人は何の為に生きる?

〈人間王国の哲学(陰陽哲理)〉
 六員結晶宇宙の一番南端に位置する花弁チップ磁界、ソイオ空間の北ポリープ軍基地の目と鼻の先に存在した我々の六員結晶宇宙はある意味では「灯台下暗し」の環境でした。ポリープ軍が運営する北方の人間牧場は六員結晶宇宙が200億個も繋がる大牧場、その西端の突端部に我々の生息地が位置しており、そのすぐ下は牧場管理の巨大なポリープ練が続いていました。6個の花弁チップ磁界は内クラウド被膜と内部のフォース力場から構成され、その空間の中心点に三つの大宇宙(メシア球)を配して、それぞれのメシア球内部では気の粒(サイ粒子)の圧縮膨張を行い、運動宇宙を開闢させていました。渦磁場は天然の集積回路、その中に誕生する生物が「心活動(回路活動)」を介して賢く成長する事から、そこに宇宙が理想とする生物を誕生させようという試みが行われていました。宇宙生命の最高傑作を創り出す作業は、宇宙全体が求めていた事だったのです。ポリープ世界(粒子世界)の創造主達とは特命を受けた研究者と言った所でしょうか。
 
 ポリープ十二磁界のツエボ創造主、彼の胸に飾られていた「人間文様体ブローチ」の内部にガリバー世界を作って、そこに彼等が理想とする人間型を呈した「ガリバー人間」を人工的に創り出しましたが、自律生命とは異なる人間生命は結局ロボットと一緒、創造主の命令を忠実に守る「お利口ちゃんの生命」ではあるものの、自ら物を創造して行く様な自主的な作業は彼等には出来ませんでした。やはり自律生命を創る為には自然界の力が必要であり、渦磁場回路の中で生命を育まねばなりません。これまで渦磁場生命を創り出しては何度も失敗して来た経緯を考えれば、極小のミクロ圏で理想の人間生命を研究する事になった訳です。12名のツエボ創造主達はガリバー人間の中の一匹の雌の体に照準を定めて、彼女の中にミニポリープ世界を築いて、そこで渦磁場を作って人間生命を誕生させる研究を行わせていました。渦磁場生命は皆回路を使用するものの、肉体の発育に難点が有って、優秀な受信機を備えた理想とする肉体が完成し得なかった訳です。
 
 原始惑星の海洋の中に単細胞生物を誕生させ、磁気誘導によってそれらを複細胞生物に進化させて、最終的には人の形状を呈する生物まで進化させるという、途轍もない気の長い研究が始まり、それぞれの六員結晶宇宙内部で異なる課題が与えられて、様々な実験が行われていました。私(ケイエ=スイ)とは一連の現場を預かる研究者の一人、最も優れた人間の肉体を創り出すのが私に与えられた使命でした。ある日、私が担当する六員結晶宇宙の一番南端の花弁チップのフォース場の力学骨格が突然崩れて、三つのメシア球が突然溶解してしまうという事故が発生し、管理者達はその原因を究明しましたが、さっぱり掴めませんでした。実はこれ、上位創造主達(反乱軍の一派)の意図的な攻撃だったのですが、その直後に私自身の意識もそっくり反乱軍の意識に交換されていました。私の意識とはポリープ本部の中間創造主(八岐大蛇)の子供(分派意識)だったのですが、突然、見知らぬ創造主の意識へと交換されてしまった訳です。記憶を含まない意識色だけの変換ですが、そこから私は180度変わりました。
 
 当時、人間の肉体はほぼ完成に近く、六種類の猿(ブエデ)を基盤にした理想とする人間の肉体作りは終わりに近付いていました。ただ、人間にはとんでも無い欠陥が有って、賢くなれば成る程に知恵を蓄えて、呪縛を嫌って勝手な行動を取るという共通した悪癖でした。自律生命体だから当然の話ですが、中には管理の神々を破壊し、反乱軍を組織してメシア球を乗っ取った人類も出現し、以来我々は人間生命のロボトミー化を研究させられていました。優秀な生命だが危険過ぎるというのが、当時のポリープ界の認識だった様です。180度性格が変わってしまった私は、そうした人間達を見てなぜか無性に可愛いと感じ始め、一層優しく接しました。すると人間達が私に懐いて私を崇拝する様になって来たのです。「強制しては逆効果である」という私の人間に対する考え方は受け入れてもらえませんでしたが、人間に正しい知識を与えてちゃんと育ててみたいと思い始めて、故障した一番南の花弁チップを修理して、秘密裏の内にビッグ・バン再生を試み、そこに人間を誕生させました。
 
 まあ、それが人間王国の始まりなのですが、長い期間に渡ってその存在がバレ無かった事が幸いし、王国の人間達は文明を発達させて行きました。私の願いは人間達がいつかこの忌まわしき呪縛世界から逃亡して自由な外宇宙で生き抜いてくれる事でした。無論、この私だって囚われの身の上、六員結晶宇宙の外では生きれない運命でした。最初はポリープ言語でしたが、言葉を教えられた人間達は非常に賢く、自分達や私が置かれている立場や環境を良く理解してくれました。私も自分が持っている全ての知識を人間達に与えました。そんな彼等が作り上げた哲学が「陰陽論」でした。その哲理に基づいて科学を発達させ、更に創造主世界の技術を磨いて、彼等は大宇宙外まで意識を上昇させて来ました。私は将来の事を見据えて、粒子を操作する呪文を伝授し、ポリープ創造主達との戦い方を身に付けさせたのです。いつか訪れるのか分からない戦闘でしたが、その為の準備をずっと積み重ねていたのです。
 
 王国の人間達が作り出した宇宙哲学、それは極めて簡単明瞭でシンプルな法理であり、宇宙の万物万象がこの法理に従って具現して来ます。私は人間達が見極めた「究極の法理」に痛く感銘し、この法理だけは代々の宇宙へと伝えて行きたいものだと考えました。それが「陰陽論」なのですが、地球人への伝承は今から8000年前の話ですが、チベット居留区から解放された古代帝王の「伏羲(ふつぎ)」に託されて、彼が陰陽論原理を体得して後世の人間達へと伝えてくれました。その人物は後に中国では「孔子」をやった人物であり、現世ではセザナに選出されソロジン後継者となった、私の肉体の以前の持ち主でした。アカシック歴が14800回というそんな重厚な人物だったから私が宿った訳ですが、彼が習得した記憶のお陰で、私はこうして日本語で皆様に正確な宇宙知識や宇宙情報を伝えられております。ちなみに彼は中国の西域で「鳩摩羅什(くまらじゅう)」もやっており、仏教経典を漢字に翻訳してくれたのも彼の功績でした。
 
 陰陽論に「作者」は存在せず、誰に著作権がある訳でもありません。これは人間王国の基盤哲理であり、皆様の遠い祖先が作り上げた物、神や創造主が作った物でもありません。無論、これらの哲理はプレアデスにもベテルギウスにも伝えられており、それぞれの民族の賢人達が骨子を習得し、子孫に伝えて来ました。プレアデス文明では「陰陽論」とは表現せず「因果論」と翻訳され、またベテルギウスでは「相対論(作用反作用論)」として科学的に表現されています。いずれも26音言語文化の哲理であり、浅薄な解釈をしていますが、57音言語民族である龍神島民族が仏法レベルや科学レベルのそんな軽薄な理解の仕方では困ります。陰陽論は大変深い哲学であり、言葉では表現し難い奥行きがある学問なのです。政治家も宗教関係者も科学者も経済学者も、この宇宙法則を身に付けないと、宇宙の一本軌道から逸脱してしまうのです。つまり道を間違ってしまう訳です。私はこの哲理を人間達から逆に学ばせて頂き、道を踏み外さずに、一本道を歩んで来れました。だから人間には感謝しております。
 
  
 
〈生の価値〉
 生物の体は夜と昼が交代する天体に生息しており、当然光に反応する特性を備えています。生物の営みの大半は光を受け取る昼間に集中しています。陰陽論的な考察をすれば、光とは粒子振動から生じる気の振動波の事、当然素粒子が誕生する以前の宇宙には光波動は存在せず暗黒の世界、光の世界は後で誕生して来る訳ですから、暗闇が母体の「陰」、明るさが子体の「陽」である事は機械的に分かります。光は粒子の増幅エネルギーの事、当然光が入らない深海や地底では僅かな木漏れ陽を受け取る受け取らないは死活問題となります(熱線も光)。明るい方向に物事の本質が存在し、暗い方向には意味も価値も無いとする考え方が陰陽論の基本なのですが、実は陰側にも大義が有って、あなたが明るいと感じる感覚のベースには夜という暗さの存在を知っているからなのです。私は美人だと思う意識の背景にはブス顔を意識しているからであり、また料理を食べて「美味しい」と感じるのは「まずい味」を知っているからです。要するに天国だと感じれる方は地獄を知っているからだという話なのですが、この世は陰から陽へと転じて行く世界なれば、過去(陰)を知らなければ未来(陽)を実感する事が出来ません。
 
 過去に本質的な意味や価値はありませんが、過去が無ければ未来も無く、またそれは親が居なければ子供も居ない理屈と一緒なのです。陰が存在しなければ何事も始まりませんが、陰から陽が分派して始めて意味や意義が現れて、同時に陽の出現によって陰のベース価値も改めて認識出来る訳です。生と死に関する論議は昔からの人類の命題ですが、死とは停止の意味であって原点に戻る意味、一方「生」とは活動の意味です。皆様はもうお分りだと思いますが、始めから元々存在する方が「死」、そして死の中から「生」が誕生し、再び死の状態に戻って輪廻するのが生命サイクルです。それは「睡眠状態」と「覚醒状態」の関係と一緒のもの、また夜と昼の関係とも一緒です。当然、どちらに意味や価値があるのか敢えて言及するまでもありません。生きている事の価値、本日知って頂きたいのは先ずこの事なのです。「俺の人生はつまらない一生だった。エッ、輪廻してまた生まれて来るって? 冗談じゃ無いぜ、俺をこの生死の地獄から永遠に解放して欲しいね」。もしかしたら、そんな罰当たりな発想をしている方も中には居るかも知れません。
 
    人間(生物)とは「天の命(位相内意識)」と「地の命(魂体や肉体の事)」の合体物であり、天の命が肉体に宿って始めて肉体の命が稼働します。空から電気コードを刺してもらわないと地上のロボットは動かないんですね。我を意識して物事を認知するのは空の上の位相、つまり地上の肉体を操作し感覚器から情報を得て物を考える生命当体とは位相内の個人意識であり、その自律意識こそ肉体の主人であって、人間の生命本体と言えるものです。一方、地上の肉体とは地の因縁(母親)から誕生する物で、それ自体は非自律性のロボットではあるものの、空の上の主人が宿って体に電流を流してもらえば、仮の命を宿して律動する物です。意識は人間の生命当体、そして肉体とは意識の従属物だと言えましょう。しかし、位相内の意識だけで物を考えて地上の肉体を操作出来るのかと言えば、力学的な場の中に意識や肉体が入っていなければ、そもそも物理的には不可能な話なのです。意識とは霊界の電子位相が生産する電子磁気(電子バイオン)の事であり、記憶情報を吸収して自我を形成する場所であって、情報を整理して思考判断する場所でも無ければ、また肉体を意のままにコントロール出来る場所でも無いのです。
 
 では一体何が、人間の人間たる由縁である「頭脳運動(解析運動)」や「肉体操縦運動」を発動させて、生物個体としての真の自律性を誘導しているのでしょうか。肉体だけでは動く事は勿論、命の発動すらままなりませんが、天の命(位相)と結ばれて始めて仮の命を宿し、生物個体としての自我意識を芽生えさせます。でも、それだけでは赤ちゃんはハイハイも出来ないし、立ち上がる事も、また言語を模倣して言葉を喋る事も出来ません。認知作業(記憶作業)には磁気的な要因が必要ですが、運動する為には力学的な要因が必要であり、その力学場を提供してくれるのが生物の母親である他ならぬ「地球」なのです。地球渦磁場の十二層構造は、外側に力学骨格(天体力体=テトラ力体)が配置され、またその内側には天体磁気の磁気層が配置されているという構造を呈しています。いずれもアストラル物質であり、人間の眼には見えませんが、霊界の位相群は十二の磁気層に沿って形成されており、力学骨格の内部に存在します。その力学骨格が生産する可動帯(ヌーエ動帯)が個々の位相を捉えて、地上の魂体が有するオーブ核を焦点とした個々の生命力場(ヌクル: ヌクヒブイ球体)が形成されるから、生物の肉体運動が可能となります。
 
 鳥はなぜ帰巣本能を持っているのでしょう。あなたはなぜ直立歩行して空間座標を認知出来るバランス感覚や平行感覚を持っているのでしょうか。あるいはあなたの記憶が何処にプールされていて、一体何処で思考しているのでしょうか。それが当たり前だと思う事でも、いざ学問的に追求すれば何一つ解明出来ていないのが唯物科学の実態、なぜ心臓が動いているのか、なぜ睡眠が必要なのか、それすらもまだ分かっていないのが西洋医学の現状なのです。私の仕事は人間を創る事でした。だから人間よりは生命に関する知識を持っているのは当たり前、我々はこの生命力場(ヌクル)の事を「心」と呼んでおります。ヌーエ動帯が位相を捉えて意識(記憶)が転写されるとヌクヒブイ動帯へと変化し、そのヌクヒブイ動帯が地上のオーブ核を捉えて形成されるのがヌクルという生命力場(ヌクヒブイ力場)です。そのヌクルの大きさが個人の心の容量なのですが、実はヌクヒブイ動帯そのものが上下に移動して歩く可動球体層(可変帯)である事から、ヌクルは収縮して体積を縮めたり、あるいは反対に膨張して体積を広めたりしています。
 
 地上の肉体を操作する為には、肉体磁界である第6磁界よりも下の磁界へヌクヒブイ動帯を下げる必要があり(目線を下げる=ヌクルが収縮する)、また分析や思考などの作業の時はヌクヒブイ動帯を第6磁界よりも上の磁界へ引き上げる必要があり(目線を上げる=ヌクルが膨張する)、思考と運動は同時に成立しないものなのです。日々の生活で人間は秒単位で心の上げ下げ運動を行なっており、特にヌクヒブイ動帯を下位領域へ収縮させる作業は疲れる行為であり、ストレスが溜まる作業なのです。そこでなるべく高い軌道へヌクヒブイ動帯を吊り上げてリラックスしようとするのですが(思考領域は解放領域)、上げ過ぎると思考領域を通り越して、茫洋とした精神領域に入って、最終的には寝てしまう事になります。もし、あなたが研究者で睡眠のメカニズムを知りたいと願うなら、こうした厄介な生命のメカニズムを理解しなければ説明出来ない事になります。さて、位相(意識)と肉体だけでは命の電源は得られるものの、思考する事も体を動かす事も出来ません。生まれたばかりの赤ん坊に位相のズザネ管(生命コード)が入力されて始めて赤ちゃんが産声を上げて体が動き出しますが、それと同時に魂体の形成が始まり、頭部魂や腹部魂が形成されると地球がオーブ核を提供してくれます。
 
 実はこれ、オーブ核の認証式であって、地球が我が子である証明を与えてくれた物であり自然界の仕組みなのです。その仕組みを利用して創造主は心を所有する自律生命体を創っている訳です。とにかく心が与わらないと立ち上がる事も、また動く事も出来ず寝た切り状態になってしまいます。空の上の位相は地上の大脳アンテナと結ばれており、またヌクヒブイ動帯は魂体の二つのオーブ核と結ばれている関係上、頭がいかれても心が宿っている以上、歩行は出来ることになりますが、頭が正常でも魂体が故障したり、あるいは心をキャッチするオーブ核が壊れてしまうと、筋肉組織や骨組織とは無関係に身体を動かす事自体が出来ません。生命の成り立ち構造は、地上の肉体と魂体、そして空の上の意識と心という四要素から成り立っており、目に見える肉体だけをどんなに研究したって、肝心な事は何も分からないのです。生の価値を考える場合、あなた自身とは一体何なのか(位相内意識)、その意識の源泉(生命色)とは誰から分配された物なのか(創造主の分身)、そして地上の肉体(意識や心の器)とは自然界と創造主からの贈り物であり、それはあなたが地球から借りている物なのです。
 
 承知の様に、原始地球の海洋の中に誕生した単細胞生物(菌類)が生物の原形であり、そこから複細胞生物-魚類両生類-爬虫類-鳥類-哺乳類-霊長類へと至る気が遠くなる様な生物進化の行程を経て、創造主は人間の肉体を創り出します。その惑星に優秀な猿(優れた大脳受信機を発達させた猿)を育成できる確率は1/2程度、100個の惑星に生物霊界を作っても、実際に人間化が可能な猿まで進化した惑星は五割以下という確率です。その猿の位相に「ヒト遺伝子」を打ち込んで、世代交代をさせながら徐々に人間化させて行くのですが、一番厄介なのが動物の原始本能、猿は基本的に凶暴で感情をコントロールする事が出来ず、群れ社会に適応出来ない者が多いのです。そうした猿を間引きながら何度も何度も輪廻させ、「動物の垢」を禊(みそ)ぎ取って、人間らしい人間だけを選出して行く作業が大変な訳です。100人の原始人がいれば、そのうち80人以上が間引きされるのが普通でしょうか。その選定作業(間引き作業)は今現在の地球でも行われています。猿が動物のままで暮らしている人間が居ない猿の惑星は、我々の銀河系にも沢山あります。強い者しか生き残れないと言う過酷な動物世界、あなたは猿のままが良かったのか、それとも人間として誕生した方が良かったのでしょうか。
 
 もし、あなたが人間世界の地獄に耐えられないと言うなら、食べたくても食べられない、ぐっすり眠る事すら許されない、分単位で神経を酷使する弱肉強食の野生世界では勿論生きられませんね。戦って生きるぐらいなら死んだ方がましだと考えている方もきっと居る事でしょう。神々の選定作業で一番咎められるのがこの手の生命であり、基本的に戦わない者は生きる権利無しと査定されてしまいます。なぜならば自分の命も守ろうとしない者が、他人の命を助ける事など有り得ない話だからです。あなたの肉体を生かす為に、一体どれ程尊い犠牲が払われて来たのでしょうか。コメは稲の受精卵、パンは麦の受精卵です。リンゴもブドウもスイカも、それらは地に落ちると林檎の木や、葡萄の蔓や、西瓜の蔓に成長する物なのです。あなたは生き物を散々殺生して来て、犠牲となった者達に生かしてもらって来た身の上なのに、親も兄弟も友達も自分の子供も自分の命すらも守らず、苦しいから逃げるというのでしょうか。コメやパンはあなたに食べられても形を失っただけで、実はあなたの体の中で彼等は一緒に生きているのです。コメは自身の命をあなたに提供し、私の分まで生きて下さいなと身を捧げてくれたのです。人間の命とはそんな尊い物なのに、得勝手にも自ら命を絶ってしまうとは、そんな罪深い話はありませんね。そもそも肉体はあなたの持ち物ではありませんし、この世は死んでも死んだ事にはならない世界なのです。
 
 人間生命の重篤な価値、その罪深き程重い生の価値を鑑みれば、ここまで生かされて来た事に感謝し、またこれまで犠牲にして来た者達が「あなたに命を捧げて良かった」と思ってくれる程、存分に生を謳歌して欲しいと思います。
 
 
 
〈人は何の為に生きる〉
 さて、陰陽論の話に戻りますが、「人は一体何の為に生きる」のでしょうか。他の生命を犠牲にしてまでも生き続けるのは結構な事ですが、ただ楽しく遊んで満足したから有意義な人生だったとは決して思えない筈です。多くの方達が人生の終活時期を迎えると直面する問題は、「こんな人生で本当に良かったのだろうか」と煩悶する事です。長い間国家に仕えて来た者も、必死で働いて家族を守って来た者も、あるいは栄耀栄華な暮らしを続けて来た者も、ふと我に帰った時、「俺には他にやるべき事があったかも知れない」と思う様になり、町内のゴミ拾いや、園児の横断歩道係や、あるいはボランティア活動などに進んで参加して、少しでも社会のお役に立ちたいと願って行動する方がいる様です。彼等の真意はどうやら今日まで社会に生かされて来た事に対して恩返しをしたいと言った心境の様です。まるで仏様の様な心境ですが、我々から言わせて貰えば、「まだ出来上がるのは早いぞ」であって、人間界に生まれて人間界へ帰納するのでは無く、人生の視野を宇宙規模まで開げて、宇宙へ帰納して欲しいと思います。
 
 人間として生を受け、人間世界の唯物知識だけを学んで生涯を終えても、さっぱり宇宙の真実は分からないもの、人間の歴史も、生物進化も、天文学などの科学情報も、あるいは宇宙人や神々の情報なども、あまり当てにならない推測情報に過ぎません。でも、確実なのは人間同士の関わり合いであり、国対国の関係や、個人対個人や、社会対個人の関係は十分経験して来ており、その中で人生を振り返って、自分は社会に育てられて生かされて来たと言う結論に至り、社会へ恩返しをしたいと思う様になるみたいです。思慮半径が極端に狭いものの、小さな世界の中では、そうした想いは健全で全うなものだと私はそう思っております。「全体(人間社会)」から生まれた「個(人間個人)」は最終的には元の「全体」へ帰納するものだからです。人間の意識は惑星意識(天体神)の分派意識、意識とは自分の生命そのものである事から、自分も含めて人類を産み育ててくれた地球に恩返しをして、地球に帰納したいと願うのが、ワンランク上の人達でしょうか。学問を積んで見識を深め、境涯が高い(機根が高い)人達と、そうでは無い人達と比較すると、物事の考え方も変わって来るものです。
 
 宇宙の事は具体的な情報が何も無く、何も考えられないと思っている方が大半ですが、しかし宇宙でも地球でも自然界の原理は一緒、地球内部の由無し事でも、原理に沿って万象が具現しており、物事の「道理」は宇宙でも通用するのです。宇宙とはそれ自体が生命生産工場であって、内部に生命を誕生させる事がその本分です。当然、生命を創り出しても空間領域が限られてしまう為に、またより高等な生命を求めて、マクロからミクロに向かって生命生産が進んで来ます。これ以上は物理的に無理というミクロのミクロの世界に、彼等が理想とする生命(人間)を創り出すことに成功した訳ですが、それで宇宙の前半章(生道行程=演繹行程)が終了して目的が達せられた事になります。問題は、宇宙は本懐の生命を創り出す事に成功したものの、今度はその本懐の生命が成長して宇宙へ戻って行く後半章の行程(退道行程=帰納行程)です。要するに子供を作るまでの親側の行程と、その子が成長して行く子供側の行程という両行程があるという話なのです。
 
 何を言いたいのかと言えば、人間が向かうべき方向を述べているのであって、ミクロ圏の極点に誕生した人間が成長して行く方向は無窮なる普遍宇宙の方向であり、それは小さな天体領域でも無いし、また中途半端な親元の六員結晶宇宙でも無く、宇宙の最果ての最果てに在る普遍宇宙(大元の母親)に帰納する事が人間生命に課せられた使命であり、またそこに向かう事が人類の最終本懐だという話です。あなたは一体何の為に生きているのでしょうか。子供の為ですか、社会やお国の為ですか、それとも惰性で生きて、ただ死ぬのを待っているだけなのでしょうか。宇宙は人間に対して願っているのです。眠っているその目(まなこ)を開けて「我ぞ宇宙だ」と気が付いて欲しいのです。あなたが宇宙ならば、人類の美談もあなたの美談、また人類の失敗もあなたの失敗なのです。あなたが普遍宇宙の当体意識である事に気が付けば、あなたこそ本源創造主、宇宙の森羅万象があなたに帰納して行くのです。個の意識を減滅させて全体へ帰納する事、人間にはそれが求められています。ミクロとマクロは背中合わせ、別に宇宙船に乗って宇宙へ旅立たなくても、我々は宇宙の中心点に座しているのですから。
 
 幸か不幸か分かりませんが、私はとんでもない子供を授かる運命となり、腹を決める覚悟が必要でした。宇宙皇子の子供を授かったものの、表創造主系の毛並みを有する人間達を養育してしまった事から、真の支配者であるマザー系創造主の色を持った子供達を推奨する彼等にとって、我々の皇子は異端児となってしまいました。人類の抹殺を執拗に計るマクロ宇宙の敵に対して、我々は武力でそれを拒んでおり、宇宙は皇子達を守護する正規軍と、裏方の軍隊に分かれて戦闘状態に突入してしまいました。我々の味方であった正規軍は僅か数年で壊滅し、実力者である裏方のマザー系の創造主軍が宇宙の覇権を掌握した事から、我々は茨の道(試練)を歩む運命となった次第です。血筋(意識色)から言っても、我々の方が正当な皇子なのに、それを認めない輩がいる訳です。敵の圧倒的な勢力を考えれば、宇宙全体を敵に回したと一緒、多くの仲間を失ってしまった私は皇子達に戦ってもらうしか手段が無くなった訳です。理論上、普遍宇宙に目覚める事は簡単至極、でも実際上は立ちはだかる試練の壁を突破して生き残らねば、皇子である証明は得られないのです。
 
 だから、宇宙で戦ってくれる戦士を募集中だと言えばあなたは笑うかも知れませんが、残念ながらそれは本当の話、我が家(王国)の実情は人材不足で火の車状態なのです。私は人材を探しに人間界まで降りて来たのです。視界半径が1mの皆様に言いたい事は、もう少し高い位置で広い視野を持って欲しいという事でしょうか。
 
 

陽化現象

 そもそも陽化現象とは老化現象の意であり、いわゆる成長現象の事です。物が誕生し生命(運動)が開花した後、やがてその生命は必ず終息を迎えます。その長短は様々でも、万物万象には運動寿命が存在し、宇宙といってもその例外ではありません。
 物の成長には 「縦の成長(陰)」 と 「横の成長(陽)」 という異なる二種類の形態が存在します。当然人間成長にも縦横の成長が存在し、その中でも初期の段階に訪れる 「縦の成長」が重要な鍵を握っています。なぜなら陰の 「縦の成長」とは、後天的に自力で獲得出来る様な性質のものではなく、親や社会が導く成長であって、外側から与えられる誘導因子よって起こるものだからです。
 この縦の成長は原則的に満33歳で終了し、その段階で人間の人格の程度は決定されてしまいます。それ以上自力で伸びる事はなく、以後はただ横に成長するだけです。だが実際はほぼ満24歳前後でストップするというのが普通であり、肉体成長の終了と同時に心の縦の成長の方も終了してしまうのが一般的です。早い話が、人間の進化は極めて早期の段階で終わってしまうものであり、しかも自力で成長出来る訳では無いのです。

 この恐ろしい現実をとかく人間は認めたがりませんが、その人間が “成長のおぼつかない背丈の低い人間” (目線の低い)か否かは、30歳前後で既に決定されてしまうという話です。その後本人が成長しても、縦には伸びず(人格の向上は無く)、ただ横に成長する(経験や知識を獲得する)のが精一杯であり、その獲得すらも怠れば、人間とは思われ難き人格を呈してしまいます。
 現代教育では、人間とは学習(経験や知識)によってのみ自力で人格を形成すると考えられていますが、それは間違いでないにしても、最も重要な成長行程が存在する事を知りません。本人の努力では獲得出来ないものも存在するのです。

 幼少期の極めて早期の段階から、親や社会が子供の 「縦の成長」 を導く必要があります。つまり生物界の頂点に立つ人間が、一体何の為にこの宇宙に誕生し、一体何を目的にして生を営むのか、人間として誕生した以上、社会や人類の為に自分は一体何をすれば良いのかという人格(心)の底辺の底上げを誘導しなければならないのです。
 もしその子が動物を虐待した場合は、「お前はそれで満足したのか?」 と問い質さなければなりません。残虐な闘争本能(動物本能)を潜在させる子供に、人間としての本能を移植させる事が重要なのです。親が誇り高く慈愛に富む精神を有しておれば、その子供も基本的に親のその姿勢を学びます。親にどれほど財産や地位や知名度があったとしても、その子供はつまらぬ形質だけを学習し、人間の本質を学び取る事が出来ません。その様なものは子供の増上漫を煽るだけの話であり、低劣な人格を涌現させるだけに過ぎません。
 幼少期に親が子供の教育に関らず、心の発達を本人任せにしてなおざりにしてしまえば、子供はマンガやゲームの中から価値観や世界観を学び取ってしまいます。まともな人格が形成出来ない子供は、つまり縦の成長がおぼつかない子供は、徒な知識だけを獲得して成長して、自己の感情や本能すら制御する事が出来ません。今の社会には子供のまま大人になってしまった人間が一体どれほど存在するでしょうか。これらはハッキリ言って親の手抜きが原因と言えましょう。
 この様な心の健全な発達が無く、肉体だけが大人になってしまった人間を「陽化馬鹿」 と称しています。責められるべきは本人ではなく、基本的な躾が出来なかった親の方なのです。と言うより親自身が子供な為に、子供にまともな教育や躾が出来ないというのが本当のところかも知れません。子供に子供の教育は出来ないのが普通です。

 大人の知恵を与えて賢い子供を作る事と、心の器を広げて大きく高い人格素養を持つ子供を作る事とは同じ事ではありません。子供のうちに過分な人智を教え込む事は余り関心しませんし、むしろ知識を与えるのではなく、正しい物事の考え方や捉え方を教える必要があります。それは植物を大きく縦に伸長させる為には、余分な枝葉を払ってやる必要があるのと一緒の理屈です。あーなればこーなるという屁理屈は自分自身で覚えて行く事であり、大人が事前に教えても意味が無いのです。そんな徒な知識よりも、動植物を守り、それを育てる事を教え、また友達と仲良く協力して行く事を教える方が重要です。つまり人間として本来あるべき基本的な姿勢を教えて、協調性や許容力や仲間意識や耐久心や諦念や慈愛心や命の重要性を教える事の方が重要なのです。それらの人格向上因子は子が親から学び取るものであり、一番身近な親しか教えられません。

 陽化した地球、そして現在の陽化社会に住む人間にとって、この先の未来の動向を予見する事も重要な事ですが、いかなる時代になっても陰の要素が土台基盤であり、そもそも生きるという行為そのものが陰の所業に他なりません。陽化人間は心根が弱く、ちょっとした理由で生き甲斐を見失うと、すぐ自殺を考えてしまいます。普段はふんだんに獲得出来る食べ物や衣服や光や暖がいつも取れるとは限りません。空気や水や重力でさえ有限なものなのです。現在自己の命を保っている事すらラッキーである事を感謝することは勿論、そんな風前の灯の如き不安定な人間社会に住んでいる事を認識させるのも重要でしょう。

 結論を言えば、基本人格とは自己が自力で形成出来るものでは非ず、人によって作られるという話ですが、備わった人格の高低はともかくとして、その既に定められた人格を持つ我々大人には横の成長しか残されていません。私事を言わせて貰えば、女姉妹の中の一人息子で育った私は、姉達に言わせれば人格の形成が今一だと評価されていますが、それは自分でも納得するところです。私自身はこれ以上縦に進化する事は出来ませんが、横の成長の方で縦の未進化のデメリットを補いたいと考えています。つまり己自身の向上は望めなくても人の成長には関われるという話であり、横綱にはなれなくても横綱を育てる事は可能です。己の限界を悟った私はそれに徹して動いています。

 

三諦概論

 本日は陰陽哲理の「三諦論(さんたいろん)」について説明しようと思います。回転運動の様な循環を刻むもの、あるいは球体を呈するものを表現する為には「四諦論(したいろん)」がベースになりますが、直進運動の様な無限に連鎖を刻むものや、縦に垂直に伸び行く様なものは、基本的に三諦論が適用されます。一体何の話なのかさっぱり分からないと思いますが、回転運動や球形物もしくは球体物の推移の仕方には、それらを陰陽等分する分割線が必ず存在し、それに従って陰の領域と陽の領域という二つの区分に分割が可能であり、更にそれらの領域をクオーター分割する副分割線も存在し、最低二ないし四に区分する事が出来るというのが「陰陽論」もしくはその応用である「四諦論」です。

 四つの因子に分けられるものと言えば、代表的なものでは東西南北の方位は勿論、春夏秋冬の四季、人間血液のOAB型の四因子などが挙げられますが、これらは全て回転もしくは循環を象徴するものです。人間の血液型がどうして回転と関係があるのかと言えば、それらは血球の本質的な違いを区分けする型であり、要するに回転磁場の四種の性質の現れ方の違いであり、いかなる磁場にも必ず存在するものだからです。

 磁場には中諦基質(春型基質=B型基質=東方基質)、仮諦基質(夏型基質=O型気質=南方基質)、空諦基質(秋型基質=A型基質=西方基質)、冥諦基質(冬型基質=AB型基質=北方基質)の四通りが存在し、必ずどれかの性質が具現するものです。人間の場合は、その本体である人間魂の性質が体細胞に磁化反映されますので、血球の型=人間魂の型と言っても構いません。血液型を陰陽分類すると、春夏つまりB型とO型が陰であり、秋冬つまりA型とAB型が陽となります。地球自身は一体何型を呈する磁場なのでしょうか?

 ちなみにこの私の人間魂の型式はO型であり、本来直情的な基質であって、単純馬鹿とも言える様ないかにも人間臭くほとばしる如き優しい情感の持ち主ですが、それは所詮肉体魂の性質であって、生命(心)本来の性質ではありません。心の型式は典型的な冬型基質であり、怜悧で冷めた情感を持つ極めて原理的な発想をする無機物的な孤高の生命体であり、人間離れした情感の持ち主だと言えます。夏型の肉体と冬型の心を持つ極めてアンバランスな両極人間、それが私の特徴と言えます。

 さて「四諦論」とは磁場の型式の現れ方ばかりではなく、回転運動そのものが実効力を呈する陰の作用運動と、惰性力の陽の反作用運動に分かれており、更にそれらを二分割して四つの行程に区分したのが「四諦分類」であり、必ず中諦(春)から始まり、仮諦(夏)や空諦(秋)を経由して冥諦(冬)に至って一周を終え再循環の途に就きます。陰の作用行程とは中諦と仮諦であり、また陽の反作用行程とは空諦と冥諦の二種の行程の事です。回転運動の真実の姿は、四辺と四角を備えた「四角形運動」がその原点運動であり、行き道の中諦ベクトルと帰り道の空諦ベクトル、並びに行き道の仮諦ベクトルと帰り道の冥諦ベクトルの方向は180度正反対であり、両者は極性の違いの如き著しい違いを示します。その理屈は血液型のB型とA型の違いと、O型とAB型の違いと一緒のものです。

 ところで、生命位相に転写された生命記憶(意識=心)は、天体磁場を縦に一方的に垂直移動するものであり、過去から未来へ向かう西暦時間や数字の演繹的な広がりと同様に輪廻循環をしないものの一つです。しかし心を焼き付ける場である天体の「磁場位相」は輪廻転生を繰り返すものであって、立派な循環運動であり、「四諦論」で説明する事が出来ます。勿論これは人間の正確な生まれ変わりは原則的に無いが、それに近い輪廻転生は実際に起こっているという話に他なりません。

 科学が唱える物質の三態とは、固体(中諦)と液体(仮諦)と気体(空諦)の三態であり、多くの物質が明らかに異なる三種の形態を取る事から「物質の三態」と呼ばれています。物質に近い下等な生物も、その成長行程に於いて明らかに異なる三種の形態を示すものであり、幼虫ーさなぎー成虫の三態は別に昆虫だけの話ではありません。これらは人間で言う子供ー大人ー老人の違いと言えるものですが、いつもながら感じる事は、一番最後の行程が抜けている事であり、固体(子供)ー液体(大人)ー気体(老人)の次に来る生命行程が入っていません。これならば物質も生物も老体もしくは老人で折り返しの途に就く事になり、老人の次に赤ちゃんとして再誕生するならば永遠不滅の寿命を持つ事になってしまいます。

 固体ー液体ー気体の次には「霊体」という帰納行程が存在し、運動によって出現するかりそめの実態を解いて本来の姿に戻る行程、つまり零化の行程が必ず存在します。再生が可能な水蒸気分子も、いつかはその分子構造を解き、単体の原子単位へと帰納するばかりか、その原子ですらその構造を解いて素粒子化する事は勿論、その素粒子だっていつか必ず気化して気の粒に戻る日が訪れるのです。元々特定の実態を持たない惑星の磁場位相が地上の生物魂を支配して、そこで逆に我に目覚めるのが生物生命の基本です。

 つまり肉体と位相(心)は一緒に成長行程を歩みますが、ほぼ永遠の寿命を持つ心に取って肉体の運動寿命は余りにも短く、いつも成長の途上でさようならを告げねばなりません。貴方の意識とは元々地球の磁場位相に単体で存在したものであって、霊体行程(冥諦行程)とはその本来の単体形状に戻る行程を指しているのです。成仏するしないは別問題として、地球の磁場位相が、肉体死を境にして本来の位相の形態に戻るという生命行程を見落としてしまえば、目に見える物質(肉体)だけが全てという極めて狭い唯物的な生命観で生きねばならないのです。というより「我とは何ぞや」が理解出来ない、動物と余り遜色の無い知恵遅れの生き物を続ける破目に陥ってしまうのです。その様な意味では西洋哲学に「四諦概念」が無いという事は致命的な事であって、それは正確な零の概念が無い事と一緒の意味なのです。零とは「本末究境等」の意であって、元の形状に戻って等しくなるという意味に他ならなく、それは回帰循環する生命の冥諦行程を語ったものだと言えましょう。

 生命行程である「四諦行程」は、それぞれが三つの段階に分離が可能であり、四×三=十二の行程に分割する事が出来ます。いわゆるこれが仏法十二因縁であり、易学でいう十二支であって、西欧占星術でいうところの十二星座の事です。これらは本来、渦巻きの十二渦層もしくは渦磁場の十二磁界を意味するものです。固体である中諦は、子(水瓶座)、丑(魚座)、寅(牡羊座)というB型基質(春型)の三種に分かれ、液体である仮諦は、卯(牡牛座)、辰(双子座)、巳(蟹座)というO型基質(夏型)の三種に分かれ、また気体である空諦は、午(獅子座)、未(乙女座)、申(天秤座)というA型基質(秋型)の三種に分かれ、最後の霊体である冥諦は、酉(蠍座)、戌(射手座)、亥(山羊座)というAB型基質(冬型)の三種に分かれて、それぞれ特徴的な生命行程を具現しています。

 輪廻循環する一日のサイクル時間を、下等な動物に取っては夜と昼という「二諦分割(陰陽)」で充分かも知れませんが、少し高等になると、朝昼夕夜の「四諦分割」が必要であり、それによって取る行動も異なります。しかし人間に取って時間の四分割は余りにも大雑把であり、人類は昔から時間の十二分割を基本として生活して来ました。現在では二時間単位の悠長な生活は時間の浪費と考えて、現代人はその倍の二十四分割で時間に追われながらあくせくと生活しているのが現状ですが、昔から睡眠時間の比率は変わらず、人間生理に適った時間配分は十二進法が基本と言えます。

陰陽派生(4)

 ところで、寡頭競争をもたらす自然法の成り立ち構造を解析して見ると、とどの詰まりは陰陽論の因果法則に突き当たり、宇宙は必ずしも宇宙人類に対して、安定生活をして生命を満喫(謳歌)して貰う為に創造したのでは無く、たった一つの目的の為に、つまり、宇宙の本懐を適えるたった一人の人間を生み出す為に、試練の道程を与えているに過ぎない事が良く分かります。食物連鎖のピラミッド構造そのものが、宇宙の本来の姿であって、頂点を目指す意欲が無く、安易に安楽を貪る様なハッピーな人間達は、実相世界でもまた心の世界でも淘汰されて行くという、まことに厳しい世界なのです。

だからといって、戦争に身をやつせという話ではなく、戦う相手は人間や国家では非ず、自然(宇宙)そのものに他ならなく、それは未来へ通じる道を切り開く為の「知能の戦い」であって、人類に与えられた生存を勝ち取る為の宿命的な戦いなのです。その様な意味では、自然の成り行きに任せる農耕民族の血を受け継ぐ東洋人には「自滅」が待ち受けており、自然との戦いよりも国家の生存争いに堕する狩猟民族の血を受け継ぐ西欧人には「破滅」が待ち受けていて、このまま進めば人類は未来を切り開く戦いに敗れる事は明白です。

 さて、一つの人間種(ホモ・サピエンス)の中の「民族派生」も生物進化と同様な「系列発生」であり、学問的には「分派形式」に該当するもので、双子発生の様な激しい優化劣化は起こらずとも、序列差が存在し、その陰陽差はあらかじめ定められており、その優劣は既に決定されています。無論、陽民族だからといって、必ずしも生存出来るとは限りませんが、未来を切り開く為の充分な能力資質を備えている事は勿論、陽民族特有の攻撃の気性や進取の気質に富んでいるのがその特徴と言えます。そして、何よりもその民族が地球の他の如何なる民族よりも新しい民族であって、一番最後に分派した民族であるというのがその証明となります。

 極東の、日(ひ)出(い)ずる国に住むその “日の出” 民族が、一体いつ自己の本分に目覚めるのか分かりませんが、民族全体というよりも、その民族に誕生する特別な人間達の一派が地球人類の未来を奏でると言った方が適切かも知れません。その民族には元々優れた固有の生命哲学があり、極めて精巧な言語を備え、更にそこは世界で最も優秀な二つの哲学(仏法哲学と陰陽哲学)の最終到達地点でもあって、宇宙レベルの哲学がこの地で開花するという「約束事」があり、その宇宙哲学が未来をもたらす直接の原動力になるのです。ユダヤ教の黙示録に登場する予言書や、あるいは中世や近代の予言者が極東の小さな島国に対する予言を述べている様に、この国(民族)には人類の命運を握る何かが存在するのです。それが我々が提唱する「宇宙哲理 生命論」である事は言うまでも無いでしょう。

 世界を救う筈の民族が、殺戮と破壊を周辺の国家にもたらした訳ですから、その天罰(原爆)は当然な話であり、そのお蔭で平和憲法を樹立する事が出来たのです。敗戦経験と原爆被爆という苦渋をなめたのですから、それを若気の過ちとして受け止めて、今度は大人の国家としての行動を取らねばなりません。そして何よりこの国、この民族の特徴を生かす事が重要であり、その卓越した技術能力を国の財産として守る必要があって、頭脳の国外流出を防ぐ事が一番大切な事かと思われます。また先輩国家、先輩民族である西欧国家に対して、いつまでもその傘下で庇護を当てにしているのではなく、彼等に対して堂々と持論を主張し、対等に渡り合わなければ、いつまで経っても自立国家として認めて貰えません。

 陽の国家(民族)が生み出した「陽の魂」を他国に流出させる事は、それを受け入れた国に陽の覇権が譲渡されると言う意味であり、一体何の為に民族と国家が存在して来たのか、その存在意味を問われる事になります。その様な事態になる事を一番恐れていますが、我が祖国を単なる「生命論」を生んだだけの国にはしたくありませんが、国家としての陽の存在はこの国では無い事を考えれば、生命論を受け入れる国はその母国では無く、他にある事になります。まあ同じ種族の兄弟民族ですからどこだって構いませんが、それが人類の命運を握るものであれば尚更、つまりそれが陽(本物)である証明は一番最後に現れると言う事であり、受け入れる国もたった一箇所という狭き門で、そこに到着するまでは、すなわち機が熟すまでは何事も進まず、また何事も起こせないのだと諦めています。

 それよりも、「宇宙哲理 生命論」を背負った私がなぜ今まで国外に出ず、受け入れ不能なこの国に留まっていたのか、その理由の方が重要な事かも知れません。それを誰かに譲渡すべく、つまり受け入れてくれる正統な人間の出現を待っていたのであり、「宇宙哲理 生命論」は預かりものに過ぎなく、手渡すべき主人公達を待っていたというのが正直なところです。そして、今現在の我々は、我々を受け入れてくれる正統な国の出現を待つ身であり、その国が一体どこに在るのか、母国なのか他国なのか、未だに分からない状態が続いています。無論、それ以前の問題として、「宇宙哲理 生命論」が存在する事実を世に知らせていないという理由もありますが、それが単なる原理論ではなく、応用技術論があるという事が簡単に公開出来ない理由になっています。原理論と応用論はセットのものであり、科学技術だけを渡す訳には行きません。

陰陽派生(3)

 ところで、ビッグ・バン膨張の放射気流は大きなベクトル渦と小さな拡散渦を誕生させますが、その気流線そのものが真空の空間に拡散する際には、極小の拡散渦が大量発生します。これは強制拡散では無く自然拡散ですから、ベクトル渦や乱流渦の発生は無く、極めて一様で均等なサイズの拡散渦が誕生して来ます。当然、「分派形式」では無く、「分割形式」で発生しますから、均等に右巻き渦と左巻き渦が誕生して来る事になり、その激しい優劣差はミクロの世界でもちゃんと作用している事になります。左右が異なるこれらの双子渦は、生存する為に合体を余儀なくされ、陰陽合体して一つの物質となります。当然、それらの双子渦の腹の中には、この渦世界の主人公である二種の子渦(電子流)が誕生しており、後世の物質社会の主役を奏でます。

 一方、個々の銀河渦を分析すると、巨大ベクトル渦と比較すれば、それが角運動半径が小さい馬力のある強制渦であり、子渦(小銀河流)を生み出すばかりでなく、そのメインは渦巻きの渦線に沿ってランダムに発生する「乱流渦」の生産であり、サイズはまちまちですが、大量の太陽渦を発生させます。乱流発生は基本的に「分派形式」であり、一体どこの太陽系が長男なのか全く分かりませんが、銀河系内の太陽系は皆兄弟である事に変わりは有りません。また、銀河系の子渦である「小銀河渦」に関しては、銀河系の系内もしくは直ぐ外部に存在するチビ銀河で、独自の回転系を備えた星雲と呼ばれているものであり、外部ではマゼラン星雲、内部では百に近い数の星雲が存在します。これらは乱流渦ではなく、銀河の渦線が生み出すベクトル渦の一種です。

 渦の発生形式は主に二つ、一つは直進気流が生み出す左右の「ベクトル渦」、もう一つは回転気流が生み出す「乱流渦」であり、後者は双子発生(分割形式)では無く、分派形式を取るのが特徴です。爆発的に瞬間発生する「拡散渦」は、基本的にはベクトル渦の範疇であり、渦のサイズが一様であるのが特徴です。「分割方式」には激しい優劣差が誕生し、雄型と雌型という格差が生じて、陰陽合体して一つになる運命が待ち受けています。無論、「分派方式」にも前者ほど激しくは無いものの、優劣差(序列差)がちゃんとあって、最初に誕生するのが陰、後から誕生するのが陽と定められています。

 さて、渦を総括しますと、巨大ベクトル渦と銀河渦と核子渦という、たった三種類に分類出来ますが、もう少し具体的に分類すると、一番大きい巨大ベクトル渦(小宇宙流)とその子渦(銀河団流)と、そして一番小さい核子渦とその子渦(電子流)という四種の存在はハッキリしていますが、その真ん中の中間サイズである銀河渦が多様に分かれている為に、難しい分類になります。当論では銀河系渦を五段階に分けて、合計で九種の渦系に大別しており、九次元磁界をメインとしていますが、これは上界の啓示のままの要約分類であり、本来は銀河の星雲磁界も入れて十種にしたい所ですが、すぐに回転が止まって、大して存在意味が無い事を考えれば、やっぱり九種の分類でも構わないのかと思い直したりもしています。数理概念と一致させる為には、それが九種である必要があるのです。

 自然界は一見、多種多様な側面を見せて、乱雑で無法な「カオスの世界」にも見えますが、そこには自然を支配する「自然法」が存在し、それなりの調和と秩序の下にある事は長い歴史を通じて人類が学んで来た事です。その様な自然法は人間生活にも見出されて、「道理法」と呼ばれて来ましたが、煩雑多様な現代国家社会では、人間の意思や宗教の意思を反映した「法律(人間法)」が主流を占めており、自然界から学んだ道理法とはえらく掛け離れたものになっています。人間そのものは今も昔もちっとも変わりませんが、昔の時代には存在しない電化製品や銃器や車が登場して来た訳ですから、それを規制する為の細やかな「法律」を作る必要があり、安定社会を築く為には、野放しには出来ないというのが、その理由です。

 野生動物の世界の様に、在るがままに放っておけば、自然法が作用してそれなりに安定する事は分かっていると思いますが、強者に脅えて暮らす野蛮な原始社会から抜け出した人類が、そんな熟睡すら出来ない過酷な生存競争の世界に今更戻れる筈もありません。自己を外敵から庇護してくれる国家と言う保護膜があるから人間らしい生き方が出来る訳であり、その様な意味では国家とは一つの磁場単位と考えられますが、その生活圏から一旦外の世界に出れば、その安全保障の糸が切れてしまう事になります。

 国家という単位は、一つの細胞単位あるいは一つの磁場単位であり、外界とは隔離された固有の内部社会を構成しているものであって、過酷な外環境から内環境を守護する為の「保護膜」に包まれたものです。当然それは一つの生命単位であって、自然法の効力はその内部まで浸透する事は難しくても、今度は国家単位に作用を及ぼし、そこに寡頭競争をもたらして、強者と弱者を明確に分離しようとして来ます。そうした国家間の覇権争いは国家が誕生した直後から発生しており、人類は何とも血生臭い国家間戦争の歴史を持っており、その争いが今現在でも続いている事は承知の通りです。

 しかし、宇宙という本格的な外世界に目をやれば、地球は「地球磁場圏」という保護膜に包まれた一つの安定社会であり、そこには生存に必要な物理環境もあれば、空気や水もあって、また食料となる有機物も、あるいは社会生活に必要な資源も、ふんだんに用意された極めて恵まれた環境である事を認識出来ると思います。つまり地球そのものが一つの細胞単位であって、我々は細胞内生物(酵素)である訳です。その様な「地球一国」という巨大単位を個々の人間が正しく意識しなければ、いつまで経っても内部抗争(国家間争い)に終止符を打つ事が出来ません。

 

次回へ続く

陰陽派生(2)

 我々の提唱する宇宙哲学とは、いわゆる「気の運動」と、その運動から生まれる「力の場」を説いたもので、原始宇宙のビッグ・バン膨張が生み出す巨大空間渦の「生命模様」を明らかにしたものです。物理的な表現を使えば、気の存在仮定と、その拡散膨張が生み出す渦運動、その角運動が形成する「磁場」、そしてその磁場が織り成す「生命運動」について語ったものです。この新しい「宇宙観」が未来科学の根幹思想となります。

 ビッグ・バン膨張が生み出す空間渦は、複数の巨大ベクトル渦(小宇宙流)と、無数の小さな拡散渦(銀河流)であり、基本的にはこの二種類です。また吹き出した直進気流そのものが真空の宇宙空間に自由拡散する時に誕生して来るのが、無量大数の一律一様なミクロの拡散渦であり、それが陽子と中性子であり、星間ガス(重水素ガス)の成分となります。巨大ベクトル渦は、その腹の中に複数の子渦(銀河団流)を発生させますが、親渦も子渦も周囲に砂粒の如く大量発生した「銀河系渦」を集めるのが基本的なその仕事です。

 また、その一つ一つのチビ銀河系は、その腹の中に大量の子渦(太陽流)を生産しますが、親渦も子渦も定められた仕事は一緒であり、基本的には周囲に発生した霧状のガス分子を吸収して集める事です。銀河系の子渦である太陽系は、更にその腹の中に子渦(惑星流)を誕生させますが、銀河系以下の渦は全て、星間ガスを吸収するのが仕事であり、特に太陽や惑星という角運動半径が小さい渦磁場は、強烈な磁場重力を備えている為に、ガスを吸収してプールするというよりも、捕獲圧縮して中心物体(コア)を造り出すのがその本分だと言えます。

 吸核的な回転力を誇る惑星渦は、その腹の中に幾つかの子渦(衛星流)を生み出すばかりか、その系内に大量の乱流渦である孫渦(岩石流)を誕生させるのがメインの仕事であり、それらの岩石渦はガスを捕獲して小さなコアを急速に誕生させます。乱流渦である岩石渦のサイズは様々ですが、大きなものは小惑星となり、小さなものは水や有機素材の原料となる星間物質(炭酸ガスやアンモニアやメタンガス)となって、これらの物質はゆくゆくは惑星自身に吸収される事になります。

 ビッグ・バン膨張が生み出す大小様々な「渦の世界」、それがこの宇宙の真実の姿であり、その全ての渦回転が気流回転であり、それぞれが特殊な天体磁場(渦磁場)を囲っています。この宇宙が気の粒の運動が織り成す世界であって、本源的な固体の物質など存在しない【運動の世界】であり、運動が終われば元の形状(気)に戻る「虚無の世界」だという、つまりは夜空に一瞬の輝きをもたらす打ち上げ花火の世界であるという意味が理解出来るのではないかと思います。その「虚無の世界」にあって、唯一永遠に残るものは、磁場に焼き付いた生命記憶であり、それは気に冥伏して次世の宇宙に受け継がれるもので、永遠の命を持っています。

 この様な「渦の世界」を陰陽分類すると、ビッグ・バン膨張が直接生産する巨大ベクトル渦と、瞬間発生する拡散渦(銀河渦)という形態が異なる渦が発生しますが、生道行程である事を考慮すれば、当然その陰陽の配当は前者が陰、そして後者が陽となります。もちろん、巨大ベクトル渦にも、あるいは無数の銀河渦にも、それぞれ右巻き(陰)と左巻き(陽)が存在しますが、陰陽派生にも二種類の形態が存在し、親が子供を産む「分派形式」と、親そのものが分割して双子を生み出す「分割形式」に分かれます。巨大ベクトル渦と拡散渦の関係は、ビッグ・バン膨張が生み出す「陰陽分派」であり、長男と次男の誕生となります。また、それぞれの渦が左右の双子渦に分かれるのは「陰陽分割」であり、最も優劣が発生し易い方式となります。

 

次回に続く

陰陽派生(1)

 地球の完成(地球コアの完成)が宇宙の生道行程(前半生)の終息であり、コアの分裂崩壊が始まるのが宇宙の退道行程(後半生)の始まりです。宇宙の渦系はこれで最初の目的である物質の原形を創造し、その発汗行程を終了して、今度は磁場の誘導作業(生命創造作業)に本格的に取り組む事になります。星間ガスを吸収して、渦磁場の中心点に圧縮して行くという強制的な労働作業には一段落が着き、後はコアの成長を外側から誘導するだけですから、身体的には楽にはなったものの、神経を酷使する作業となります。

  渦磁場にとってコアとは、自らの腹の中に誕生した「胎児」であり、独立した磁場を有した「内磁場」となります。胎児が無事に育つかどうかは、母親本人(地球系)だけの問題では無く、太陽系全体の責任にもなります。コアを孕んだ母星(水の惑星)の使命は、その胎内環境を充実させて羊水の中で胎児を養育し、自らの遺伝情報を受け継ぐ「我が子」を成長させ、滞りなく無事に出産まで漕ぎ着ける事です。

 母親の生命創造作業の一つは、系内に発生した星間物質を内磁場に吸収させる作業であり、水や有機物の材料をコアに送り届ける作業が最初の仕事です。それらの星間物質を重力による自然吸収に任せていたら、途轍もない時間を浪費する事から、月の軌道磁界の力を借りて、共同作業で急速に送り込みます。また月の軌道磁界は、外磁場の過激な重力作用を緩和する役割も備えており、コアの重列元素崩壊を促進させるという、黒子的な燻し銀の仕事もしています。

 コアの分裂崩壊は外磁場の潮汐運動によって調整されていますが、基本的にはコア自身の仕事であり、コアは激しい崩壊熱の放射と大量の元素を生産し、灼熱のマグマを生み出します。コアが最初に造る物は自己の皮膜とも言える地殻であり、火の玉となって燃え上がるそれは、表面のマグマが急速に冷えて、固体の皮膜を造り出します。最初に先ずそれを造らないと、大量に吸収した水分子がいつまで経っても気体状態のままであり、海洋を造る事が出来ず、胎内環境を整える事が出来ません。

 さて、コア(重列元素)とは100種の元素を生産する直接母体であり、それ自身が地磁気を生み出して、内磁場を形成しているところの一つの生命ですから、陰陽論で考察すれば、それは究極完成した完成物であり、その分裂派生の仕方は「陰陽分派」の法則に従います。その派生の仕方は、時間速度は極端に異なりますが、通常の物質崩壊の行程と基本的に一緒であり、山が崩壊して巨大な岩石となり、更にその岩石が崩壊して石に変じ、その石が風化して無数の砂粒に変貌して行く行程と全く同じです。巨大元素である放射能元素群は自ら崩壊して、無数の小さな安定元素群へと変じて行きます。

 当然コア自身は、大陰と呼ばれる元祖の存在であり、その陰が陽のチビ元素群を生産して行くと言う方向性であって、100種の元素(電子系物質)の中でも、陽の本分を具現出来る元素は、五行分類で言うところの「木(もく)の原子群」であり、末尾20位までの元素が、元素の本分を遂行出来る陽属元素だと言う事になります。その大半はコア自身が作り出したというよりも、星間物質として母親が用意してくれた外来元素ですが、時間的猶予があれば、当然コアも生み出せる物です。

 この様に、元素という物はコアの核分裂で発生する物であって、核融合で合成される物では非ず、あらかじめ完成した巨大元素が小さな元素単位へと遷移して行くという方向性を有する物です。この最低限度の方向性を見失えば、入口と出口を間違える事になり、現代科学の様な軽挙妄動に陥ってしまいます。星の核融合理論が自然現象とは正反対の考え方である事は、今では多くの科学者が個人的には矛盾を感じている事だと思いますが、それに取って代わる統一理論が無い為に、過去の理論を是正出来ない状態で放置されているのが現状です。

 

次回に続く

生命輪廻の陽化運動(2)   

 さて、繰り返しになりますが輪廻運動は前進運動であり、ただ回転を繰り返すだけではありません。高気圧や低気圧の大気渦が回転すれば、下降流や上昇流という大気の直進運動を生み出します。また、電子が公転すれば中心磁束という直進流を生み出し、電子スピンは電子の中心磁束(電流)を生み出します。

 

 

 もちろん、生命輪廻はこれらの物とは異なりますが、先にお話した様に心を進化させる直進運動を行なっており、その進化には逆流は決してありません。
 ここでの話は死後の世界を信じろという意味ではありませんし、またはかない肉体を備えている人間期間が虚しいという意味でもありません。死んでから進化するのは当然の話であり、宇宙の高み(精神の上層階)に死んでから到達するのなら、誰にでもできる芸当という話なのです。重要なのは“生きたまま”進化することが重要なのです。仏法では死んで上界へ達することを“死成仏”、生きたまま上界へ達することを“即身成仏”と称していますが、原則的には死んだ人間の自力成長は難しいのです。一方で肉体と一致した明晰な意識を奏でる人間の精神成長は早く、人によっては一瞬にして最高峰の上界に到達できる人もいます。

 本書でお話しているこの陰陽哲理も、そこに住む意識体が書かせたものをわかりやすく表現し直したものなのです。しかし、その磁界(星団磁界)ですら最高峰の磁界ではありません。まだ上が存在しているのであり、そこは創造主の意識世界と言えます。その場へ生きたまま同会するのが人間に課せられた当面の使命なのです。そして、その磁界や場すらも越えていくことが究極の人間の使命に他なりません。それは貴方自身が成すかもしれませんし、後世の子孫たちが成すのかもしれませんが、いずれにしても尊い肉体を存続させることも最重要課題であり、世代交代を続けてこの肉体を子孫に伝えていく意味がそこに存在するのです。

 人間(宇宙人)とは桜の花びらに過ぎず、その花を開花させているのが宇宙であり、桜本体である“桜の木”なのです。仮に桜の花が60億個の花びらを開花させたところで、それらは桜の木の一部に過ぎず、元々独立した存在ではありません。桜の花びら(人間)は桜本体(宇宙)を象徴するものですが、結局それらは桜の木の一部に過ぎず、全体的なものではなく部分的なものなのです。個の意識に捕らわれて、一人の人間意識から卒業できない人は永久に花びらをやり続ける事になりますが、考え方一つで人間は地球にもなり、宇宙全体にもなって我が桜であるという全体意識も囲えるのです。創造主(神=全体宇宙)が人間に望んでいることは、我(神)に従って生きるのではなく、我(神)の意識に人間が成長することであり、人間が我と同化しうる日をただひたすら待っているのです。悲しいことに、小さな肉体に呪縛された哀れな人間は自分が地球であることも、そして宇宙自身であることも気が付かずに、無意義な人の一生を送ってしまうのです。

 さて、この宇宙で唯一無二の存在である原始宇宙(創造主)は、前宇宙の遺伝記憶である“宇宙を創造して生命を生産する記憶”を持つものの、自己を客観的に判断し得る“外磁場(心)”を持たない内磁場だけの極めて原始的な意識体です。それは人間の様な賢い生命体とは言えず、尊いものであっても、その知能は白痴的な生命状態と言えます。彼(創造主)は自分がどこの何者なのか、まるで何も分からないのです。そこで宇宙は記憶に従って人間を造り、そこに自己の意識を投影して、肉体を通じてあらゆる情報を集めて自己の成長を促がしているのです。つまり、人間とは神の意識を奏でる生命体であり、神(人間)が“我とは何ぞや”を理解するその日まで、日々の成長を義務付けられた生命体なのです。
 そんな創造主を具人化して万能なる神のイメージを抱き、人間とは別種な存在物として扱っているのは知能遅れの地球人ぐらいのものです。人間が想像するような神など宇宙には存在しないのであり、救いを待っても無駄だと言えます。神の意識は現存するものではなく、これから人間が創造するものに他なりません。神を信奉する西欧人にとっては、これは神を冒涜する考え方かもしれませんが、特定の神など崇めない東洋人にとって、万能神の存在は無く、誰も神など宛てにしておらず救済など待っていません。それは宗教が生み出した弊害であり、神など居ないことを認識しなければならないでしょう。

 生命輪廻が生み出す心の“縦の進化”の行き着く先には、大宇宙の当体意識を奏でるという人間に課せられた最高の使命が存在します。その究極的な目的の為に人類が存続し、世代交代を続けて成長を続けていることは認識しておかなければならないでしょう。
 重要な事は、物事が陽化流転して本来あるべき姿(回帰原点)に向かって動いているという事であり、ミクロの範囲でもマクロの範囲でも陽化運動が起こっているという事実です。宇宙と言えども、自然の摂理に従って運動を起こしており、人間と同様に成長があり、死を迎えて、輪廻を繰り返しています。その絶対法則は神が創作したものではなく、神(宇宙)も従わなければならない自然の掟であり、それは単に最も初歩的な物理法則に過ぎないのです。その物理法則を認識するのに、神の知恵は要らないのであり、それは人智で充分理解し得るものなのです。絶対に超えられない神の壁を作り出せば、宇宙は謎解きの出来ない孤高の存在となり、その民は盲目地獄から永久に逸脱できません。

 

 

生命輪廻の陽化運動(1)   

 先にお話しましたように、万物万象の陽化運動を陽の比率が上がっていく現象と捕らえるのか、それとも陰の比率が下がっていく現象と捕らえるのか、その結果はどちらも同じなのですが、陽には明確な形がありませんので本書では認識の都合上、陰の比率が下がっていくことを陽化としています。例えば、固形の芳香剤が陽化し、溶解して香りの分子へと昇華していくのも芳香剤の消失を目で見て、陽化の終了を確認できるからです。

 人間の陽化を具体的に考えてみると、肉体の陽化と、心の陽化の両方が存在しています。肉体の陽化とは細胞体(陰)と生体磁場(陽)の陽化推移であり、心の陽化とは磁場位相(陰)とその生命記憶(陽)の陽化推移のこととなります。これらはそれぞれ図に示すような生命輪廻図に比例した陽化運動を行なっています。一般に、肉体(陰)と心(陽)の関係といえば、肉体の象徴である生体磁場(陰)と、心の象徴である生命記憶(陽)
の関係を代表的に説明しているのに過ぎません。両者も互いに相対関係にあって、生体磁場の馬力が落ちれば、その分心の馬力が高じていきます。従って、この陽化推移も生命輪廻図で説明がつくことになります。

 

生命輪廻図を見て分かるように、陰の比率が9-8-7-6-5-4-3-2-1-(0)と減滅していくのに対して、陽の比率は1-2-3-4-5-6-7-8-9-(10)と増大していきます。回帰原点とは陽の10段階目を示すと同時に、陰の0段階目を意味しています。両者の比率は常に一定で、片方が7割ならば、もう片方は3割となります。本書では、起動原点(0度)と回帰原点(180度)の二種を、輪廻を分ける等分点と定義し、その二つの行程の中で陰陽の比率が等しくなる真ん中の(5)点を“央分点“と呼んで、表の行程の央分点(90度)と、裏の行程の央分点(270度)の二種を想定しています。

 

 

 

これらの区節点は一年の温度輪廻を二等分する冬至点(0度)と夏至点(180度)、そして冬~夏を分ける春分点(90度)と、夏~秋を分ける秋分点(270度)と同じ意味になり、生命輪廻を解析する為の重要な基点となります。ちなみに温度の陰陽は地上に於いては寒(陰)と暖(陽)であり、それらが極まる点が二つの等分点となり、また五分五分になるのが二つの央分点となります。温度輪廻の実相行程(陽化行程)とは寒さが極まる冬至点から始まり、徐々に陽化(暖化)が進んで暖が極まる夏至点で終了します。その実相行程の央分点は春分点にあり、北半球では12月から3月までを登りの生道行程、そして3月から6月までが下りの退道行程となります。どちらが楽チンな行程かは、言うまでもありません。

 

 夏至点から冬至点に至る半年の期間が温度輪廻の虚相行程(折り返し行程)です。地上は光の散乱(輻射)の関係で温度余波が残留し、温度のピークは約一ヵ月半ほどずれ込みますが、いずれにしても夏至点を過ぎると陽化が極まり、人の心も陽化して仕事に集中できずにバカンスを求めます。自己を拘束するあらゆる圧力から開放されて“心が宙に浮く”状態となります。つまり肉体の拘束力や日常の圧迫感から逃れて精神を解き放つのであり、それは死んだ直後の状態や睡眠に突入した状態と基本的に一緒なのです。この注意力が散漫で無防備な浮かれた状態を“陽化ボケ”と呼びます。
 このような陽化ボケを脱するのは、秋風が吹いて涼しい季節が到来する秋分点を過ぎてからになります。虚相行程の後半の行程に入ってはじめて、人は自己を客観的に見直し、一年の経験を振り返り、また未来のことを考えはじめます。精神が高揚して人生の意味や価値を模索し、中には虚無的な衝動に駆られる人もいれば、物思いに沈み憔悴する人もいるかと思います。その状態は死後の霊が、生前の自己の一生を振り返って充足感や不満感や未練や諦念を感じることと全く同じなのです。
 虚相行程の後半期は、心が体から分離した状態であり、小説家や哲学者には最も良い季節となります。しかし、それも冬至点までの話であり、そこを過ぎれば再び実相行程の地獄が待ち受けており、精神は地の底に幽門されて先の見えない無明の状態に突入します。強烈な圧迫感と何も考えられない無が支配する状態となった人間は、いつの間にか心身離脱状態が解消されて心身一致状態に変貌しています。これは母親のお腹の中から誕生した直後の赤ちゃんの状態に他なりません。その赤ちゃんが少しづつ陽化して、心を発達させてくる道程が陽化行程なのです。二月を過ぎた頃から、やっと一条の光が差し込んできて、先に希望や夢が持てるようになり、人は勤勉に働き始めます。結局、人間が脇目も振らずに仕事に打ち込めるのは冬至点から夏至点までの間であり、夏至点を過ぎると精神が高揚し過ぎて、様々考える割には肉体を酷使して発汗することを嫌います。一年の温度輪廻はそうした人間の生命輪廻を象徴しています。

 

次回へ続く

 

流転(運動)の段階推移(2)  

 これらの運動はいずれも切れ目の無い連続的な運動であり、常に一定方向へ流れていき決して逆流することはありません。また一サイクル単位の終了を告げるか、もしくは次の輪廻の起動原点(0点)となり得る回帰原点(10点)が必ず存在し、屈折や反射して方角を変化させる場合は、これらの回帰原点を境にして折れ曲がります。また、一サイクル単位の中には央分点(5点)が存在し、ベクトルの向きが90度変化するか、もしくはその強弱を変化させています。
これらの運動は原則的に三角形(二等辺三角形)を呈しており、また輪廻運動はこれらの三角形が二つ組み合わさった四角形を呈してして、これらの形状は直進力線が描く基本形です。
 ここで輪廻図であるC図について具体的な説明をしてみたいと思います。この図は生命輪廻を一元的に捕らえたもので、陰の流れを掲載していません。陽の流れのみを説明した一元図であり完成した生命輪廻図ではありません。

 

 

 例えば人間生命の零状態とは母親のお腹の中で眠る胎児(0~1)であり、胎児期は実相行程(陰陽混合)ではなく、心の陽化行程(成長行程)には当たりません。胎児が誕生して実体を具現し、心を宿した瞬間が1点(出発点)となり全ての生命はそこから始まります。乳児期(1~2)を経過した生命は幼年期(2~3)-少年期(3~4)-思春期(4~5)を経て、やっと大人として認められる央分点の青年期(5~6)に至ります。そしてここまでが登りの成長行程です。その後、壮年期(6~7)-熟年期(7~8)-初老期(8~9)-老年期(9~10)という下りの退道行程を歩んだ生命は、ついに回帰原点(10点)に到達して死を迎えることとなります。九段階に渡る実相行程はここで終了し、肉体を失って霊体(意識体)となった人間生命には、死の直後に重要な分岐点が訪れて、道が大きく分かれます。陰陽分離した生命(心)はその陽だけが次の循環行程へと進んでいきます。

 

 仏法では、三途の川を渡り、死んだ直後の生命状態を霊身期(れいじんき)と呼び、法身期(ほっじんき)、応身期(おうじんき)、報身期(ほうじんき)の三段階が存在すると説いています。その分岐点の存在する最初の関門が“法身期”であり、ここで天国(上界)行きと、地獄(地球のこと)行きの両行程に分かれます。登りの生命は上法身期(10~11)に進んで、更に応身期(11~12)から報身期(12~13)と向かって、そこから太陽磁場圏へと転写されて成仏します。一方、下りの生命は下法身期(10)にそのまま止まって、そこに定住したまま地球磁場圏から決して離れようとはしなくなります。下りの生命とは生前の自己に執着して、人間を卒業する意思が無い不成仏霊のことです。彼らは人間と同じ地球磁場圏に住んでおり、人間に憑依して肉体を操作できる物理能力を持っていますので大変危険な存在と言えます。
 ちなみに、人間が眠っている時には必ずこの法身期の領域に心が同会しており、睡眠状態とは言わば仮死状態の事です。磁場位相に存在する磁気意識体である我々は、一日一回死ななければ収縮エネルギーが得られないのです。充分な睡眠を取れば、思いっきり収縮して肉体の直ぐ近くまで目線を落とすことが可能であり、明晰な意識を囲う集中力を得ることができます。また泥酔状態になるまでお酒を飲んで、ノンレム睡眠に突入すると、法身期を通り越して応身期の領域に入ることになり、生きたまま成仏行程へ進入してしまう場合もあります。心がこの領域に入ると記憶が転写されてしまうので、眠るたびに馬鹿になっていくという恐ろしい事となってしまいます。

 

 ところで、生命も含めて万物の運動にはリズムがあって、必ず零基点を経由して元に戻るバイオリズム周期が存在しますが、物体の連鎖には区節点は存在しません。つまり、回帰原点に相当する10点が無いために、「九区点八段階」の連鎖形式となり、こちらの方は十干バイオリズムではなく、“九星バイオリズム”と呼ばれており、その八段階行程は“八正道”と呼ばれます。

 

次回へ続く