〈創造主の生命査定術(その3)〉

    〈麒麟属性(哺乳類性):  陽陰〉
 自己の位相が麒麟領域に存在する全ての生物は、基本資質として哺乳類特性を有しており、その意識や心や身体までもが哺乳類と酷似した性質を醸し出しています。哺乳類は基本的に草食獣と肉食獣に分かれていますが、いずれも胎生であって、子供をお乳で育てる理由から、子供に対する愛情は強いものの、地上を徘徊する生物故に防御意識が極めて発達しており、自ら鳴き声を発して自己の居場所を敵に知らせる事を嫌がる本能を有しています。人間のみならず、猫も犬も麒麟属の生命は鳴き声を出さないのがその最大の特徴であり、人間もベラベラとは決して喋らない寡黙な方が多い様です。四つん這いの獣属は子供を抱き上げてスキンシップを取るのが苦手、それは猫も犬も一緒であって、体に触れられる事自体を嫌がります。ニャンニャンと鳴いて甘えても来ず、また布団の中にも潜り込んでも来ず、人間に体を撫でられたり触られたりするのも嫌だという、ペット(愛玩動物)としてはやや失格の麒麟属ですが、主人と一緒に狩りに出たり、犬ゾリを曳いたり、外敵から主人を警護したり、忠実で利口なニャンちゃんやワンちゃんというのが麒麟属の特性です。

 龍属の犬と麒麟属の犬を比較すれば、主人の顔色を見て事前に行動を起こすのが龍属ですが、麒麟属の犬は主人が命令を出さない限り、自ら進んで先走りする事はありません。やや反抗的で義務的に従うのが麒麟属の特徴なのです。一番分かりやすいのが、山歩きで熊と遭遇した場合、慌てて主人の元に戻って来て人間の後ろに隠れるのが龍属の犬、一方、熊に対して猛然と立ち向かうのが麒麟属の犬です。街中の散歩でも、他の犬が喧嘩をしかけてきても、麒麟属の犬は悠然と冷静に構えており、相手の威嚇に反応する事はありません。無論、実際に攻撃されれば即座に仕返しますが、龍属の犬の様に体裁や格好や面子を気にしないので、イチャモンを付けられてもヘッチャラなのです。プロの剣士はアマチュアとは戦わないと思っている様です。そうした凄み(凄惨さ)を備えているのが麒麟属の特性だと言えましょう。当然、人間の職業としても、アスリートとか、格闘家とか、狩人とか、軍人向きの性格であり(仕留める事が大好き)、味方にすれば心強い存在ですが、敵に回せば厄介な存在でしょうか。432神の龍神の中で、一番忠実で頼りになるのが麒麟属の龍神でした。

 麒麟属は草食獣系を「ソフト麒麟」、肉食獣系を「ハード麒麟」と称しており、団体行動が嫌いで、常に一匹狼でいたがる「ハード麒麟」は社会性を持たない理由から、社会情勢に疎くなり、また人間同士の付き合いを嫌がる理由から、知能の発達が遅れて間引きの対象となるケースが度々あります。しかし、「ソフト麒麟」であっても、最低限度のお付き合いに敢えて留めており、友達枠を徒らに広げない理由から、世間に疎くなる傾向は否めません。その様な意味では、麒麟属同士の結婚とか、麒麟属と玄武属の結婚などは夫婦の会話が無い理由から、出来れば避けたい組み合わせでしょうか。四眷属の中で、ピーチクパーチクと一番うるさいのが鳳凰属、喋っていないと死んでしまうのではないかと思ってしまうぐらいです。次にやかましいのが木の上の猿(龍属の事)、前者は群で行動するのに対して、後者は社会性を有し、基本的に団体行動、情報収集能力にも長けています。従って、比較的無口な玄武属や麒麟属の生命には、お喋りの鳳凰属か龍属の配偶者が理想的です。夫婦の会話が無いと、互いの分かち合い、補(おぎな)い合い、庇(かば)い合い、が生じないからです。

 麒麟属の生命は個人主義的で他に振り回される事は少なく(相手は相手、私は私)、いつも用心深く相手を見定めて観察しています。不言実行型の律儀かつ寡黙な生命であって、自立心が旺盛で、単独行動を基本にしています。肉体の特徴としては俊敏な運動能力と強靭な体力が売り物であり(アスリート向き)、柔軟でバネのある柔らかい筋肉をしています。特に下顎が発達しており、噛む力が強いのが特徴です。また嗅覚と聴覚が発達しており、知性力(学習能力)も高く、生真面目な生命なのですが、睡眠が浅く、短く粗末な睡眠しか取れない傾向にあります(神経質な睡眠)。母性は発達しており、女性はお乳の出も良いのですが、普段は怜悧なのに、一旦怒り出すと直情的な傾向性を示し、相手にとどめを刺してしまうのが欠点でしょうか。心肺機能が発達している割には腎機能が弱く、血液の濾過作用に弱点を持っています。虎やライオンが水浴びしている姿は滅多に見られない様に、この生命は水を苦手としており、体を濡らす事に、あるいは水の中に浸かる事に些かの抵抗がある様です。

    〈龍属性(霊長類性): 陽陽〉
 自己の位相が龍領域に存在する全ての生物は、基本資質として霊長類特性を有しており、その意識や心や身体までもが霊長類と酷似した性質を醸し出しています。人間の場合は霊長類なのでその基質は当たり前ですが、犬でも猫でも馬でも霊長類の如き特性を示す事から、一体何が霊長類特性なのか、他の眷属との違いを確認しておかなければなりません。霊長類と言っても基本的に哺乳類の一員であり、胎生の生物ですが、そもそも卵生と胎生の違いは母体から生きたままの状態で産み落とされたのか、それとも死んだ状態で産み落とされたのか、そこに大きな違いがあります。生きたままで卵生出産すると、母体の生物本能が初期化されていないという意味であって、完成率は早いものの、本能の枠枷を逸脱出来難い(親を超せない)下等生物に育ちます。それに対して、死んだままの状態で胎生出産すると、母体の生物本能が初期化されて、子育ては大変であるけれども、経験と学習で生きていける知的生命体へと成長出来るというのが生物進化の狙いであり、そうした肉体改造の条件を眷属領域にはあらかじめ仕込んでいます。ちなみに、龍領域で最初に誕生した北半球の霊長類は西に移動してアフリカで大繁殖し(アフリカ・イブ)、南半球ではオーストラリアで繁殖しました(オーストラリア・イブ)。

 龍属の特徴は、何と言っても頭の良さが売り物であり、集団の中で鍛えられたシャープな感性と、素早い反応力と、知性を超えた理性を使いこなすという柔軟な頭脳能力が最大の特徴です。龍属のペットを見ていつも感心する事は、主人の眼を見ている事であり、主人の言葉使いや顔色や機嫌を伺っている事でしょうか。疲れ切って眠りに落ちるまで精力的に動き回り、あれこれと注文が多く、散歩の時間が訪れると、戸口に立って「もう出かけようよ」とばかりに催促してくるばかりか、来るなと言ってベッドから追い出しても、布団の中に突進してきて濃密なスキン・シップを欲しがります。要求力が非常に強く、人の一顰一笑(いっぴんいっしょう)を見て先回りする所が犬らしくなく、喜怒哀楽の情感も明確に示してくるし(悲しんでいると慰めに来る)、もはやペットの領域を通り越して、一人の人間を相手にしているのと一緒です。甘えん坊で依頼心が旺盛、仲間意識が強く友好的ではあるものの、自立心に不足し、さっぱり頼り甲斐が無く、また物欲が強く、何かに耽溺する傾向が強いのが特徴です(例えばボールに執着する)。心活動が活発だからだと思いますが、犬の割に感覚神経が研ぎ澄まされてはおらず、主人のお出迎えも忘れてグッスリ眠り込むなど、あるいは寝ぼけてつまずいて歩くとか、ヨダレを垂らしながら腹を出して寝ている姿を見れば、これはまさに犬ではなく人間であると感じます。

 家にお客様が来る度にいちいち吠え立てるのが鳳凰属、お客様に対して自ら進んでご挨拶に来るのが龍属、呼ばれれば仕方なく挨拶に来るのが麒麟属、主人が呼んでも気が向かないと絶対に来ないのが玄武属のワンちゃんです。この傾向性は人間も猫も一緒、社交性や友好性を持つ龍属の生命には、自分を良く見せようとする体裁や格好を構う「気取りの性癖」があるのに対して、他の眷属の生命にはそれがありません。心の感性が発達していないのです。その様な意味では、龍属の生命は心の発達率が高い訳ですが、それが人間の龍属となると突然「欲心のデパート」、自己顕示欲もあれば権力欲もあって、背信も、背徳も、狡さも、嘘も、誇張も、裏切りも、妬みも、嫉妬も、何でも有りのアウトロー野郎を露呈してしまう場合があります。「頭は切れても人間が信用出来ないなー」という場合も多いのです。生物進化の頂点に立つ龍属の生命ですが、所詮「猿」である事実に変わりはなく、その知恵も「猿知恵レベル」なのが地球人の実態でしょうか。そもそも猿が人に成長する為の訓練期間、それが「人間(期間)」なのです。

 龍属の生命は循環器系が発達しており、体が温かく、足先や指先がほてるのがその特徴です。栄養の吸収力が高く、一日三食の食事では栄養が取り過ぎであって、朝と夜の一日二食の食事でも少し多いくらいでしょうか。絶食日を設けた方が良いかもしれませんね。女性は母性愛が強く、子供の面倒見も上手なのですが、どちらかと言えば「バカ愛傾向」が強く、子離れが下手くそでしょうか。社交性も社会性もあって団体行動が得意な龍属の生命ですが、多芸多才なタレント揃いなのに、人に振り回されて確固たる信念をなかなか持ち切れない所が「玉に瑕」、意志薄弱とまでは言いませんが、肉体と魂体と心回路が地軸を介して一点で結ばれておらず(グランディングが出来ていない)、心だけをファファと浮かせた状態なのが気になります。上等な哲学などべつに解さなくても結構、恥もプライドも誇りもかなぐり捨てて、「俺は死にたくないから戦う」とか、「余裕のある生活をしたいから頑張る」とか、「一流になりたいから続ける」とか、「負けたくないから踏ん張る」とか、目線を原点に合わせてリセットし直した方が良いかもしれませんね。木の上の猿には「芯」が無い様に感じるからです。

 さて、以上が四眷属の説明ですが、これは猫も犬も引っ括めての話ですが、良く鳴く(喋る)タイプと寡黙なタイプに分けて眷属性を判断するのが一番当たり易いかもしれません。相手の眷属性を龍神やスーツ(軍団)に尋ねる前に自分で判断する様に心掛けると百発百中の的中率になります。「龍神」も龍属と麒麟属と鳳凰属と玄武属の四種類に明確に分かれており、同じ龍の姿なのに目と性格だけが全く違います。性格は上記の通りですが、その順位とは「龍属>麒麟属>鳳凰属>玄武属」となり、この順位は龍神同士の中では絶対的なものでした。無論、人間生命も四眷属に分かれていますが、人間は基本的に龍属門(猿)であって、門下の属性分類に於いて、性格上や体質上や心の傾向性が四眷属に分かれているに過ぎません。従って、人間の四眷属には高低の順位はありません。「俺は龍属、お前は玄武属、だから俺の方が偉い」という話にはなりません。その昔、玄武系の如来神も玄武系の創造主もたくさん存在していました。その生命が偉いのかどうかは人が判断するもの、自分で決められるものではありませんね。

    〈ニューロン・ループ単位(N単位)〉
 その生命の能力が今現在、どれ程のレベルにあるのか、それを端的に見定められるのが、この「N単位数」です。これは左脳と右脳を取り囲むニューロン・ループ単位の話であり、創造主がその人間の能力を伺い知る為の手段して見るものです。6種類の大脳灰白質細胞にはニューロンの枝を有した星状細胞が存在し、これらの細胞のニューロン同士が互いに繋がって左脳や右脳の周囲をグルリと一周するのが「1ループ単位」であり、このループ電線には万年電流が流れ続けます。左脳を一周するループ電線には左巻きの電流が、また右脳を一周するループ電線には右巻きの電流が通って、そこには当然「電磁場」が形成されています。創造主世界では左脳電線と右脳電線を合計して「1ループ単位」と定めています。さて、メシアA球の大宇宙人類も、あるいは他の六員結晶宇宙の人類も、人間の赤ちゃんは全て800本の「N単位数」から平等にスタートします。つまり、左脳800本、右脳800本のN単位数(電磁場出力)から始まって、生存期間中に何本増幅出来るのか、それが人間の課題となる訳です。

 実はこのN単位数の存在を人間に明らかにしたのは今世が初めてのケースであり、過去の宇宙人達もN単位数の事はついぞ知りませんでした。この数値を見る事は創造主の特権だったからです。大脳とは物を考える器官では非ず、天空に存在する生命位相(意識層)や、心回路と接続する為の「アンテナ」に過ぎず、N単位の電磁場とはアンテナ出力と密接に関係する物だからです。大脳アンテナの基本出力は「大脳コリン電線(60本)」と「小脳コリン電線(60本)」という2種類の電磁場で賄(まかな)われており、これらの電磁場とは主に心回路との接続の為の物です。それに対して、N単位に象徴される「分脳電磁場」とは主に生命位相(意識層)とのやり取りに使用されるもので、左脳はアクセス用の電磁場、右脳はレセプト用の電磁場の出力を賄っているものです。地上の実際の画像記憶を位相へ送信したり、逆に空の上の記憶帯から記憶を想起する訳ですから、電磁場が強くなければ明晰な意識を囲えないし、また的確な記憶想起も出来ない事になります。

 N単位の特徴は、物を思考すればする程、左脳と右脳のループ単位数が年齢と共に自然に増えていくという特徴です。理想としては年間20本ずつループ単位を増やして貰えれば、60歳の年を迎える時には2000本のループ単位となります。過去の地球人を参考にすれば、一生涯の最高数値は2700本〜2800本前後でしょうか。満60歳に於ける地球人の平均N単位数は1600本前後、日本人の平均値が一番高く、1800本前後に及びます。作家や科学者や医者や弁護士など、物を考える事を職業にしている方達は平均で2200本前後あるのが普通な様です。人間のN単位数の最高限界値は物理的に7800本と定められていますが、地球人の過去の最高値が2800本ならば、36%しか大脳を使用していない事になります。ちなみに、生命論の門下生や医学生には3000本を突破している方が女性でも何人も居るばかりか、中には4000本を超えている方も居ます。私自身の話をすれば、前肉体の持ち主(KEN)の段階で既に4000本を突破しており、それから約11年間、私が肉体を継続している理由から、1年間に200本づつ増やして総トータルで6200本のN単位数を持っております。

 N単位数とは「頭の良し悪し」を示す単位ではなく、基本的に「脳体力(電磁場出力)」の数値であって、脳の集中力や粘り腰を意味するものです。N単位数が3500本を超えてくると、脳電磁場の方が逆に人間を掴んで離さなくなり、物事について考えざるを得ないという状況に追い込まれます。才能が我を掴んで離さないと言う所まで、読者の皆様も頑張って頂きたいと思います。ちなみに、人の論文を丸暗記してもN単位は1本も増えませんが、色々と頭を巡らせないと、思考した事(頭を使った事)にはならない様です。実は、このN単位数の数値で「六道劣化病(アルツハイマー病)」に陥るか否かが定まってしまうのであり、分脳電磁場に力が無いと(巻き数の絶対数が増えないと)、大脳が退化して収縮を始めてしまうのです。満年齢が40歳を超えた時点で1600本以上のN単位数が無い人は六道劣化病が待ち受けており、認知症を通り越して、最終的には右も左も分からないパッパラパーの白痴状態へと変じてしまいます。地球人の60歳に於ける平均数値が1600本というのは大変恐ろしい数値なのです。創造主規定から言わせてもらえば、惑星人類の途中廃絶レベル(全人類の途中召喚)に値します。

     〈四つの生命型〉
 生命型とは位相型(バイオンの型)の事であり、それは魂体(オーラ球)の型式と基本的に同じ物です。バイオンの型とはつまり磁気型の意味であり、結局肉体の型であって、血液型もそれに呼応するものです。血液型に関しては、若い間は両親より受け継いだ地上の遺伝型の方が優勢である理由から、年齢の経過と共に徐々に切り替わってくるものであり(満30歳ぐらいまで効力を発揮する)、最終的には本来のバイオン型(天の型)と等しくなるものです。地球人は地球の血液型(地の型)で輸血を行っていますが、我々が輸血をする事自体が先ず無いのですが、仮にそういう場合が来たと想定すると、きっと天の型式の方で輸血を行うと思います。その方が拒絶反応が全く起こらないからです。四つの生命型に関しては学問的な内容は以前のブログ(2018.6/9: 生命型の話)でも説明していますが、今回はより実践的に理解し易い内容に書き換えております。生命査定に於いては、生命型の違いも個人の性質の大きな要素を占めている理由から、これを説明しない訳にはいきません。生命型とはいわゆる磁気型の事であり、従って、各種の電磁場や電流そのものにも型式があります。

 さて、生命型の基礎的な分類は前回のブログに書いてある通りですが、B型(nib)、O型(nuo)、A型(cys)、AB型(hye)という四つのタイプの生命型とは、現れ方の違いであり、その本質的な差異とはこの宇宙の運動原理(四諦原理)に基づくものです。四眷属の相違と同様に、四生命型にも無視が出来ない程の明確な違いが存在する事から、人との関係性に於いては常識として知っておかねばならない自然原理の一つであると思います。四生命型の違いは「四季の違い」と良く似ており、B型は「春型基質」、O型は「夏型基質」、A型は「秋型基質」、AB型は「冬型基質」に相当します。四季と言っても、その本質は太陽エネルギーの配当差に基づく変化に過ぎませんが、実は四生命型の違いも、配当されるエネルギー量の配当差によって生じるものであり、最大値(O型)と最小値(AB型)の他には半増値(B型)と半減値(A型)が存在します。ところで、問題はこの生命型(位相型=バイオン型)の違いが何処に現れるのかという話ですが、生命位相をベースにして、心回路も地上の魂体も具現する理由から、外観上は「その生命が有する雰囲気の違い」として感じる事が多い様ですが、実はもっと根深い部分にも影響が及んでおり、魂体の磁場のみならず、体全体(生体場)や、個々の体細胞の細胞電磁場や、神経電流にも型の違いが顕著に現れてくる様です。

 人間王国では四生命型の違いの現れ方に関しては、「地の型(遺伝に基づく型の違い)」と「天の型(その生命本来の型)」に大きく区分しており、天の型の現れ方に関しては更に「幹象(スイヨ)」と「枝象(ノイヨ)」と「葉象(ヒイヨ)」に分けて表現しています。なぜ分ける必要があるのかと言えば、輸血をする場合や、魂交換をする場合は、型の違い次第では体が「拒絶反応」を呈するからであり、また、人間同士の相性にも甚大な作用を及ぼす理由から、これらの型の違いを無視する事は出来ないからです。四眷属の違いや、生命色の違いや、六ブエデ属の違いや、十二神属の違いが体の拒絶反応として現れる事はありませんが、四生命型の違いは心ばかりではなく、身体型や魂体型や蛋白型や血液型にまで大きな影響を及ぼす事から、地球人がこの型式の違いを知らないのであれば、学問(医学)として無条件で受け入れるしか手が無い代物だと言えましょうか。霊界に生命位相を有するセキツイ動物には、それぞれ固有の型式がある理由から、人間同士の相性のみならず、ペットと飼い主の相性まで関係が及んでおり、相性の余りにも合わない者同士の結婚生活や、相性が悪いペットとの暮らしは体に大きなストレスを与えてしまいます。心では許容出来ても体は正直であって、許容出来ない物は絶対に許容出来ないからです。

 「幹象」と「枝象」と「葉象」の重要度は「幹>枝>葉」の順番です。人間で言えば、隣の席に座っただけでも事実上は触れ合っている魂型(オーラ球)の相性が「幹象」であり、また、裸で体と体が触れ合った時の体型の相性が「枝象」です。それに対して「葉象」とは血球や体細胞や神経電流などの型式であり、特にSEXの相性を意味します。キスの際の相手の唾液の味や、乳房を吸われる際の相手の唇の感触や、相手の性器の挿入を異物と捉えるのか、それとも素直に迎え入れられるのか、それは相手を愛しているとか、愛していないとかという心とは別問題であり、嫌いな食べ物を食べるのと一緒であって、体にとっては嫌な物はあくまでも嫌なのです。今更、夫婦の相性や、子供との相性や、親兄弟との相性や、ペットとの相性を知った所で、義務や責任を回避出来る訳ではありませんが、「なぜ、そうなのか?」、その原因が分かっただけでも諦めが付くと言うものです。下記は生命型の相性度を示す図であり、一番良い相性は「幹枝葉」の生命型がピッタリ一致する事です。心や意識の相性の悪さは本人の努力で補正出来るものですが、生命型の相性だけはどうにもならないというのが正直な所でしょうか。

 下図は神々が人間世界に対して定めた「宿命カップル」の生命型の組み合わせですが、最高のAランクやBランクの生命型は幹枝葉の三象が全く一緒であり、一致しなければ「ご褒美の伴侶」とは言えません(全て大吉の関係)。Cランクの組み合わせの場合は最後の一つ(葉象)だけが合いませんが、この関係性でも十分相性が良く、幸せな夫婦が多い様です。それに対して、相性の悪い組み合わせの場合は、Dランクでは葉象のみが大吉で後は不一致です。最悪状態(地獄)のEカップルの場合は最初の二つが大凶の組み合わせで、最後の葉象だけが不一致な状態、また、一番危険なFカップルの場合は幹枝葉の三象の全てが大凶の関係であり、このカップルの行き先は無理心中(悲劇)であると相場が決まっています。こうした神々の「宿命カップル制度」の存在を考えると、生命型の相性度を神々も熟知していた事になります。尚、天の生命型を見定める手法や計器は無い理由から、生命型の同定は神様(龍神)や軍団に確認してもらう事になります。

 ところで、天の型の「幹枝葉」の三象が同じ生命型を呈してしまうと、その型の悪い部分だけが誇張されて現れてしまいがちです。まともな人格を呈さない人物には生命型が揃っている場合が多い事は、統計上の傾向として事実な様です。生命型は基本的に四種類が混じっているのが理想的なのですが、「AB型AB型AB型」とか「B型B型B型」とか「B型B型AB型」とか「B型AB型B型」とか「AB型AB型B型」とかの、AB型系とB型系に偏った生命は殺人などの短絡的な犯罪者が多い様です。それに対して、「A型A型A型」とか「A型A型AB型」とか「A型AB型A型」とか「AB型AB型A型」とか、AB型系とA型系に偏った閉鎖型の生命は性格上の問題点が多く、主に知能犯ですが犯罪者が多い様です。「O型O型O型」の場合は真夏基質の能天気野郎が多いのですが、犯罪とは無縁の様です。一般的にB型は行動的で春型(ウキウキ型)の子供気質ですが、O型は同じく行動的で、夏型(オープン型)の若者気質をしています。それに対して、A型は思慮的で秋型(悲観型)の老人気質をしています。AB型に関しては同じく思慮的で、冬型(ニヒル型: 嫌味型)の死人気質をしており、性格が閉鎖的で単純ではありません。

 ちなみに「O型B型A型」の生命を解析すると、幹象がO型なので、オープンで取っ付き易い慎重な基質をしていますが、枝象がB型である為に、理性力でちゃんとカバーしていないのと、本能的に出かけたい病を呈して、ジッとはしていないタイプです。とにかくB型の体は何かしていないと気が済まない様です。考えが深い慎重な生命なのに、早合点をして軽率な行動をとってしまいがちです(体の落ち着きが無い)。葉象のA型は生理的な神経質性を示しており、食べ物にしても異性にしても好き嫌いがハッキリしています。それに対して、「B型O型AB型」のタイプの生命は幹象がB型故に、思い立ったら直ぐ行動を起こす些かオッチョコチョイの生命ですが、悪気は無い方の様です。枝象はO型なので、体はエネルギッシュで鷹揚、なんでもOKの許容力がありますが、なんせ葉象が変態性のAB型なので、精力なんぞ無いにも拘らず、興奮したいので、過激な刺激だけを欲しがります。嫌らしい性癖と言いましょうか。また、「A型AB型O型」の生命の場合は、幹象のA型が老人基質であるが故に、行動は極めて慎重であり、逆に慎重過ぎて行動をとらなさ過ぎます。批判力に富んだシニカルな孤独性分とでも言いましょうか。いつも真顔なので写真顔が暗く映ります。枝象がAB型なので、体の感性が死人の様です。その割にはSEXが旺盛なのは葉象にO型があるからでしょうか。

 一般に「B型」や「O型」が幹象にあると、外に現れる雰囲気が子供っぽく(若者風)、その性格も外連味(けれんみ)が無く単純でお馬鹿ですが、悪い人だとは誰も感じません。それに対して、「A型」や「AB型」が幹象にあると、外に出る雰囲気が落ち着いた大人っぽい印象であり、人をジロッと観察する傾向にあります。人に対してある種の緊張感を与える生命だと言いましょうか、笑顔が少ないのが欠点です。人に対する親切心も、B型やO型の様に押し売り傾向は示さず、影からそっとしてあげるという大人の思いやり傾向を示しますが、腹を立てると気難しくなり、意地悪になる事から、簡単では無い相手と言えます。一般的には「生命型コンプレックス」の方向は「B型<O型<A型<AB型」という順にあって、O型はA型コンプレックスを示し、A型の人に対して憧れを抱く傾向にありますが、恋愛感だけで結婚してしまうと、基本的に合わない理由から痛い目に合う場合が多い様です。出来れば自分と同じ生命型の者と結婚する事が無難でしょうか。ちなみに、私の葉象はAB型であり、変態の性癖を有しております。ブヒン!!

   その4に続く

 

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