陽化現象

 そもそも陽化現象とは老化現象の意であり、いわゆる成長現象の事です。物が誕生し生命(運動)が開花した後、やがてその生命は必ず終息を迎えます。その長短は様々でも、万物万象には運動寿命が存在し、宇宙といってもその例外ではありません。
 物の成長には 「縦の成長(陰)」 と 「横の成長(陽)」 という異なる二種類の形態が存在します。当然人間成長にも縦横の成長が存在し、その中でも初期の段階に訪れる 「縦の成長」が重要な鍵を握っています。なぜなら陰の 「縦の成長」とは、後天的に自力で獲得出来る様な性質のものではなく、親や社会が導く成長であって、外側から与えられる誘導因子よって起こるものだからです。
 この縦の成長は原則的に満33歳で終了し、その段階で人間の人格の程度は決定されてしまいます。それ以上自力で伸びる事はなく、以後はただ横に成長するだけです。だが実際はほぼ満24歳前後でストップするというのが普通であり、肉体成長の終了と同時に心の縦の成長の方も終了してしまうのが一般的です。早い話が、人間の進化は極めて早期の段階で終わってしまうものであり、しかも自力で成長出来る訳では無いのです。

 この恐ろしい現実をとかく人間は認めたがりませんが、その人間が “成長のおぼつかない背丈の低い人間” (目線の低い)か否かは、30歳前後で既に決定されてしまうという話です。その後本人が成長しても、縦には伸びず(人格の向上は無く)、ただ横に成長する(経験や知識を獲得する)のが精一杯であり、その獲得すらも怠れば、人間とは思われ難き人格を呈してしまいます。
 現代教育では、人間とは学習(経験や知識)によってのみ自力で人格を形成すると考えられていますが、それは間違いでないにしても、最も重要な成長行程が存在する事を知りません。本人の努力では獲得出来ないものも存在するのです。

 幼少期の極めて早期の段階から、親や社会が子供の 「縦の成長」 を導く必要があります。つまり生物界の頂点に立つ人間が、一体何の為にこの宇宙に誕生し、一体何を目的にして生を営むのか、人間として誕生した以上、社会や人類の為に自分は一体何をすれば良いのかという人格(心)の底辺の底上げを誘導しなければならないのです。
 もしその子が動物を虐待した場合は、「お前はそれで満足したのか?」 と問い質さなければなりません。残虐な闘争本能(動物本能)を潜在させる子供に、人間としての本能を移植させる事が重要なのです。親が誇り高く慈愛に富む精神を有しておれば、その子供も基本的に親のその姿勢を学びます。親にどれほど財産や地位や知名度があったとしても、その子供はつまらぬ形質だけを学習し、人間の本質を学び取る事が出来ません。その様なものは子供の増上漫を煽るだけの話であり、低劣な人格を涌現させるだけに過ぎません。
 幼少期に親が子供の教育に関らず、心の発達を本人任せにしてなおざりにしてしまえば、子供はマンガやゲームの中から価値観や世界観を学び取ってしまいます。まともな人格が形成出来ない子供は、つまり縦の成長がおぼつかない子供は、徒な知識だけを獲得して成長して、自己の感情や本能すら制御する事が出来ません。今の社会には子供のまま大人になってしまった人間が一体どれほど存在するでしょうか。これらはハッキリ言って親の手抜きが原因と言えましょう。
 この様な心の健全な発達が無く、肉体だけが大人になってしまった人間を「陽化馬鹿」 と称しています。責められるべきは本人ではなく、基本的な躾が出来なかった親の方なのです。と言うより親自身が子供な為に、子供にまともな教育や躾が出来ないというのが本当のところかも知れません。子供に子供の教育は出来ないのが普通です。

 大人の知恵を与えて賢い子供を作る事と、心の器を広げて大きく高い人格素養を持つ子供を作る事とは同じ事ではありません。子供のうちに過分な人智を教え込む事は余り関心しませんし、むしろ知識を与えるのではなく、正しい物事の考え方や捉え方を教える必要があります。それは植物を大きく縦に伸長させる為には、余分な枝葉を払ってやる必要があるのと一緒の理屈です。あーなればこーなるという屁理屈は自分自身で覚えて行く事であり、大人が事前に教えても意味が無いのです。そんな徒な知識よりも、動植物を守り、それを育てる事を教え、また友達と仲良く協力して行く事を教える方が重要です。つまり人間として本来あるべき基本的な姿勢を教えて、協調性や許容力や仲間意識や耐久心や諦念や慈愛心や命の重要性を教える事の方が重要なのです。それらの人格向上因子は子が親から学び取るものであり、一番身近な親しか教えられません。

 陽化した地球、そして現在の陽化社会に住む人間にとって、この先の未来の動向を予見する事も重要な事ですが、いかなる時代になっても陰の要素が土台基盤であり、そもそも生きるという行為そのものが陰の所業に他なりません。陽化人間は心根が弱く、ちょっとした理由で生き甲斐を見失うと、すぐ自殺を考えてしまいます。普段はふんだんに獲得出来る食べ物や衣服や光や暖がいつも取れるとは限りません。空気や水や重力でさえ有限なものなのです。現在自己の命を保っている事すらラッキーである事を感謝することは勿論、そんな風前の灯の如き不安定な人間社会に住んでいる事を認識させるのも重要でしょう。

 結論を言えば、基本人格とは自己が自力で形成出来るものでは非ず、人によって作られるという話ですが、備わった人格の高低はともかくとして、その既に定められた人格を持つ我々大人には横の成長しか残されていません。私事を言わせて貰えば、女姉妹の中の一人息子で育った私は、姉達に言わせれば人格の形成が今一だと評価されていますが、それは自分でも納得するところです。私自身はこれ以上縦に進化する事は出来ませんが、横の成長の方で縦の未進化のデメリットを補いたいと考えています。つまり己自身の向上は望めなくても人の成長には関われるという話であり、横綱にはなれなくても横綱を育てる事は可能です。己の限界を悟った私はそれに徹して動いています。

 

三諦概論

 本日は陰陽哲理の「三諦論(さんたいろん)」について説明しようと思います。回転運動の様な循環を刻むもの、あるいは球体を呈するものを表現する為には「四諦論(したいろん)」がベースになりますが、直進運動の様な無限に連鎖を刻むものや、縦に垂直に伸び行く様なものは、基本的に三諦論が適用されます。一体何の話なのかさっぱり分からないと思いますが、回転運動や球形物もしくは球体物の推移の仕方には、それらを陰陽等分する分割線が必ず存在し、それに従って陰の領域と陽の領域という二つの区分に分割が可能であり、更にそれらの領域をクオーター分割する副分割線も存在し、最低二ないし四に区分する事が出来るというのが「陰陽論」もしくはその応用である「四諦論」です。

 四つの因子に分けられるものと言えば、代表的なものでは東西南北の方位は勿論、春夏秋冬の四季、人間血液のOAB型の四因子などが挙げられますが、これらは全て回転もしくは循環を象徴するものです。人間の血液型がどうして回転と関係があるのかと言えば、それらは血球の本質的な違いを区分けする型であり、要するに回転磁場の四種の性質の現れ方の違いであり、いかなる磁場にも必ず存在するものだからです。

 磁場には中諦基質(春型基質=B型基質=東方基質)、仮諦基質(夏型基質=O型気質=南方基質)、空諦基質(秋型基質=A型基質=西方基質)、冥諦基質(冬型基質=AB型基質=北方基質)の四通りが存在し、必ずどれかの性質が具現するものです。人間の場合は、その本体である人間魂の性質が体細胞に磁化反映されますので、血球の型=人間魂の型と言っても構いません。血液型を陰陽分類すると、春夏つまりB型とO型が陰であり、秋冬つまりA型とAB型が陽となります。地球自身は一体何型を呈する磁場なのでしょうか?

 ちなみにこの私の人間魂の型式はO型であり、本来直情的な基質であって、単純馬鹿とも言える様ないかにも人間臭くほとばしる如き優しい情感の持ち主ですが、それは所詮肉体魂の性質であって、生命(心)本来の性質ではありません。心の型式は典型的な冬型基質であり、怜悧で冷めた情感を持つ極めて原理的な発想をする無機物的な孤高の生命体であり、人間離れした情感の持ち主だと言えます。夏型の肉体と冬型の心を持つ極めてアンバランスな両極人間、それが私の特徴と言えます。

 さて「四諦論」とは磁場の型式の現れ方ばかりではなく、回転運動そのものが実効力を呈する陰の作用運動と、惰性力の陽の反作用運動に分かれており、更にそれらを二分割して四つの行程に区分したのが「四諦分類」であり、必ず中諦(春)から始まり、仮諦(夏)や空諦(秋)を経由して冥諦(冬)に至って一周を終え再循環の途に就きます。陰の作用行程とは中諦と仮諦であり、また陽の反作用行程とは空諦と冥諦の二種の行程の事です。回転運動の真実の姿は、四辺と四角を備えた「四角形運動」がその原点運動であり、行き道の中諦ベクトルと帰り道の空諦ベクトル、並びに行き道の仮諦ベクトルと帰り道の冥諦ベクトルの方向は180度正反対であり、両者は極性の違いの如き著しい違いを示します。その理屈は血液型のB型とA型の違いと、O型とAB型の違いと一緒のものです。

 ところで、生命位相に転写された生命記憶(意識=心)は、天体磁場を縦に一方的に垂直移動するものであり、過去から未来へ向かう西暦時間や数字の演繹的な広がりと同様に輪廻循環をしないものの一つです。しかし心を焼き付ける場である天体の「磁場位相」は輪廻転生を繰り返すものであって、立派な循環運動であり、「四諦論」で説明する事が出来ます。勿論これは人間の正確な生まれ変わりは原則的に無いが、それに近い輪廻転生は実際に起こっているという話に他なりません。

 科学が唱える物質の三態とは、固体(中諦)と液体(仮諦)と気体(空諦)の三態であり、多くの物質が明らかに異なる三種の形態を取る事から「物質の三態」と呼ばれています。物質に近い下等な生物も、その成長行程に於いて明らかに異なる三種の形態を示すものであり、幼虫ーさなぎー成虫の三態は別に昆虫だけの話ではありません。これらは人間で言う子供ー大人ー老人の違いと言えるものですが、いつもながら感じる事は、一番最後の行程が抜けている事であり、固体(子供)ー液体(大人)ー気体(老人)の次に来る生命行程が入っていません。これならば物質も生物も老体もしくは老人で折り返しの途に就く事になり、老人の次に赤ちゃんとして再誕生するならば永遠不滅の寿命を持つ事になってしまいます。

 固体ー液体ー気体の次には「霊体」という帰納行程が存在し、運動によって出現するかりそめの実態を解いて本来の姿に戻る行程、つまり零化の行程が必ず存在します。再生が可能な水蒸気分子も、いつかはその分子構造を解き、単体の原子単位へと帰納するばかりか、その原子ですらその構造を解いて素粒子化する事は勿論、その素粒子だっていつか必ず気化して気の粒に戻る日が訪れるのです。元々特定の実態を持たない惑星の磁場位相が地上の生物魂を支配して、そこで逆に我に目覚めるのが生物生命の基本です。

 つまり肉体と位相(心)は一緒に成長行程を歩みますが、ほぼ永遠の寿命を持つ心に取って肉体の運動寿命は余りにも短く、いつも成長の途上でさようならを告げねばなりません。貴方の意識とは元々地球の磁場位相に単体で存在したものであって、霊体行程(冥諦行程)とはその本来の単体形状に戻る行程を指しているのです。成仏するしないは別問題として、地球の磁場位相が、肉体死を境にして本来の位相の形態に戻るという生命行程を見落としてしまえば、目に見える物質(肉体)だけが全てという極めて狭い唯物的な生命観で生きねばならないのです。というより「我とは何ぞや」が理解出来ない、動物と余り遜色の無い知恵遅れの生き物を続ける破目に陥ってしまうのです。その様な意味では西洋哲学に「四諦概念」が無いという事は致命的な事であって、それは正確な零の概念が無い事と一緒の意味なのです。零とは「本末究境等」の意であって、元の形状に戻って等しくなるという意味に他ならなく、それは回帰循環する生命の冥諦行程を語ったものだと言えましょう。

 生命行程である「四諦行程」は、それぞれが三つの段階に分離が可能であり、四×三=十二の行程に分割する事が出来ます。いわゆるこれが仏法十二因縁であり、易学でいう十二支であって、西欧占星術でいうところの十二星座の事です。これらは本来、渦巻きの十二渦層もしくは渦磁場の十二磁界を意味するものです。固体である中諦は、子(水瓶座)、丑(魚座)、寅(牡羊座)というB型基質(春型)の三種に分かれ、液体である仮諦は、卯(牡牛座)、辰(双子座)、巳(蟹座)というO型基質(夏型)の三種に分かれ、また気体である空諦は、午(獅子座)、未(乙女座)、申(天秤座)というA型基質(秋型)の三種に分かれ、最後の霊体である冥諦は、酉(蠍座)、戌(射手座)、亥(山羊座)というAB型基質(冬型)の三種に分かれて、それぞれ特徴的な生命行程を具現しています。

 輪廻循環する一日のサイクル時間を、下等な動物に取っては夜と昼という「二諦分割(陰陽)」で充分かも知れませんが、少し高等になると、朝昼夕夜の「四諦分割」が必要であり、それによって取る行動も異なります。しかし人間に取って時間の四分割は余りにも大雑把であり、人類は昔から時間の十二分割を基本として生活して来ました。現在では二時間単位の悠長な生活は時間の浪費と考えて、現代人はその倍の二十四分割で時間に追われながらあくせくと生活しているのが現状ですが、昔から睡眠時間の比率は変わらず、人間生理に適った時間配分は十二進法が基本と言えます。

陰陽派生(4)

 ところで、寡頭競争をもたらす自然法の成り立ち構造を解析して見ると、とどの詰まりは陰陽論の因果法則に突き当たり、宇宙は必ずしも宇宙人類に対して、安定生活をして生命を満喫(謳歌)して貰う為に創造したのでは無く、たった一つの目的の為に、つまり、宇宙の本懐を適えるたった一人の人間を生み出す為に、試練の道程を与えているに過ぎない事が良く分かります。食物連鎖のピラミッド構造そのものが、宇宙の本来の姿であって、頂点を目指す意欲が無く、安易に安楽を貪る様なハッピーな人間達は、実相世界でもまた心の世界でも淘汰されて行くという、まことに厳しい世界なのです。

だからといって、戦争に身をやつせという話ではなく、戦う相手は人間や国家では非ず、自然(宇宙)そのものに他ならなく、それは未来へ通じる道を切り開く為の「知能の戦い」であって、人類に与えられた生存を勝ち取る為の宿命的な戦いなのです。その様な意味では、自然の成り行きに任せる農耕民族の血を受け継ぐ東洋人には「自滅」が待ち受けており、自然との戦いよりも国家の生存争いに堕する狩猟民族の血を受け継ぐ西欧人には「破滅」が待ち受けていて、このまま進めば人類は未来を切り開く戦いに敗れる事は明白です。

 さて、一つの人間種(ホモ・サピエンス)の中の「民族派生」も生物進化と同様な「系列発生」であり、学問的には「分派形式」に該当するもので、双子発生の様な激しい優化劣化は起こらずとも、序列差が存在し、その陰陽差はあらかじめ定められており、その優劣は既に決定されています。無論、陽民族だからといって、必ずしも生存出来るとは限りませんが、未来を切り開く為の充分な能力資質を備えている事は勿論、陽民族特有の攻撃の気性や進取の気質に富んでいるのがその特徴と言えます。そして、何よりもその民族が地球の他の如何なる民族よりも新しい民族であって、一番最後に分派した民族であるというのがその証明となります。

 極東の、日(ひ)出(い)ずる国に住むその “日の出” 民族が、一体いつ自己の本分に目覚めるのか分かりませんが、民族全体というよりも、その民族に誕生する特別な人間達の一派が地球人類の未来を奏でると言った方が適切かも知れません。その民族には元々優れた固有の生命哲学があり、極めて精巧な言語を備え、更にそこは世界で最も優秀な二つの哲学(仏法哲学と陰陽哲学)の最終到達地点でもあって、宇宙レベルの哲学がこの地で開花するという「約束事」があり、その宇宙哲学が未来をもたらす直接の原動力になるのです。ユダヤ教の黙示録に登場する予言書や、あるいは中世や近代の予言者が極東の小さな島国に対する予言を述べている様に、この国(民族)には人類の命運を握る何かが存在するのです。それが我々が提唱する「宇宙哲理 生命論」である事は言うまでも無いでしょう。

 世界を救う筈の民族が、殺戮と破壊を周辺の国家にもたらした訳ですから、その天罰(原爆)は当然な話であり、そのお蔭で平和憲法を樹立する事が出来たのです。敗戦経験と原爆被爆という苦渋をなめたのですから、それを若気の過ちとして受け止めて、今度は大人の国家としての行動を取らねばなりません。そして何よりこの国、この民族の特徴を生かす事が重要であり、その卓越した技術能力を国の財産として守る必要があって、頭脳の国外流出を防ぐ事が一番大切な事かと思われます。また先輩国家、先輩民族である西欧国家に対して、いつまでもその傘下で庇護を当てにしているのではなく、彼等に対して堂々と持論を主張し、対等に渡り合わなければ、いつまで経っても自立国家として認めて貰えません。

 陽の国家(民族)が生み出した「陽の魂」を他国に流出させる事は、それを受け入れた国に陽の覇権が譲渡されると言う意味であり、一体何の為に民族と国家が存在して来たのか、その存在意味を問われる事になります。その様な事態になる事を一番恐れていますが、我が祖国を単なる「生命論」を生んだだけの国にはしたくありませんが、国家としての陽の存在はこの国では無い事を考えれば、生命論を受け入れる国はその母国では無く、他にある事になります。まあ同じ種族の兄弟民族ですからどこだって構いませんが、それが人類の命運を握るものであれば尚更、つまりそれが陽(本物)である証明は一番最後に現れると言う事であり、受け入れる国もたった一箇所という狭き門で、そこに到着するまでは、すなわち機が熟すまでは何事も進まず、また何事も起こせないのだと諦めています。

 それよりも、「宇宙哲理 生命論」を背負った私がなぜ今まで国外に出ず、受け入れ不能なこの国に留まっていたのか、その理由の方が重要な事かも知れません。それを誰かに譲渡すべく、つまり受け入れてくれる正統な人間の出現を待っていたのであり、「宇宙哲理 生命論」は預かりものに過ぎなく、手渡すべき主人公達を待っていたというのが正直なところです。そして、今現在の我々は、我々を受け入れてくれる正統な国の出現を待つ身であり、その国が一体どこに在るのか、母国なのか他国なのか、未だに分からない状態が続いています。無論、それ以前の問題として、「宇宙哲理 生命論」が存在する事実を世に知らせていないという理由もありますが、それが単なる原理論ではなく、応用技術論があるという事が簡単に公開出来ない理由になっています。原理論と応用論はセットのものであり、科学技術だけを渡す訳には行きません。

陰陽派生(3)

 ところで、ビッグ・バン膨張の放射気流は大きなベクトル渦と小さな拡散渦を誕生させますが、その気流線そのものが真空の空間に拡散する際には、極小の拡散渦が大量発生します。これは強制拡散では無く自然拡散ですから、ベクトル渦や乱流渦の発生は無く、極めて一様で均等なサイズの拡散渦が誕生して来ます。当然、「分派形式」では無く、「分割形式」で発生しますから、均等に右巻き渦と左巻き渦が誕生して来る事になり、その激しい優劣差はミクロの世界でもちゃんと作用している事になります。左右が異なるこれらの双子渦は、生存する為に合体を余儀なくされ、陰陽合体して一つの物質となります。当然、それらの双子渦の腹の中には、この渦世界の主人公である二種の子渦(電子流)が誕生しており、後世の物質社会の主役を奏でます。

 一方、個々の銀河渦を分析すると、巨大ベクトル渦と比較すれば、それが角運動半径が小さい馬力のある強制渦であり、子渦(小銀河流)を生み出すばかりでなく、そのメインは渦巻きの渦線に沿ってランダムに発生する「乱流渦」の生産であり、サイズはまちまちですが、大量の太陽渦を発生させます。乱流発生は基本的に「分派形式」であり、一体どこの太陽系が長男なのか全く分かりませんが、銀河系内の太陽系は皆兄弟である事に変わりは有りません。また、銀河系の子渦である「小銀河渦」に関しては、銀河系の系内もしくは直ぐ外部に存在するチビ銀河で、独自の回転系を備えた星雲と呼ばれているものであり、外部ではマゼラン星雲、内部では百に近い数の星雲が存在します。これらは乱流渦ではなく、銀河の渦線が生み出すベクトル渦の一種です。

 渦の発生形式は主に二つ、一つは直進気流が生み出す左右の「ベクトル渦」、もう一つは回転気流が生み出す「乱流渦」であり、後者は双子発生(分割形式)では無く、分派形式を取るのが特徴です。爆発的に瞬間発生する「拡散渦」は、基本的にはベクトル渦の範疇であり、渦のサイズが一様であるのが特徴です。「分割方式」には激しい優劣差が誕生し、雄型と雌型という格差が生じて、陰陽合体して一つになる運命が待ち受けています。無論、「分派方式」にも前者ほど激しくは無いものの、優劣差(序列差)がちゃんとあって、最初に誕生するのが陰、後から誕生するのが陽と定められています。

 さて、渦を総括しますと、巨大ベクトル渦と銀河渦と核子渦という、たった三種類に分類出来ますが、もう少し具体的に分類すると、一番大きい巨大ベクトル渦(小宇宙流)とその子渦(銀河団流)と、そして一番小さい核子渦とその子渦(電子流)という四種の存在はハッキリしていますが、その真ん中の中間サイズである銀河渦が多様に分かれている為に、難しい分類になります。当論では銀河系渦を五段階に分けて、合計で九種の渦系に大別しており、九次元磁界をメインとしていますが、これは上界の啓示のままの要約分類であり、本来は銀河の星雲磁界も入れて十種にしたい所ですが、すぐに回転が止まって、大して存在意味が無い事を考えれば、やっぱり九種の分類でも構わないのかと思い直したりもしています。数理概念と一致させる為には、それが九種である必要があるのです。

 自然界は一見、多種多様な側面を見せて、乱雑で無法な「カオスの世界」にも見えますが、そこには自然を支配する「自然法」が存在し、それなりの調和と秩序の下にある事は長い歴史を通じて人類が学んで来た事です。その様な自然法は人間生活にも見出されて、「道理法」と呼ばれて来ましたが、煩雑多様な現代国家社会では、人間の意思や宗教の意思を反映した「法律(人間法)」が主流を占めており、自然界から学んだ道理法とはえらく掛け離れたものになっています。人間そのものは今も昔もちっとも変わりませんが、昔の時代には存在しない電化製品や銃器や車が登場して来た訳ですから、それを規制する為の細やかな「法律」を作る必要があり、安定社会を築く為には、野放しには出来ないというのが、その理由です。

 野生動物の世界の様に、在るがままに放っておけば、自然法が作用してそれなりに安定する事は分かっていると思いますが、強者に脅えて暮らす野蛮な原始社会から抜け出した人類が、そんな熟睡すら出来ない過酷な生存競争の世界に今更戻れる筈もありません。自己を外敵から庇護してくれる国家と言う保護膜があるから人間らしい生き方が出来る訳であり、その様な意味では国家とは一つの磁場単位と考えられますが、その生活圏から一旦外の世界に出れば、その安全保障の糸が切れてしまう事になります。

 国家という単位は、一つの細胞単位あるいは一つの磁場単位であり、外界とは隔離された固有の内部社会を構成しているものであって、過酷な外環境から内環境を守護する為の「保護膜」に包まれたものです。当然それは一つの生命単位であって、自然法の効力はその内部まで浸透する事は難しくても、今度は国家単位に作用を及ぼし、そこに寡頭競争をもたらして、強者と弱者を明確に分離しようとして来ます。そうした国家間の覇権争いは国家が誕生した直後から発生しており、人類は何とも血生臭い国家間戦争の歴史を持っており、その争いが今現在でも続いている事は承知の通りです。

 しかし、宇宙という本格的な外世界に目をやれば、地球は「地球磁場圏」という保護膜に包まれた一つの安定社会であり、そこには生存に必要な物理環境もあれば、空気や水もあって、また食料となる有機物も、あるいは社会生活に必要な資源も、ふんだんに用意された極めて恵まれた環境である事を認識出来ると思います。つまり地球そのものが一つの細胞単位であって、我々は細胞内生物(酵素)である訳です。その様な「地球一国」という巨大単位を個々の人間が正しく意識しなければ、いつまで経っても内部抗争(国家間争い)に終止符を打つ事が出来ません。

 

次回へ続く

陰陽派生(2)

 我々の提唱する宇宙哲学とは、いわゆる「気の運動」と、その運動から生まれる「力の場」を説いたもので、原始宇宙のビッグ・バン膨張が生み出す巨大空間渦の「生命模様」を明らかにしたものです。物理的な表現を使えば、気の存在仮定と、その拡散膨張が生み出す渦運動、その角運動が形成する「磁場」、そしてその磁場が織り成す「生命運動」について語ったものです。この新しい「宇宙観」が未来科学の根幹思想となります。

 ビッグ・バン膨張が生み出す空間渦は、複数の巨大ベクトル渦(小宇宙流)と、無数の小さな拡散渦(銀河流)であり、基本的にはこの二種類です。また吹き出した直進気流そのものが真空の宇宙空間に自由拡散する時に誕生して来るのが、無量大数の一律一様なミクロの拡散渦であり、それが陽子と中性子であり、星間ガス(重水素ガス)の成分となります。巨大ベクトル渦は、その腹の中に複数の子渦(銀河団流)を発生させますが、親渦も子渦も周囲に砂粒の如く大量発生した「銀河系渦」を集めるのが基本的なその仕事です。

 また、その一つ一つのチビ銀河系は、その腹の中に大量の子渦(太陽流)を生産しますが、親渦も子渦も定められた仕事は一緒であり、基本的には周囲に発生した霧状のガス分子を吸収して集める事です。銀河系の子渦である太陽系は、更にその腹の中に子渦(惑星流)を誕生させますが、銀河系以下の渦は全て、星間ガスを吸収するのが仕事であり、特に太陽や惑星という角運動半径が小さい渦磁場は、強烈な磁場重力を備えている為に、ガスを吸収してプールするというよりも、捕獲圧縮して中心物体(コア)を造り出すのがその本分だと言えます。

 吸核的な回転力を誇る惑星渦は、その腹の中に幾つかの子渦(衛星流)を生み出すばかりか、その系内に大量の乱流渦である孫渦(岩石流)を誕生させるのがメインの仕事であり、それらの岩石渦はガスを捕獲して小さなコアを急速に誕生させます。乱流渦である岩石渦のサイズは様々ですが、大きなものは小惑星となり、小さなものは水や有機素材の原料となる星間物質(炭酸ガスやアンモニアやメタンガス)となって、これらの物質はゆくゆくは惑星自身に吸収される事になります。

 ビッグ・バン膨張が生み出す大小様々な「渦の世界」、それがこの宇宙の真実の姿であり、その全ての渦回転が気流回転であり、それぞれが特殊な天体磁場(渦磁場)を囲っています。この宇宙が気の粒の運動が織り成す世界であって、本源的な固体の物質など存在しない【運動の世界】であり、運動が終われば元の形状(気)に戻る「虚無の世界」だという、つまりは夜空に一瞬の輝きをもたらす打ち上げ花火の世界であるという意味が理解出来るのではないかと思います。その「虚無の世界」にあって、唯一永遠に残るものは、磁場に焼き付いた生命記憶であり、それは気に冥伏して次世の宇宙に受け継がれるもので、永遠の命を持っています。

 この様な「渦の世界」を陰陽分類すると、ビッグ・バン膨張が直接生産する巨大ベクトル渦と、瞬間発生する拡散渦(銀河渦)という形態が異なる渦が発生しますが、生道行程である事を考慮すれば、当然その陰陽の配当は前者が陰、そして後者が陽となります。もちろん、巨大ベクトル渦にも、あるいは無数の銀河渦にも、それぞれ右巻き(陰)と左巻き(陽)が存在しますが、陰陽派生にも二種類の形態が存在し、親が子供を産む「分派形式」と、親そのものが分割して双子を生み出す「分割形式」に分かれます。巨大ベクトル渦と拡散渦の関係は、ビッグ・バン膨張が生み出す「陰陽分派」であり、長男と次男の誕生となります。また、それぞれの渦が左右の双子渦に分かれるのは「陰陽分割」であり、最も優劣が発生し易い方式となります。

 

次回に続く

陰陽派生(1)

 地球の完成(地球コアの完成)が宇宙の生道行程(前半生)の終息であり、コアの分裂崩壊が始まるのが宇宙の退道行程(後半生)の始まりです。宇宙の渦系はこれで最初の目的である物質の原形を創造し、その発汗行程を終了して、今度は磁場の誘導作業(生命創造作業)に本格的に取り組む事になります。星間ガスを吸収して、渦磁場の中心点に圧縮して行くという強制的な労働作業には一段落が着き、後はコアの成長を外側から誘導するだけですから、身体的には楽にはなったものの、神経を酷使する作業となります。

  渦磁場にとってコアとは、自らの腹の中に誕生した「胎児」であり、独立した磁場を有した「内磁場」となります。胎児が無事に育つかどうかは、母親本人(地球系)だけの問題では無く、太陽系全体の責任にもなります。コアを孕んだ母星(水の惑星)の使命は、その胎内環境を充実させて羊水の中で胎児を養育し、自らの遺伝情報を受け継ぐ「我が子」を成長させ、滞りなく無事に出産まで漕ぎ着ける事です。

 母親の生命創造作業の一つは、系内に発生した星間物質を内磁場に吸収させる作業であり、水や有機物の材料をコアに送り届ける作業が最初の仕事です。それらの星間物質を重力による自然吸収に任せていたら、途轍もない時間を浪費する事から、月の軌道磁界の力を借りて、共同作業で急速に送り込みます。また月の軌道磁界は、外磁場の過激な重力作用を緩和する役割も備えており、コアの重列元素崩壊を促進させるという、黒子的な燻し銀の仕事もしています。

 コアの分裂崩壊は外磁場の潮汐運動によって調整されていますが、基本的にはコア自身の仕事であり、コアは激しい崩壊熱の放射と大量の元素を生産し、灼熱のマグマを生み出します。コアが最初に造る物は自己の皮膜とも言える地殻であり、火の玉となって燃え上がるそれは、表面のマグマが急速に冷えて、固体の皮膜を造り出します。最初に先ずそれを造らないと、大量に吸収した水分子がいつまで経っても気体状態のままであり、海洋を造る事が出来ず、胎内環境を整える事が出来ません。

 さて、コア(重列元素)とは100種の元素を生産する直接母体であり、それ自身が地磁気を生み出して、内磁場を形成しているところの一つの生命ですから、陰陽論で考察すれば、それは究極完成した完成物であり、その分裂派生の仕方は「陰陽分派」の法則に従います。その派生の仕方は、時間速度は極端に異なりますが、通常の物質崩壊の行程と基本的に一緒であり、山が崩壊して巨大な岩石となり、更にその岩石が崩壊して石に変じ、その石が風化して無数の砂粒に変貌して行く行程と全く同じです。巨大元素である放射能元素群は自ら崩壊して、無数の小さな安定元素群へと変じて行きます。

 当然コア自身は、大陰と呼ばれる元祖の存在であり、その陰が陽のチビ元素群を生産して行くと言う方向性であって、100種の元素(電子系物質)の中でも、陽の本分を具現出来る元素は、五行分類で言うところの「木(もく)の原子群」であり、末尾20位までの元素が、元素の本分を遂行出来る陽属元素だと言う事になります。その大半はコア自身が作り出したというよりも、星間物質として母親が用意してくれた外来元素ですが、時間的猶予があれば、当然コアも生み出せる物です。

 この様に、元素という物はコアの核分裂で発生する物であって、核融合で合成される物では非ず、あらかじめ完成した巨大元素が小さな元素単位へと遷移して行くという方向性を有する物です。この最低限度の方向性を見失えば、入口と出口を間違える事になり、現代科学の様な軽挙妄動に陥ってしまいます。星の核融合理論が自然現象とは正反対の考え方である事は、今では多くの科学者が個人的には矛盾を感じている事だと思いますが、それに取って代わる統一理論が無い為に、過去の理論を是正出来ない状態で放置されているのが現状です。

 

次回に続く

生命輪廻の陽化運動(2)   

 さて、繰り返しになりますが輪廻運動は前進運動であり、ただ回転を繰り返すだけではありません。高気圧や低気圧の大気渦が回転すれば、下降流や上昇流という大気の直進運動を生み出します。また、電子が公転すれば中心磁束という直進流を生み出し、電子スピンは電子の中心磁束(電流)を生み出します。

 

 

 もちろん、生命輪廻はこれらの物とは異なりますが、先にお話した様に心を進化させる直進運動を行なっており、その進化には逆流は決してありません。
 ここでの話は死後の世界を信じろという意味ではありませんし、またはかない肉体を備えている人間期間が虚しいという意味でもありません。死んでから進化するのは当然の話であり、宇宙の高み(精神の上層階)に死んでから到達するのなら、誰にでもできる芸当という話なのです。重要なのは“生きたまま”進化することが重要なのです。仏法では死んで上界へ達することを“死成仏”、生きたまま上界へ達することを“即身成仏”と称していますが、原則的には死んだ人間の自力成長は難しいのです。一方で肉体と一致した明晰な意識を奏でる人間の精神成長は早く、人によっては一瞬にして最高峰の上界に到達できる人もいます。

 本書でお話しているこの陰陽哲理も、そこに住む意識体が書かせたものをわかりやすく表現し直したものなのです。しかし、その磁界(星団磁界)ですら最高峰の磁界ではありません。まだ上が存在しているのであり、そこは創造主の意識世界と言えます。その場へ生きたまま同会するのが人間に課せられた当面の使命なのです。そして、その磁界や場すらも越えていくことが究極の人間の使命に他なりません。それは貴方自身が成すかもしれませんし、後世の子孫たちが成すのかもしれませんが、いずれにしても尊い肉体を存続させることも最重要課題であり、世代交代を続けてこの肉体を子孫に伝えていく意味がそこに存在するのです。

 人間(宇宙人)とは桜の花びらに過ぎず、その花を開花させているのが宇宙であり、桜本体である“桜の木”なのです。仮に桜の花が60億個の花びらを開花させたところで、それらは桜の木の一部に過ぎず、元々独立した存在ではありません。桜の花びら(人間)は桜本体(宇宙)を象徴するものですが、結局それらは桜の木の一部に過ぎず、全体的なものではなく部分的なものなのです。個の意識に捕らわれて、一人の人間意識から卒業できない人は永久に花びらをやり続ける事になりますが、考え方一つで人間は地球にもなり、宇宙全体にもなって我が桜であるという全体意識も囲えるのです。創造主(神=全体宇宙)が人間に望んでいることは、我(神)に従って生きるのではなく、我(神)の意識に人間が成長することであり、人間が我と同化しうる日をただひたすら待っているのです。悲しいことに、小さな肉体に呪縛された哀れな人間は自分が地球であることも、そして宇宙自身であることも気が付かずに、無意義な人の一生を送ってしまうのです。

 さて、この宇宙で唯一無二の存在である原始宇宙(創造主)は、前宇宙の遺伝記憶である“宇宙を創造して生命を生産する記憶”を持つものの、自己を客観的に判断し得る“外磁場(心)”を持たない内磁場だけの極めて原始的な意識体です。それは人間の様な賢い生命体とは言えず、尊いものであっても、その知能は白痴的な生命状態と言えます。彼(創造主)は自分がどこの何者なのか、まるで何も分からないのです。そこで宇宙は記憶に従って人間を造り、そこに自己の意識を投影して、肉体を通じてあらゆる情報を集めて自己の成長を促がしているのです。つまり、人間とは神の意識を奏でる生命体であり、神(人間)が“我とは何ぞや”を理解するその日まで、日々の成長を義務付けられた生命体なのです。
 そんな創造主を具人化して万能なる神のイメージを抱き、人間とは別種な存在物として扱っているのは知能遅れの地球人ぐらいのものです。人間が想像するような神など宇宙には存在しないのであり、救いを待っても無駄だと言えます。神の意識は現存するものではなく、これから人間が創造するものに他なりません。神を信奉する西欧人にとっては、これは神を冒涜する考え方かもしれませんが、特定の神など崇めない東洋人にとって、万能神の存在は無く、誰も神など宛てにしておらず救済など待っていません。それは宗教が生み出した弊害であり、神など居ないことを認識しなければならないでしょう。

 生命輪廻が生み出す心の“縦の進化”の行き着く先には、大宇宙の当体意識を奏でるという人間に課せられた最高の使命が存在します。その究極的な目的の為に人類が存続し、世代交代を続けて成長を続けていることは認識しておかなければならないでしょう。
 重要な事は、物事が陽化流転して本来あるべき姿(回帰原点)に向かって動いているという事であり、ミクロの範囲でもマクロの範囲でも陽化運動が起こっているという事実です。宇宙と言えども、自然の摂理に従って運動を起こしており、人間と同様に成長があり、死を迎えて、輪廻を繰り返しています。その絶対法則は神が創作したものではなく、神(宇宙)も従わなければならない自然の掟であり、それは単に最も初歩的な物理法則に過ぎないのです。その物理法則を認識するのに、神の知恵は要らないのであり、それは人智で充分理解し得るものなのです。絶対に超えられない神の壁を作り出せば、宇宙は謎解きの出来ない孤高の存在となり、その民は盲目地獄から永久に逸脱できません。

 

 

生命輪廻の陽化運動(1)   

 先にお話しましたように、万物万象の陽化運動を陽の比率が上がっていく現象と捕らえるのか、それとも陰の比率が下がっていく現象と捕らえるのか、その結果はどちらも同じなのですが、陽には明確な形がありませんので本書では認識の都合上、陰の比率が下がっていくことを陽化としています。例えば、固形の芳香剤が陽化し、溶解して香りの分子へと昇華していくのも芳香剤の消失を目で見て、陽化の終了を確認できるからです。

 人間の陽化を具体的に考えてみると、肉体の陽化と、心の陽化の両方が存在しています。肉体の陽化とは細胞体(陰)と生体磁場(陽)の陽化推移であり、心の陽化とは磁場位相(陰)とその生命記憶(陽)の陽化推移のこととなります。これらはそれぞれ図に示すような生命輪廻図に比例した陽化運動を行なっています。一般に、肉体(陰)と心(陽)の関係といえば、肉体の象徴である生体磁場(陰)と、心の象徴である生命記憶(陽)
の関係を代表的に説明しているのに過ぎません。両者も互いに相対関係にあって、生体磁場の馬力が落ちれば、その分心の馬力が高じていきます。従って、この陽化推移も生命輪廻図で説明がつくことになります。

 

生命輪廻図を見て分かるように、陰の比率が9-8-7-6-5-4-3-2-1-(0)と減滅していくのに対して、陽の比率は1-2-3-4-5-6-7-8-9-(10)と増大していきます。回帰原点とは陽の10段階目を示すと同時に、陰の0段階目を意味しています。両者の比率は常に一定で、片方が7割ならば、もう片方は3割となります。本書では、起動原点(0度)と回帰原点(180度)の二種を、輪廻を分ける等分点と定義し、その二つの行程の中で陰陽の比率が等しくなる真ん中の(5)点を“央分点“と呼んで、表の行程の央分点(90度)と、裏の行程の央分点(270度)の二種を想定しています。

 

 

 

これらの区節点は一年の温度輪廻を二等分する冬至点(0度)と夏至点(180度)、そして冬~夏を分ける春分点(90度)と、夏~秋を分ける秋分点(270度)と同じ意味になり、生命輪廻を解析する為の重要な基点となります。ちなみに温度の陰陽は地上に於いては寒(陰)と暖(陽)であり、それらが極まる点が二つの等分点となり、また五分五分になるのが二つの央分点となります。温度輪廻の実相行程(陽化行程)とは寒さが極まる冬至点から始まり、徐々に陽化(暖化)が進んで暖が極まる夏至点で終了します。その実相行程の央分点は春分点にあり、北半球では12月から3月までを登りの生道行程、そして3月から6月までが下りの退道行程となります。どちらが楽チンな行程かは、言うまでもありません。

 

 夏至点から冬至点に至る半年の期間が温度輪廻の虚相行程(折り返し行程)です。地上は光の散乱(輻射)の関係で温度余波が残留し、温度のピークは約一ヵ月半ほどずれ込みますが、いずれにしても夏至点を過ぎると陽化が極まり、人の心も陽化して仕事に集中できずにバカンスを求めます。自己を拘束するあらゆる圧力から開放されて“心が宙に浮く”状態となります。つまり肉体の拘束力や日常の圧迫感から逃れて精神を解き放つのであり、それは死んだ直後の状態や睡眠に突入した状態と基本的に一緒なのです。この注意力が散漫で無防備な浮かれた状態を“陽化ボケ”と呼びます。
 このような陽化ボケを脱するのは、秋風が吹いて涼しい季節が到来する秋分点を過ぎてからになります。虚相行程の後半の行程に入ってはじめて、人は自己を客観的に見直し、一年の経験を振り返り、また未来のことを考えはじめます。精神が高揚して人生の意味や価値を模索し、中には虚無的な衝動に駆られる人もいれば、物思いに沈み憔悴する人もいるかと思います。その状態は死後の霊が、生前の自己の一生を振り返って充足感や不満感や未練や諦念を感じることと全く同じなのです。
 虚相行程の後半期は、心が体から分離した状態であり、小説家や哲学者には最も良い季節となります。しかし、それも冬至点までの話であり、そこを過ぎれば再び実相行程の地獄が待ち受けており、精神は地の底に幽門されて先の見えない無明の状態に突入します。強烈な圧迫感と何も考えられない無が支配する状態となった人間は、いつの間にか心身離脱状態が解消されて心身一致状態に変貌しています。これは母親のお腹の中から誕生した直後の赤ちゃんの状態に他なりません。その赤ちゃんが少しづつ陽化して、心を発達させてくる道程が陽化行程なのです。二月を過ぎた頃から、やっと一条の光が差し込んできて、先に希望や夢が持てるようになり、人は勤勉に働き始めます。結局、人間が脇目も振らずに仕事に打ち込めるのは冬至点から夏至点までの間であり、夏至点を過ぎると精神が高揚し過ぎて、様々考える割には肉体を酷使して発汗することを嫌います。一年の温度輪廻はそうした人間の生命輪廻を象徴しています。

 

次回へ続く

 

流転(運動)の段階推移(2)  

 これらの運動はいずれも切れ目の無い連続的な運動であり、常に一定方向へ流れていき決して逆流することはありません。また一サイクル単位の終了を告げるか、もしくは次の輪廻の起動原点(0点)となり得る回帰原点(10点)が必ず存在し、屈折や反射して方角を変化させる場合は、これらの回帰原点を境にして折れ曲がります。また、一サイクル単位の中には央分点(5点)が存在し、ベクトルの向きが90度変化するか、もしくはその強弱を変化させています。
これらの運動は原則的に三角形(二等辺三角形)を呈しており、また輪廻運動はこれらの三角形が二つ組み合わさった四角形を呈してして、これらの形状は直進力線が描く基本形です。
 ここで輪廻図であるC図について具体的な説明をしてみたいと思います。この図は生命輪廻を一元的に捕らえたもので、陰の流れを掲載していません。陽の流れのみを説明した一元図であり完成した生命輪廻図ではありません。

 

 

 例えば人間生命の零状態とは母親のお腹の中で眠る胎児(0~1)であり、胎児期は実相行程(陰陽混合)ではなく、心の陽化行程(成長行程)には当たりません。胎児が誕生して実体を具現し、心を宿した瞬間が1点(出発点)となり全ての生命はそこから始まります。乳児期(1~2)を経過した生命は幼年期(2~3)-少年期(3~4)-思春期(4~5)を経て、やっと大人として認められる央分点の青年期(5~6)に至ります。そしてここまでが登りの成長行程です。その後、壮年期(6~7)-熟年期(7~8)-初老期(8~9)-老年期(9~10)という下りの退道行程を歩んだ生命は、ついに回帰原点(10点)に到達して死を迎えることとなります。九段階に渡る実相行程はここで終了し、肉体を失って霊体(意識体)となった人間生命には、死の直後に重要な分岐点が訪れて、道が大きく分かれます。陰陽分離した生命(心)はその陽だけが次の循環行程へと進んでいきます。

 

 仏法では、三途の川を渡り、死んだ直後の生命状態を霊身期(れいじんき)と呼び、法身期(ほっじんき)、応身期(おうじんき)、報身期(ほうじんき)の三段階が存在すると説いています。その分岐点の存在する最初の関門が“法身期”であり、ここで天国(上界)行きと、地獄(地球のこと)行きの両行程に分かれます。登りの生命は上法身期(10~11)に進んで、更に応身期(11~12)から報身期(12~13)と向かって、そこから太陽磁場圏へと転写されて成仏します。一方、下りの生命は下法身期(10)にそのまま止まって、そこに定住したまま地球磁場圏から決して離れようとはしなくなります。下りの生命とは生前の自己に執着して、人間を卒業する意思が無い不成仏霊のことです。彼らは人間と同じ地球磁場圏に住んでおり、人間に憑依して肉体を操作できる物理能力を持っていますので大変危険な存在と言えます。
 ちなみに、人間が眠っている時には必ずこの法身期の領域に心が同会しており、睡眠状態とは言わば仮死状態の事です。磁場位相に存在する磁気意識体である我々は、一日一回死ななければ収縮エネルギーが得られないのです。充分な睡眠を取れば、思いっきり収縮して肉体の直ぐ近くまで目線を落とすことが可能であり、明晰な意識を囲う集中力を得ることができます。また泥酔状態になるまでお酒を飲んで、ノンレム睡眠に突入すると、法身期を通り越して応身期の領域に入ることになり、生きたまま成仏行程へ進入してしまう場合もあります。心がこの領域に入ると記憶が転写されてしまうので、眠るたびに馬鹿になっていくという恐ろしい事となってしまいます。

 

 ところで、生命も含めて万物の運動にはリズムがあって、必ず零基点を経由して元に戻るバイオリズム周期が存在しますが、物体の連鎖には区節点は存在しません。つまり、回帰原点に相当する10点が無いために、「九区点八段階」の連鎖形式となり、こちらの方は十干バイオリズムではなく、“九星バイオリズム”と呼ばれており、その八段階行程は“八正道”と呼ばれます。

 

次回へ続く

 

流転(運動)の段階推移(1)  

流転(運動)の段階推移

 万物万象の運動は全て単位サイクルの連続反復からなりたっており、単なる直線運動ですら特定の周期を刻んでいます。
起動原点(零点)から始まる陽化運動は必ず回帰原点(180度点)に至る一方的な運動を行なっています。回帰原点とは陽が100%の、陰陽混合状態が終了する段階のことです。回帰原点とは生命の収納段階(帰納段階)と呼べるもので、実体もしくは実作用を呈する実相行程(表の行程)の終わりを意味する区節点です。陽化行程はこの回帰原点で終了しますが、生命行程はそれで終わる訳ではありません。表の行程の次には裏の行程が訪れて生命は輪廻していきます。これは輪廻(回転)の説明のように思えますが、直進運動も波形運動も回転運動と原理的には同じで、これらは直進運動が元々備える性質なのです。輪廻とは単に回転や循環を表しているのではなく、反復や往復を意味しているのです。

 輪廻運動を簡単に言えば、陰陽―陰陽―陰陽―陰陽という連続反復の意味ですが、一つの「陰~陽」の段階推移の中にも小周期が存在し、またそれを一単位とした連続単位の中にも大周期が存在しており、さらにその大周期を一単位とした更に巨大な連続単位も存在しています。その周期を現す単位標識が0~9に至る数字なのです。西洋人の創作した数字には固有の意味はありません。しかし、東洋の数字(十干や十界)には固有の意味が存在し、それぞれの役割が説明されています。
 ここで下の図を見てください。ABCの三つの図は直進運動と波動運動と円運動を数字で表現した図です。数字は必ず1から始まり、5で央分に至って、10の回帰点で一区節を迎えて終了し、それを繰り返し(輪廻)て行きます。11とは十位の段階の1の意味であり、また101とは百位の段階の1の意味であり、35という数字は第三段階(三十位)の第5番目という意味になります。これらの数字は「十区点九段階」の生命推移を表現したもので「陰~陽」あるいは「陽~陰」に至る生命流転の段階別の“具現の様相”を示したものです。この区点標識を十干(数字)と称し、また区点間の実質の九行程を九如是(九星)と称しています。従って、これらは生物の生長運動のみでなく、万物の運動そのものの推移にも当てはまります。

 

 

(図A 直進運動)

 

 図Aは直進運動図で、微妙な強弱を波型で表現していますが、1~9の因子は全て零基線より上の実作用を呈していますので、波の運動とは根本的に異なります。この運動図は直流の電流線や重力線あるいは直進運動を行なう全ての物体に共通するもので、微妙な強弱の連鎖がその特徴です。

 

 

(図B 波動運動)

 

 図Bは波形運動図で、零基線を上下する運動であり、実作用と虚作用が交互に連鎖する運動となります。この運動図は海の波や光や音や地震波など、あるいは交流の電流線などの媒介物の振動運動ですが、その特徴は回転と良く似た円周期を持つことと、虚作用には実効力が無いために、中抜けの運動(飛び飛び)であるという点です。

 

(図C 回転運動)

 

 図Cは回転運動を表した輪廻図ですが、波動運動の実相部と虚相部を合体させて、循環させたような運動であり、原理的には同じ周期運動と言えます。

 

次回へ続く