野が広い事と、囀(さえず)る事(言葉を喋る)と、温血動物であって、優秀な運動能力(心肺機能の発達: 二心房二心室)を獲得している事でしょうか。アフリカの湖に生息するフラミンゴを見れば、鳥類の共通性質がよく見えてきますが、鳥類は基本的につがい(一対)単位なのに群れ(社会)を形成しており、集団行動を取る事が出来ます。つまり、社会や団体の構成員になれるという意味であって、社会の一員としても、また小学校の一学生としても務まるという意味になります。自我を慎しむ事が難しく、団体行動が取れない様な生命体では無いという話です。話が少し変わりますが、四眷属領域は地球を4等分に分けたもので、本来は四眷属の人口が同等でなければならないのですが、実際には100人中、龍属が35%、鳳凰属が35%、麒麟属が23%、玄武属が7%の生存率であり、麒麟属と玄武属が間引かれている事実が分かります。その理由は、玄武属については納得ですが、麒麟属は肉食獣と草食獣に分かれている理由から、団体行動を取らない肉食獣の方が落とされているケースが多いからです。
鳳凰属性の特徴は、その動体視力に象徴される様な、鋭敏な感知力と反応の速さです。危険や異常や不正を直ぐに察知して仲間に知らせる事から、まるで軍隊の偵察兵か諜報部員の様な情報屋の役割を請け負っています。一方、人間と人間を「縁」で結んでくれるのが鳳凰属の本来の役割、ピーチクパーチクと雑談話がうるさいけれども、命令を素早く分析して隅々に伝達してくれる貴重な人材は、人=ビジネスの高速度通信網の情報社会に於いては無くてはならない存在です。どこかの団体に所属していたり、趣味の集まりの一員であったり、また、お稽古事や習い事にも積極的に参加する事から、見聞も広く、常に人を介して成長していく事から(人に育てられる)、斑(むら)の少ない一様な人格(常識人)を形成していく人が多いのが特徴です。欠点を言えば、人の批評や批判ばかりして、本人は「鳥頭(軽薄な頭脳)」だったり、喋るだけ喋りまくって「有言不実行」であったり、背水の陣で固めたのに本人は戦わずに逃げ出してしまうなど、粗(あら)を探せば色々と綻びが見えてきますが、それでも時代や時流に遅れずについていける所がこの生命の適応力の高さを物語っています。
鳳凰属の体質は鳥類のそれを直接受け継いでおり、人間の肉体なのに体質は鳥類そのもの、体は羽毛に包まれて暖かいけれども、足の血管網が発達しておらず、足だけが「冷え性」なのが特徴です。鶏や鶴の足を見れば如何にも寒そうに感じますが、夏場でも足が冷えるので要注意でしょうか。鳥類の特徴は他にもあって、睡眠が浅い事と(いくら寝ても寝た気にならない)、チョコ食いである事や、特に女性は腸の機能が弱く、「下痢ピー」か「糞詰まり」で苦しんでいる方が多い様です。鳥類は空を飛ぶ為に体重を軽くする必要があって、消化物を途中で液化して(尿酸化して)強制排出する事から、食べた食料の50%程度しか栄養が取れておらず、大変栄養価の高いウンチをしている事になります。それが故に、しっかり食事を取らないと栄養に不足をきたしがちです。鳳凰属にとっては断食療法など言語道断、玄米などの消化が悪い物はなるべく避けた方が良いかも知れませんね。これは鳳凰属だけの特権ですが、食事と食事の合間のチョコ食いもOKでしょうか。鳳凰属のアストリート・ダンサーがクラシック・バレエやアイス・ダンスなどを披露すると、身のこなしは勿論の事、腕や指先にまでしなやかな神経が通っていて、まるで本物の白鳥や鶴が踊っている様にも見えます。無骨な人間に「あんなに軽やかで繊細な動きが出来るのだろうか」と思わず見入ってしまいます。
鳥類の身持ちの硬さは「つがい」で有名な鴨や雁を見れば一目瞭然、一度結婚すると、相手を変えずに生涯を全うする方が多いのが特徴です。浮気性の龍属の生命とは随分異なります。子育てに関しては玄武属の親は卵を産み放しで最初から放任主義なのに対して、鳳凰属の親は一応は卵を抱いて雛を育てますが、ある程度子供が成長して巣立ちの時期を迎えると、突然、子供に厳しく当たって自立を促します。ある日突然優しい親では無くなる訳ですが、卵生の眷属性は子供に対する情が薄いのが特徴、その点、哺乳類の麒麟属や霊長類の龍属は「バカ親」傾向が強く、子供の自立心まで奪ってしまうのは頂けない話でしょうか。一般的な話をすれば、子供は満5歳まで目一杯の愛情で育てれば、後はそれ以上に過保護に育てる必要は無いのですが、現在のご時世は守護霊がいない理由から、親元から幼児を預かって育ててくれる専門学校が必要だろうと、個人的にはそう思っております。鳳凰属の生命は動き回っているか(飛んでいる時)、ジッとしているか(止まって休憩している時)、そのどちらかしか行動パターンが無く、布団に入っても寝ているのか起きているのかさっぱり分かりません。見渡しが効く高い所が大好きで、反対に低地恐怖症だから如何にも鳥みたいですが、感染症(風邪)にはやたらと強いのが特徴です。
その3に続く
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